第18話

 坑道がふさがったあの日から、今日でおよそ二日が立とうとしていた。


 あの後、僕とマルグレット卿で坑道を掘り起こそうと必死になったが、三回目の崩落ほうらくが起こった頃には諦めていた。掘り返しても再び埋め戻されるのなら意味がない。


 都市中を散策したが、出口と思しきものは何もなかった。


 いったい古代ロンデルニア帝国の人々はどうやってこの街を行き来したというのだろう。


 僕は必死に頭をひねった。広間の真ん中でぎこちなく踊ってみたりと馬鹿なこともしてみた。


 しかし、何よりも絶望的だったのは脱出手段ではなく食料だった。水も、食べ物もほとんどない。


 この都市はそういう人間が生きるために必要なものが完全に欠落けつらくしていた。


 すでにパトリシア殿下は限界を迎えていた。動くこともままならず、横たわったままになっている。


 僕は携帯していた革袋にわずかに残る数滴の水で殿下のくちびるうるおすことしか出来なかった。


「…ツ。……ショルツ。こっちへと来てくれ。」


 ある時、かぼそい声でパトリシア殿下が僕を呼び寄せる。


 僕はだるい体を起こして床の彫刻の上に敷かれた僕とマルグレット卿のサーコートに寝転んだパトリシア殿下のそばに寄った。


「ショルツ。もう、私は駄目だ。私にかまうな、お前が生きることだけを考えよ。」


 うつろなひとみで天井を見上げながら、パトリシア殿下が僕に言った。


「団長、ご冗談もほどほどに。さあ、もう少しお休みください。必ず外へと通ずる道を見つけてみせますゆえ…。」


「お前はずっとそうだな。そう繰り返されれば猿だろうと察してしまうぞ。見つかる見込みはないのだろう?」


 かわいた笑い声を上げながらパトリシア殿下が告げた。


「それは…。」


 僕は返す言葉が浮かばなかった。


「ショルツ。私はな、ずっとここに寝転がって退屈だった。だからか、ずっと今までの人生を振り返り続けていた。

 なんとおろかだったのだろう。お前たちの事情もかえりみずにただ王族の権威を振りかざして……。なんどお前たちの邪魔になったことか。お姉さまに見限られてこんな辺境へと飛ばされるのも納得だ。

 だから頼む、私はもう二度と足手まといにだけはなりたくないのだ……。」


 どこかさとったような笑みを浮かべてパトリシア殿下が自嘲じちょう気味に語った。その姿になぜか僕は怒りがこみあげてくる。


「ですが、身もふたもない話をしますと、団長を連れて帰らなければこのショルツもマルグレット卿もくびです。団長には生きて帰っていただかなければ。」


 つとめて感情を出さないようにしながら僕はパトリシア殿下に語りかけた。僕の返答を聞いたパトリシア殿下は絶望の色を浮かべながら再び天井を見つめた。


「そうか、王族というものは己の死にぎわですらも自由ではないのか。なんとも窮屈きゅうくつなものよな。

 今となってみれば、私には王族としてのうつわがなかったのだろうな。せいぜい村の小娘がお似合いだ。

 王族に生まれた時から私の人生はこうなる定めだったのだろう。」


 なんだ、その言葉は。その、生きて帰るのをすでにあきらめたような言い草は。パトリシア殿下の浮かべる張り付いたような笑みに僕は強烈きょうれつ嫌悪感けんおかんを覚え、心の内からき上がる激情をこらえられなくなった。もうこうなっては不敬もへったくれもあるか。僕はパトリシア殿下の胸元をつかみ上げた。


「なんですか、パトリシア団長。いつもの自身にあふれた傍若無人ぼうじゃくぶじんな団長はどこにいったんです! なぜ、そんな死んだ目をするのです!

