第31話

 やがて水は大穴をたしつくし、周囲の森にまであふれかえるようになった。この調子ではしばらくの間この付近は沼地となってしまうだろう。


 僕は何の気なしに完全に水没してしまった大穴をのぞき込もうとした。


 途端、僕を見つめ返す緑のくりくりとした瞳と目があう。小鬼だ。


 見渡すと水面には無数の生きた小鬼が浮かんでいた。皆必死に顔を水面から突き出して呼吸をしている。


 しばらくの間僕も小鬼も固まったままでいたが、船のマストが木の幹にあたる鈍い音がすると我に返った。


 水面から突き出された槍をすんでのところでかわし、僕は船底の剣を手に取った。目を丸くしているマルグレット卿とパトリシア殿下に叫ぶ。


「小鬼が周囲の水面に浮いています! 恐らくは僕たちと同じように浮かび続けていたら幸運にも生き延びたのでしょう!」


 マルグレット卿もパトリシア殿下もすぐに状況を理解したようだった。各々弓や剣を構える。


 その頃にはもう小鬼たちがガレー船の側面そくめんに張り付いて乗り込んで来ようとしていた。


 小鬼たちも必死だ。このままだと彼らもおぼれ死んでしまう。死に物狂ものぐるいでガレー船を奪い取ってこようとしていた。


 僕はちょうど船の舷側げんそくに飛び上がってきた小鬼の喉元のどもとつらぬいた。


 小鬼は僕の放った刺突の勢いそのままに水面へと背中側から落ちていく。大きな水しぶきが上がり、血が周囲の水をにごらせた。


 マルグレット卿の先ほどとは打って変わって鋭い矢が次々と小鬼を水面に叩き落としていく。パトリシア殿下もその剣を懸命けんめいに振るって小鬼の乗船を阻止そししていた。


 が、小鬼の数はあまりにも多すぎた。多勢に無勢の僕たちは次第に押されていく。なにがなんでも生にしがみつこうとする小鬼の気迫はこんな状況でもなければ称賛したいほどだった。


「ショルツ! どうする、押されておるぞ! このままでは全滅してしまう!」


 パトリシア殿下が途方とほうに暮れたように叫んだ。


 僕たちは地下都市で死闘を繰り広げ、なんとか水没する都市から命からがら脱出したばかりだ。疲れ果てて動きにもキレがない。


 ここから逃れようにもオールや帆などは全て地下都市で放り捨ててしまった。


 悩む僕の視界にちょうど船尾の大きな木が映った。僕は勢いよく助走をつけて船の舳先へさきから船尾まで駆ける。


「ショルツ卿!?」


 背後からマルグレット卿の悲鳴混じりの声が聞こえる。


 そのまま僕は飛び上がり、船尾の竜骨の飾りをつかむ。そして、渾身こんしんの力で船尾の木を蹴りつけた。


 僕の蹴りを受けてガレー船がゆっくりと動き出す。


 僕の意図を察したマルグレット卿は矢を一本射るとすぐさま脇から突き出している木の枝を思いっきり押した。


 僕たちは小鬼の相手をしながら必死に周囲の木を押したり引っ張ったりして船を動かしていった。


 火事場の馬鹿力とはこのことを言うのだろうか、体の奥底からこれが最後といわんばかりに力が湧いてくる。


 もしかしたら、この帝国のガレー船には何かしら不思議な力が働いているのかもしれない。


 たった三人の力などたかが知れているはずなのに、だんだんとガレー船が勢いをつけていった。


 ガレー船が水没した森の中をすいすいと進んでいく。背後で舷側から振り落とされた小鬼が水面に沈んでいくのが見えた。


 次々と木々が背後へと通り過ぎていく。小鬼たちはまさに鬼の形相で振り落とされまいとガレー船にしがみついていた。


 小鬼たちも理解している。今、この瞬間こそが生死を分けるはざまなのだということを。


 小鬼たちがゆっくりとガレー船の上によじ登ってきた。大勢で寄ってたかって僕たちを数で圧倒する気だ。


 それを僕たちが必死に迎え撃つ。ガレー船の上には次々と小鬼の死体の山が積まれていった。


 ガレー船はもはや風切り音をたてて森の中を疾走していた。船の横を過ぎていく木々の幹がぼやけて映る。


 もはや疑いようがなかった。このガレー船は明らかに何かがおかしい!


