辺境騎士ショルツは今日もため息をついている

第8話

　一瞬、僕は自分の耳を疑った。副団長を追放する？

　この荒（すさ）んだ騎士ばかりが集う北方騎士団をまとめあげるだけのカリスマと気配りが出来るのは副団長だけだ。

　僕ぐらいの騎士にはいくらでも代わりがいるが、副団長の代わりはいない。

　副団長は北方騎士団の屋台骨（やたいぼね）だ、いなくなった途端に騎士団は瓦解（がかい）してしまうだろう。そんなことはボルゴグラード城内の常識だ。

　しかし、パトリシア殿下は目が本気だった。口で息をしながらパトリシア殿下は勝（か）ち誇（ほこ）ったように言い放った。

「ショルツ、これでお前も本気になっただろう。」

　癪（しゃく）なことに、それは正しかった。副団長がいなくなると、本格的に北方騎士団の活動に支障がでる。死人も増えるだろう。それだけは許容（きょよう）できない。

「……北方騎士団が剣、ショルツ・ド・バイヨン、全身全霊（ぜんしんぜんれい）をもってオルドラン・ド・モルドール卿に勝利することを誓（ちか）います。」

　しぶしぶ僕が了承（りょうしょう）すると、パトリシア殿下が満足したように頷いた。

「そうだ、それでよい。最初からそうおればよいものを、余計なたくらみをするから副団長を持ち出さなければならなくなったのだ。」

　オルドラン卿に目配（めくば）せをする。申し訳ないが、僕はもう手加減（てかげん）は出来ない。オルドラン卿は鼻（はな）を鳴（な）らした。

「言われずとも。……パトリシア殿下の剣、オルドラン・ド・モルドール、我が剣の誇（ほこ）りと重責（じゅうせき）に応えてショルツ・ド・バイヨン卿に勝利を収めてみせましょう。」

　副団長の何か言いたげな視線を僕はあえて無視した。勝負は明後日（あさって）、何があろうとも勝ってみせる。

　騎士同士の試合というものは、大抵の場合娯楽として見世物にされる。そして、それは同時に騎士としての誇りをかけた戦いとなることを意味した。

　勝利すれば自身への尊敬を勝ち取ることができ、敗北すれば同僚の騎士たちの前で晒（さら）し者にされるも同然だからだ。

　特に今回はボルゴグラード城の人々ばかりでなく王族であるパトリシア殿下がご観覧されることもあって、敗北した騎士の名誉はしばらくの間回復することはないだろう。

　さらに、ボルゴグラード城内の不和（ふわ）が僕とオルドラン卿に重く圧（の）しかかった。

　今回の試合は北方騎士団にとっては普段気を使わなければいけない殿下の騎士に恥をかかせる絶好の機会で、殿下の騎士たちにとっては日頃目障（めざわ）りな北方騎士団を黙らせることができる最高の舞台だった。

