第9話「悪魔狩りの称号」

 森の中、山荘近くの焼却炉からは薄い煙が上がっていた。その前に立ち尽くすヴァレーリアの背中が見える。シルヴェリオはその姿を見ながら山荘の中へと入った。

 悪魔崇拝画は全て処分され、部屋の真ん中にイーゼル画台に載せられたヴァレーリアの肖像がポツンと立っている。

「終わったのか……」

 シルヴェリオが外に出るとヴァレーリアは天に昇る煙を見上げていた。決別の儀式のように見えたがそれは間違いだった。煙をまといながら羊の悪魔が実体化したのだ。ヴァレーリアは未だ取り憑いている悪魔を見上げていたのだ。シルヴェリオは剣を抜いて令嬢の背後に立つ。

「やるぞ――」

 小手先の攻撃などは効かないので、自身の魔力をひたすら高めて凝縮する。剣の先端にそれ・・を徐々に集中させた。

「――さあ。この力を見ても笑えるか?」

 羊の悪魔は魔力の高まりに気が付いた。シルヴェリオを見て、歯をむき出しにして、またもあざける。

「舐めるなよ。バルトアンデルス未満の悪魔程度が――」

 周囲に魔力が光り始め火花が散る。それらを丹念に集めて収束させると、悪魔は球体の障壁を張り攻撃に備えた。不気味な低音が響き空気が震える。

 唐突にわらっていた悪魔の表情が変わった。

「?」

「俺が代わろう。君は下がっていなさい」

「!」

 背後からの唐突な声に、シルヴェリオは攻撃準備を一時中断した。振り返るとそこには一人の騎士が立っていた。

 明るい茶の髪に金色のメッシュが木々の枝と共に風に揺れる。見たこともない騎士装束に身を包み、白いマントをなびかせ腰には華麗な剣鞘を下げていた。表情と目元は優しく、悪魔と対峙する少年を見守る上官のようである。

パラディン聖騎士……?」

 会ったことなどない、噂でしか聞いたことしかない称号。悪魔を狩る者と呼ばれる聖なる騎士。しかし、シルヴェリオはこの騎士がそうだとなぜか分かった。

 記憶をたどって過去に飛ぶパラディン聖騎士など、シルヴェリオは初めて聞いた。

「驚いたな。先客がいたとは、これは珍しい」

「なぜ――、ここへ……」

「悪魔の殲滅が俺の仕事だよ。まかせなさい。そんな剣ではこの悪魔は斬れん」

 そう言いながら悪魔を睨み前に出る。シルヴェリオは放出した魔力を一旦回収して数歩あとづさった。

 パラディン聖騎士は銀肌に黄金で細工された鞘から鏡のような剣を抜いた。記憶の中の光りを反射して虹色に輝く。腰を落として片手で後方に引き、そしてゆっくりと振った。

 少し遅れて半円に描かれた五重の魔力が可視化され、球体障壁をぐるりと囲み羊の悪魔は黒い煙のようになって消える。なんともあっけない最後であった。

「これが悪魔の討伐――か」

 ヴァレーリア嬢は跪き胸の前で両手を組み、目をつむって頭を下げる。

「ありがとうございます。絵師様」

「一体どうやってこの場所に、この記憶の中に?」

「この令嬢の肖像画を探ってやって来た」

 絵画の記憶を遡るなどシルヴェリオにはまだできない芸当だった。

「どの絵ですか? 悪魔はいつ消えるのか――」

「心配するな。君の現実で悪魔は消える。彼女がそう認識しているのだからな」

 パラディン聖騎士は剣を鞘に戻し歩き始めた。すれ違いざま横目でシルヴェリオを見下ろす。

「再び会うやもしれんな。神絵師の少年よ……」

 そのまま進むと光りの渦に飲み込まれ、自身の世界へと帰って行った。

「ありがとうございます」

 ヴァレーリア嬢はシルヴェリオたちではなく空を見上げた。

「終わったか……」

 そしてシルヴェリオもまた現実の世界に戻る。



 最後、シルヴェリオは令嬢の灰色の瞳に、ほんの少しラピスラズリ青半貴石瑠璃色を付け足す。

(あなたはあの日の空色を、今も覚えているはずだ。僕でもパラディン聖騎士でもない。見上げていた空の色です)

「終わりました」

 ヴァレーリア婦人はにっこりと微笑んだ。

 五十年前の面影と共に――。

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