第6話「悪魔憑き」

 モゼッティ子爵家は建国以前から長くこの地を領地としていた。シルヴェリオはアズロマラカイト群緑色のつたが絡まった、古びたディープオーカー濃い黄土色の街壁を見上げる。

 領地の大きさから未だ子爵であるが、それは他の貴族に気を使っているからだ。本来なら加領され侯爵となり王政を支える存在である。


 シルヴェリオは再び老婦人と向かい合った。柔らかな眼差しは以前と同じである。傍らのソファーには孫のヴィオラが真剣な表情を崩さない。

 五十年前の肖像画をチラリと見た。

「お孫さんは本当によく似ていらっしゃいますね」

「そうですね。容姿だけではなく性格も似ているのかしら? それ以外もですかねえ……」

 それ以外とは魔力特性についてだろうか。

(ならそれをストーク喰らってやる!)

 シルヴェリオは再び記憶に潜り、若き令嬢を訪ねる。


 焼却炉は使われておらず周囲には誰もいない。山荘は静かであった。その扉が激しく開かれ、青ざめたヴァレーリア嬢が頭を抱えて入り口の階段を駆け下りる。顔を上げ周囲に首を振った。

 シルヴェリオはその扉から山荘の中へと入る。以前に入室した時より絵の数が多い

「時間を遡ったんだ!?」

 外に出ると森の中へと駆け出すヴァレーリアが見え、慌てて後を追う。

「速い」

 ヴァレーリアは魔力で若干体を浮かせ、まるで宙を駆けるように木々をぬって草地を進む。

 確かに魔力は高いし、その使い方にセンスが感じられた。シルヴェリオは感心する。

「こんなことがなければこの人は王宮に入り、名のある魔導士になったはずなのに……」

 やっと追いついたシルヴェリオが見たのは、高い木の枝に吊るされた人間とその下で膝を折るヴァレーリアだった。

 吊るされた、は誤りだ。自らを吊るし、そして悪魔に打撃を与えようとした。歩きながらゆっくりと惨劇の場に近づく。

「魔人化に人の理性が耐えられないのならばこうなるのか……。立派な人だ」

 ヴァレーリアは顔を上げ、目を見開いたまま涙を流し屍になった婚約者を見上げる。

「神絵師になりたいなんて、無理だったのよ。絵を捨てて生きようって言ったのに……」

 立ち上がり、人差し指を空中に滑らせ魔撃を作り出し飛ばす。ロープを切って落下する婚約者の骸を抱きとめた。草地に寝かせその胸に顔を埋めて泣く。

 その二人から黒いモヤが立ち昇る。崇拝を強いる悪魔の実体だ。絵で見た山羊の頭部に巻いた角。

「ここで倒してやる」

 シルヴは十指を広げて両腕を引く。指の間に魔力を溜める。

「こいつを喰らえよっ!」

 合わせて八つの魔撃を左右から飛ばした。山羊の悪魔は簡単にそれを跳ね飛ばして、歯を剥き出す。

「僕をバカにしているのかな? 意外に人間っぽいんだ」

 空中にあぐらをかき、指は奇妙に曲がり腹の前で合わされる。シールドが張られ全ての攻撃が砕かれたのだ。

「悪魔って、けっこう強いのか……」

 我ながら妙なことを言ったと反省する。強いに決まっていた。神と対峙しこの世界を支配しようとしているのだ。

 人間が全て悪魔化しても神は安泰だが、人間の今は全て失われる。それなのに悪魔を信仰する人間が少数存在するのも事実だった。

 悪魔の十指は奇妙に動き続ける。シルヴェリオは不穏な空気を察した。

 ヴァレーリア嬢が涙も拭かず顔を上げ悪魔を睨みつける。そして両手を広げた。悪魔は球体の障壁ごとまばゆい光に包まれ、奇妙に歪みながら縮小。そしてヴァレーリアの中に吸い込まれる。

「悪魔を封印したのか。それも自分の中に――。本当にそんなことができるなんて」

 ヴァレーリアは振り返り、まるでシルヴェリオが見えているかのように微笑んだ。

「初めまして、来訪者さん。これはあなたのおかげでもあるのよ」


 視界が再びモゼッティ邸のサンルームとなり、シルヴェリオは当人の目の前に戻る。老婦人は全てを知ってるように微笑んだ。

(あれはかなりの強敵だよな)

