結章■心の死角を突きましょう

   1


「それでは、キミの魔法での失せ物見立てを、聞こうか」

 テーブルの向こうから、クラレンス侍従長が訊ねてきた。

 けっこう歩いて、ボクは彼が仕える貴族の屋敷──大邸宅と言っていいの、彼の部屋に通されていた。

 デカいけれど、ベルサイユ宮殿のような豪華さはない。

 いや、日本の江戸時代の姫路城はもちろん、京都の二条城よりもみすぼらしい。

 この世界ではたぶん、ガラスとか貴重品だし、経済規模がしょせん、違うのだ。

 極端な話、今の東京や大阪の庶民は、モンゴル帝国の皇帝ハーンより、贅沢なものを食ってる。アイスクリームはマルコ・ポーロの時代にヨーロッパに伝わったが、庶民は真夏には食えなかった。

 風呂のシャワーから熱湯が簡単に出るってのも、天然ガスや原油の輸入や、都市ガスのインフラ整備だけでも、ものすごいエネルギーを消費しているのだ。この時代は蝋燭ロウソクさえまだないかもしれないのだ。

 部屋には、三十代前後だろうか、執事らしき人物が一人控えている。もうちょい、歳を食って禿げた初老の男のほうが、執事のイメージ通りなんだが。若すぎる主人あるじには、これぐらいがいいのか?


「D卿の部屋の何処に、盗まれた手紙はある?」

 おっと、侍従長様の質問に答えねば。

「盗まれた手紙は、大臣の部屋の、手紙入れにあります」

「なん……だと?」

「D大臣…じゃないD卿はたぶん数学者で、しかも詩人ですよね?」

「よく知ってるな。国庫を預かるだけあって、二桁の掛け算もできる」

 ええ、設定が安直な世界なんで、勘です。

「そのくせ能書家で、さらに小洒落た四行連句quatrainの詩を添えるので、若い頃は恋文代筆にひっぱりだこだったそうだ」

 恋文の代筆って、シラノ・ド・ベルジュラックかいな。D大臣、鼻が高すぎたりして。

「あの、そういうタイプの人間は、二重引き出しの奥とか額縁の裏とか、そんなわかりやすい場所には隠さないものです、絶対に」

「そうなのか? ずいぶんと自信満々だな、囚人よ」

 あ、コイツ疑ってるよ。ここはひとつ、の名探偵のように、巧みな説得を試みなければ。


「あの、地図とかあります?」

「その〝あの〟ってのは、オマエの口癖なのかな? 気が弱いんだな。腹の中でイロイロ考えてるタイプに、多いらしいぞ」

 他人ひとの癖とか、よく観察しているなぁ。自分が思った以上にこの美少年、切れ者だわ。いやだなぁ、なんか腹の底を見透かされてる感じ。

「領地を描いた簡単なやつなら、ここに……これでいかがですかな?」

 執事のオッチャンが、テキパキと渡してくれた。有能な人間は話が早い、サンキュー♬

「わわ、これ羊皮紙parchmentの地図だ! まだ紙が、伝わってない時代なんだぁ……」

「ペーパー? ああ、パピルスのあれか。我がくには北国ゆえ、あの植物は育ちにくいのだよ」

 パピルスって、古代エジプトの? この世界、中世ですらないのか?

 ヨーロッパに製紙技術が伝わったのは12世紀、意外と遅い。

 それまでは、羊の皮を薄く伸ばして、紙のようにしていたそうだ。それが羊皮紙。

 自分もある有名な小説で、名前だけは知っていたけど、実物を見て触ったのは初めてだ。たしかに紙によく似た手触りだ。言われなきゃ、羊皮紙とは気づかない。


「例えば、ボクの国では地図を使った、子どもの遊戯ゲームがあります」

 羊皮紙の地図を広げながら、ボクは侍従長に説明した。

「その地図に書かれた地名を、どこにあるか見つける遊びです」

「地図は領主や国王にとって、機密だぞ? どんな地形で、どこが畑でどこが沼地か、敵国に知られたら命取りになりかねない。それを子どもの遊びに使うとは、そちは異国の領主の息子か何かだったのかな?」