　騎士同士の試合はいくつか形式が定まっているが、今回は騎馬による一対一の一騎打ちとなる。

　互いに武器を持って騎馬ですれ違いざまに相手を気絶させることを狙うものだ。死人も出る、危険な騎馬試合である。

　目を瞑り、深呼吸をする。意を決して馬を群衆の中央に躍（おど）らせた。

　周囲の見物客、特に殿下の騎士たちが騒（ざわ）めくのを感じる。当然だろう、僕が槍ではなく刺突剣（しとつけん）を持って試合に姿を現したのだから。

　騎馬試合は基本的に馬上槍を用いて戦われる。なぜなら、槍は剣よりも間合いが長く、相手を落馬（らくば）させやすいからだ。

　しかし、僕はどうにも槍は苦手で、それぐらいなら使い慣れた刺突剣を選ぶことにしたのだ。

　オルドラン卿を待ってゆっくりと馬を旋回させる。観客には顔見知（かおみし）りが何人もいて、僕に期待の目を向けていた。

　その中にマルグレット卿を見つける。僕の視線に気がついたマルグレット卿は、静かに頷いた。

　言葉には出さないけれど、マルグレット卿は確かに僕を信じている、それだけで僕は満足だ。

　試合を良く見渡せるよう築（きず）かれた高台では、パトリシア殿下と副団長が席についていた。その背後にはグウェンドリン卿の姿もある。

　グウェンドリン卿は目を輝かせて僕に手を振っていた。思わず苦笑してしまう。どこに行ってもグウェンドリン卿はグウェンドリン卿らしい。

　にわかに僕の反対側の群衆が騒（さわ）がしくなった。しばらくして人の群れをかき分けてオルドラン卿が姿を見せる。

　オルドラン卿は僕が刺突剣しか手に持っていないのを見咎（みとが）めたように眉（まゆ）をひそめたが、やがてその目を逸らした。

　光り輝く甲冑（かっちゅう）に巨大な槍、体格のいい軍馬。僕とは大違いの豪勢（ごうせい）なその姿に乾いた笑いしかでない。

　流石は王族の剣術指南役（しなんやく）、立派なものをお持ちで。観衆もみずほらしい僕と真逆の実に理想的な騎士の登場に大歓声を上げた。

　馬を操（あやつ）り、二人並んでパトリシア殿下のもとに向かう。

「おい、田舎騎士。その剣はどうした、槍でも貸してやろうか？」

　途中、オルドラン卿が周囲には聞こえないぐらいの声で話しかけてくる。一瞬嫌味かとも思ったが、その声色には少しの悪意も感じられなかった。

「おや、オルドラン卿はお優しいですね。これから戦う騎士に気を使うとはどういう風（かぜ）の吹（ふ）き回（まわ）しですか。」

　僕の茶化（ちゃか）したような言葉にオルドラン卿が眉間（みけん）にしわを寄せる。

「そんなものではない。ただ試合の後に武器のせいで負けたなどと遠吠（とおぼ）えをされては困るのでな。」

「そうですか、でもご心配なく。僕はこれで結構（けっこう）です。」

　僕とオルドラン卿の会話に一区切りがつくのと、パトリシア殿下が椅子から立ち上がるのはちょうど同時だった。

「北方騎士団、ショルツ・ド・バイヨン卿。我が騎士、オルドラン・ド・モルドール。

　卿（けい）らは騎士道精神に乗っ取り正々堂々（せいせいどうどう）と己の誇りを賭（と）して互いに競（きそ）うことを誓（ちか）うか。」

「北方騎士団が剣、ショルツ・ド・バイヨン。神に誓います。」

「パトリシア殿下の剣、オルドラン・ド・モルドール。神に誓います。」

「ならばよし、卿（けい）らの武運を祈る。」

　儀礼的な口上（こうじょう）が終わると、いよいよ僕とオルドラン卿は距離を取って向かい合った。静かに、互いの鎧を睨み合う。

　やがて、どちらともなく馬を前に進め始めた。それは次第に早まり、最後には全力での疾走（しっそう）となる。

　巨体を誇る二頭の馬が高速で接近していった。

　オルドラン卿は真っすぐに槍を構えて突進してくる。狙いはどこだ、喉（のど）か、鎧（よろい）か。鋭い槍の穂先（ほさき）が僕を落馬させんと迫（せま）り来た。

今にも衝突するかに思えたその時、僕は全身の力を使って大きく身を逸（そ）らす。ほとんど馬の真横に僕は体を傾（かたむ）けた。

　驚いた馬が一瞬よろめく。オルドラン卿の兜（かぶと）の隙間から驚きで見開かれた目がよく見えた。

　僕の頭上を間一髪（かんいっぱつ）槍が過ぎていく。間合いの内側に入り込んだ僕はそのままオルドラン卿の胴（どう）を先を潰（つぶ）した刺突剣で思い切り突（つ）いた。

　予想外の位置から突（つ）かれたオルドラン卿は体勢を立て直すことは出来なかった。

　のけぞったままオルドラン卿が地面に身を投げ出される。鈍（にぶ）い音が草原に響（ひび）き渡り、群衆の中から鋭い悲鳴が上がった。

　僕はなんとかして体を起こし、暴れる馬を宥（なだ）める。そして、進路を反転させた。

　その先では地面に落馬したオルドラン卿が片手をだらりと垂（た）らしながら、ロングソードを抜いて僕を威嚇（いかく）していた。

　肩を脱臼（だっきゅう）して片腕が使えないのだろうが、まだオルドラン卿には戦意がある。試合は続行だ。

　再び馬を駆り立てる。そのままオルドラン卿に向かって馬が走り出した。僕が刺突剣を馬上で構（かま）える。オルドラン卿は馬を迎（むか）え撃（う）つようにして剣を高く持ち上げた。

　次の交錯（こうさく）の瞬間、オルドラン卿は馬上の僕に向けて剣を振（ふ）り払（はら）った。が、空振りする。

　僕の姿を見失ったオルドラン卿が困惑するのを、僕は彼の頭上から眺めていた。殿下の騎士たちが大騒ぎする声がどこか遠く感じる。

　馬上から飛んだ僕がオルドラン卿を上から踏み倒したのはそれからすぐのことだった。

　勢いよく地面に倒れこんだオルドラン卿の手からロングソードを払いのけ、刺突剣を顔の前に突き付ける。しばらくの間、二人の荒（あら）い息だけがその場を満たした。

「オルドラン卿、勝負はついたのではありませんか。」

　僕はオルドラン卿に降参（こうさん）を促（うなが）した。オルドラン卿が敗北の味を噛（か）み締（し）めるように瞼（まぶた）をぎゅっと閉じる。が、しばらくして力を抜いて呟いた。

「ああ、そうだ。私の完敗だ、ショルツ卿。」

　瞬間、周囲の群衆から大歓声（だいかんせい）が巻き起こった。