第7話「妹とお出かけ」

 午前中は巨匠のアトリエで依頼の婦人画を進め、神話画は少し休みとした。

 午後は屋敷に戻り昼食。それからちょっとおしゃれな貴族的な衣装に着替える。階段からエントランスに降りると、妹のマリアンジェラがおしゃれをして待っていた。

「お兄様。遅いですわよ」

「時間どおりだよ。我が妹」

 二人は貴族街の特別ショッピングエリア買物区画に向かう。


 マリアンジェラは目を輝かせながら周囲を見回す。荷馬車が行き交い、人々は難しい顔をして歩いていた。品物が次々と荷台に積み込まれている。

「ここって空気が変わっているよね」

 国の一流工房がさまざまな店を出し互いに競い合っている主力区画は他にあった。

「新作をまずここに出して評価をみるんだ。評判になれば国中に流通させる」

 工房と一体の店舗に並んでいるのは試作品や試供品、あるいは非売品の野心作だった。貴族区画の中にあるこの通りは、しのぎを削る工房たちの外商拠点にもなっている。

 商談の場であり客を楽しませる仕掛けはないが、一般客も一応は受け入れてくれた。

 マリアンジェラは目をキラキラさせているが、シルヴも心が躍る。ただしショーウィンドーを覗きながら商品を見るのではなく、どうしてもその色合いばかりを見てしまう。悪い癖だとは自覚していた。

「ねえねえ、見て。お兄様。ナルキッソス様よ」

「そうだね……。本物はやっぱりすごいよ……」

 ある店のショーウィンドーに飾られていたのは美の化身だ。女性からだけではなく、男性からも愛され他人を愛せなくなった人気者。自分だけを愛するようになってしまった不遇の神話画。このような伝承は単なるキャラ作りであり、本物のナルキッソスは今もどこかで悪魔と戦っているか愛されているのかどちらかである。

 これは神絵師がおよそ二百年前に描いた本物で、シルヴェリオが見るのは三回目だった。

「でもこうやって改めて見ると、やっぱりシルヴお兄様の方がカッコいいわ」

「ははは……。同性や悪魔すらからも愛される美なんて、人には理解できないんだ。マリアンは人間らしくて僕も好きだよ」

「なによー。それって褒めているの?」

「当然だよ」

「でも友達は皆ナルキッソス様が好きよ」

「神の気分を味わいたいのさ」


 二人は様々な店を見て回った。荷を積んだ馬車が行き交い普通っぽい客はほとんどいない。少ない客は店の仕入担当のような雰囲気である。

 シルヴェリオはドレス専門の雄【ヴェロイア】に入りマリアンジェラも続く。

「いらっしゃいませ」

 品のある女性店員がにこやかに出迎えてくれた。

「デザイン画を見せていただけますか? 普段使いのがいいです。それと生地も」

 接客ソファーに案内されスケッチのファイルを渡される。シルヴェリオはそれをめくった。

「好きなのを選ぶといい」

「お兄様が選んで。プレゼントだし」

「まあね」

 誰が描いたかも分からない、斬新なデザインや新たなる挑戦の服。それらは誰が着たとしても違和感がないようにまとめられている。

(有望な新人たちがそろっている、って感じかな)

