第15話

 驚く僕を見て、目の前のパトリシア殿下は溜飲りゅういんが下がったようだった。どこか自慢げに胸をられる。そして、あっけらかんと言い放ってみせた。


「なに、留守番は退屈だったのでな。ひそかにボルゴグラード城を抜け出し、こうして騎士団の後をつけてきたというわけよ。」


 僕はさけびだしたい衝動しょうどうおそわれた。


 この馬鹿は、自身がこの北方騎士団の中で最も重い命の価値を持つというのによりにもよって危険な小鬼討伐の最前線にまで乗り込んできたというのだ。


「何、途中でマルグレットのやつに矢を射かけられた時はあわやバレてしまったかと肝を冷やしたがな、上手くここまでやってこれて良かったというものよ。

 よし、ショルツ。気を取り直して私と共に小鬼退治を行おうぞ。」


 もはや僕はパトリシア殿下にかける言葉というものが思い当たらなかった。そんなこと、出来るはずがないだろう。


「むっ? ショルツ、どうしたというのだ?」


 僕は無言でパトリシア殿下の腕をつかみ、そしてそのままパトリシア殿下をっていった。


 遠くでこちらを目を丸くして見ているマルグレット卿を手招てまねきしてせる。


「マルグレット卿、大変困ったことになりました。なんとパトリシア殿下が北方騎士団を追いかけてここまでやってきてしまったというのです。

 一旦坑道の捜索そうさくは取りやめて野営地の副団長のもとまで殿下を送り届けましょう。」


 マルグレット卿に事情の説明と一つの提案をする。マルグレット卿はさっしたようにパトリシア殿下をちらりと見ると、うなずき返してくれた。


「ショルツ、何を言っておるのだ。私はシナトラなど会うつもりはないぞ、ボルゴグラード城に送り返されればもともないではないか。」


 あわてたようにパトリシア殿下が口をはさんでくる。僕は内心大正解と呟いた。


 しかし、それをおくびにも出さず、僕はパトリシア殿下を無理やり野営地のほうへと連れて行こうとする。


 パトリシア殿下も僕の固い意志に気がついたのかジタバタと手足をばたつかせて暴れたが、きたえているとはいえ王女に過ぎない殿下と騎士である僕とでは力の差が大きく、その抵抗はほとんど無意味だった。


「ショルツ、ショルツよ! いったい何をしておる! 私は戦いに来たのであってシナトラの小言を聞きに来たのではない! ええい離さぬか、不敬だぞ!」


 僕がパトリシア殿下が騒ぐのを無視していたまさにその時だった。マルグレット卿がさっと僕を手でせいした。


 その手の弓にはいつの間にか矢がつがえられている。僕たちに何か危険がせまっている、そうマルグレット卿が目で語っていた。


 あいにくと僕の直感は先ほどから警鐘けいしょうを鳴らすようにピリピリと張り詰めたまま麻痺まひしていたので、僕には何も感じとれない。


 ただ、歴戦の騎士であり優れた弓兵であるマルグレット卿に僕は全幅の信頼を寄せていた。


 僕は反射的に剣のつかに手をやってしまう。パトリシア殿下はその隙をついて僕の腕から逃れた。


 制止する間もなくパトリシア殿下は森の奥へと駆ける。パトリシア殿下は僕に振り返ると、得意げに笑っていた。


「お待ちください、パトリシア団長! ここは危険です、早くこちらへお戻りください!」


 僕ははっとして声をかける。しかし、パトリシア殿下は聞く耳を持たない。


「ふん、その手には乗らんぞ! どうせまた私を野営地へと連れて行こうとするのだろう!」


 僕は思わずくちびるんだ。


 どうしてこのバカ殿下は理解してくれないんだ! あのマルグレット卿が危険を感じたんだ、そんなことを言っている場合ではないに決まっているだろう! 


