第20話

 始めに動いたのは怪物であった。周囲の大気をふるわす大咆哮ほうこうをあげて、盾を構えたまま突撃してくる。僕を盾で吹き飛ばそうというのか、面白い。


 僕はえてその盾に向かって突き進んだ。困惑したような怪物の様子が手に取るようにわかる。しかし、もう怪物にはそのまま突撃を続ける選択肢しか残っていない。


 盾と衝突する瞬間に僕は飛び上がって、盾を駆け上り始めた。ちょうど怪物からは盾のこちら側は見えない。


 恐らくは人を吹き飛ばした感覚がなかったのだろう、立ち止まって周囲を見渡し始めた怪物の目の前の盾の上に飛び上がってみせる。


 僕の姿を見て、怪物は驚いて思わず盾を放り投げてしまった。僕はその前に盾から怪物の腕に飛び移り、そのまま腕を駆け上がっていく。


 怪物は自身の腕を伝って首元に近づいてくる僕に半狂乱はんきょうらんとなった。思いっきり腕を振り回し始める。上腕部まで来たところで僕は振り落とされてしまった。


 しかし、もうすでに成果はあげている。地面に落下しながら僕はにやりと笑った。


 怪物の盾を持っていた左腕がだらんと垂れ下がる。激痛に怪物は思わずひざをついた。よかった、肘裏ひじうらを貫くと腕が動かなくなるのは人間と同じらしい。


 落下していく僕に怪物の背中から生えた無数の細長い手が短剣を突き刺そうと迫ってきた。そのすべての手の甲を僕は刺し貫いていく。


 地面に降り立つと、怪物が憎々しげな目で僕を見る。からかうように僕は剣を体の前にささげて礼を大仰おおぎょうにしてみせた。


 怪物の腕に血管が浮き出る。怒りに満ちた荒々しい吐息が僕の前髪を揺らした。


 そうだ、もっと怒れ。そうしてどんどん冷静さを失うといい。お前が僕に固執こしつすればするほど、パトリシア殿下の逃げる時間が稼げる。


 そう、僕が目論もくろんでいた時、何かが吹き飛ばされてきた。


 僕と怪物との間にある建物。そこにもくもくと土煙つちけむりがたちのぼる。そこには気を失い横たわるマルグレット卿と、その脇で必死にマルグレット卿の体を揺らすパトリシア殿下の姿があった。


「なっ!」


 僕はとっさにマルグレット卿が吹き飛ばされてきた方向に目をやった。石像だ。今、建物越しに僕を見つめるあの石像たちがマルグレット卿を吹き飛ばしたのだ。


 マルグレット卿ほどの騎士がなぜ………っ!


 僕はほぞんだ。怪物の目がゆっくりとパトリシア殿下に向けられる。僕はハッとした。


 次の瞬間、怪物の振るったロングソードがマルグレット卿にせまった。もう考えているひまはない。僕はマルグレット卿とロングソードとの間に体をはさんだ。


 剣を体の前に構える。凄まじい衝撃が腕に伝わり、僕とマルグレット卿は後ろの路地裏にまで吹き飛ばされた。


 じんじんとする腕が握る剣は真ん中からぽっきりと折れてしまっている。もとより剣がロングソードの威力に耐えられはしないだろうと覚悟していたが、まさか折れてしまうとは。


 折れた剣を握りなおす。僕は路地裏の先の怪物を睨んだ。たとえ剣が折れたとしても、この目の前の怪物だけは葬ってみせる。


 怪物は僕の剣が折れたことを 理解したらしく、仮面の隙間から見えるひとみゆがませた。そのまま、僕に止めを刺そうと路地裏の両脇の建物を破壊し始める。


 背後のマルグレット卿が目をさます気配はない。僕は額をタラリと汗が流れるのを感じた。もしかしなくとも、ここで全滅してしまう。



 その時、ふるえる背中が怪物と僕との間に立った。サーコートの上の赤に双頭の獅子の紋章がひるがえる。パトリシア殿下だ。


 僕に背を向けたままのパトリシア殿下の表情はうかがうことができないが、僕はなんだか嫌な予感がした。静かにパトリシア殿下に話しかける。


「殿下、そこからお退きください。危険でございます。」


「……ショルツ、やはり私の最期はここだと思うのだ。」


 パトリシア殿下が僕に振り返った。


 パトリシア殿下ははかなげな笑みを浮かべていた。あの諦めた笑みだ。生きることを諦めてしまった笑顔だ。僕はだんだんと嫌な予感が的中していくのを感じていた。


「この怪物の狙いは私なのだろう? ならば、くれてやるさ。私の命程度、安いものだ。」


 怪物に向けて、挑むようにパトリシア殿下が言葉をかける。


「ショルツ、お前は生きろ。どんなことがあろうとも前を向くのだろう?」


 怪物がパトリシア殿下に手をのばす。僕は駆け寄ろうとして、足をつかまれた。振り返ると、意識を取り戻したマルグレット卿が僕を止めていた。


「っ! マルグレット卿、その手を放してください!」


 マルグレット卿は何も言わず、そのまま必死に僕の足を掴んだままだ。怪物はパトリシア殿下を脇に抱えると、そのまま闘技場の方向へと飛び上がった。


 怪物の姿が遠くなる。こうして、パトリシア殿下は怪物にさらわれてしまったのだった。



 マルグレット卿が申し訳なさげにつぶやく。


「すみません、ショルツ卿。私が不甲斐ふがいないばかりにあのように石像に後れをとってしまい、挙句あげくの果てに殿下をさらわれてしまうなどと……。」


「いえ、マルグレット卿のせいではありません。僕にも罪があります。」


 僕は自分の手を見る。


 石像の脅威きょうい過小評価かしょうひょうかし、怪物を倒しきれず、剣を折られたなどと、何という失態しったいか。それでもお前は騎士なのか、ショルツ。


 はらわたがえくり返るほどの屈辱くつじょくをしばし味わう。


 しばらくの間黙り込んだままだったマルグレット卿が意を決したように顔をあげた。


「その、ショルツ卿。パトリシア殿下のことは諦めませんか?

 こんなことを言いたくはありませんが、殿下は日頃から問題ばかり起こしておりました。それに、殿下はアンドロマリア王女にけむたがられてこの北方騎士団まで左遷されたのです、私たちに大したおとがめもないでしょう。

 あのように怪物に連れ去られた今、殿下が生きている見込みは……。」


 マルグレット卿の提案を途中でさえぎる。僕はその先を聞いて正気を保てる自信がなかった。


「すみません、マルグレット卿。僕は殿下を見捨てるなどということは考えられません。

 確かに殿下は困ったお方でしたが、だからといって見捨てていい命など存在しません。」


 マルグレット卿がどこか落胆らくたんしたような表情を浮かべた。


「それに、僕はあの殿下のさとったような笑顔が全く気に食わない。あの生きるのを諦めたような態度に嫌悪感が止まらない。

 騎士としての誇りが、そして何よりもショルツという人間が、あの笑顔を許せないのです。」


 路地裏を抜け、光の溢れる大通りに出る。遥か遠方にそびえたつ闘技場。そこに殿下とあの怪物はいるのであろう。


 僕は睨みつけながら遠く離れたパトリシア殿下にちかった。


「北方騎士団が剣、ショルツ・ド・バイヨン、我が信念にかけて何があろうともパトリシア殿下を救い出してみせましょう。」

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