起章■ダイイング・メッセージ

   1


「あんた、何の罪で捕まった? 盗みか? 詐欺か? それとも主人殺しか?」

 そんな、現実に押しつぶされ呆然としているボクに、土牢に押し込められた囚人の一人が、声をかけてきた。

 どこか人懐っこい顔の、小太りの中年。ボクよりも、3歳ぐらい年上だろうか。太ってるから、巨乳ではある。

 不安そうな顔しているから、ボクと同じ小心者なんだろう。ナカーマ! ハイタッチ、する?

「それが……分からないんですよ。気を失って、目が覚めたらなぜか騎士達に取り囲まれてて。それで幼女を殺したなって、小突かれて、引きずられて、裁判にかけられて、いきなり7日後に死刑だぞ……って。強いて言えば、罪状は冤罪ですよ」

「えん…ざ……何だそれは? 玉ねぎと一緒に炒めると美味い、あれか?」

「ちょっと何言ってるかわかんないんですけどォ」

 サンドウィッチマンのギャグを、つい口走っちゃった。この人の良さそうなおっちゃんに、八つ当たりしてもしょうがない。スマイル、ス~マイル。チャップリンも言ってるし。

「平たく言えば、やってもいない罪で捕まったってことですよ」

「そりゃ災難だったな。だがいきなり斬り殺されなかっただけでも、あんたマシだよぉ。長槍ランサーでズンと一突きもある」


「そう、ですね。ハハハ……」

 作り笑顔で答えたボクに、小太りの中年男氏は話しやすいと勘違いしたのか、勝手に自分語りを始めた。そんなに、社交的じゃないんだけどなぁ……。

「おれっちは料理人でなぁ。ここにぶち込まれてもう3日目だよ。さすがにへばってきた」

 ヘーヘー。

「女房と娘が一人。女房は評判の美人でな。娘は、もう天使のようにかわいくてな。ほっぺなんか練った小麦より柔らかくてなぁ」

 ホーホー。

 それは奥様の遺伝子のおかげでしょうね、100%の確率で。

 「ところが、雇い主の商人が、急に死んじまってなぁ。給料もいいし、お優しい方で、働きやすかったんだがなぁ」

 ハイハイハイハイ。

 ベテラン漫才コンビのボケを、心のなかでつぶやいた。よかったよかった、とはさすがに言わないけどさ。昭和のいる・こいるって、知ってる? 自分もどっちがどっちか知らん。どっちでもいいや。でもどっちかがが、富野由悠季監督や井上大輔の日芸の同期らしい。ガンダムに出演しなかったのが不思議だね。

「どうした? おめぇ何を笑ってる?」

 いかん、余計なことを考えてたら、苦笑してたよだ。

 集中、シュウチュウ!

「あの、いや、美味しいパン生地を、つい思い出して。続けてください」

 本当は興味ないけど。



   2


「そしたらよぉ、雇い主の奥様に、やってねぇ罪で捕らえられちまった」

 ……ほえ? ほんとに冤罪? 冤罪なのか?

 他人の身の上話には興味はないが、冤罪とか犯罪とか聞くと状況も忘れて、つい聞いてみたくなる。そういう話、先にしようよ。

 推理小説家としては半ば挫折しているんだけど。つい聞かずにおれない、トリック・ライターとしての悲しいさがだなぁ、まったく。


「おれっちは商人のハドソン様のお抱え料理人なんだがよぉ。その人が昼食後に庭を散策していたら急に、ばったり倒れておっ死んじまったんだよ。ほんで、そばにいた奥様がハドソン様が何かを言おうと口をパクパクさせているから、口元に耳を寄せたら〝やられた……ピーターに〟って」

「つまり、料理人のあなたの、お名前はピーターさん?」

「そういうこったな。食事に何か毒を仕込んだだろうと問い詰められてよォ、見に覚えがないといったのに、捕まっちまったんだぁよ」

 おいおい、ダイイング・メッセージとは今どき、古典的だねぇ〜。エラリー・クイーンかいな。

 でも、ここ自体が中世の世界だから、古臭いパターンでも気にならないか。

 亡くなった本人がピータさんを名指ししたんだから、疑われるのは仕方ないかな?

