承章■そして、第二の謎解きを
1
料理人ピーターさんの訴えは、あっさり通ってしまった。
神父との面会を待つまでもなく。
獄卒に、いくらかの謝礼金を渡すことを条件に、彼の奥さんに伝言を頼んだから。
ボクの推理を伝え、屋敷に足長蜂の巣がないか調べてくれと、と頼んだ。
ピーターさんの愛妻が、証言してくれる医者と一緒に屋敷に行くと、奥様が運良く(といっては申し訳ないが)足長蜂に刺された直後だったんだ。
散歩していた広大な庭の樹に、3つも巣があったそうだ。ますます、庭師が怪しいなぁ。足長蜂の巣に気づいてたのに、わざと放置してアナフィラキシー・ショックを誘ったんじゃないの?
そういうわけで今は、足長蜂の繁殖時期なのだろう。ということは、季節は4月か5月かな? こんな訳の分からない世界でも、季節があるんだ。情報が増えると、なんだかホッとする。
同行してくれた医者が、すぐに奥様の手当をして。
落ち着いたところで、彼が昔経験したアナフィラキシー・ショックについて説明。あなたの旦那さんの死に方は、私が十年ほど前に見た患者とそっくりですよ、と。
医者の信用ってのは、大きい。いつの時代も。これがピーターさんの愛妻だけだったら、信じてくれなかっただろう。だって容疑者の妻だもん。でも、自分を治療してくれた医者だと、ガードも下がってただろうし。
これにて一件落着、ピーターさんは無罪放免。
良かった。
人が死なないって、それだけで幸せなことだ。
実際の殺人事件なんて、こんなもんだ。
複雑怪奇でもなければ、奇想天外でもない。
どっかの小説投稿サイトにアップしたら、「内容にヒネリがない」とか「アイデアが平凡すぎる」とか、それこそヒネリもなく平凡な、評論家気取りの素人レビューが付いて終わりだったろう。
でもさ、角田光代さんが『紙の月』を執筆する時、巨額横領事件を起こした女性たちを何人も調べたそうだよ。すると動機なんてどれもごく平凡で、がっかりしたとか書いてたぞ? そんなもんだろうな。
というか、テレビドラマ版で主役の原田知世さんも映画版の宮沢りえさんも、あんな美人の銀行の契約社員、そもそも存在するわけないけどね。ちっとも平凡じゃないんだもん。
死体の女性から髪を抜いていた、奇怪な老婆に
下人は期待していたのだよ。
何を?
世の中には、とんでもない巨大な悪があって、自分もそれに染まりたい……と。
吸血鬼になりたがる、凡人みたいなもんかな? 人間は並外れたものに、憧れるのだ。それが悪であっても。ピカレスク・ロマンは、だから成立する。
でも、吸血鬼なんか、現実には、いない。
世の中にいるのは小悪党ばかりだ。
……いや、ちょっと待てよ。
しがないアラサーが異世界転移するんだ、この世界にはちゃんと吸血鬼がいたりして。
けど、ブラム・ストーカーはまだ、この時代じゃ生まれていないか?
2
ピーターさんの冤罪が晴れた劇的な展開を見て、同じ土牢の囚人が、オレも冤罪だワシも冤罪だと、相談してきた。
んな訳あるか!