 既に全力疾走する馬ほどの速さでガレー船は森の中を進む。幾度か正面から木に衝突することもあったが、その衝角が根元ごと木を薙ぎ倒してしまっていた。


 不幸にも舷側から落下してしまった小鬼が脇の木に衝突して一瞬で背後へと過ぎ去っていく。断末魔が間延びして聞こえた。


 ぞっとする。あんな死に方だけはしたくない。


 小鬼が恐怖の色を浮かべて顔を見合わせる。そして、覚悟を決めたように次々と捨て身の攻撃を仕掛けてきた。


 高速で移動する船上で死闘が繰り広げられる。


 僕たちの乗るガレー船は、やがて水没した森の岸に近づいていた。


 野営地の丘が見る見るうちに近づいてくる。僕は声を張り上げた。


「そこの騎士たち、逃げてください!」


 水辺に佇んでいた騎士が顔を上げて、自分達に猛スピードで近づいてくる巨大なガレー船に気がつく。


 腰を抜かさんばかりに驚いた騎士たちは、滑稽なほどに慌てて岸辺から離れていった。


 幾人かの騎士が駆け込んだ野営地の奥の天幕から副団長がサーコートを羽織りながら出てくる姿が見える。


 僕と顔があった副団長は目を見開いた。


 次の瞬間、ガレー船に凄まじい衝撃が走る。岸に乗り上げたのだ。


 小鬼も僕たちも姿勢を崩して思わず倒れこむ。しかし、船の勢いが収まる気配はない。


 大地を削り取りながらガレー船は丘の中腹まで登ってようやく止まった。


 船が動きを完全に止めたとみるや次々と騎士たちが乗り込んで小鬼を仕留めていった。僕やマルグレット卿も手伝い、しばらくして生きている小鬼の姿がガレー船の上から消える。


 これで、もう僕たちの命を狙う者はいなくなった、ようやく一息つける。僕はほっとして剣を収めた。


 ふと、こちらにむかって足を急がせる副団長が視界に入った。困惑したように眉をひそめている。


 僕は周囲の騎士たちに礼を伝えてから、パトリシア殿下やマルグレット卿と共に満身創痍でなんとか船を降りた。


 近づいてきた副団長が僕たちの全身を上から下まで眺める。そして、パトリシア殿下に視線を固定させた。


「ショルツ卿、マルグレット卿、随分と苦労したようだな。ご苦労だった。

 ………さて、パトリシア殿下。私の部下にこれほどまでの怪我を負わせることとなった訳を伺いたい。まさか、断りませんな?」


 副団長が怒りがこめられた瞳をパトリシア殿下に向ける。パトリシア殿下は一瞬たじろいだが、覚悟を決めたように副団長を見つめ返して頷いた。


「分かりました、続きの話は天幕内で行いましょう。

 ああ、ショルツ卿、マルグレット卿は結構。話はパトリシア殿下だけで十分だ。すぐ天幕の中で横になるといい。」


 そう言い放って踵を返す副団長に僕は声をかけた。


「いいえ、僕も伺わせていただきます。そちらのほうが正確に事の次第を把握できるでしょう。」


 パトリシア殿下はもう既に自らの行いを十分に反省している。これ以上副団長から小言を言われるのはかわいそうだ。


 ゆっくりと振り返った副団長が僕を見つめる。


「………よかろう。」


 北方騎士団の印章である銀の竜があしらわれた天幕の入口の布をまくると、僕たちは副団長の前に並んだ。


 口を開こうとする僕を副団長が目で制する。そして、パトリシア殿下に向き直った。


「では伺いましょうか、なぜボルゴグラード城にいるはずの殿下がこんな野営地にボロボロになって姿を現しなさったのか。」


 パトリシア殿下が表情を引き締めて口を開く。ぽつぽつと一言ずつすべてを語った。


 密かに騎士団の隊列を追ってここまでやってきたこと。副団長のもとに返そうとする僕に抵抗したこと………。


 パトリシア殿下がすべてを語り終わり、僕が殿下を擁護しようと口を開いた時だった。


 パァン。


 乾いた音が天幕内に響く。


 パトリシア殿下が頬を赤くしたまま呆然と立ち尽くしていた。


 副団長が、殿下に平手打ちをしたのだった。

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