転章■現れたのは美少年侍従長
1
「墓場をウロウロしても、怪しまれない人間」
ボクは、声を
他の囚人には聞かれたくなかったし。
獄卒二人も、僕の次の言葉に、集中している。
「そうなると、可能性があるのは2人しかいない。首切り役人か───教会の関係者……」
最後の言葉は、もっと声を潜めて言った。
この国では、聖職者はボクの時代とは比べ物にならないぐらい、尊崇されてるはずだから。迂闊なことを言えば、激昂した獄卒に、ボクが危害を加えられるかもしれない。
なにしろ、手には
「殺した理由は?」
「怨恨でしょうけれど、次の正式な神父の座を争っていた人物か、金を借りてた人間か、あるいは……恋人関係かも」
いつでも後ろに飛び退れるように、爪先に重心を移して、ボクは身構えた。
この時代、同性愛は死刑……それも
歳上の獄卒は、絞り出すように小さな声で、ボクにだけ聞こえるように告げた。
「ワシらの手に余る。……が、捨て置くわけにもいかんで、それなりの立場の御方に、そっと知らせておく。他の囚人には言うなよ」
◆
『教会生首すり替え殺人事件(仮題)』の推理から2日、そいつはやってきたんだ。
「こ、これは侍従長殿!」
自分の息子のような若い青年──ぎり少年と言っていい──に、初老の獄卒は急に言葉遣いも改め、尖槍の穂先を下に向ける礼を
誰だ、コイツ? 侍従長? 執事とは違うのね。
鳥の羽がついた洒落た帽子から、巻き髪の金髪がこぼれ出ていて、薔薇色の頬に高すぎない
ハッキリ言って、美少年だと思う。
ルノアールの絵画に出てきそうな。アレ、名前はイレーヌ嬢だったけ? 彼女は亜麻色の髪だったけど。あれを金髪の男性にしたような感じ。
青と白の縞模様の上着に
「新しい囚人が入ったようだが……変な者はいたか?」
そう言われて獄卒の二人、首だけターン
こっちを見るな、こっちを!
「実は泥棒を探している。それも、できるだけ腕の良い泥棒だ」
「コソ泥なら何人か居りますが……」
「それではダメだ。さる高貴な方の部屋に忍び込み、ある物を盗み出し、盗んだことを気づかれずに戻ってこられる、凄腕の泥棒が
なんともまぁ、大胆なことを言う人だ。
ナントカとハサミは使いようと言うが、犯罪をこれから起こすから、人材をスカウトしようと、いきなり言うか?
まぁでも、中国には
この牢に入ってるのは、ロクでもない囚人ばかりで、死刑囚だ。いざとなったら口封じ、全員殺せばいい。ボクも含めて。
「いったい何を盗むので?」
「オマエらが知る必要はない」
冷たい感じで言い放った金髪の侍従長に、若い獄卒は引きつった顔で平謝り。怖いねぇ。
「出過ぎたマネをしました。このことは、あの御方には報告せんでくださいませ」
「しないよ、あの方はこの程度のことで、怒ったりしない。秘密をペラペラ喋る人間が嫌いなだけだ」
アタフタしながら言い訳する獄卒に、今度は呆れ顔になった侍従長は、ため息をひとつ。理知的だが、表情が豊かだ。その点ではルノワールというより、
腐女子が見たら、ファンクラブが一夜で立ち上がりそうな。
2
「ところで、例の囚人は、どいつだ?」
ボクのことらしい。いっそのこと「オランダ!」と昭和の時代のギャグを言いつつ、手を上げてみたいね。この世界のリアルほんやくコンニャクの性能を調べるために。
もっとも変な翻訳されたら、死ぬかもしれないな、やっぱりやめておこう。
「お~い、マリオン子爵の御息女殺しの囚人、ちょっと来い」
だから、殺してないっちゅうの!
「あの、ボクになんの用ですか?」
腹の底で思ってる言葉と、実際に口に出る言葉が、乖離しすぎてるね、ボクも。これも売れない作家の卑屈さだよ、ええ。編集者との打ち合わせでは愛想笑いを浮かべてしゃべっていても、腹の中では毒を吐く。
「おまえか、知恵者と評判の囚人は……。そうだなぁ、仮にD卿とでもしておこうか。コイツがある御婦人の、手紙を盗んでな」
おいおい、いきなり秘密の暴露か~い!