 しかし、これは……詳しく聞いてみっか。


「あの、その人はどんな状態で、亡くなっていました?」

「血は一滴も出ていねぇよ。急にうめいて、倒れたって庭師が……」

「殴られたり、刺されたりした訳ではないんですね。それであなたピーターさんが、料理で毒殺したと?」

「旦那様は一人で食事をしたし、給仕を務めたのも、おれっち一人だからなぁ。他の者には、そもそも毒を仕込む機会がねぇ。でもよぉ、御主人殺して、なんの得がある? 優しい主人で給金だって良かった。もちろん喧嘩なんかしたことねぇぞ。おれっちの料理を、いつも美味い美味いって褒めてくれてよぉ。一生仕えてもをいいって、思ってたぐらいなのに」

「その庭師は信用できるんですか?」

「旦那様が、ちんまい頃から仕えている男だぁよ。おれっち以上に毒を盛る理由なんてねぇよ。先代の旦那様より、かわいがってもらったぐらいだって」


 ハァ、さいですか。

 その庭師がどんな人物か、この目で確かめることができない以上、ピーターさんの言い分を信じるしかない。理小説の定跡でいけば、そういうやつが一番疑わしいんだけどねぇ~。

「倒れた旦那様の身体からだに、何かいつもと違った点、ありました?」

「首から胸にかけて、赤い痣? れっていうのか? こう…緋色ピンクになっててよ。それがあっちこっちに浮いてたなぁ。ほんで奥様はそれを見て、毒殺に違いないって言い出してよぉ」

 緋色、緋色、緋色──はて、なんだろう? そんな症状が出る毒物、あったっけ? この世界の毒物はたぶん、砒素ひそとか鳥兜トリカブトとか、昔から知られた単純なモノしかないはずだ。

 緋色…ねぇ……かのシャーロック・ホームズ第一作『緋色の研究A Study in Scarlet』でも毒薬が登場してたけど、具体的な名前って、出てたっけ? 思い出せない。出てなかったような。どっちみち、即効性の毒だったし。この事件は、食事に入れたとすれば遅効性の毒。関係ないや。

 毒、毒、毒ねぇ…………ん? あ、あああ、あったわッ!



   3


「アナフィラキシー・ショックだ……」

「はぁ? 尻穴アナル銀河ギャラクシー症状シックだぁ? なぁに言ってんだ、オメェ」

 うわぁお、なんだその超絶誤変換は? 計算してちゃ、出て来ない笑いだわ。素人は怖いね。天然物は養殖物にまさる。もしボクがまた、小説を書く機会に恵まれたら、どっかで使わせてもらいます。パクって悪いか? ギャグに著作権はない!

「蜂に刺されたことがある人が、もう一回刺されたときに、起きる症状があるんですよォ〜。それを〝アナフィラキシー・ショック〟って呼ぶんです!」

 ボクは思わず、大きな声を出してしまっていた。

 なにしろ推理小説を書いてる時は、最初にトリックと犯人を決めて、そこから逆算して伏線を張るって作り方をしていたから。すでに結末が分かっている推理小説は、作り手側としては退屈な部分もある。

 だが『料理人ピーターの冤罪毒殺事件(仮題)』は、生まれて初めて読む推理小説みたいなものだ。読者として、面白くないはずがないじゃん。ワクワク。


「あんたぁ、お医者かね? そんな話、初めて聞いたぞ」

「部屋の中に入ってきた蜂にハドソン氏は刺されたか、それとも……仕えていた家の人に、地方出身者は? 遠乗りとか郊外に出るのが好きな人は? あるいは蜂蜜が好きな人は?」

「そんな勢い込んでポンポン言われても……ああ、そういえば妹君が甘い物好きで、領地の養蜂家と仲が良かったなぁ」

「それだ!」

「どれだ?」

 ナイスなボケ。さすが天然物。

 キョロキョロする料理人に、ボクは苦笑を抑えつつ、ゆっくり説明してあげた。純朴な人は、なんかいいな。どっかの小説投稿サイトなら「昭和の時代のギャグで、作者のセンスの古さを感じます」とか書かれるだろうな、確実に。


