第4話「眉目秀麗の少年」
巨匠ビアジョッティ・ヴィットーレ翁はエンドエッティ連邦王国の重鎮である。そのアトリエには芸術に関する全ての画材、導具がそろっていた。
重厚な机には書類がうずたかく積まれ巨匠は内容を確認しながら、次々に何事かを書き加える。ひっきりなしなしに若い行政官がやって来て書類を回収しては去って行く。最後の書類にサインをしたため立ち上がった。
一方アトリエの一角。
スケッチブックには、縦に描かれた少し折れ曲がった一本の棒。再び頭を傾げて唸る。
「さてさて、筆が進まんようじゃなあ」
背後に立つ芸術の師匠をシルヴェリオは振り返る。
「神とは勝手なものです。この僕の元に降りてこないなんて」
「はっはっ。そう、勝手なのじゃよ。神は。そしてこの絵は神であるなあ……」
「えっ、この線がですか?」
シルヴェリオは改めてスケッチブックを見る。ただの一本線であった。
「ずるいわあ。シルヴばっかり」
隣で筆を動かすジャンナート・オリヴィエラ嬢が不満げな演技をしながら声をあげた。ジャンナート伯爵家の令嬢で高等学院一回生、シルヴェリオの一つお姉さんである。二人は幼少期から絵画教室で共に絵を学び姉弟のような関係であった。
「オリヴィはもう神を描いているんだから、僕はずるくないよ」
シルヴェリオも少し怒ったような演技で応える。
「さてさて、こちらはどうであるかな?」
「僕も見るよ。たぶん嘘神さ」
二人で神絵師に一歩先んじるオリヴィエラ嬢のスケッチを覗き込む。そこにはまだ幾本もの線が荒々しく踊っているだけだった。しかしある程度人物の姿は分かるし、それが男性神だとも分かった。
「太陽神アポロンであるな」
「あーん、残念。絶対ヒュアキントス様かナルキッソス様に来てほしかったのにな~」
(なんて贅沢な……。太陽神を袖にするだなんて)
線一本から進まず四苦八苦している絵師からすれば、うらやましすぎる話だ。シルヴェリオは
「まあ、いいわ。美形は今度シルヴを描かせてもらおうかな?」
「御免だね」
「なんでよ~」
「僕は神の代用品じゃないよ」
シルヴェリオは自分の席へ戻る。オリヴィエラ嬢は立ち上がり後を追った。巨匠は若き二人の天才に目を細める。
「冷たいわねー。私がアドバイスしてあげるわ」
「さてシルヴの描いている神じゃが――、女神じゃな」
「え! なぜ分かるのですか?」
「分かるから分かるとしか言えないわい」
「もー」
ヴィットーレ翁とオリヴィエラ嬢は、まるでお爺ちゃんと孫のように話をしている。アポロンを描いたオリヴィエラとて、なぜそれがアポロンなのか分からない。シルヴェリオとてなぜ女神なのか分からない。
こちらで降臨する神など選べないのだ。神が人間を作ったのだから。
「神絵師とは何者なのですか?」
次はシルヴェリオが巨匠に突っ込む番であった。
「本物の神を描けなければ
「人はそれを欲するのですか?」
「地位、名声、財。それらを欲するのなら、ただ絵の技術を上げて神絵師を名乗るがよい。真の神絵師になりたくば神と対話するのじゃ」
巨匠との会話はかみ合わないのが常だった。
「誰にでもできるものなのですか?」
「できるとも言えるし、できないとも言えるのう……」
つまり神絵師に定義はないとシルヴェリオは理解した。オリヴィエラ嬢は首を
「まあ、待つしかないのかな」
オリヴィエラにいじられるのもしゃくなので、シルヴェリオはスケッチブックを閉じた。神話画に詰まり婦人画に取り掛かることにした。頭の中であの日の色を思い出す。ここにある絵の具で足りる。
「相談に乗ろうかな?」
「いえ……」
師匠もシルヴェリオのスキルについて知っていたし、父親がどのような性格の依頼をするかも知っていた。
「困ったら話しなさい。
「ありがとうございます。その時がきましたら――」
(僕の固有スキルなんだから、僕が決着をつけたい。婦人もそれを望んでいるはずだ)
好きに描く絵。乞われ描く絵。シルヴェリオは再び老婦人の灰色の瞳に向き合う。
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