第17話

「何なのですか、これは……。」


 マルグレット卿が呆気にとられたように呟いた。僕も同意だ。今まで僕が見てきた建築物でも、これほど豪華ごうか壮大そうだいなものはない。


 いったい何人の熟練じゅくれんの石工がいればこれほど荘厳そうごん豪奢ごうしゃな空間を作り上げられるのだろうか。


 つかれてたおしていたはずのパトリシア殿下も思わず立ち上がるほど、巨大で見事みごとな広間からは、赤みがかった柔らかな光が差し込んでいた。光の出どころは全く分からない。


 僕はふと思い当たる節があった。もしかして、小鬼が地下を恐れて近づこうとしなかったのはこの場所が関係しているのかもしれない。


 急に怖くなる。ここにはいったい何者がひそんでいるというのだろう。


 僕はまず坑道内に転がっていた石を放り投げてみた。コロンコロンと見事な彫刻の上に石が転がっていく。しばらく様子をうかがってみても、何も起こる気配はなかった。


 そうっと広間に足を踏み入れる。周囲を見渡しても、人影はおろか何一つ見つけることは出来なかった。ただ見事な広間が前後にひたすら続いているだけだ。


 安全を確認してから、僕はマルグレット卿とパトリシア殿下を手でまねいた。いつ崩落ほうらくするとも知れないほどせまい坑道にとどまるよりはここのほうがまだ安全だろう。


 マルグレット卿は周囲を警戒しながら、パトリシア殿下はどこか夢見心地ゆめみごこちな様子で坑道から出てきた。


「マルグレット卿、ここがどこか分かりますか?」


「………いいえ、さっぱりです。」


 貧乏騎士家の出身である僕と違って北方騎士団内でも教養きょうようがあるほうのマルグレット卿なら何か知っているかと思ったが、残念だ。


「古代ロンデルニア帝国だ。」


 ささやくような声が僕の背後からした。振り返ると、パトリシア殿下が並び立つ列柱の一つに手をえながら口を開いていた。


「インペラトゥム・ロンディニカ、太陽をも征服した帝国………。かつて王国の初代国王、シャンドラニウス一世が相対あいたいした大帝国であり、王国建立以前の数千年間栄華えいがを誇った超大国だ。その当時の版図はんとは今の王国のゆうに十倍はあり、王国の誕生後もほろびるまで数百年をようした。その遺跡がこんな北方にあるとは…。」


 パトリシア殿下が信じられないといった風に唇をふるわせた。


「見ろ、あのまくを。赤の布地ぬのじ金糸きんしのオリーブの刺繍ししゅう、あれこそがロンデルニアの国章こくしょう、"黄金の木"だ」


 広間のはるか上空に、天井から真っ赤な幕がれさがっていた。



大広間をひたすら端に向かって歩く。あまりにも広いこの部屋は、縦断じゅうだんするだけで数分はかかりそうだった。


 ようやく巨大な石造りの扉へとたどり着く。その扉を開けるのを早々にあきらめた僕たちは、脇にある小さな木製の扉に向かった。


 大広間を出て、振り返る。見上げると首が痛くなりそうなほど高い巨大な建物が、白い石組みの壁に半ばめり込むようにしてたたずんでいた。


 視線を前に戻すと、そこには巨大な地下都市が広がっていた。地下都市は中央が盛り上がっていて、その中心には巨大な闘技場とうぎじょうらしきものがあった。都市の周囲は石組みの壁がぐるりとおおっていて、その上では巨大なドームが天井を支えている。


 僕はふとそのドームの一部が崩落ほうらくしていることに気がついた。恐らく、小鬼が地面を陥没かんぼつさせて開けた大穴の底がここなのだろう。地面は全て真っ白な石で丁寧に舗装ほそうされており、道路にまで彫刻がビッシリとほどこされていた。



 しばらく周囲を探索して、気がついたことがあった。人が住んでいる気配がまったくないのだ。


 巨大な建築物は威圧感いあつかんこそ放っているが、人が住むにはあまりにも不便な造りだ。それに、食事や衣服、あまつさえ死体の痕跡こんせきすら見当たらなかった。


 この街は、まるで巨大な彫刻のようだ。人が住むことが初めから考慮されていない、空虚な芸術品としての都市。


 恐らく、この街は通りを行き交う人々の活気も滅びの悲しみも知ることなく、ずっとこの地下で時間が止まったままなのだ。やがて、天井のドームが崩落ほうらくする最後の瞬間まで、ずっと。


 そう思うと、なんだか僕はやるせない思いになった。今までどこか興奮していたのが落ち着いてくる。この街は、さびしかった。


「……マルグレット卿、一旦戻りませんか。」


「ええ、そうしましょうショルツ卿。」


 マルグレット卿も、これ以上得るものはないと気がついたらしい。静かにうなずきを返してきた。僕はパトリシア殿下に視線を送る。


 パトリシア殿下は、いまだ夢見心地ゆめみごこちのようだった。覚束おぼつかない足取りであちらこちらをフラフラとさまよっている。その横顔はなぜか悲しげだった。


「パトリシア殿下も、それでよろしいですか。」


 僕が声をかけると、パトリシア殿下が振り返る。その表情はすぐにでも消えてしまいそうなはかなげな表情で、僕はすこしぎょっとしてしまった。


「……ショルツ卿。なぜだろうか、私を呼ぶ声が聞こえる気がするのだ。」


「殿下?」


 パトリシア殿下が熱にかされたように呟く。その視線がじっと都市の中心にする闘技場に向けられた。


「早く、早くと。一人きりは、寂しいと。物悲しげな声が、聞こえてくる気がするのだ。」


 僕はその様子がどうにもあやうげにみえた。パトリシア殿下の肩をつかみ、さぶる。


「殿下、お気を確かに! 坑道へと戻りましょう、いいですね!」


 パトリシア殿下の表情に生気せいきが戻る。パトリシア殿下は目を見開き、我に返ったように言葉を口にした。


「…すまない、ショルツ。どこか、疲れて正気でなかったようだ。もとはといえば私がまねいた窮地きゅうちだというのに、また迷惑をかけてしまった。」


「別に構いませんとも。過去は過去、過ぎたことを嘆いても意味がありません。さあ、坑道まで戻りましょう。」


 僕たちは言葉少なに来た道を引き返した。物一つ落ちていない通りには三人以外の人影はない。特段何も起こらず、僕たちは無事に広間へと戻ることができた。


「この広間で一晩過ごした後、早朝の闇にまぎれて坑道を上に昇っていきましょう。」


 マルグレット卿とこれからの話をしながら、広間を縦断じゅうだんし終えかかった時だった。僕たちはなにかがおかしいことに気がついた。


 まさか。僕は嫌な冷や汗が止まらない。そんな、まさか。


 僕たちが今日通ってきたばかりの坑道が、崩落ほうらくしてふさがっていた。

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