第9話 【ホアンが笑った】


そして、向き合う恰好で、パンダがいた。


優吾が目を離しているうちに、パンダはのそのそと村の方に歩き出し、その後ろ姿は、もうすでに村の中にある。優吾はあわてて、その後ろ姿を追う。


ジャイアントパンダは、村の中を数十メートル進むと、ある一軒家の庭の中に入っていった。やがて、パンダは、玄関のドアの前で2本足で立ち上がり、両前足をドアに交互に押しつけるようにして、しきりに音をたてた。


数秒でドアが開いた。

パンダはドアの隙間から、家の中に入っていく。

いったん閉じたドアが再び開くと、若い娘が顔を出した。

娘は、優吾の姿を認めると、少し驚いた表情をしたが、すぐに手をあげて手招きした。優吾は、それに従った。


家に入ると、奥の暖炉の前で、パンダがうずくまっていた。

家の中には、娘の他には、誰もいないようだった。

真っ白な壁に取り囲まれた部屋の中には、不思議なくらい、何も置かれてはいなかった。テーブルも椅子も、食器類も衣服も置いてある様子がない。


上を見上げると、三角のレンガ屋根の内側が見え、煙突の穴が一つ、ぽっかり開いている。床は、木の張り板でできている。古びたとても頑丈そうな床だった。

娘は、暖炉の前にうずくまったパンダのそばに正座して、優吾の方を見上げていた。

亜麻色の三つ編みを両肩から垂らしている。瞳の色はブルーだった。

20代半ば位だろうか。


優吾は部屋の真ん中までゆっくり歩いて行き、静かに腰を下ろした。

優吾は娘に挨拶をした。でも、娘は何も言わなかった。

何度も話しかけているうちに、娘は、ようやく声を出した。


しかし、その声を優吾は理解することができない。

どうも中国語ではないどこかの国の言葉のようだった。

優吾は、何度も会話を試みたし、娘の方でも優吾に話しかけてくれたが、

いっこうに言葉は二人を繋(つな)いでくれない。

優吾は、身振りや手振りを使い、自分がやって来た方角を指でさし示したり、

娘の後ろで眠っているパンダについて、尋(たず)ねようとした。


娘は、首を傾げたり、笑ったりしながら、優吾の言ったことに答えようとしているみたいだった。娘の声は、断続的に、途切れた。

まるでそれは、英語の分からない者が、片言をつなぎ合わせて話すような喋り方だった。


お昼に優吾は、娘に案内されて、村の中を散歩した。

小さな村なので、一時間も経たないうちに一回りできた。

途中で、娘の知り合いらしい数軒の家々に立ち寄ったが、どの家にもパンダが一匹いた。そして女、もしくは男が1人いた。

年齢は20代から40代まで、様々(さまざま)だ。

「幸福」という名のこの村は、パンダが人間と一緒に暮らしている。

それはやはり、珍しく興味を引くことだった。


優吾はその夜、娘の家に泊まった。


娘がしきりに勧めるので、パンダに寄り添って寝た。

頭をパンダの腹の上にのせると、自然に優吾の肩にパンダの手がおりてきた。

表では、しきりに風が鳴っていたけど、おかげで温かく眠れそうだった。


次の朝、娘に起こされた。


「おはよう。よく眠れた? 」


頷きながら目を擦っていた優吾は、ふと、気がついたように娘の方を見る。


「驚いたな。いま、君の言ったこと……僕の言ってること、君は分かるの? 」


「ええ。分かるわ。でも、これは自然のことなの。村の外から来た人は、はじめは私たちの言葉が理解できないみたい。でも、次の朝になると、決まって言葉が通じるようになるわ」


「そんなことってあるんだね。まだ聞いてなかったけど、君の名前は? 」


「ホアンよ。あなたは? 」


窓から朝日が射し込んできて、優吾の顔に当たる。


「ユウゴというんだ」


眩しくて顔をしかめている優吾の顔を見て、ホアンが笑った。



〈続く〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る