マジに、使えないとわかったら、口封じする気か?
獄卒二人を脅しておいてから、それやる?
頭がいい人間ってのは、時に意地悪だ。怖い怖い。
「その手紙を取り戻したいのだが──最初に送り込んだ部下は、何も見つけられずにノコノコ戻ってきた。次に知り合いの
餅は餅屋、の意味らしい。これは上手く翻訳されないらしい。ほんやくコンニャクのアルゴリズムが、サッパリわからん。
「あ、あの……」
思い切って声をかけたボクに、獄卒の哀れっぽく見る視線が痛い。おまえにゃ無理だという目だ。うっさいなぁ。
こっちは怯んでちゃダメなんだよ、生命がかかっているんだから。
「ひょっとしてボク、その盗まれた手紙の在り処、分かるかも……しれません」
「おまえが? おまえごときが? 私がほしいのは凄腕の泥棒であって、謎当てごっこの話し相手じゃないぞ」
疑いというよりも、頭から馬鹿にした感じで、侍従長はボクの顔ジロジロと見ていた。女だったら、見つめられてポッとなるシチュエーションだが。なまじ美少年だから、かえって怖いって。やめてくれ、ジルベールくん。
「実はボク、魔法使いなんです!」
このハッタリは効いた。
どうもこの世界は、中世かもっと古い時代の、ヨーロッパらしい。異世界転生モノの定番だからね。
であるならば、魔法とか魔法使いを心底、人々は信じてるに違いない。
案の定、獄卒二人の目に先ほどまではなかった、恐怖が浮かんでいる。
金髪侍従長も、口を軽く開いてる。半開きってやつだ。
たたみ込め、たたみ込め~ボク!
3
「あの、コインでもボタンでも小石でもいいんで、ボクに貸してもらえますか?」
一気に押せ押せ、がんばれボク!
「獄卒ふぜいが
侍従長と呼ばれた美少年は、銅貨を一枚、投げて寄こした。歪な形のコインで、鋳造じゃない。たぶんハンマーで叩いて、打ち出したタイプだろう。
落ち着けボク、同志社大学推理研での、新歓コンパを思い出せ。
コインを包み込むように握りしめた。
「この右手のひらにのせたコインが───オンマリシエイソワカ……」
「なんじゃいな、それは?」
「異国の言葉……それは
西洋ファンタジーには詳しくないので、適当に呪文を唱えてみた。
クリスティの作品に出てくるマザーグース───ダレガコマドリコロシタノ、でも良かったんだけどさ。パパンがパン! さすがに相手が知ってたらマズイからね。角川映画『里見八犬伝』は、知らんだろ? あの頃の薬師丸ひろ子さんは、ムッチャかわいかったぞ〜。
「……
そう言ってボクが手の平を開くと、コインは消えていた。
「なくなった! 銅貨が!」
「どこに隠した!?」
慌てふためく獄卒ズに、余裕たっぷりに振る舞う。
こういうのは、わざと焦らして翻弄するのが、コツだからね。
「ちゃんとお返しするって、お約束しましたよね」
右手をグバッとを広げながら、ボクは前に突き出した。
「手を差し出してください」
「こ、こうか?」
獄卒ビビってる、ヘイヘイヘイ!