 確かに現状は不条理ふじょうりで、これは生まれた時から運命に定められた末路だと絶望するお気持ちも理解できます。

 しかし、そこで諦めてしまったら悪戯いたずらな運命の女神の思うつぼでしょうが。うつむいたって地面しか見えない、どんな運命だろうと前を向くんです!」


 言いきる。僕の大声が反響はんきょうして広間中にひびき渡った。しばらくの間、僕の荒々あらあらしい息だけが聞こえる。


 パトリシア殿下は目を丸くして僕を見ていた。


「ショルツ、お前らしくないな。そのように声をあらげるなど。」


 恥ずかしくなって僕はそっぽを向いた。


「誰だって死にそうになったら熱くなりますよ。生きたいですから。」


 くるまぎれに言い訳をする。その様子が滑稽こっけいうつったのか、クスクスとパトリシア殿下のしのび笑いが聞こえてくる。僕は立ち上がり、振り返らずにそのまま広間の出口を目指した。


「そう、だな。ショルツ。お前の言うとおりだ。生きなければ、な。」


 自分に言い聞かせるようにパトリシア殿下がつぶやく声が僕の背後から聞こえた。



 広間の外では、マルグレット卿が壁によりかかって目をつむったまま、僕を待っていた。僕が近づくと、目を開ける。


「パトリシア殿下の様子はどうでしたか?」


「すこし元気をなくされていたが、立ち直られました。待たせてしまって申し訳ない、行きますか。」


 僕は覚悟を決めて闘技場をにらんだ。さきほど都市の全てを見て回ったといったが、一つだけ噓をついている。僕たちはあの闘技場だけは調べていなかった。


 理由は単純で、パトリシア殿下だ。


 様子がおかしくなった時、パトリシア殿下は確かに闘技場の方向を向いていた。まるで、そこに殿下を呼び寄せる何かが存在するように。


 あきらかにあの闘技場には何かがある。だから今の今まで後回しにしていた。だが、もう後がない。先ほど殿下に僕が言った通り、前を向かなければいけない。


 僕とマルグレット卿、二人で闘技場へと続く道を進む。やがて、遠くに見事な石造りの闘技場が見えてきた。


 楕円形だえんけいの闘技場は、周辺の建築物と比べてもひときわ巨大だった。はたしてボルゴグラード城の何倍だろうか。


 城だといわれてもうたがえないほどの威容いようが近づく僕たちを威圧いあつした。


 闘技場の下に辿り着く。闘技場には無数の石像がかざられていた。


 一つ一つが見たことも無いような大きさで、闘技場を支えるように支柱に彫り込まれた最も大きいものはボルゴグラード城とほとんど高さが変わらなかった。


 何が起こるのか分からないような危険地帯にいながら、感嘆かんたんきんじ得ない。ただ、そんな感情にひたっている暇は今はなかった。足早に僕は闘技場へと入ろうとする。


 その時だった。


 ゴリゴリゴリゴリ………。


 岩と岩とをすり合わせたような、耳障みみざわりな音が都市中に響き渡る。僕はちょうど闘技場の門を守る石像と目があった。


「はっ?」


 理解の追いつかない現象に、思わず声がれてしまう。


 闘技場中の石像が命を吹き込まれたように動き始めていた。生気せいきのない、石に刻まれた瞳が僕とマルグレット卿を見つめている。僕は思わずマルグレット卿と顔を見合わせた。


 マルグレット卿の顔が次第にあおざめていく。恐らく僕の顔も青ざめているだろう。


 石像たちはみな剣闘士のような恰好をしていて、各々手に多彩な武器を持っていた。盾におの、剣に槍、こん棒や鉄球まで…。


 そんな殺意むき出しの石像たちが無感情な表情をしながら僕たちを取り囲んだ。


 僕は剣を取り出す。が、石像に突き刺すつもりはさらさらなかった。


 岩に突き刺したらそれこそ剣が折れてしまうし、そもそも石像に比べこんなに小さな剣を突き刺した所で石像が動きを止めるとは思わなかった。


 それはマルグレット卿の矢も同じだ。


 二人して途方とほうれていた時、さっと影がさす。見上げると同時、僕は息をのんだ。


 最初に見えたのは真っ赤なマント。二本の腕で巨大なロングソードと盾を持ち、背中から生えた無数の細い腕で短剣を握る怪物。


 しかし、最も目を引くのは、その奇妙な鎧だった。


 隙間なくびっしりと人の顔をかたどった黄金の仮面を張り付けたその皮鎧は、その怪物の異様さを強調しているのだった。

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