第3話「悪魔崇拝の集会」
「なんて数だ……」
山荘の中は
「あの絵だ」
そんな地獄絵図の中にあって、一枚だけひときわ輝く少女がいた。問題の婦人の肖像画である。
「驚いたでしょう。あの人ったらこんなにばかり書くようになってしまって……。最初は違った。風景や動物を描いていた。ある日彼はそんな絵を全部塗りつぶした。そしてこんなおぞましい……。ふざけんなっ!」
再び令嬢の蹴りが炸裂。大悪魔の顔面が陥没する。引き続きの惨劇が絵画のフレームを砕く。
「でもこの絵だけは処分しないで残してくれた。まだ人間が残っていたのよ」
ヴァレーリアは愛おしそうに自身の肖像画を見つめる。
悪魔に取りつかれ魔人化が始まり、それをつなぎとめていたのはこの令嬢だった。
「馬鹿な人。神絵師になりたいだなんて、本気でそんなこと思ったって――」
「!」
「――願ったって、なれるわけないのに」
薄暗い空間で描かれた角を持つ人間モドキ。奇妙に構成された動物たち。見たこともないような不気味な花。地面に開いたいくつもの瞳。その混沌の中に肉塊扱いされる人間たちがただただ絶望していた。
「来訪者さん。どなたか存じませんが、どうかこの悪魔を退治してください」
令嬢は絵を持ち上げ床に叩きつけてそのそのままキャンバスを踏みにじる。
「私にできるのはせいぜいこれだけです。あなたなら、あなた様の力ならば、彼を死に追い込んだ私に取り付いている悪魔を討伐できるはずです」
「これが父上の目論み、いやヴァレーリア婦人の依頼か……」
この令嬢の怒りが悪魔を封印していた。しかしその時はもう、長くは続かない。モゼッティ・ヴァレーリア婦人の命は尽きようとしていた。
「どうかっ!」
その瞬間、シルヴは現実の世界に帰還した。筆が再び動き始める。
「せっかくですから私も描いていただきたいわ」
「いいですよ。ついでですから」
「まあっ」
孫のモゼッティ・ヴィオラ嬢は口に手を当てて笑った。表情は若き日のヴァレーリアによく似ている。
「ついでとは失礼ですよね。淑女に対してそのセリフはいただけないすわ」
「これは失礼いたしました。ぜひ
「承知いたしました」
ヴィオラ嬢は立ち上がりスカートのすそをつまんでお辞儀をした。脇に控えているメイドに目配せをする。そしてメイドもお辞儀をして退出した。
祖母が疲れてしまったのでその心配りだ。
「まだわたくしは大丈夫ですよ。ヴィオラ」
「いいえ、おばあさま。そろそろ私の順番です。絵師様にも気分転換が必要ですから」
「ええ、そうね。そうしましょうか」
「明後日も同じ時間にうかがいます。それから僕の使っているアトリエで続きを制作いたします」
シルヴェリオは筆を置いて立ち上がる。これからの予定を依頼主に説明した。
「あの……。絵はあまり詳しくないのですがそれでよろしいのですか?」
「はい。仕上げに何度かお会いさせていただきますが、それで十分です」
困惑するヴィオラ嬢にシルヴェリオは説明する。
「以前他の絵師様に描いていただいた時は、着色も
「僕たちはそこまでいたしません。今日でもう色も決めましたので。顔料も全てそろっております」
「はあ……」
シルヴェリオと師匠のヴィットーレ翁。同じく門下生のオリヴィエラは一度見ただけで
現当主モゼッティ・ヴァレーリア卿がメイドと共に迎えに来た。
「シルヴェリオ君。お世話になるね」
「いえ。勉強させていただいております」
「いや。こちらこそ無理を言わせてもらったよ。さっ、母上」
「ええ」
膝を折って屈んだ卿は衰えた母親を抱きかかえて立ち上がる。
「お父様。私もシルヴェリオ様に描いていただくのよ」
「おいおい、ヴィオラ。無理を言ってはいけないよ」
「いえ。お嬢様はヴァレーリア婦人の若い頃によく似ていらっしゃいます。ご依頼の完成には、ぜひとも協力していただきたく思います」
「そうか、すまないね」
「いいえ……」
「そうよ。ついでなのですから」
「まったく……」
気配りができる息子と自由闊達な孫の微笑ましい会話。そんなやりとりを老婦人はニコニコと見つめている。
二人は他のメイドも引き連れて部屋を退出した。
ヴァレーリア卿はシルヴェリオの力についても知っているし、遊びに来ているのではないとも知っていた。
ヴィオラ嬢は腰をかがめて耳元に口を寄せる。
「あまり時間がありません」
「心得ております」
彼女の中に悪魔らしき存在はない。ただし婦人に勝るとも劣らない魔力が感じられた
「私を助けようとしているの」
「はい」
「我が身の安全ばかりと心苦しいのですが」
「それこそがヴァレーリア様の願いですから」
「私は何もかも継ぐつもりです。いざとなれば……」
「いえ……」
(やはり似ているな)
間近に迫った顔を見てシルヴェリオは思った。
一通りの仕事が終わりシルヴェリオはモゼッティ邸を辞退する。スケッチブックと道具が入った大きなカバンを肩から下げ、手近な門から庶民街へと出た。
その街には様々な人々の顔が溢れていた。子供の頃から慣れている貴族街の景色は創作意欲がわかない。それにこちらの方が近道なのだ。
(戦いは必至かな? さて、どうしたものか)
貴族子弟なので一応十歳の頃、騎士修練をやらされたりもした。しかしシルヴェリオは一ヵ月ほどで辞退する。大勢で並んだり、一斉に剣を掲げたり無駄な手順にうんざりしたからだ。それに自分は戦い向きではないとも感じていた。
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