第19話

 その怪物が、ふわりと飛び上がる。


 嫌な予感がした僕とマルグレット卿は横に飛んだ。次の瞬間、凄まじい轟音ごうおんと共に地面の石の舗装ほそうを巻き上げながらその怪物が降り立った。


 僕とマルグレット卿を一瞥いちべつし、それから何かに気を取られたように遠くを見つめる。


 しばらくの間、石像も僕たちも少しも体を動かさない。沈黙が周辺を支配した。


 すると、怪物はいきなり飛び上がって、闘技場の屋根へと戻る。そして、先ほどまで見ていた方向へと建築物の屋根を伝って移動していった。


 一瞬ほっとして、僕はとんでもないことに気がつく。


 あっちはパトリシア殿下のいる広間の方向じゃないか!


「マルグレット卿!」


 ほとんど悲鳴のような僕の声にマルグレット卿は何本か矢を放つ。が、怪物はするりするりと避けてしまうと、そのまま広間へとすさまじい勢いで向かっていった。


 それと同時に、周囲の石像たちが一斉に動き出した。僕が怪物を追おうと走り出した途端とたんに目の前に斧が振り下ろされる。


 僕は舌打したうちをして、立ち止まらざるを得なかった。


 が、次の瞬間脇から飛んできた矢が石像のおのの刃の一部を欠けさせる。


「ショルツ卿! ここは私に任せて、殿下のもとへと急いでください!」


 マルグレット卿の援護えんごに、僕は全力疾走ぜんりょくしっそうを開始した。石像の合間合間あいまあいまを走り抜けていく。


 図体ずうたいのでかい石像たちはちょこまかと動き回る僕を捕らえることができずに右往左往うおうさおうしていた。


 それでもなんとか僕の進路を塞ごうとする石像を、マルグレット卿の矢が狙い打つ。


 並みの騎士には到底とうてい不可能な威力の矢を次々と放つマルグレット卿は、上手うまいこと石像の一部をけさせることで僕の進路を確保していた。


 ようやく石像の群れを抜けたと思った時、あらかじめ先回さきまわりして待ち構えていたのだろうひときわ大きな石像がどこか得意げな様子で鉄球を振り上げた。


 勢いよく振り下ろされた鉄球は石の舗装ほそう亀裂きれつを入れながら巨大なへこみを作り上げる。だが、そこに僕はすでにいなかった。


 驚いたような石像の表情が間近まじかにある。鉄球が振り下ろされる直前に飛び上がっていた僕はそのままその石像の肩の上に乗ると、背中側にまわり駆け下り始めた。


 あわてた様子の石像が僕をつぶそうと背中ごと後ろに倒れこむ。僕は地面と衝突する直前に思いっきり前へと跳躍ちょうやくした。


 すぐ背後で石像の頭部が大地と激突する爆音ばくおんが聞こえる。が、僕は振り返らない。


 全身の力をしぼり、僕はひた走った。



 怪物があの広間の天井を破壊し始めたのと、僕が大広間の入口に辿り着いたのとはほとんど同時だった。


 どうやらあの怪物にとっては大広間の巨大な石製の扉ですらくぐり抜けることが出来ないらしい。


僕は怪物に気付かれないよう広間の中に入ると、瓦礫がれきが降り注ぐ広間を一直線に駆け抜けた。遠くにパトリシア殿下の姿が見える。


 驚くべきことに、パトリシア殿下は剣を支えに立ち上がって広間から逃げようとしていた。


「殿下!?」


「お前が言ったのだろう? 生きなければいけないと。」


パトリシア殿下が笑みを浮かべる。僕はふらつくパトリシア殿下に肩を貸し、共に広間の出口を目指した。


 あともう少し、あともう少しで入口に辿り着く………。


 しかし、そううまく事は運びそうになかった。ひときわ大きな瓦礫がれきが落ちてきて、広間にさんさんと光が差し込む。


 僕とパトリシア殿下が天井を見上げると、顔を仮面でおおった怪物がこちらをのぞき込んでいた。