 そこ、突っ込みます? アイタタタ。

「あ、いや…そのぉ〜、地図と言っても遊戯用の簡単な物ですよ。それよりも───」

 やべぇやべぇ、やっぱり異世界は、自分のいた世界とは細部が違うわ。土牢の木桶トイレとか、実際に体験しないと、わからんものだね。神は細部に宿る。



   2


「このゲームの初心者は最初、できるだけ小さな文字で書かれた地名を出題します」とボク。説明しながら、話をさっさとはぐらかそうっと。

「それはそうだろう、探すに難しい地名の方が、勝てるからな」

「例えば〝ブーラン〟という地名、どこにあるかわかりますか?」

「そんな地名、あったかな? ブーランブーラン……実際に探すと…なかなか見つからない……あった、ここだ! なるほど丘陵の名称か」

 かなり小さな文字なのに、クラレンス侍従長は10秒ちょっとで見つけてしまった。

 この人、かなり書物を読んでいるな。自然に速読ができる人間でないと、そう簡単には見つけられないはず。やはり、頭がいい。

 いや回転が早いといったほうがいいか?

「正解です。それではもう一問、〝アトラス〟という地名はどこにありますか?」

「ふふん、見つけ方のコツが分かったから、さっきよりも早く見つけてやろうか。アトラス、アトラスっと。……むむ? 見落としたか?」

 自信満々で2問目に挑んだ侍従長だったが、戸惑っている。しめしめ。

 ボクは少しだけ、ほっとした。

 ここであっという間に見つけられてしまったら、説得力もクソもなくなってしまうのだから。細工は流々だ。仕上げにGO!

「見つかりませんか? では答えを……」

「待て待て、もうちょっとだけ待ってくれ───これは難しいな。だが面白い、自分で見つけたいんだ」

 どうやらこの侍従長、負けず嫌いとか意地になっているわけではなく、純粋にこのゲームを楽しんでくれているのだ。そういう部分は、年齢通りの少年なんだなぁ。

「見つけた! ほう、これは山の名前か。文字と文字の間が大きく空いていて、気づかなかったよ。こんなに大きな文字なのに……」

 時間はかかったが、それでも並の人間より早く、見つけちゃったよ。すンばらしい。


「普通は、こんな短時間で見つけられませんよ」

 これは世辞でもなんでもなく、心の底からそう思う。この人、年齢はだいぶ下だが、地頭では自分より遥かに上なのだ。

「キミの言わんとすることも、だいたい理解できたよ。いかにも隠しそうな場所に隠すよりも、まさかそんなところに隠すはずはないという場所に、堂々と置いてた方が気づかれにくい、そういうことだろ?」

「侍従長、あなたはとても聡明そうめいな方ですね」

「我が主人にも、よく言われるよ」

 キザな物言いだが、イケメンなら様になるのが悔しいね。

 自分も人生で一度ぐらい言ってみたいもんだ、「よく言われる」って。

 ……いや、言ったことはあるな。キミには才能がないね、と言われて。ケラケラ笑いながら、でもいつか殺すリストに入れながら。飯田橋(中略)副編集長の前で。



   3


 そこからの、クラレンス侍従長の動きは早かった。

 執事に命じて、最初の泥棒に失敗した部下を呼び、再度の潜入を命じていた。

 前に失敗した部下にもう一度ってのは、ボクの進言だ。一回潜入してるから、土地勘?みたいなものがあるだろうし。さい挑戦チャレンジの機会は与えられるべきだ。

 執事に連れられて、小柄な男が呼ばれてきた。やっぱ泥棒、身が軽そうだわ。ねずみ小僧次郎吉も、身軽な鳶職とびだったそうだ。侍従長は指令を簡潔に伝える。

「デービス大臣の部屋に忍び込み、手紙入れの中にある手紙を全部盗んで来い」

 ちょ、大臣の名前、言ってますよ! 聞かれても大丈夫って判断かな? ボクも立派な共犯者入か。信用してもらえた証拠かな。

「あの、盗まれた手紙は、薄汚れた感じに表面を仕上げて、無雑作に手紙入れに突っ込んであると思いますよ。いかにもいらないって感じで」と横からボク。FF外から失礼します。でも、具体的なイメージを持ったほうがいいだろう。

