第15話 【上弦の月に照らされて】


しばらくして、優吾は歩きはじめた。


木々の合間を抜け、坂を下ると、木々に両側を囲まれた広い道に出た。

優吾はだんだんと、いま、自分の歩いているところがどこだか理解することが出来た。


ここは、桜の並木道だ。

ずっと向こうまで続いている。


ここの桜の木々は、枯れてはいたが、不思議に倒れたり折れたりという損傷の痕(あと)は見えない。優吾はふと、立ち止まる。


前方に何かの気配がしたのだ。

優吾は、前方に目を凝らす。

やはり、誰かが立っているようだ。


大きい影が、岩のように動いている。

その様子からして、かなりの大男らしい。

優吾は、警戒しながらもうすこし前に近づいていく。


ようやく大きな影の輪郭(りんかく)がハッキリと見えてきた。

近づいてみると、大きな影は、人間ではなく、動物のようだ。

その大きな黒い影は、道の両側の木々の間を行ったり来たりしている。


そして時々、木のすぐそばで仁王立ちになり、木に向かって片手を振り上げながら、飛び上がる。目のふち、耳、手足、尻尾が黒く、他の部分は白色。

それはまぎれもないジャイアントパンダの姿だった。


片手を振り上げてジャンプしているその様子は、まるで踊りでもおどっているようだ。何をしているのだろう。優吾は、興味を覚えた。

思わず木の裏側に身を隠して、その様子をもっとよく見ようとした。


その時だった。

突然、空がパッと明るくなった。

隠れていた月が、顔を出したのだ。


上弦の月が出た。


ずっと闇にまぎれていたせいだろうか、降り注ぐ月明かりは、眩しいくらいだった。

並木道は銀色に輝いてきた。


一匹のジャイアントパンダが、その輝きの中に浮かび上がる。


ピンク色の小箱を脇に抱えながら、パンダは並木道の片側の木に近づいていく。

木の下まで来ると、すかさず小箱の中に手を入れて、何かをつかんで片手を振り上げる。パンダは、次には道を渡り、反対側の木々に近づいては、それを繰り返す。


その様子を見ていると、枯れかけた桜並木の木々に、パンダは何かを振りまいているようだった。何度も道を横断しては、木の下で二本立ちになり、片手を空高く振り上げる。時には、手と同時に片足を宙にひらめかす。


その様子は、そう、まるでバレリーナが可憐に踊っているようなしぐさだ。

パンダは、そうやって桜並木の道をジグザグに進み、木の裏に隠れている優吾の方に近づいてくる。


優吾は、パンダの様子に気をとられてばかりいたせいか、桜並木のずっと向こうの方が、白っぽく明るくなってきたのを気づかずにいた。


しかし、優吾はすぐにそれに気がついた。

それもそのはずだ。明るさは、今や優吾の眼前まで、迫って来ていたのだ。


優吾は、目の前がパッと明るくなったのを感じてから、何事かが起こったことを理解するまでに数秒要した。何という光景だろう。


優吾は、思わず驚嘆の声をあげる。

枯れているはずの桜の木々が、ずっと向こうから、咲きはじめたのだ。

まるで桜並木の上に波が生じたように、ずっと向こうから、前へ前へと白とピンクの輝きが押し寄せてくる。


春爛漫の光景が目の前に広がる。


その光景の一番前に、ジグザグに進んでくるパンダがいるのだ。

その様子を見ているうちに、優吾は何かを思い出した気がした。

しかし、優吾はそれをハッキリとは思い出せない。


そのうちにパンダは優吾の隠れている木の前までやってきた。

パンダが手を振り上げると、粉のようなものが木の頭上に舞い上がり、それがゆっくりと木の幹に降り注いでいく。


優吾の頭や肩にも、その粉が落ちてくる。

黒い、サラサラした粉だった。


そして、いつの間にか優吾のしがみついている木の頭上がパッと明るくなった。

まるで桜の開花の様子をスローモーションで見ているかのように、蕾が色づき、膨らみ、花を咲かせていく様子が、見上げていた優吾の目に映った。


やがて、優吾のしがみついていた木は、数秒のうちに満開になり、上から無数の花びらさえ舞い降りはじめた。


そうだ、そうだった! 優吾は、やっと思い出した。

これは、子供の頃、父親によく話して聞かされた『はなさかじいさん』のお話しにそっくりではないか。


その時だった。優吾は、何気なく足元にあった小枝を踏んでしまった。

それが折れる音は、以外にも大きかった。

どうやら、木の後ろに隠れている人間の存在に気がついたようだ。


優吾の方にゆっくりと近づいてきた。

パンダが近づいてくるにつれ、優吾は木の後ろに隠れていることに、何か後ろめたさを感じるようになった。


そう感じはじめると同時に、無意識のうちに優吾の足が前に出ていた。



〈続く〉

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