 シルヴェリオは今まで何度か、記憶の中で悪魔を討伐したことはある。ただしそれは全て小悪魔程度であった。


 老婦人は、今日はメイド二人に支えられて退出した。目の前には再び孫のモゼッティ・ヴィオラ嬢が座る。

「私って、今思ったのだけれどこの服で肖像画まずいわよね?」

 本日の衣装はカテリニのデザインであるが、縫製所までは分からない。インディゴ群青が美しい普段使いのワンピースだ。闊達な令嬢によく似合っている。

「大丈夫です。次回はお気に入りの正装をご着用ください。夫人はこの古い絵の色違いで、と注文をいただいております」

「そうね。それじゃあ私はお婆と違う色合いの服にするわ」

「よろしいかと思います」


  ◆


 午後は巨匠のアトリエでの制作活動となる。

 下絵の具を塗っておいたキャンバスに黒鉛筆で下絵を描きながら背景を考える。婚約者が描いた絵は室内画なので山荘の近く、屋外が良いかとシルヴェリオは思った。

 どのような表情にするかは決まっていた。恋人を失っても笑顔で悪魔に復讐するヴァレーリア嬢こそがヴァレーリア婦人だ。

 シルバーホワイト貝殻白バーントシェンナくすんだ黄赤ベンガラレッド天然赤泥を若干加えてこね、肌の部分の下色を塗る。

 孫のヴィオラには更に少量のカーマイン鮮やかな赤を加えた。必要部分に次々に色を重ねていく。こちらはただ今を描きさえすれば良い。


 絵の具が乾く間は女神のスケッチブックに向き合った。縦の棒に斜めの線を二本書き加える。

(この線はなんだ?)

 神はまだシシルヴェリオの元へと降りてこなかった。考えても仕方ないので棚から雑紙を取り出してテーブルに移動し、問題の悪魔の姿をスケッチしてみる。

「オリヴィ、これ知ってる?」

「何? また落書き?」

「ちょっと見てくれる? 神絵師の力が必要なんだ」

「仕方ないわねえ……」

 うんざりしたように言ったオリヴィエラは、まんざらでもない表情になった。姉役としては、弟分に頼られるのは、わりと気分が良いのだ。やって来てシルヴェリオの手元を覗き込む。

「あら~。絵師のスキルを多用して、ついに悪魔に取り憑かれちゃったのかしら。残念ながら知らないわ。これって単なる魔獣じゃないの? 山羊の魔獣?」

「僕はまだ人間、こいつは人の体をしているよ。悪魔は頭だけさ」

「ふーん。師匠に見てもらいましょうよ」

 オリヴィエラがその用紙を取り上げて、巨匠ヴィットーレが創作をしている執務机に向かう。シルヴェリオも後を追った。

「これなんですけど……」

「どれどれ――」

 ヤギの頭部に禍々しいつの。体は人間だが足も山羊化している。

「――ん? これはバルトアンデルスの核となる悪魔じゃよ」

「これがそうなのか……」

「山羊なんて弱そうなのにね」

 シルヴェリオは、子供の頃父親が買ってくれた悪魔大図鑑を読んで知っていた。

 一方、女子はそんな大図鑑に興味はない。主に淫魔が架空王太子を誘惑し、婚約破棄をさせるなどの恋愛本が大好物だ。

 お互いにネタ元を空想する。

「魔人となり現実世界に現れれば、たちまち複数の魔獣を取り込み強力な魔人へと変化する。かなり厄介な相手じゃな」

「討伐できる可能性は……」

「騎士団と魔導師団の数人は必要かのう」

「なら安心よ」

 バルトアンデルス。人の胴体を持っている魔人で頭部は山羊、足は同じく山羊と鳥の融合だ。他は魚の尾に鳥の翼などが一般的に認識されている。しかしそんな偶然はほとんどない。様々な魔獣と融合するやっかいな悪魔だ。

「とは言え、そんなのが現れる前にやっつけてしまうのが簡単さ」

 要はただの山羊の状態で倒してしまうのが一番なのだ。


  ◆


 屋敷に戻ったシルヴェリオは武器庫に向かう。地下にあるその部屋へと入ると、手をかざして魔導ランプを点灯させた。ここに入るのは幼少の頃以来だ。

「しかしまた、随分とあるものだなあ……」

 広い部屋に様々な武器防具、そして何に使うかよく分からない魔導具が並ぶ。

「どこを探してよいやら……」

 当主のガンドルフォ公は無頓着で特に価値のある武器も、さほど役に立たないおもちゃレベルの導具もごちゃごちゃに収納されている。シルヴェリオは絵の具や画材には詳しいが、武器の知識はまったく持っていない。戦いに基本興味はなく、武器についてもほとんど興味がない。

「さて、どれを選ぶか……」

 キョロキョロしながら歩いたいたシルヴェリオは、たくさんの仮面がかけられている壁を見て足を止めた。

 貴族たちの仮面舞踏会などに利用するため作られたのがこの導具の始まりで、変身と通話のスキルを発揮する。少年シルヴェリオにはまだ変身願望はない。

 そのまま進み大量の剣の前に立つ。一まとめになって箱の中に立てられている剣は使い古しでいかにも歴戦だ。壁には洒落た意匠の何振りが飾られている。

「これにするか」

 シルヴェリオはよく考えもせずに豪華な一振りをつかんだ。やや長めの短剣で、街中でさしていても違和感はないだろう。何よりまだ十四歳なのだ。年季の入った長剣を肩に担ぐなど目立ってしょうがない。

「センスはないけどなあ」

 装飾はやや過剰で、趣味が疑われそうである。

 あくまで剣は補助であり、戦うなら魔導士の力で戦えば良い。そう考えた。念のため、鞘をベルトに装着し抜いてみる。

「まっ、こんなモンか」

 シルヴェリオよく分からないまま、一応言ってみた。

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