第16話

「……卿! ……ツ卿! ショルツ卿! 目を開けてください!」


 僕の体が前後に揺さぶられる。うるさいなぁ、もう少し眠らさせてよ。意識がもうろうとしているまま、僕はゆっくりとまぶたを持ち上げた。


 うっすらと涙を浮かべたマルグレット卿の端正たんせいな顔が視界一杯に広がっていた。僕は目をパチクリとさせる。あれ、なんでマルグレット卿が僕の部屋にいるんだ?


 いや、待て。今まで僕は何をしていた?


 再び頭がまわり始めると同時、僕は飛び起きた。そうだ、僕とマルグレット卿、パトリシア殿下の三人は野営地へと戻ろうとしたところで地面の崩落ほうらくに巻き込まれたんだ。


 あわててパトリシア殿下の姿を探す。パトリシア殿下は少し離れたところで所在しょざいなさげに立ち尽くしていた。


 僕が起き上がったことに気がついてほっとした様子だったが、僕が見つめると気まずげに視線を外される。


 立ち上がるとパラパラと土がサーコートの上からこぼれ落ちていく。この一帯は柔らかい腐葉土ふようどおおわれていた。


 どうやら、この土のおかげで奇跡的に三人とも落下の際に怪我をしなかったらしい。


 上を見上げると、ずいぶんと高い所に大穴が開いていて、さんさんと日光が差し込んでいた。陥没かんぼつでかなり深くまで地面が沈み込んだらしい。


 その大穴の側面には小鬼たちが作ったと思しき地中の坑道が何層にも渡ってむき出しになっていた。


 僕が横たわっていた所のすぐ横には穴が開いており、下を見下ろすとさらに深くまで地面が陥没かんぼつしたらしきことが分かった。


 困ったことに、北方騎士団の騎士たちが入口から流し込んでいるのであろう煙は全てこの地面にぽっかりと開いた大穴を通って大空へとれだしてしまっていた。


 これでは小鬼を地中からいぶりだすことができない。


 ……もしかして、それが小鬼の狙いだったのか? 僕は電撃に打たれたように理解した。


 あれほど直感があの一帯が危険だと知らせていたのは、小鬼たちが意図的に地面を崩落ほうらくさせることで大穴を開けようとしていたからなのだ。


 地中の小鬼たちが陥没かんぼつの直前に僕の足元から逃げ出していたのも、それが計画だったからなのだろう。


 ゾッとする。小鬼とはこれほど知性を持った存在だっただろうか。


 いったいどれほど綿密めんみつに計画すれば狙った通りの箇所を陥没かんぼつさせて大穴を開けるなんて芸当げいとうが出来るんだ。地下道をめぐらせていることといい、今回の小鬼たちは異常だ。


 また嫌な予感がしてきたが、我に返る。今はそんなことに思いを巡らせているひまなどない。僕はマルグレット卿のほうを振り向いた。


「すみません、衝撃のあまり余計なことを考えていました。マルグレット卿、今はこの大穴から地上に戻ることを最優先に」


ヒュンッ


 僕の顔の横を何かが高速で通り過ぎていった。地面に突き刺さっているものは見間違みまちがえようもない。矢だ。


 僕とマルグレット卿、パトリシア殿下。三人はぎこちない仕草しぐさで大穴を見渡す。崩落した大穴の側面からあらわになった、地下に広がる小鬼の大迷宮。そこからわらわらと大量の小鬼が姿を見せていた。


 僕はひたいにたらりと汗が流れ落ちるのを感じた。おいおい、まじか。どうやら僕たちは敵地のど真ん中にたった三人で取り残されたらしい。



 もはや相談などしているひまもなかった。こんな開けた大穴のそばにいたらすぐさま周囲を小鬼によって包囲されてしまう。


 すぐさま僕は剣を抜き放ち、すぐ横に開いていた地下坑道へと足を踏み入れた。次いでパトリシア殿下、最後にマルグレット卿の順番で坑道内を進む。


 パトリシア殿下はおっかなびっくり華美な装飾の施されたごく一般的なロングソードを構え、マルグレット卿は早々に弓を使うのを諦めて腰から短剣を抜いている。


 どうやらせまい坑道内で当てになるのは僕ぐらいのようだった。


 出来るだけ小鬼の数が少ないほうへと地下坑道をひた走る。地下坑道は僕たちの想像以上に複雑に入り組み、さらに広かった。行く先々で小鬼と遭遇そうぐうしていく。


 何よりも幸いだったのが相手の準備ができていなかったことだった。


 流石に小鬼もこんな地下坑道の奥深くに騎士がいきなり現れるとは思わなかったらしく、出会う小鬼のほとんどが非武装で、間抜まぬけ面をさらしながら唖然あぜんとして地下通路を爆走する僕たちをながめているばかりだ。


