第8話「悪魔を狩る者」
休息と気分転換の家族サービスを終え、シルヴェリオは翌日、再びモゼッティ・ヴァレーリア婦人の記憶と対峙し記憶の奥底を
焼却炉がパチパチと音をたてて燃えていた。開け放たれた山荘の扉からは、悪魔崇拝画が破壊される音が聞こえる。令嬢はまだ活躍中であった。
シルヴェリオは、そちらは
「どこかにあるはずだ」
あの婚約者が人間だった頃の残滓を探らなければならない。それこそが依頼者の希望。
人の踏み跡を追って森の中を進むと、突然視界が開けて空が顔を出す。左右の木々はまるで額縁ようで、青い空間と白い雲の絵画が無限の奥行きを感じさせてくれた。
先は崖となり眼下は川が流れる渓谷で、優雅に飛ぶ鷹が気流に乗って高く舞い上がる。
「これが、ここにアトリエを作った理由だ。この風景と空がヴァレーリアの絵なんだ」
引き返すとヴァレーリアは焼却炉に悪魔の絵をくべていた。頭上では羊の悪魔がゆらゆらと揺れている。シルヴェリオの方に首を向けて歯を剥き出す。
(また僕を
ヴァレーリアもまた気配に気が付く。シルヴェリオ見てニッコリと微笑み、恥ずかしそうに山荘に駆け戻る。まだ大量の悪魔画が残っていた。
(今の僕に勝てるだろうか)
帰りがけ、一度庶民街に出て中央広場に寄る。噴水の周囲に配置された木々の下では、今日も絵師志望と
シルヴェリオは馴染みの画材店に顔を出す。
「よう。久しぶりだな。仕事、忙しいのか?」
店主はヒマそうにしていた。この店が繁盛するのは夕刻からだ。
「はい。もうすぐ終わりそうです。
シルヴェリオはポケットから小瓶を取り出す。
「――これに五分の一ほどで。少なくて申し訳ないんですが……」
「高級顔料だしな。いいぜ。もちろんあるよ。貸してみな」
「ありがとうございます」
店主は奥に引っ込み、程なくして戻る。瓶の底には青い宝石の粉末が輝いて見えた。
婦人画の完成は近い。
◆
それから毎日シルヴェリオは朝から夕方までヴィットーレ翁のアトリエに詰め、ヴァレーリア婦人の肖像画をほぼ完成させた。
記憶の中で見た若き日の令嬢。背景は左右の木々と、崖の先に広がる青空である。婚約者の描いた絵は室内画であったので、こちらはあえて光溢れる野外を選ぶ。それは風景画を愛した婚約者へのたむけでもあった。悪魔に取りつかれなどしなければ、その作者は今もどこかの風景を描いていたに違いない。
青い空はヴァレーリアの色だ。
続いてシルヴェリオは、ヴィオラ嬢の肖像も仕上げた。満足できる仕上がりだと自負する。
(もう、
最初に自分がそう言ったとは、すっかり忘れていた。
そして最後の仕上げとばかりに、シルヴェリオはモゼッティ子爵邸に赴く。
孫のヴィオラが見守る中、ヴァレーリア婦人の前に座った。
「今日で終りとなりますので」
「御苦労様でしたね」
共に覚悟を決めるように目を合わせ会う。老婦人の表情はいつもと変わらず、シルヴェリオも平常心だと自分に言い聞かせた。
いつもと同じように時が過ぎる。目の前の実物を見ながら若き日の実像を頼りに、パレットからヴァレーリア嬢の肖像に足りない油絵の具を載せる。
(さあ、これで終りだ)
シルヴェリオの儀式は終りが近い。この絵の完成は令嬢に巣くう悪魔の討伐と同義語であった。
(あなたは強い人だ。あの日からずっと、たった一人で悪魔と戦ってきた。それも今日で終わります――。神が力を貸してくれるっ!
人の心の中に配列されている魔力記号。その並びに割り込み記憶を改竄し現実の今に影響を与える。
当人の中では並列と記録される二つの出来事。悪魔に取り憑かれた日々と、何者かがいつか悪魔を討伐してくれる夢想。その正命題と反命題にシルヴェリオは手をかける。
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