雀蜂スズメバチ……は欧州にはいないか。えっと、足長蜂アシナガバチに中年男性が刺されると、死ぬことがあるんです」と身振り手振りで説明をこころみるボク。

「あのホッソリした蜂で? おれっちも蜜蜂にゃあ刺されたことはあるが、ちょっと腫れただけで、寝込むことも死ぬようなことも、なかったぞい?」

「う〜ん、なんて説明すればいいかな……毒そのものの作用で死ぬんじゃなくて、2回刺されることで体がビックリしちゃって、心臓が止まっちゃうんですよ」


 近代医学どころか、中世の初歩的な医学も知らないであろう料理人に、アナフィラキシー・ショックを説明するのは、まず無理。

 そう思ったボクは、言葉を選んでそれが飲み込みやすいであろう説明を試みたのだった。わかるかな? わかんねぇだろうなぁ。

「おお、そういえば祖母ばあさんの弟が、森で熊に出くわしてよぉ、噛まれたわけでもねぇのに、驚き過ぎて心の臓が止まっちまったって、子守話で聞いたことがあるど」

 そうそう、そういうこと。説明としては、今ので充分だろう。

 しっかし、ハドソン氏が蜂に刺されて、ねぇ? マリオさんはカートれきってか? 苦笑を噛み殺しながら、ボクは次の手を考えていた。


「あの、ピーターさんの奥さんとか友人とか、今言った話を、牢の外の人に伝えること、できませんか?」

「そりゃ難しいなぁ。死刑が決まってしまったから、もう会えるのは処刑前日に、懺悔を聞いてもらう神父様だけだぁよ」

「それだ!」

「どれだ?」

 天丼ギャグに天然で乗ってこられると、2度目は笑えないなぁ。

 ピーターさんも、ボクを笑わそうなんて気は、毛頭ないだろうけどさ。

「その懺悔の時に、ボクが話したことを全部、神父に話すんです。そして、蜂に刺されて死んだ人間を見たことがある医者を、奥さんに探してもらう! まずは毒殺の疑いを晴らすのが先決です。で、この土牢から出してもらって。それができたら、時間をかけて真犯人を見つけることだって、充分にできるはずですよ」

 長文を一気に吐き出した。橋田壽賀子の脚本ほどじゃないがね。ちょい疲れた。ピーターさん、理解できたかな?


 なんでこんな長文が、スラスラ出てきたかって? 実はある脚本家に頼まれて以前、時代劇でのトリックを考えていたんだよね。

 長屋の大工の熊さんが、雀蜂に刺されアナフィラキシー・ショックで死んでしまう。だが運悪く、いまわのきわに「蜂に刺された」と言おうとして、「はちに……」ってダイイング・メッセージを残してしまった。そんなアイデア。

 その結果、仲の悪い植木屋の八っつぁんが、トリカブトの毒を飲ませて殺したと誤解される──そんな小ネタ。

 コンペでは単純すぎると、ボツを食らってしまった。「今時、ダイイング・メッセージですか?」って、飯田橋に新社屋を建てたあの副編集長も、薄ら笑いを浮かべてやがった。うっさいわ。


「足長蜂は英語で……そうだペーパー・ワスプだ!」

「なんだいアンタ、〝足長蜂は言葉で足長蜂だ〟って、そんな大きな声で」

 ん? そういえば、ボクはさっきから日本語でしゃべってるつもりだけど、ピーターさんには英語だかフランス語だかに、変換されて聞こえてるらしい。

 つまり、ボクが〝足長蜂〟と言っても〝ペーパー・ワスプ〟と言っても、彼の耳には同じ言葉に翻訳されて伝わってるらしい。リアル版ほんやくコンニャクだね、どうも。

 いったいどういう仕組だろ? 藤子 F・F・不二雄先生も、そこまで細かい設定は考えていないだろうけれどさ。


「つまりピーターさんの御主人様は〝足長蜂ペーパー・ワスプに刺された〟と言おうとしたのに、息も絶え絶えだったので奥様が〝ピーターにやられた〟って、聞き間違ったんですよ!」

「ペーパー? ピーター? ……ンななななんですとぉ~!」

 ピーターさんの人生で、ここまで裏返った声を出したことは、なかっただろう。たぶん。脳天から出る声ってやつだ。なんですとバンプレスト。

 ボクの推理の意味が呑み込めて、ピーターさん目がキラキラしてる。生きる希望って、こんなにも人間を変えちゃうんだなぁ。コッチも嬉しいというか、誇らしいというか。うん、電車で妊婦に席を譲ったときより、晴れがましい。


 こうして『料理人ピーターの冤罪毒殺事件(仮題)』の、ダイイング・メッセージの謎は解けたのだった。

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