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 その三十分後、いつも行くカラオケボックスに柊紅葉、桃川美亜、桜庭正陽の三人が集まっていた。美亜はマスクにマフラーに雪だるまみたいな白の厚手のニットを羽織り、ティッシュボックスから何枚もティッシュを引き抜いては不機嫌に鼻をかんでいる。


「桃川はそんな無理して大丈夫なのか?」


 眼鏡をつけていない素顔の桜庭は、黒の上下で着ていたダウンジャケットをシートの背に掛けていたが、少し首周りが涼しそうに思える。


「なんでそんなこと言うのよ。こんな顔してまで来てるんだから、色々と察してよ」


 既に涙ぐんでいるのか、それとも風邪で目が潤んでいるのか、紅葉には判別がつかなかった。ただ額に貼った冷えピタに熊の模様が描いてあって、それがちょっと可愛く思える。対して自分はしっかりと化粧をし、ぴっちりしたボタンシャツの上に裾が長めのグレィのジャケットを羽織ってきた。この手の格好をすると、もう少し身長があればと思わなくもない。


「ともかくさ、三人になっちまったけど、ボクは言うよ。美亜」


 彼女の名前を口にする時に、紅葉が甘くしびれた感覚がすることに気づいたのは、高校に入ってからだった。


「好きだ」


 桃川はマスクの上の潤んだ目を、一度は紅葉に向けたが、すぐに逸してしまう。


「美亜。ずっと幼馴染でいるつもりだったけど、こんな風なボクを受け入れてくれるのはもう美亜しかいないんだよ」

「もう無茶苦茶じゃない!」


 ゴホゴホ、と激しく咳き込む。それでも桃川は構わず続けた。


「わたしは桜庭くんが好きなの。紅男のことは友達とか幼馴染とか、それ以外の感情では見られないよ。いくら好きだって、そんな真っ直ぐに言ってくれたってさ……もう遅いんだよ」

「すまん。桃川。俺はお前の気持ちには応えられない」


 悲痛な表情を浮かべながらも、いつもなら黙っていたであろう桜庭は低い声で言った。

 その声を掻き消すようにテーブルを叩くと、桃川は立ち上がって桜庭に視線を向ける。マスクを取り、思い切り息を吸い込んだ。


「わたしはずっと考えてたよ。例え桜庭くんがゲイだったとしても、女性であるわたしのことを恋愛対象としては見てくれないとしても、好きの気持ちにはそんなこと関係ないんだよ。いつも紅男のことを優しげに見守ってくれている、そんな日だまりみたいな桜庭くんを好きだって気持ちなんだよ。それを伝えることは、駄目なの?」

「桃川……」


 桜庭はそれ以上に何かを言おうとしたが、口をつぐんでしまう。彼を見る桃川の瞳から、大粒の涙が既に零れ落ちてしまっていた。


「伝えればいいんだよ。最初から伝えていればよかったんだよ。もっと早くに気づいていたら、ボクがちゃんと美亜のことをただの理解者だなんて考えてなかったら、好きだって、単純に伝える機会がいっぱいあったのにさ。なんでこんな風になってからなんだよ」


 紅葉の拳が、テーブルを叩く。もう氷が半分も溶けてしまった三人のドリンクは、殆ど口をつけられないまま、ただ汗を浮かべていた。それが二度、揺らされる。


「なんで……ただ好きだけを考えられないんだろう」


 額に手をやった紅葉の瞳にも涙が滲んだ。

 モニタではずっとアイドルの歌うクリスマスソングが流れていて、その楽しげな笑顔が部屋を余計に薄ら寒くしていた。


「ねえ」


 暫く黙り込んだ三人の中で最初に口を開いたのは、桃川だった。


「このままだと、前集まった時と一緒にならない?」

「何も変わってないんだから、仕方ないだろ」

「桃川は何か案があるのか?」


 桜庭も紅葉もその目を彼女に向けるが、涙でぐちゃぐちゃになったのをティッシュで覆いながら、小さくうなずいてこう言った。


「とりあえずさ、まずは黙って、それぞれの正直な気持ちを話してみない? だってこのまま言い合ってても、それこそ一方通行のままだよ」

「そうだな」


 一分くらい考え込んでから、まずは桜庭が頷く。紅葉は一言ありそうな素振りを見せたが、


「わかった」


 その言葉を飲み込んで承諾した。

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