 この安易な設定の世界なら、たぶんそうだろう。

「それから、通告を。私が牢から連れ出したマリオン子爵の御息女殺しの囚人、死刑執行は一時停止だと。卿の名前で裁判官とマリオン子爵のほうに伝言を頼む」

 だ~か~ら~、ボク幼女を殺してないって。

 それになんだよ、一時停止って。無罪放免じゃないの? 手紙の奪還が成功しないと、やっぱり無理か。いや、手紙が手紙入れになかったら、一時停止さえ取り消しで、死刑執行だ。トホホ。

 有能な執事さんは「かしこまりました」と短く答え、なにやらメモを取っている。お頼み申しますよ、オッチャン。年齢はボクに近そうだけど。


「──さて、それではキミ自身について、いろいろと聞かせてもらおうか」

 尋問か? 尋問だよなぁ。やっぱり。

「キミの失せ物判じ、あれは魔法ではないな? もっとこう、思考を積み重ねた知性の働き──人間の心の内側をえぐるように、深く見つめた上での推論だろう」

「そんなことはございません、先ほど眼の前でお見せしましたでしょう? なんなら別の魔法も披露しましょう」

 持ちネタはそう多くないが、この状況で見せられる手品のネタはいくつかある。

 ちょうど机があるのだから、それこそテーブル・マジックで驚かせてやろう。トランプがあれば、さらに良いんだが。

 数秒の沈黙の後、「ふむ、疑ってすまなかった。これは先ほどの魔術の褒美だ」とクラレンス侍従長。右の手の平の上に銀貨を1枚乗せ、差し出した。

 精密に型抜きされた現代の銀貨とは違って、やはり少し形が歪んでいる。一個ずつハンマーで叩いて、手作りしているのだろう。

 だが、偽造し放題に見える銅貨より、形もデザインも凝っている。たぶん偽造防止だろう。

 古代コインについては詳しくないので、それがなんというコインなのかはよくわからないけれど。兜をかぶった武人らしき横顔が刻まれている。現代のコインほどピカピカしていないが、渋みのある銀色シルバーの輝きは、やっぱり物欲を刺激するねぇ。黄金色ゴールドのほうが、もっと好きだけど。


「ありがとうございます、一文無しなので助かります」

 受け取ろうとしてボクがヒョイと手を伸ばすと、侍従長はいきなり手をグッと握って、銀貨を隠してしまった。このイケズぅ〜。

「オンマーリシュエイソーヴァック……だったかな?」

 一回聴いただけのデタラメな呪文を、彼は真似してみせたのだ。

 やはりこの人は記憶力もいい、その上に茶目っ気もある。

 でも早く渡してよ~。

 だが彼がパッと広げた手のひらには、銀貨はなかった。

「え?」

「貴公が魔法使いでないのは、最初からわかっていたよ」

 そう言って金髪の美少年は、また微笑んだ。

「我が主人から、教わったんだよ。キミの世界ではこれを近距離手品クローズアップ・マジックと呼んでいるんだろう?」

 ……こいつ、何者だ? ひょっとしてボクと同じ、異世界転移者? 身構えるボクに、クラレンス侍従長は立ち上がり、いつの間にか部屋に戻ってきていた執事の方を見て、こう告げた。

「いかがでしたか、我が君? この囚人は御眼鏡にかないましたかな?」


 言われた執事は、伸ばした髭をしごきながら、言った。

「うん、悪くねぇんじゃねぇの? よぉ、転移者くん、ようこそ異世界。オレの名はハンク・モーガンさ。この世界に3年前に来て、今は魔法使いと貴族をやってる」

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