第5話 【不思議な配給所】


ホームレスが列を作って並んでいる。


これはホームレスへの食事の配給でよく見る光景である。

問題は配給している者たちだ。


カレーの匂いがするので、配給食はカレーなのであろう。

皿にご飯を盛り付けているのは、なんと猿である。

そしてカレーをクチバシで掬(すく)っては、ご飯の上にかけているのはタンチョウヅルではないか。長いテーブルのそばで並んで、五人の猿がご飯をよそい、三羽のタンチョウヅルがカレーをかけている。


ホームレスたちは、テーブルの上に置いてあるカレーのかけ終わった皿を、

一列に並んだ先頭の者から手にとって、立ち去っていく。


人間が動物に保護され養われている。

頭ではそれもいいではないかと理解していても、理性がどうも納得してくれなくて、何だかしっくりしない気分である。


「驚いたな」


優吾がポツリとこぼす。


「あたしもそうだった。初めて見た時はね。頭で理解していても、人間の本性みたいなものが納得してくれないのよね。その気持、分かるわ」


そう言いながら、ケイコが立ち止まっている優吾のそばに近づいてきた。


「いつからなんだい? 」


「えっ? 何のこと? 」


「人間というかホームレスたちが、動物たちのやっかいになりはじめたのは……」


「やっかいという言葉は不適切ね。信じがたいけど、彼らに救われたのよ。あなたもホームレスだから分かるでしょ、この意味が。普通に生きている人たちが、振り向きも、立ち止まりもしない私たちに、檻の中にいる動物たちが振り向いて、立ち止まってくれた……」


動物公園の前にあるカレーの配給所では、先ほどまで長蛇の列を作っていたホームレスたちが、ようやく最後の二、三人にまで減っていた。


優吾は、カレーが盛られた白い紙の皿を手にして去っていく幾人もの後ろ姿を見送りながら、この人たちは、いったい、どこへ食べに行くつもりなのだろう、と疑問に思った。そんな優吾の考えを見透かすように、


「みんな一度死にかけてここへ運ばれた人たちなの。人目を忍んで食べるつもりなのよ。でないと、ここへ上野公園中のホームレスたちが押しかけて来てしまう。そうなってしまったら、さすがの動物たちも参ってしまうわ。動物たちは、もともと自分たちの餌をこっそり残して、私たちに与えてくれているのだから」


「そうだったのか……人間を助けるのも楽じゃないってわけだな」


「そういうこと、さあ、あたしたちも行きましょう。こうやってカレーを作ったりして、人間の好みに合わせて料理してくれることなんか、めったにないんだから。食いっぱぐれたら大変よ」


配給所のテーブルに走っていくケイコの後ろ姿が、一瞬だけ、何かの動物の背中のように優吾には見えた。



******


上野動物園内にある動物病院には、今、3人のホームレスが入院している。


動物病院なのに人間が入院しているというところが可笑しい。

本当は入院というほどのことはなくて、ただベッドを借りているといった方が正しいのだが、カルテには、3人とも『重度栄養失調につき、保護』とある。


カルテといっても、通常の病院のものとは大違いで、動物病院の前のコンクリートがカルテ代わりになっていて、そこへ3人の症状を医師のオラン・ウータンが石をチョーク代わりにして、殴り書きに書いているのだ。


いったい動物たちのコミュニケーション機能は、どのような発展をとげて、今に至るのであろうか。カルテと称(しょう)して、地面の上にこのような人間には分からない絵ともつかない線の記号のようなものをスラスラと書き上げてしまうのだから、驚くばかりだ。


だいたい優吾には動物の言葉が分からない。

医師のオラン・ウータンがどんなに診察と称して、優吾の手を握ってきても、なんだか背筋が寒くなるばかりだ。

そうこの愛するべき医師は、手を握って人間の症状が分かるらしいのだ。


他に入院している2人にも聞いてみたが、やはり、動物の言葉は分からないらしい。

ただ、相手の動物がこう思っているようだ。こう感じているみたい。とは、うすうす分かる気がするのだそうだ。


例えば相手が機嫌が良いかそうでないかはすぐに分かる。

と、ケイコは言っている。


ゴリラが胸を叩く時のドラミングや、フクロウがまばたきをする回数や、

キリンの様々な首のもたげ方や姿勢から、何となく動物たちの感情や意思の方向性を推察できると自負しているのは三上さんである。三上さんとは、優吾やケイコと一緒に入院している40歳位の丸眼鏡をかけたおじさんだ。


動物病院に入院しているのは、優吾も含めたこの3人だ。



優吾もなんとなくであれば、動物たちの動きや表情から、喜怒哀楽は察することができると思っている。しかし、優吾は、もっとハッキリと人間同士で接しているのと変わりなく、理解できるものたちを持っていた。


それはカラスたちである。

優吾は、カラスが鳴いているときに、あのカラスたちの言葉が分かるのだ。

もっと正確にいうならば、カラスの鳴き声が人間の言葉で聞こえるのだ。


はじめは幻聴だと思った。

精神的な病気かなんかで、カラスの声が人間の言葉に聞こえてしまうのだと考えた。

それなら、休息を思いっきり取ってリフレッシュすれば、きっと治るだろうと簡単に考えていた。


でも、ダメだった。

一ヶ月後も、一年後も、カラスを目にした時は、きまってカラスは人間の言葉で話をする。慣れは本当に恐ろしいと思う。

慣れてしまうと、そのことに関しては何も思わなくなってしまうのだから。


むしろ、それが、自分の特別な才能なのではないかとすら思えてくる。

もともとカラスの話が理解できるようになったそもそものきっかけは、なんだったのだろう。優吾はそれを時々、考える。


今夜も、動物病院のベッドの上で目をつぶると、自然に頭の中に浮かんでくるのは、そのことだった。やはり……あの旅が原因だったのだろうか?



〈続く〉

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