第32話
「副団長! いくらなんでもそれは!」
僕が副団長に抗議をしようとした瞬間、副団長が声を荒げた。
「ショルツ卿は黙っておけ! 卿は甘すぎる!」
そして、パトリシア殿下を真正面から睨みつける。
「殿下は本当に理解していますか、自分がいったい何をなさったのか。
自身の単なるわがままで殿下はこの北方騎士団内でも特に優秀な二人の忠実な騎士を無意味に危険にさらしたのですよ。
いいですか、今回たったの一人も殿下の前で命を落とさなかったのははっきり申し上げて奇跡です。一歩間違えば殿下は人を殺していました!」
副団長の怒鳴り声にパトリシア殿下がびくりと肩を震わせた。
「そればかりではない、殿下を守れなかったと北方騎士団や殿下の騎士たちにも一生の汚名を着せることになる。殿下は自身の責任を理解しておられないのです!」
一息入れた副団長は殿下に言い含めるように一言ずつはっきりと言い放った。
「正直に言いましょう、殿下はこの騎士団にとってただの足手まといです。」
パトリシア殿下の頬を涙が伝う。すでにその目は真っ赤に充血していた。
副団長は次にマルグレット卿にその怒りを秘めた視線を向けた。マルグレット卿が気まずそうに眼を逸らす。
「さてと、次にマルグレット卿。卿はその私怨でどれほど騎士団に迷惑をかけることになるか、理解しているか。」
マルグレット卿が下を向いて蚊の鳴くような声で呟いた。
「………申し訳ございません。」
副団長が無理やりその顔を持ち上げる。
「私がアグラシウス七世の追手の目を欺くのにどれほど苦労したか、理解しているか。私は文字通り命がけで卿を庇ったというのに、卿はこの仕打ちとは、な。」
マルグレット卿が一層縮こまる。
「これからどう立ち振る舞うのか、しっかり考えるように。」
「……はい。」
うなだれたマルグレット卿を横目に、副団長が肩を怒らせて天幕を後にした。
副団長から小言を頂いてからしばらくして、僕はべっとりと血のこべり着いた服を着替えて天幕内で横になった。小鬼の残党を狩った後、北方騎士団は明日ボルゴグラード城に帰還する予定だそうだ。
全身が痛い。こんなに大怪我をしたのは竜退治の時以来かもしれなかった。明日は荷台に乗せてもらわなければならないだろう。
僕は脇の剣を見つめた。その地味な鞘の中で青白い剣はすこしも欠けることもなく再び必要とされる時を待っている。
僕は再び天幕の天井を見つめてため息をついた。そんなときだった。
「ショルツ卿、シナトラだ。すこし時間をもらってもいいか?」
そっと控えめな声がした。
頭を動かして天幕の入口を見ると、副団長が覗きこんでいた。僕が起き上がろうとするのを手で制する。
「卿の傷は重い。私が来たからといって気を使う必要はない。」
副団長が僕の枕元に腰を下ろす。そして、痛ましげに僕のボロボロの姿を見つめた。しばらくして、僕に神妙な表情を向ける。
「すまない、ショルツ卿。パトリシア殿下の件も、マルグレット卿の件も、今回の責任は事態を予測できなかった私にある。謝罪させてくれ。」
僕は慌てて首を振った。
「いえ、これももとはといえば危険を察するのが遅れた僕が悪いのですから……。」
副団長が苦笑する。
「卿は謙遜が上手だな。それは騎士の美徳ではあるが、時には毒ともなるぞ。」
しばらく、二人の間に沈黙が漂う。副団長が意を決したように口を開いた。
「しかし、今回ばかりは私が悪いのだ。なぜなら、私はマルグレット卿が暗殺者だと知っていたのだから。」
僕は目を見開いた。
「だが、マルグレット卿の目を覚ますには、私では無理だと悟っていた。気づいた頃には、マルグレット卿の心の中の憎悪は手のつけようがないほど燃え広がって私の言葉も届かない場所にいってしまっていたからだ。」
副団長が自嘲気味に笑った。
「だから、私は卿に頼った。ショルツ卿なら、マルグレット卿の愚行を文字通り身を挺して止めてくれるだろう、と。
私は騎士失格だな、まったく。自らの部下すら正しく導くことができず、挙句の果てには卿に丸投げしてしまった。失望したろう?」
副団長が弱弱しい笑みを浮かべる。僕はたまらず否定した。
「いいえ、それでも僕は副団長を尊敬しています。誰よりも近くでその功績を見てきた自信がありますから。」
僕の言葉に目を丸くした副団長は次の瞬間笑い出した。僕はあっけにとられる。
「本当に卿は口が上手だな。マルグレット卿の件も納得がいった。」
クックッと含み笑いをしながら副団長がこぼす。
「さて、これ以上長居しても卿に負担となるだろうから、そろそろ暇させてもらおう。」
ひとしきり笑い終わったとき、すくっと副団長が立ち上がった。そして、足早に天幕の入口へと向かう。
その逆光の中の副団長の背中に僕は疑問をぶつけた。
「副団長が僕ならばマルグレット卿を止められると考えたのは理解しました。でも、なぜ僕なのですか?」
副団長が足を止めて振り返った。
「なぜ、とは?」
「いや、確かに僕とマルグレット卿とは親しい仲ですが、僕なんかよりも命の恩人である副団長の言葉のほうがよっぽど、」
僕の言葉は副団長の大きなため息で遮られた。
「卿は本気でそれを言っているのか?」
副団長から呆れたような視線を向けられる。
「……はあ、これではマルグレット卿も苦戦するはずだ。」
少しムッとした僕をよそに、副団長はなにやら顎をさすって考え込んでいた。が、肩をすくめる。
「城に帰って、マルグレット卿にまた出会ったのならば私の伝言を一番に伝えるとよい。いい加減怖じけつくのを止めろ、とな。」
その意味がよくわからないでいる僕に、副団長がにやりと笑いかけてきた。
「なに、マルグレット卿へのちょっとした意趣返しだ。」
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