こんな狭い土牢の中で、冤罪の人間が何人もいてたまるか~い。
巨乳美女のかわりに冤罪中年だらけの牢獄とか、要らんわい。
クリスティの『オリエント急行殺人事件』なら、無実だと言ってるこいつら全員、共謀してるってオチはあるけれどさぁ。
ただ一人だけ、面白い話をしてきた奴がいた。
囚人じゃないよ。
二人いる土牢の獄卒の、おしゃべりな方だ。
獄卒と言っても、背は高いが顔はあどけない少年で、背の低い中年というか初老の獄卒と、みごとな凸凹コンビだ。
なんだかんだ言って、ボクら囚人は獄卒の世話になるから、自然と会話が発生するのだ。
ピーターさんの謎解きを、横からチラチラと聞いていたので、ボクに興味も湧いたようだ。
「一週間ほど前、とある教会の庭に、死体が置かれてたんだ。この牢の死刑囚の、最後の懺悔を聞いてくれる司教様がいる、大きな教会の庭だ。俺も毎週礼拝に行く」
ほぉ、聞こうじゃないの。
チューリップハットの名探偵や、頭脳は大人のままで身体がちっこくなった高校生探偵並みに、死体との遭遇率が高いのは、このさい問わないからね。じっちゃんの名に賭けて。
ボクをこの世界に異世界転移させた誰か──宇宙意識体かヒトガミか薬神かは知らん──が、そのように仕向けたんだと、とりあえず思うことにして。
「あの、その死体が、夜中に歩いたとか?」
「いや、歩きはしなかったな。首を切られて死んでいたんだ」
お、
「頸動脈をナイフで、スパッと斬られていた?」
「いいや、胴体から切り離されていたんだ」
お、犬神家の一族か? 菊人形ですか? この国に、んなもんないですか? でも猟奇的っすなぁ。
人間の首を胴体から切り離すのって、かなり難しいはず。昔読んだ本で、そう書いてあった。例えば三島由紀夫が市ヶ谷で割腹自決した時、介錯役の人が───あ、グロくなるから、細かい説明はやめておこっと。
グロい映像は脳内から
「その死体に、誰も見覚えがないんだよ。司教様や他の神父はもちろん、礼拝に来る誰もだ。もちろん、自分も。そしてその日、教会の見習い神父が、一人消えた」
んじゃあ、そいつが犯人じゃん?
何があったか知らんが、人を殺しちゃったんで、怖くなって逃げたんでしょ。
つまらん! オマエの話はつまらん! 大滝秀治さん声で脳内再生。
時間かけて損した。でも、気になる点もある。
もうちょっと聞くか。
「あの、その死体って、何か特徴は?」
「髪の毛も髭も剃り上げられていて、死体の背中や胸には大きな切り傷が何本も走ってて、右脇腹には深い刺し傷がな」
「え? 致命傷はどれですか? 背中の切り傷? 脇腹の刺し傷? 首を切り落とされたら、確実に致命傷ですけど……」
殺すだけなら、刺殺でいい。殺した上で、首を切り落とすのは、たぶん怨恨だ。
何気なく聞いたんだけど、また面白くなってきた。
おら、ワクワクしてきたぞ! こっちは野沢雅子さんの声で脳内再生っと。
「それがどうも脇腹の一撃で、おっ死んじまったようでよ。殺した後に、背中やら胸に傷を付けて、最後に首を切り落としたらしい」
「それは……かなりの怨恨ですねぇ。一刺しで殺しておいて、死体を切り刻んで、断頭。かなりの恨みだな。ますます『オリエント急行殺人事件』かな?」
「
おっと、また余計なことを言った。この世界のほんやくコンニャクは、未知の単語はそのまま音写してるのかな? 話の腰を折るから、気をつけようっと。
「いや~コッチのことです。独り言……の・ようなものですから忘れてください。続けて、続けて」
ボクは引きつった笑顔で誤魔化した。
3
しかし、首を切り落とすって、『犬神家の一族』以外にもなんか、あったよな? 有名な作品。中学生の頃、読んだような記憶が……。こういう時、パパッと固有名詞が出てこないのが、歳をとった証拠だよなぁ。
あの現象だ、ホレ、その……あの……ウソやべぇ、現象の名前も思い出せねぇよ! 大丈夫か、ボク? ホレホレ、なんだっけ? 喉元まで出かかってるんだけどォ───喉? のどのど…口……なんか正解に近づいてきた気がするぞ……………あ、〝
略してTOT現象。
いや~、溜飲が下がるというか、絡んだ
お? ひとつ思い出せたら、なんか頭の中がクリアになってきた。
教会…修道士……神父…………ブラウン神父だよオイッ!