「生地をご用意いたしましたわ。こちらへどうぞ」

「ありがとう」

 奥の部屋のテーブルには満開の布地がそろえられていた。左右の壁棚にも商品が並ぶ。

「何色がいい?」

「あまり持っていないし、緑色にするわ」

「うん。じゃあこれとこれか。ラークスパーの緑か、インディゴとつるの葉を混ぜたこれだね」

「こっちがいいかしら……。とても良い緑色」

 マリアンジェラはジッと観察してから片方を指差す。

「ではこちらのラークスパーで。他の布地はデザイナーの指定でけっこうです」

「かしこまりました」

「棚の布を見てもよろしいですか?」

 シルヴェリオとしてはテーブルに並ばなかった試作等の布地が気になる。初めて目にする色合いばかりだ。

「そちらは非売品でして……」

「見るだけですから」

 少し慌てる店員を、シルヴェリオは安心させるように言った。折り畳まれた布地に顔を寄せる。

「間違いない。【プトレマイダ】の赤だ。驚いたな。布を染めるなんて……」

「どうして?」

「刺繍用の赤で布を染めるなんてここ・・にしては異例だね。大丈夫です。見たなんて言いませんから」

「はあ……」

 噂になれば購入者が詮索される。シルヴェリオは余計な噂話などしないと先に言い訳した。

「問題なんだ」

「うん。おおかた王族のバカ息子が無理強いしたんだろう。まっ、僕も人のことは言えないけどさ」

「お兄様!」

「いや。これは特定の王族への尊敬と忠誠の表現さ」

 シルヴェリオは再び言い訳した。この染め物の依頼主を思い出す。幼少期の絵画教室で神童と双璧をなしたもう一人の神の存在を。

 店員は顔を青くしながら、やりとりを聞いている。

 シルヴェリオは屋敷への配達を頼み料金を支払った。


 それから二人は公園を横切り、緑やオブジェを楽しみながら王立美術館にやって来た。本館は常設展示であるが、別館は期間を区切り様々なイベントをおこなっている。

「友達の絵があるのよ」

「未来の絵師様だね」

「ううん、親の強制よ。本人は服飾の方が好きなのにねえ」

「まっ、関係はあるし前向きに考えるように、ってアドバイスするといい。絶対役に立つよ」

「うんっ!」

 先ほどの【ヴェロイア】でのやりとりを、シルヴェリオはプラス思考で解説した。マリアンジェラは嬉しそうに頷く。デザイン画とて絵の技術だ。

 展示会はなかなか盛況でかなりの来訪者がいた。ほとんどが貴族で、庶民は商人たちのようだ。

 受け付けで記帳し、二人はまず知り合いの絵画を探す。作者の年齢順の展示は面白い試みだった。

「花かあ……」

「お庭に咲いている花なんですって」

「身近な対象の方が良い絵が描けるよ」

 良い絵を描く方法はまずは対象物への思い入れだ。そしてどれほど愛せるか。芽吹いてから実を結び、そして花咲くまで見守ったのなら、この花は最高の被写体モデルだろう。

 シルヴェリオは今描いている仕事について考えた。ヴァレーリア婦人もヴィオラ嬢も愛すべき人間だ。一方神話画が進まないのは、シルヴェリオ自身に問題があるのだと本人も自覚していた。

 オリヴィエラは実はアポロン推しで、ヒュアキントスやナルキッソスなど同情の気持ちを愛情と勘違いしているふしがある。

「綺麗な色ねえ」

 花の中心がキラキラと輝いていた。

「まあね。かなり高い顔料を使っているよ」

「あはは……」

(金箔に宝石の粉末か。これはもう、絵師は卒業だなあ)

 両親は支払いに顔を青くしているかもしれない。


 更に進むと絵師の年齢が上がり、チラホラと神話モチーフの絵画となってきた。もちろん単なる神話画ふうの絵画だ。

「こんなにいっぱいあるのに、何でお兄様は神を描けないの?」

「僕は本物の神絵師を目指しているんだ。こんな駄作は描きたくても描けない。運命だからね」

「ふーん。こんなに素晴らしいのに?」

 マリアンジェラは一枚の女神の前で足を止める。

「ここに描かれているアフロディーテは偽物さ。伝見の神話を元に好き勝手に描かれた駄作だよ」

 背景には白亜の円柱が何本も並び、神の宮殿の壮大さを感じさせる。ただの人間が考えた姑息な演出だ。

「厳しいわねえ……」

「事実さ」

 シルヴェリオは少しだけ息を吐き出して薄く笑った。

 ただし技術は相当なもので、幼い頃から絵の英才教育を受けた凡人だとシルヴェリオは想像した。貴族のたしなみとして、いっぱしの画力を欲する愚才は多い。そんな歪んだ芸術は鑑賞者をだまくらかす方向ばかりに突出する。

