交際
第7話 結婚を前提に
「ごちそうさまでした」
「いえいえ。行きつけだから少し安くしてもらえましたよ」
フーチェはお辞儀をして、彼に続いて店を出る。夕方から変わらず雲一つない空で、満月のぼうっとした光が村を優しく照らしていた。
一回目のデートと同じように、川沿いを散歩する。上流から下流へ、静かに流れる川についていくように、彼女はビドルの横を歩いた。
ふと、彼が川を眺めながら口を開く。
「僕、結婚したら川沿いとか海沿いで暮らしたいんですよね。親が海近くに住んでたので、なんか憧れてて」
「そう、なんですね」
何食わぬ顔で返事をしながら、フーチェは内心驚いていた。ビドルは将来の暮らしを想像している、思い描けている。自分はどうだろうか。輪郭を結ばない曖昧な未来を打ち消すかの如く、彼女は彼に気付かれないよう首を振った。
橋が見えたところで折り返し、スタップ村に戻ってきた。「家、あそこですよね」とビドルは彼女の家の近くまで送っていく。
「じゃあ、ここで——」
「あの、フーチェさん!」
彼女の言葉を遮って、ビドルは彼女に呼びかける。
そして、カバンを漁り、紙に包まれた何かを取り出した。
「これ、プレゼントです。料理するって言ってたんで……」
「わっ、嬉しい! ありがとうございます!」
紙から出てきたのは、鉄製のスキレット。贈ってくれたのはもちろん、フーチェにとっては、自分が料理をするという話を覚えておいてくれたのも嬉しかった。
ビドルは、その綺麗に加工された、少し小さめの黒いスキレットをフーチェに手渡しながら、勢いよく頭を下げる。
「僕、本気ですから!」
「え……」
「フーチェさんとは楽しくやっていけると思います。前向きに考えてくださいね!」
深くお辞儀をしたビドルは「僕、あっちなんで!」と走って帰っていく。フーチェは紅潮した頬を扇いで冷まし、スキレットをギュッと抱きかかえながら、家の鍵を開けた。
***
翌日、フーチェは「ライナの結婚相談所」を訪れた。三回目のデートを終えた今、交際するかどうかを伝えなくてはならない。彼女は、覚悟を決めていた。
「フーチェさん、こんにちは! そこに座って待ってて。良い紅茶を貰ったんだけど飲む?」
「あ、じゃあいただきます」
リアミーもすっかりフーチェと親しくなっている。その話し方は、アドバイザーとお客さんというより、親戚のお姉さんに近いかもしれない。
「三回目のデートお疲れさまでした。どうだった?」
「はい、昨日は吟遊詩人のコンサートに行ったんですけど、私ああいう会で聞くの初めてですごく感動しました。あと、夜は……」
未だ鮮明な昨日の記憶を辿りながら彼女はリアミーに一つ一つのエピソードを伝える。楽しかったことを、誰かに話したかった。
「そっか、なら良かった。私も良い人紹介できて嬉しくなるよ」
じゃあ、とリアミーが小さく咳払いする。それは、真面目な話に切り替えるためのスイッチのようだった。
「大事な質問をするわね。フーチェさん、このまま結婚を前提としたお付き合いをしますか?」
フーチェはこくんと頷き、口を開く。あとは覚悟してきた通りの返事をするだけ。それだけなのに。
「は……」
どうしても、言葉が出てこない。「はい」と首を縦に振り、「ビドルさんとは結婚も見据えて交際できそうです」と報告する。頭の中ではそのリハーサルまでしてきたのに。頭の中のもやもやが、彼女の返事を邪魔していた。
「えっと……えへへ……」
愛想笑いで誤魔化していた彼女に、リアミーは穏やかなトーンで声をかける。
「ねえ、フーチェさん。まだ結婚したくないんじゃない?」
「……え? いや……その……」
フーチェの頭の中を全て見透かすように、リアミーは大きな瞳で彼女を覗き込む。
「隠さなくても大丈夫。今、しんどそうな顔してるもん。二回目と三回目のデートの話してるときも、浮かない表情してたから」
そして婚活アドバイザーは、今までフーチェが見てきた中で一番優しい表情を見せた。
「あのね、無理に結婚することないんだからね。結婚は目的じゃなくて手段だから」
「手、段……?」
「そうよ。生活を安定させたり、自分が幸せになったり、その人と一緒に暮らすって夢を叶えたり、そういうための手段なの。だから、『結婚しなきゃいけない』って気持ちがどこかにあるなら、捨てていいわよ。前の世界にもたくさんいたもの。無理に結婚してダメになった人も、結婚しないで自分の生きたい道を進んでった人も」
その言葉を聞いて、フーチェはパチパチと瞬きをする。少しずつその目が潤んできて、最後には水滴がパタッと落ちた。
「本当は……服の仕立てをやりたいんです……自分でデザインした服を作りたくて、今その勉強中で……先生にも、もう少ししたら任せられるかもって言ってもらって。だから、だから! 結婚したくないわけじゃないけど、今じゃなくて……タイミングは今じゃなくて、今は夢に向かって進んでいきたくて!」
泣き喚くようにフーチェが話す。こんな風に、心の奥底に埋めていた願いを誰かにぶつけるのは、随分久しぶりかもしれない。
「デザイナーの勉強もしたいし、リップス村で修業もしたいし……でも、周りはみんな結婚してるし……親も早い方がいいって言うし……ビドルさんも良い人だから、私、分からなくなってきて……」
黙って聞いていたリアミーは、やがて彼女の頭をポンポンと撫でた。細い手から、温もりが伝わってくる。
「迷ってるなら、結婚しない方がいいわよ。そのためのお付き合いも後にした方がいい。きっと後悔するから。それにね、前世では夢を優先して結婚を後にする人だってたくさんいたわ。この世界にはまだ少数かもしれないけど、だからって世間に合わせなくていいの」
「合わせなくてもいい……?」
「いいじゃない、貴女の夢は貴女しか叶えられないんだから。世間体が大事な場面もあるだろうけど、そのためにやりたいこと我慢して生きることはないわよ。それに、今の状態で結婚して、万が一そのせいで貴女が後悔することになったとき、ビドルさんにも悪いんじゃないかな?」
フーチェは自分の心の中を整理する。確かに、その通りかもしれない。自分が迷っているままで進んだら、ビドルにとっても決して幸福なゴールにはならないだろう。
私の夢は私しか叶えられない。後悔しないように。そう思うと、すっきりと考えがまとまった。
「リアミーさん、すみません。ワタシ、今回は……」
「うん、大丈夫。ちゃんとビドルさんにも伝えておくわ。あと、休会扱いにしておく? 若干の手数料はかかるけど、また再開する可能性あるなら、多分再入会より安く済むわよ」
手をパチンと鳴らして提案するリアミーに「じゃあ、お願いします」と座ったままお辞儀する。フーチェには、その明るさが自分を気遣ってのものであることがちゃんと分かっていた。
「ふふっ、仕事だから、ぐいぐい結婚を勧めてくるんだと思ってました」
「前の世界では目標数値とか気になって押していったこともあったけどね。今は、それは違うんじゃないかなって」
白い髪をサッと後ろに払いながら、リアミーは斜め上を見上げて遠くを見つめた。フーチェからは彼女が、見た目より随分成熟した大人に見える。
「本当にありがとうございます。ちなみに……リアミーさんは結婚してるんですか?」
「えへへ、それはナイショよ」
フーチェの質問に、彼女は舌を出してはぐらかした。
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