死体の首が切り落とされていた推理小説。『ブラウン神父の童心』に収録されてたわ。
ボクとしたことが、古典的な推理小説を、うっかり忘れていた。
作者はギルバート・キース・チェスタトン───名探偵シャーロック・ホームズを生み出したアーサー・コナン・ドイルより15歳年下で、ポアロとマープルを生み出したアガサ・クリスティより16歳年上。ちょうど中間の世代の作家。
推理小説界の大巨匠二人に挟まれて、一般人にはそこまで知名度が高くないが、ミステリファンなら知る人ぞ知る大作家。
保守思想家としても知られるし、詩やエッセイも上手い。推理小説の始祖エドガー・アラン・ポーの雰囲気を、もっとも残してる気がする。多才すぎて、推理小説に専念できなかった部分もあるけど。ボクが好きな一人。
「あの、その謎も解けました」
「本当かよ? 話を聞いただけで謎が解けるって、おまえは魔法使いか?」
「その死体の首、斧か
自分の推理を確認するため、獄卒に重要ポイントを聞いてみた。
「ああ、そうだった。背中や脇腹の傷が鋭利な刃物で切ったような傷なのに、首の傷は押し潰されたような感じだった」
「こういうお仕事ですから、死刑になって首をちょん切られた囚人は、何人も見たことがありますか?」
「自分は3人ぐらいだが、こっちのオヤッサンは二十年も努めてっから、かなりの数を見てるぞ。……だよね?」
無愛想な方の初老の獄卒の方に向き直り、若い方の獄卒は無遠慮に尋ねた。
不機嫌そうに、でも歳上の獄卒はコクンと首を動かした。なんだ、こっちの話を聞いてたのね。なら、話は早い。
「獄卒殿、あなたの知り合いに、首切り役人はいませんか?」
4
「なんじゃと?」
ボクの質問に、初老のほうの獄卒は、キョトンとしていた。
そりゃそうだろう。ボクの灰色の脳細胞の中じゃ、きれいに理路がつながっているけれど。初めて聞いた獄卒にとっては、目隠しして迷路を歩くようなものだ。
ゴールが見えないんだから、戸惑って当然。まずは、ゴールから先に示してやらねば、ずっと混乱させる。
「たぶんその殺人、死体の胴体は……行方不明の見習い神父です」
「はぁ? どういうこった? 胴体はって、頭は別人って意味か?」
ダメだ、さらに訳が分からないって顔してる。
ちょっと何言ってるかわからないんですけどォって、今度はボクが言われる番だな。もちっと丁寧に説明するか。
「その神父に恨みを持つ誰かが、首切り役人からもらったか、死体埋葬所から盗んだ首と、すり替えたんですよ」
「なんだってそんなことを? 頭のおかしい人間の仕業か?」
「頭がおかしいどころか、かなり頭が良い人間が、時間をかけて計画して、
さっきよりも、目が落ち着いてきている。聞く耳と冷静さを取り戻したようだ。なら、一気に押していこう。
「この国の人はほとんどが、髭面でしかも髪も長いですよね。そんな人間の髭と髪を剃り上げたら、死刑囚でも別人に見えちゃう……これは合点できますよね? 死体が聖職者のように剃髪していたのは、そのためです」
獄卒二人は、顔を見合わせ、それからボクを見てと、目から戸惑いが消えていた。よしよし、ボクの説明にだんだん納得している。もうひと押し。
「ほんで、身体中の傷は?」
「その神父の裸を、マジマジと見た人はそうはないでしょうけれど。万が一もある。大きなホクロとか痣とか傷跡とか、目立つ特徴があると〝アイツだ!〟って気づく人もいますからね」
「確かにのう。傷だらけにすると、そっちにばかり目が行くわな。それに女房じゃあるまいし、他人の裸なんて細かく覚えちゃいない」
「でしょ?」
こういう話はやっぱり、妻子持ちのほうが話が早い。
まぁ、ボクは独り身なんだけどさ。うるさいほっとけ。
「それじゃあ、殺された見習い神父の首は、いってぇ何処に?」
「たぶん、死刑囚の埋葬所……だと思います。今なら掘り返せば、みつかるかも。何処かの森の中や庭の隅に埋められたら、もう無理だけど。でも別の場所に埋めたら野良犬がひり返す危険性があるから。死体を隠すなら、墓場が最適です」
ボクの答えに、獄卒二人は「どうする?」「掘ってみるか?」「いや立会人を……」と、ボソボソ話しだした。お~い、置いてかないで。
しばらくして、何かコンセンサスが成立したのか、初老の獄卒が代表して、ボクに最大の質問を投げて寄こした。一言ずつ、噛み締めながら。
「それで、神父見習いを、殺したやつは?」
その問いにボクは、答えるのを躊躇した。
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