第33話
目の前で、木剣がぎこちなく振るわれている。
その太刀筋は未熟で、簡単によけられた。僕はその剣の腹を手に持つ木剣ではたいて弾き落とす。
「っ!」
それにつられて、目の前のパトリシア殿下が尻餅をついた。地面に手をついたまま荒い息をしている殿下に僕は近づいていく。
「なんですか、先ほどの突きは。予想通りすぎてあくびが出そうになりましたよ。」
あえて厳しくした僕の言葉に、殿下の表情が歪む。だが、殿下はすぐに立ち上がると、土まみれのまま木剣を拾い上げて僕に向けて構えた。
僕は思わず頬が緩んでしまいそうになるのをこらえる。その代わりにつまらなそうな表情をつくった。
「今度は退屈させないでくださいよ、殿下。」
秋の草原、枯草色がちらほらと混ざるボルゴグラード城の前で僕は殿下に剣術指南をしていた。
ちょうどあの地下都市での一件から二週間がたとうとしていた。
僕は、自分でも驚いたのだが、奇跡的な回復でたったの一週間で全身の傷が治ってしまっていた。
もう完全に体は以前と変わらず動くようになったのだが、副団長は僕が無理をしているのではないかと疑ってなかなかベットを離れることを許してくれなかった。
二週間がたった今、僕はようやく副団長の許しを得て騎士としての日常に戻ったのだった。
殿下への剣術指南は鈍った剣の冴えを取り戻すのにちょうどよかった。ついつい熱が入ってしまう。
気がつくと、パトリシア殿下は今にも死にそうな表情で周囲の草の中に埋もれて寝転んでいた。
やり過ぎたかと僕が後悔していると遠くから城の鐘が鳴る。時報だ。
すこし嬉しそうなパトリシア殿下が慌てて立ち上がった。
「ショルツ、すまない。シナトラに呼ばれているのでな、今日の指南はここで終わりにしてもらおう。」
城に向かって殿下が駆けていく。そのどんどんと小さくなっていく背中に僕は目を細くした。
パトリシア殿下は地下都市から帰還してから別人かと思うほどに変わった。周囲の言葉をよく聞き入れ、常に成長しようと必死にボルゴグラード城で日々を送っている。
そのおかげもあって、最近は殿下を見る周囲の騎士たちの目も変わってきていた。副団長もパトリシア殿下に騎士団の指揮のとり方や運営の仕方を教え始めている。
皆、パトリシア殿下の努力を認めていた。
もう見えなくなった殿下の背中をいつまでも探している僕にふと、大きな影が差す。振り返ると、一人の巨大な騎士がぎこちなく佇んでいた。
「元気ですか、スキニウス卿?」
僕が話しかけると、その騎士はゆっくりと口を開いた。
「エエ、ソレガシ、元気。」
あの地下都市の怪物、帝国の軍団長の二人がボルゴグラード城に姿を現したのは一週間前ほどのことだ。
地下都市は幸いなことに水没によってもさほど影響を受けなかったらしい。
既に貴重な書物は全て帝国の高度な技術が詰まった水密室へと運び込まれていたらしく、損害はほとんどなかった。
そこで、二人の怪物は地下都市を闘技場の石像たちに任せて、主君と仰ぐパトリシア殿下に仕えるためにはるばるボルゴグラード城までやってきたのだった。
北方騎士団は上を下への大騒ぎとなった。当然だ。ある日巨大な怪物がこの城のすぐそばに現れたのだから。
しかし、殿下は必死に周囲の騎士を説得し続けた。その熱意にとうとう副団長も折れてスキニウス卿とモーディアス卿の二人は殿下つきの騎士として迎え入れられたのだった。
ただし、巨躯の二人は到底城の中に入れるはずもなかったので、城の横に巨大な掘っ立て小屋を建ててそこで寝泊まりしている。
しばらく手合わせをした後、僕は二人の怪物と別れて城へと戻った。城門に足を踏み入れた時、向こう側から馬に騎乗した騎士たちが近づいてくる。
その中に見知った顔があった。
「マルグレット卿、久しぶり。もう体は大丈夫なのですか?」
僕はマルグレット卿に駆け寄った。マルグレット卿は僕と違って傷がすぐには治らずずっとベットで横になっていたのだ。