 マルグレット卿は身を低くして弓をどこかへと向けていた。キリキリと弓をしぼっている。


「ショルツ卿、何者かがこちらの様子をうかがっている気配があります。パトリシア殿下の警護は任せました。私は敵の居場所を探ります。」


 鋭い目つきで森の奥をにらむマルグレット卿に敵の相手は任せ、出来るだけ低い姿勢で刺激しないようにゆっくりと殿下に近づく。


「さあ、そこは危ないのです。こちらへと来いとは言いませんから、せめてその場にせてください。」


「断る! だいたいお前の言うことが信じられるか、私がせて身動きが取れないところを捕まえてしまうつもりだろう!」


 殿下が疑うような瞳を僕に向けたその時、甲高い風切り音が森に響いた。


 マルグレット卿の矢だ。その白い矢は先ほどまでマルグレット卿がいた丘の方向の森の茂みまで飛んでいった。


 矢が茂みに命中し、揺れる。パトリシア殿下がそちらに気を取られて僕から視線を外した。



 次の瞬間、僕の視界にきらりと鈍く光るものが見えたと同時に、僕は殿下に飛びかかって押し倒した。


「なっ、ショルツ! お前!」


 パトリシア殿下の激昂げっこうしたような声が耳元で聞こえる。しかし、僕は殿下のことを気にしている暇はなかった。


 信じられないものを見るような目でマルグレット卿が呆然ぼうせんとして僕を見つめている。


 ドスッという生々しい音をたてて左肩ににぶい衝撃が走る。僕は歯を食いしばり、腕に伝わる激痛をこらえた。


「ショルツ……?」


 僕の下敷したじきになっているパトリシア殿下の困惑こんわくした声が聞こえてくる。僕は全身から脂汗あぶらあせを流しながら、ため息をついた。


 やられた、狙われていた殿下を矢から守れたのはいいが、僕に当たってしまった。よろいも貫通されているらしい。


 矢には毒でも塗布されていたのか、やけに体が熱い。これは、しばらく左腕は使えないな。


 それにしても、まったく矢の飛んでくる方向が分からなかった。普段は直感に頼りきっていたが、今はその感覚が狂ってしまっている。


「ショルツ卿、気を確かに! 幸い、傷は浅いですから!」


 泣きそうな顔をしたマルグレット卿が駆け寄ってきて横たわる僕の隣にひざまずく。そして、肩の鎧を外して矢を抜き放った。


 僕は鎧の上から来ていたサーコートの端を破り捨ててマルグレット卿に手渡す。マルグレット卿はそれを血のにじむ僕の肩に巻いた。


 マルグレット卿の言う通り、幸運にもそこまで傷は深刻ではなさそうだった。


「マルグレット卿、暗殺者は………?」


 マルグレット卿がまくし立てるように言った。


「排除しましたとも、ええ。ですから殿下を連れてすぐさま野営地に戻りましょう!」


 周囲の安全が確保されたかたずねてから、僕はようやくパトリシア殿下の上から立ち上がった。


 パトリシア殿下が慌てて起き上がり、僕の血にれた鎧を見てヒッと小さな悲鳴を上げる。


「あ、その、これは。ショルツ、すまない。」


 かぼそい声で僕に謝る殿下のことを気にしている余裕は少なくとも僕にはなかった。 


 こうして暗殺者がこんな森の奥にまでひそんでいると分かった以上、一刻いっこくも早く安全な野営地までパトリシア殿下を送り届けなければいけない。


 僕は震える右手で地面に転がる剣をつかみあげた。


 うなじに伝わる嫌な気配は痛いほどに強まっていた。ビリビリと針で突かれるような痛みだ。


 なにか恐ろしいことが起きそうな予感はおさまるどころかより一層増していた。ここに長い間とどまっていたくはない。


 しおれた様子のパトリシア殿下をはさむ形で僕とマルグレット卿は野営地へと進んでいく。その間もずっと嫌な予感がし続けていた。


 しかし、森を見渡しても新手の暗殺者の姿はない。ただ、地下の坑道で無数にうごめいている小鬼たちの焦燥しょうそうや殺気を感じ取るだけで…。


 あれ? 僕たちの足元の下にいるはずの小鬼の気配がどんどんと減っていっている?


 僕はここ数年間で一番といっていいほど危機感を覚えた。そして、それはすぐに現実となった。


 突然、地面がれる。足元がぐらついて僕たちは全員よろめいた。大地を揺るがすような地響きが森中に広がっていく。


 理解を超えた謎の現象に、僕の思考は一瞬真っ白になった。混乱した様子で僕たち全員が目をあわせる。


 が、すぐさま気を取り直し、走り出した。どちらにしろ、ここにとどまるのは危険だ。マルグレット卿を先頭に、僕たちは大きく揺れる森の中を全力で駆け抜けた。


 しかし、野営地のある小高い丘はまだまだ先で、結局僕たちは間に合わなかった。


 しばらくして揺れが収まった後、僕はとてつもない浮遊感におそわれた。足元の地面の感覚が消えていく。


 僕たちは母なる大地からの重力によって地面ごと自然落下を開始していた。


 地面が本格的に崩落ほうらくを開始する直前、僕はパトリシア殿下に視線を向けた。


 唖然あぜんとして状況を飲み込めていないパトリシア殿下は思考を停止したように突っ立ったままだ。


 生憎あいにくと先頭を走っていたマルグレット卿はパトリシア殿下から離れたところにいる。


 くそっ、僕は殿下の子守こもりじゃないぞ! 舌打ちをして、しかし、僕はすぐさまパトリシア殿下へと地面を蹴った。


 ひび割れた地面が地中深くに落ちていくのと、僕がパトリシア殿下を抱きしめ、かばう姿勢をとったのはほとんど同時だった。


 暗い地中に、僕たちは落下していく。ふと視界に入ってきた、よくんだ青空がやけにくっきりと心に焼き付いた。

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