 轟音ごうおんと共に怪物が広間へと降り立つ。その視線はパトリシア殿下に固定されていた。このままでは逃げ切れない。そう理解した僕は決断した。


「パトリシア殿下、失礼!」


「な、ショ、ショルツ、何を!? きゃあ!」


 パトリシア殿下が普段聞きなれない驚きの声を上げるのを聞かなかったことにして、僕は殿下を横抱きにした。殿下が我に返って僕の首に手を回す。


「緊急時ゆえ、ご容赦ようしゃください。急ぎますよ!」


 僕は全速力で大広間を縦断じゅうだんし始めた。背後から怪物が広間を破壊しながら追ってくる。怪物の腕が迫るすんでのところでなんとか僕たちは広間から逃げ出せた。


 怪物はしばらくは広間から出ては来れないだろう。僕とパトリシア殿下はひとまず立ち止まり、息を整えていた。


 殿下の吐息が首元にかかる。今までの逃避行とうひこうは殿下にも相当な負担となったはずだ、早いことあの怪物をかないと。


 僕がそんなことを考えていた時だった。爆音をたてて広間の入口が吹き飛ぶ。僕はぎこちなく振り返った。


 僕の肩越しにのぞき込んだパトリシア殿下が小さく悲鳴を上げる。


 入口を吹き飛ばした怪物が、ぎろりとこちらをにらんでいた。


 僕は脇目わきめもふらずに全力で逃げ出した。とっさにせまい路地裏に入り込む。背後では怪物が暴れて次々と建物が倒壊とうかいしている。


 怪物の影がせまい建物の間の隙間すきまを進む僕たちにかかった。


 入り組んだ路地裏ろじうらを前後左右にあてどもなく進む。やがて目の前に大通りが見えてきた。引き返す間もなく僕は通りに飛び出してしまう。


 怪物が待っていたといわんばかりに飛び降りてきた。


 殿下を抱える僕は剣を抜くことができない。が、僕は心配していなかった。僕の背後から目にもとまらぬ速さで矢が飛んでくる。


 その矢は寸分違わず怪物の仮面ののぞき穴に命中した。


「――――――――ッ!」


 言葉にならない悲鳴を上げながら怪物がのけぞる。やがて怒り狂った様子の怪物は遠くの建物の屋根の上にたつ人影をにらんだ。


 マルグレット卿だ。急いで走ってきたのだろう、マルグレット卿は肩で息をしていた。


 僕は殿下を抱きかかえたまま、その建物の屋根まで力いっぱい跳躍ちょうやくした。ぎりぎりの所でなんとか屋根に乗れた僕はそのまま殿下をマルグレット卿に預けた。


「マルグレット卿、あの怪物は僕がここに足止めします。その間に殿下を安全な場所へと。」


 マルグレット卿が頷くのと、怪物がその手のロングソードを屋根に振り下ろすのはほとんど同時だった。


 轟音ごうおんと共に建物が両断され、僕とマルグレット卿が分かたれる。


 マルグレット卿はすぐさま後ろを向いて駆け出した。怪物もパトリシア殿下を追いかけようと体をかがめる。飛ぶつもりだ。


 僕はすぐさま建物から飛び降り、そのむき出しとなったアキレス腱に一撃を見舞った。


 僕の剣では断ち切れはしないものの、怪物には貫くだけでも激痛が走ったらしい。


 足を抱えて倒れこんだ怪物は僕に向き直り、凄まじい憎悪をこめた目で僕をにらんできた。


 これ見よがしに巨大なロングソードを振り回す。どうやら僕を始末してから殿下を追いかけることにしたらしい。


 望むところだ、僕もちょうどお前にさんざんいたぶられたのだから。先ほどまでは殿下のこともあって剣をまじえることは出来なかったが、もう加減する必要はない。


 足を前に、腰をひねって剣を構える。


「来いよ、怪物。串刺しにしてやる。」

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