「ああ、ショルツ卿。おかげさまでピンピンしております。」
マルグレット卿が花が咲いたような笑顔を浮かべた。その元気そうな姿に僕までなんだか明るくなってくる。
「ああ、そういえば副団長から伝言を預かっていました。」
ふと僕は思い出したことがあった。
「なんですか?」
訝しげに耳を近づけてきたマルグレット卿に小声で囁く。
「いい加減怖じけつくのを止めろ、だそうです。」
途端、マルグレット卿の顔がよく熟れたりんごのように真っ赤に染まった。
「副団長…っ!」
しばらくして、覚悟を決めたような表情のマルグレット卿が口を開いた。
「ショルツ卿、今日の夕方にお時間を頂いてもよろしいですか?」
マルグレット卿に呼び出された通り、僕は夕暮れの尖塔をのぼっていった。
果たして、マルグレット卿は最上階で僕を待っていた。近づく僕に気がついて、振り返る。
「ショルツ卿、来てくれたんですね。」
マルグレット卿がにっこりと笑う。
「当然ですよ。」
僕は返事をした。
秋が近づいているからか、少し肌寒い風が尖塔を駆け抜けていった。
僕も、マルグレット卿も、口を開こうとしない。そのまま二人の間に心地よい沈黙が漂う。
「ショルツ卿、卿はわたしと初めて出会った日のことを覚えていますか?」
マルグレット卿が風に乗せるようにささやいた。
「ええ、覚えていますよ。」
あの頃は、僕もマルグレット卿も見習いで未熟だった。マルグレット卿はいまと違って随分と荒れていて、僕と喧嘩ばかりしていたのを覚えている。
「私は嫌な奴だったでしょう、いつも怒ってばかりいて。」
クスリとマルグレット卿が笑う。
僕はほほをかく。
「まあ、ね。」
あのころ、僕はマルグレット卿のことが大嫌いだった。毎日、顔をあわせる度に殴り合いの喧嘩をしていれば誰だってそうなるのだろうけれど。
「でもそんな私が変われたのもあなたのおかげなんですよ、ショルツ卿。」
マルグレット卿の言葉に僕はキョトンとした。
「ショルツ卿が、どれだけ私に拒絶されても話しかけ続けてくれたから、今の私があるんです。」
僕は、それは違うと言いたかった。僕がマルグレット卿に話しかけていたのは、ただ単にあのこの世に絶望したような様子が気に入らなかったからだ。そう、言いたくなった。
でも、マルグレット卿の顔を見て、口を閉ざすしかなかった。
マルグレット卿は泣きそうな笑顔だった。
「ほんとうに、私はあなたに救われたんです。」
はっきりとした声で、マルグレット卿は断言した。
「でも、私はその期待を裏切ってしまった。」
マルグレット卿が顔をうつむかせる。
「人間誰しも間違えるものです。そうでしょう?」
思わず口をついて出た僕の言葉に、マルグレット卿はゆっくりと首を振った。
「いいえ、私は復讐心に囚われてあともう少しでとんでもない過ちを犯すところでした。もう、言い逃れのできるような罪ではありません。」
マルグレット卿の声は、自身を断罪するような厳しい口調だった。
「この罪は、この私の醜さは、私が一生をかけて背負わなければいけない罪科なのです。」
マルグレット卿が顔をあげた。
「ひとつだけ、お願いがあります。」
強い決意を秘めた表情だった。
「私は弱い人間です。」
魂からひねりだすかのように震えた声色。
「私は恐らくこれからも何度だって過ちを犯そうとしてしまうでしょう。」
マルグレット卿の心の底からの告白を、僕はじっと聞いていた。
「だから………。」
――――――これからもそんな頼りない私のそばにいてくれますか?
「もちろん、たとえマルグレット卿が嫌だといっても、僕は地獄の底までついていきますよ。」
僕は肩をすくめた。
太陽が沈んでいく。
空が黄金に染め上げられる。
眩いばかりの光が地平へと消えていく中、マルグレット卿はとびっきりの笑顔を浮かべた。
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