第六章 化物と人間

「で? どうなんだよ。犯人はわかりそうなのか?」

 

 手帳に被害者の証言をまとめ直しながら歩くクライヴに、ガウェインが話しかける。

 医院を出た後、二人はその足で昨夜の現場に向かい、近くの住人にも証言を取り――気付けば空は夕暮れに染まっていた。

 

「今のところ、被害者に共通点はない。調査にはまだしばらくかかりそうだな。夜には極力出歩かないよう、住民に知らせておく必要がある」

「……今夜は満月か。犯人が人狼なら、ちょっと厄介かもな」

「そんなに大きな影響があるのか?」

 

 クライヴが聞く。

 他の種族の特性を知識としては知っていても、こうして当事者に話を聞く機会は少ない。

 ただでさえ個体数が少なく、普段人間社会と接触する機会も少ない人狼ならなおさらのことだった。

 

「満月になると、狼としての性質が強くなる。普通の奴なら『狼の姿を取るとちょっと元気になる』程度だけど、異常者ならいつも以上に元気に異常行動に励みたくなるんじゃないか? 知らねえけど」

「……なるほど」

 

 クライヴが頷いた瞬間、横道から何人かの子供達が笑い声と共に飛び出してきた。

 どうやら追いかけっこをしていたらしく、そのままガウェインの脚に体当たりする。

 

「いてっ。じゃまだよ兄ちゃん!」

 

 10歳くらいの男児がやつあたり気味にそう吐き捨てた。

 

「なんだぁ? ガキども、そろそろ家に帰れよ」

 

 ガウェインの言葉に子供たちは一瞬怯んだものの、すぐに言い返してきた。

 

「はー? なんだよえらそうに」

「大人が指図するなー!」

「君たち――」

 

 クライヴが、危ないことはダメだと軽く諫めて家に帰るよう促すつもりで口を開く。

 だが、それを遮るようにしてガウェインが子供にずいと顔を近付けた。

 

「おっ、お前らさては大人を舐めてるな? 良いことを教えてやるよ。今、ロンドンの町には夜ごと化物が出てるんだ。夜になっても家に帰らないと――」

 

 いったん言葉を切り、子供たちが惹き付けられるのを待つ。

 そしてぴょこんと獣の耳を出すと、牙を剥いて恐ろしい声で先を続けた。

 

「化物に見つかって、食われちまうぞ!」

「きゃー!」

 

 ……さすがにやりすぎだ。

 

「おい。あまり怖がらせるな」

 

 クライヴはガウェインのシャツの襟首を後ろから掴み、子供達から遠ざける。

 

「ぐぇっ。なんだよ、ただの冗談だろ」

 

 ぺたんと耳を伏せてみせたのは、おそらく子供たちが見ている手前おどけてみせたのだろう。

 クライヴは内心意外に思った。

 

「あははっ、おにいちゃん怒られてるー!」

「うるせえな! 家まで追いかけるぞ」

「にげろー!」

 

 ガウェインが凄むと、子供達が一斉にそれぞれの家へと駆けだしていく。

 途中で一番幼い少女が一人こちらを振り返り、思い切り手を振った。

 

「おにいちゃん、ばいばーい!」

「おう! じゃーな!」

 

 ガウェインも八重歯を見せて笑い、手を振り替えしてやる。

 どうやら、意外と面倒見の良い男らしい。

 大人として面倒を見ているというよりは、子供と同じ目線で張り合っているようにも見えるが。

 

「随分無邪気に笑うんだな」

「まあ、ガキだからな」

 

 ガウェインが前を向いたままそう返す。

 

「いや、お前のことだ」

 

 いつも通り淡々とした声で告げられて、ガウェインは子供へ向けていた笑顔を納め、変な表情になった。

 

「……気持ちわりぃな。バカにしてんのか?」

「意外に思っていただけだ。子供に優しく接するタイプには見えなかった」

「そりゃ悪かったな。弱いものは守れって、昔女王陛下からもらった手紙に書いてあったんだよ」

 

 ――なるほど。

 クライヴは内心納得した。

 

 幼少期に注目を浴び、事件の容疑をかけられたガウェインが、その後すんなり社会に馴染めたとは思えない。

 協力を持ちかけるにあたって資料に一通り目を通したが、パブリックスクールに通わされている間も相当な問題児だったらしい。

 問題は本人の素質ではなく、周囲からの奇異の眼差しだ。

 孤独を孤独だとも気づけない日々の中で、女王から間接的にもらう言葉だけが、この男を育んできたのだろう。

 

「お前にとって女王陛下は母親のようなものか」

「なっ……なんだよそれ。別にそんなんじゃねえよ。嫌な奴だな」

 

 実のところ、クライヴはガウェインに少しだけ理解を示したのだが、それはかけらも伝わっていないようだった。

 

「お前こそ、冷徹なエリート捜査官かと思えば、そういうわけじゃねえみたいだな。被害者の女にあんなキザなことしやがって」

 

 反撃とばかりにガウェインが言う。

 

 クライヴの生まれ育ちと、普段の表面的な振る舞いだけ見れば、その評価は間違っていない。

 実際に冷徹で地位のある父親の元に生まれたクライヴは、人の上に立つ者として、人間やそれ以外を従わせる術を仕込まれて生きてきた。

 

 クライヴの父親にとって計算外だったのは、クライヴが彼とは裏腹の熱い正義感と、彼とよく似た無表情を併せ持って生まれてしまったことだった。

 加えて、クライヴはある特殊な事情を抱えていた。

 それはクライヴを常に苛み、どこにも居場所がないような気分にさせる。

 まるで、いつまでも経ってもかさぶたを作ってくれない、ピンク色の傷跡のようだった。

 

「僕は、人間を守りたい。ただそれだけだ」

 

 ――この思いを持てている限りは、化物になることはない。

 

「ふーん。立派な志だな。でも、それってまるで自分に言い聞かせてるみたいだぜ。油断すれば自分が警察に狩られる側になるからってな」

 

 図らずも、ガウェインの言葉はクライヴの後ろめたいところを突いていた。

 これ以上ガウェインの言葉を聞いていたくはない。

 

「無駄話は終わりだ。帰るぞ」

「……ちっ。じゃれ合いの会話くらいこなせよ。息が詰まる野郎だな」

 

 ガウェインはどうやら雑談を続けたかったらしく、不満そうに言いながら後についてくる。

 クライヴはかたくなに口を閉ざして歩みを早めながらも、当初よりもこの男に対する嫌悪がなくなっていることに気づいた。

 

 悪人というよりも、群れを嫌い自由気ままに振る舞う獣のような男だ。

 孤高の獣を社会規範で縛ることは難しい。

 女王にだけは忠誠を誓っているところも、この男ならではの誠実さなのだろう。

 

 こういう時に冷徹になりきれない自分は嫌いだった。

 余計な情は職務の邪魔になり、ひいては目的の達成を阻む。

 ポケットに入れてある、懐中時計を模したスイッチを意識し、クライヴは改めて心を静めた。

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