「リンペイ…トウシャカイジン……レツザイ……ゼン!」
いいかげんな呪文だね、どうも。九字を切りたいぐらいだ。扇舞子ちゃんって、美少女に教わったんだけどさ。
おそるおそる差し出された獄卒の手の平の上に、自分の右手を重ねてボクは、さっきよりはもうちょっと芝居がかった感じで、呪文を唱えてみた。目をつぶって、眉間にしわを寄せ、腕を小刻みにプルプルと震わせて。役者やのう〜。
「さっきの呪文より、だいぶ長いな……」
侍従長の言葉が終わらないうちに、銅貨がポトリと手のひらに落ちた。最高のタイミングで。
「うひょ? どど、どっから取り出したァ!」
「ハンドパワー──精霊の力を借りたのです」
目を白黒させる獄卒に、爽やかな笑みを浮かべてボクは告げた。
ボクが幼稚園の頃、超魔術ブームだったのよ。
大学のミステリー研究会で教えてもらった、初歩的なテーブル・マジックが役に立つとは、実はこっちの方が驚いているよ。
4
「魔術じゃ、魔術に違いねぇ!」
ボクからしたら、テレビやデパートの実演販売で、飽きるほど見かけてきた初歩の手品。だが、この時代の人間にはたぶん、生まれて初めて見た魔術だ。
まるで南米奥地のインディオが、生まれて初めて手品を見た時と、同じ反応をしている。小学生の頃、テレビで見ただけだけどね。
ここで一気に電車道で寄り切るしかない。がぶり寄りだ。
「信じていただけましたか? ボクの魔力を使って占ったならば、盗まれた手紙の在り処も、たちどころに判明するでしょう」
んな自信はない。断言できる。
だがどのみち、このままでは死刑になる身だ。イチかバチか、一筋の可能性に賭けてみるしかないのだよ、明智くん。
蜘蛛の糸にすがる、カンダタの気分だよ。
でも下は見ない。高所恐怖症だし。
「その手紙はD大臣……じゃねぇ、D卿の部屋の───」
「待て、答えは私の部屋で聞こうか」
今の今まで黙って聞いていた、エビ色のタイツを履き、帯刀した巻き毛の金髪美少年が、急に言葉を発した。
その聡明そうな瞳に、ボクは何やら親しみを感じていた。
言葉では上手に表現できないのだけれど、彼にはどこか知性を感じたから。
持って生まれた知恵というよりは、勉学を積み重ね知識を溜め込んだ人間特有の、聡明さというか。
大学の教授の持つ雰囲気、と言えば一番近いだろうか?
「我が名はクラレンス。さる貴族の侍従長だ」
猿の貴族ですかウッキー、なんて古典的ボケは呑み込んで。
ジルベールじゃなかったのね。
この若さで侍従長、しかも牢屋に気軽に出入りできるってことは、年齢に見合わずかなりの身分なのだろう。それとも仕えている貴族がそもそも、かなり高貴なのか?
囚人を牢から出す、強い権限もある。ボクの勘もなかなか冴えてるよ。
「ここは昔──といっても3年前だが──私も獄卒として仕事をしておった。そこな若造のようにな」
「立身出世、おめでとうございまする」
「いやいや、ここでは敬語はやめていただきたい。その節はお世話になりもうした」
それ、児童福祉法違反では?
「だが今、我が仕えし御方は
クラレンスと名乗った美少年は、
ボクの顔面の筋肉は、人生最高レベルで引きつった。ウソぉ……。
牢屋から出してもらい、少年侍従長の7歩ほど後ろを、ボクはついて歩いた。3歩下がって師の影を踏まず。7歩下がって侍従長の影を踏まず。
なんだよ大魔法使いって。
ホグワーツ魔法魔術学校の校長先生かよ?
初歩の手品でうまく騙せたと思ったら、本物がきちゃったぜ。
やっぱり、
黒猫を連れて、宅配便屋を始めたりするのかな?
いや待てよ?
そもそも魔法なんて、本当にあるのか?
その大魔法使いとやらも、簡単な手品で周囲をだまくらかしてるだけじゃないのかな。
いや、ちょっと待て。
ボクがこうやって異世界転移してるんだから、ひょっとしたらこの世界には、本物の魔法使いがいるのかもしれない。
獄卒たちが「あの御方」と恐れまくってた御仁は、間違いなく実在するのだ。
ヤバイよヤバイよ、ヴォルデモート卿みたいなのが現れたら、八つ裂きにされるかも。
「どうした囚人、さっきから顔色が悪いぞ?」
あんたのせいだ、あんたの!
頭の中でいろんな妄想がグルグル回っているボクに、クラレンス侍従長はニヤニヤ笑いながら声をかけてきた。
こいつ絶対、悪意があるな……。
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