 ただし、全ての小鬼がそうやって僕たちを素通すどおりさせてくれるわけではない。武具を身に着けて追いかけてくる小鬼もいれば、付近を巡回している小鬼の衛兵もいる。


 物陰から槍を構えた小鬼が飛び出してくるのをけ、喉元のどもとに剣を差し込む。メイスを振りかぶってきた小鬼の上腕を突き刺し、腕の自由を奪ったうえで心臓を貫く。


 背後では半狂乱はんきょうらんおちいりながらもパトリシア殿下がロングソードをやたらめったら振り回して小鬼をなんとか倒していた。


 マルグレット卿は短剣で小鬼をあしらう合間あいまに、超至近距離ちょうしきんきょりで矢を放ってはすぐさまその矢を回収して再利用するというはなわざ披露ひろうしている。


 地下通路を進む中で、僕はあることに気がついた。地中深くに進めば進むほど、小鬼の数は減っていくのだ。


 ほとんどの戦士が地表近くにまで移動しているということも考えられるが、それを踏まえても小鬼の数の減り具合は激しかった。


 何より、僕たちが下に降りると小鬼たちがおびえたように追いかけるのを途中でやめてしまうのだ。


 まるで、その奥にひそむ何かを恐れるようにある程度地下へとくだるのを避けているように。


 しかし、これは僕たちにとっては有難ありがたい話だった。このまま小鬼の坑道の中にとどまっていれば袋叩ふくろだたきにあってしまう。僕はえてしたしたへと坑道を辿たどっていった。


 地中深くもぐっていくにつれて坑道の様子も大きく変貌へんぼうしていった。


 今まできちんと整備されていた坑道の木の柱が、下るにつれてくさり落ちたままで放置されがちになっっていく。坑道も狭く、低くなっていった。


 慌ててり進めたのだろうか、壁にはところどころ折れたつるはしが刺さったままにされている。途中で力尽つからつきたのだろう小鬼の遺骨が転々と散らばっていた。


 すでに小鬼の姿はどこにも見かけることはなかった。次第にどろ混じりになっていく地下の坑道の地面を踏みしめながら、僕たちは走るのをやめて歩き出した。


 ついに坑道の行き止まりにつきあたる。


 そこでいったん僕は背後を振り返った。ほとんど光がない、真っ暗闇の中であらい呼吸音が反響して聞こえる。


 パトリシア殿下とマルグレット卿がだまりこくったまま坑道の中で立ち止まっている気配を感じる。どうやら二人とも無事ここまでついてこれていたらしい。


「さてと、マルグレット卿。ひとまず後先考えずに逃げ出せたわけですけれど、これからどうしまししょうか。」


「ひとまず、時間をおいて再び地上を目指しましょう。上手くいけば北方騎士団の誰かと出会うことができるかもしれません。」


 それが最善策だろう。僕はパトリシア殿下を坑道のつきあたりの地面に座るよううながした。


 ここまで僕たちは全力で走ってばかりだった。


 騎士としてこの程度の絶体絶命ぜったいぜつめいの状況には慣れっこの僕とマルグレット卿とは違って、パトリシア殿下はこんな目にあったことは多分ないだろう。


 恐らく相当精神的にも肉体的にも限界が来ているはずだ。


 僕の思った通り、パトリシア殿下は疲労困憊ひろうこんぱいだったようだ。言葉を発することなくその場にガシャリと崩れ落ちる音がする。


 僕も坑道の壁にもたれかかり、すこし休憩きゅうけいする。ほとんど何も見えない暗闇の中に静寂せいじゃくが広がった。


 そうして冷静になったところで、ふと僕は坑道内に風を感じることに気がついた。その風はどうもこの坑道のつきあたりから吹いているようだった。まさか。


 僕は身を起こし、剣のつか逆手さかてに持った。そのままパトリシア殿下のいる坑道の行き止まりの壁まで向かう。


「ショルツ卿?」


 マルグレット卿のいぶかしげな声をよそに、僕はつかを壁に打ち付けた。ボコリと音を立てて壁の土がへこむ感触がする。


 これはもしや。僕は一心不乱いっしんふらんに壁に向かってつかを打ちつけ続けた。


 そうして、坑道の壁を叩いてしばらくした時、壁が崩落ほうらくした。パトリシア殿下が息をのむのが聞こえる。かくいう僕も衝撃のあまり言葉が出なかった。


 巨大な列柱れっちゅうだ。


 その柱の幅は大の大人が五、六人横になったほど。柱の一つ一つに人や怪物の精緻せいち彫刻ちょうこくほどこされている。


 その実に見事な彫刻ちょうこくは床にまで広がっていて、その真ん中には真紅の絨毯じゅうたんしかかれていた。


 そこは、見上げるほど高い列柱がはるか彼方かなたにまで立ち並ぶ長大な広間ひろまだった。

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