「まあ、僕だってけなされて・・・・・ばかりだけどね」

「あはは……」


「その絵に何か問題でも?」

 他の客たちを割って一人の青年が前に出てきた。左右には友人らしき二人がすかさず並ぶ。シルヴェリオは内心しまったと思った。厄介事の登場だ。涼しい顔を作りにこやかに連中を見る。

「いいえ。素晴らしい絵だと褒めていたのですよ」

「これは、これは……。そうは聞こえなかった。文句があるなら作者の私に直接言ってはいかがかな?」

 三人連れの若い男たち。中心の男性が作者である。芸術を専攻している大学院生のようだ。

(わざわざ自分の絵の近くにたむろして、客の評価に聞き耳を立てるかあ?)

「さあ? 他人の創作物に文句などありませんよ」

(僕が妹に言ったのはただの感想だしね)

 などと心の中で屁理屈をこねる。ここで人目がありすぎ、本当のことを話せば相手を傷つけるだけなのだ。

「駄作と言っただろうがっ!」

 その男性はいきなり声を荒らげた。ギャラリーの客たちは何事かと一斉に振り返り、こちらに注する。

(しょうがない芸術家気取りだな。どこが駄作なのか少しは自分で考えろよ。人に聞くなって……)

「あれってシルヴェリオ様じゃないのかしら?」

「ご兄弟で来られたのね」

「そうだよ。もしかして出展しているのかな?」

 周囲の貴族たちが今や都市伝説となっている神童に気が付いた。美形少年は目立つのだ。

「行こうか……」

 シルヴェリオはマリアンジェラの手を引く。

「おい小僧。お前の絵はどこにあるんだ? 褒めてやるよ……」

「僕はまだここに、出展したことはありません」

「何だ。パンピー一般人かよ」

「絵師じゃないのか……」

「見習いじゃね?」

 凡才三人組はなんとかシルヴェリオを腐そうと必死だ。しかし周囲に人が集まり始める。

「あの、神童と呼ばれていた」

「へえ……。フィオレンツァ公の御子息と令嬢だよ」

 三人組たちもその雰囲気を察した。困惑し敗北感に顔を歪める。ただの小僧と思っていた相手が自分たちよりはるかに有名人だったからだ。


「さあ……」

 シルヴェリオは妹の手を引っ張り出口へと急ぐ。

「あの絵って神話画よね。違うの?」

 マリアンジェラは中途半端に終わった先ほどの話題を繰り返す。

「神話画ではある。だけど神なんて降りていない。想像でアフロディーテを勝手に描いたんだ。つまり偽物」

「じゃあ本物って?」

 外に出て妹をつかんだ手を放し、後ろを振り返った。当然追いかけてくる者などいない。

「神が降臨してその姿を描くのは神絵師と呼ばれている」

「お兄様は?」

 二人は歩き始めた。

「僕はまだ、ただの絵師さ。神様は気まぐれなんだ」

「そうなんだ。神絵師って簡単になれないのねえ。描けばいいのかと思っていたわ」

「なら、楽なんだけどね。最後まで見られなくて悪かった」

「仕方ないわ。友達の絵を見たから大丈夫よ」

「うん」

 シルヴェリオは自身の絵に対する批評家を思い出した。

「まるで男の子の願望そのままの女性ねえ。それで女神を描くつもり?」「男性をたくましく描くって、自分への劣等感からかしら?」「いつもこんなふうに微笑んで欲しいのかしら?」と言って可笑しそうに笑う。

 オリヴィエラはアドバイスと言いつつ、シルヴェリオへのきつい評価を楽しむのだ。

(まあ、駄作って言われないだけマシかあ。ここは少し反省するか……)

 絵画は作品の良いところを褒めなければならない。


 二人はお目当てのカフェに入り評判のスイーツとお茶を注文した。終わりよければ全て良しである。

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