第五章 吸血鬼は葛藤する
しばらくしてすべての子供たちの診察が終わり、パウエル医師に呼ばれた。
ガウェインを連れて診察室に入ると、そこにはシンプルな机と椅子、それから薬品棚と治療器具が並べられていた。
「昨夜の事件についてだよね。今は看護師が病室で彼女の包帯を変えているところだ。それが終わったら病室に案内しよう」
子供も多く訪れるため、優しくフランクな言葉使いが癖になっているのだろう。
もしくは、クライヴのことをエリート捜査官ではなく単に『年下の子』として認識しているのかもしれない。
「おい。いつも偉そうな捜査官サマにこんな態度取っていいのか?」
「パウエル医師は構わないがお前はだめだ」
後ろから小声で囁かれた言葉をばっさりと斬る。
ガウェインは、そうかよ、と言ってふてくされ、部屋の中を観察することに意識を移したようだった。
クライヴもパウエル医師と会話をしながら、職業病のように染み付いた習慣で周囲に意識を巡らせる。
薬品棚は2つ。
片方は人間用、片方はそれ以外用だ。
『人ならざる者たち』は、人間とは体の構造が違うことが多い。
効く薬も、苛まれる病気も違う。
だから、パウエルのように両方を診る医師はまれだった。
「なんだこの消毒薬。変な色だな」
ガウェインが、薬品棚にあった緑色の液体が入った小瓶をつまみ上げる。
「勝手に漁るな」
クライヴが注意すると、パウエル医師が笑う。
「構わないよ。それは開発したばかりの特効薬でね。人間以外の患者さんによく効くんだ。君も怪我をしたらおいで」
ガウェインは小瓶の匂いを嗅ぎ、少し嫌そうな顔をして棚に戻した。
その傍らに少女の写真が飾ってあるのを見つけ、クライヴは思わず口を開く。
「あの写真は……」
「ああ。あれは妹のものだよ」
数年前に亡くなったという医師の妹は、こちらに明るい笑顔を向けていた。
芯が強そうな、十代半ばの少女だ。
「以前私が記事のインタビューを受けた時、ついでに妹の写真も撮ってもらったんだ。『私も将来絶対に立派なお医者様になるから』ってせがまれてね」
「……きっと、パウエル医師と同じく志のある妹さんだったんでしょうね。僕も残念に思います」
「残念? ……いや、そんなことはないよ」
パウエル医師は意外にも穏やかに否定した。
「すべてのことに意味があるんだよ。だからきっと、あの子も短い人生の中で為すべきことを為したんだ」
◆
包帯を変え終わった看護師が診察室に戻ってくるのを待ってから、パウエルは二人を被害者の病室へと案内した。
部屋に入ると、ベッドの上で身を起こしている若い女がこちらをキッとにらみ付ける。
名前を、リオノーラ・アシュクロフトと言った。
胸元が大きく開いた服は、娼婦のものだと一目でわかる。
「あんたたち警察は信用しないわ! 私たちのこと、どうせ狙われて当然だって思ってるんでしょう。いかがわしい商売だものね」
突然威勢の良い拒絶を浴びせられて、ガウェインがきょとんとする。
クライヴはその脇を通り抜け、突然ベッドの側に跪くと、リオノーラと視線を合わせた。
「な、なによ」
「きっと、君にはそう思うだけの過去があるんだろう。僕たちの身内が何か失礼なことを言ったのかもしれない」
クライヴは、相手を安心させるために微笑むなどという器用なことはできない。
代わりに、必要であれば己の誠実さを示すための努力をする。
その見た目にそぐわぬ不器用さがかえって絶大な効果を現す場合があった。
今この時のように。
「どうか我々に君たちのことを守らせてほしい。そのために君が持っている情報が必要だ」
リオノーラはじっとクライヴのことを見つめ返していたかと思うと、まるで年端もいかない少女のようにその頬を染めた。
「……わかったわ。私が見たことは、全部話す」
「警官が色仕掛けとは恐れ入るな」
「紳士なんだね、クライヴくんは」
二人からそれぞれの反応を背中に浴びせられながら、クライヴは事件の詳細について聞き出していった。
「狼だったわ。大きい狼。……普通の狼じゃない。あれは、きっと――」
「……やはり人狼か」
ちらりとガウェインを見ると、不服そうな眼差しを返された。
「こっち見んな。昨夜はちゃんと部屋で大人しくしてただろ」
確かにガウェインの言う通りである。
となれば、他の人狼がこの町に来ているのか。
特殊な生い立ちのガウェインはともかく、通常は森で暮らし、数少ない群れの仲間と行動を共にする人狼としては珍しいことだ。
「結局、顔は見えなかった。月が明るすぎて、逆光になってたの。相手も人の形を保ててなかったしね。だから、これ以上話せることはないわ」
すべて話し終え、リオノーラは肩の重荷を下ろしたようにため息をついた。
事件の恐怖を思い出すだけで辛かっただろう。
クライヴはいたわりを込めて口を開いた。
「協力感謝する。傷が癒えるまで、ゆっくり休んでくれ」
「……ねえ警察のお兄さん。私たちのこと、守ってちょうだいね」
リオノーラの眼差しからは、尊敬と恋情が見て取れる。
クライヴは仄かな自己嫌悪感に襲われた。
人間は、吸血鬼に魅了されても、それが吸血鬼の持つ特殊能力だと知覚できない。
これこそが、吸血鬼が早急に人間社会に溶け込めた一番の理由だった。
吸血鬼側はある程度この能力をコントロールでき、クライヴは普段この力を使わないよう意識してきた。
知らずのうちに優位な関係性を結ぶのはフェアではない。
けれど信頼を得ようと視線を合わせた時に、コントロールが甘くなったらしい。
苦い思いに耐えきれず、クライヴは何も言わずにリオノーラから視線を逸らして診療所を出る。
「あっ。おい、待てよ」
ガウェインが慌てたようについてきた。
今のはもしかすると、まるで情報を聞き出した後に用済みとなったものを見下す冷たい態度に見えたかもしれない。
器用さを持たないクライヴにとって、寝る前にこうした自分の態度を思い出して静かに反省するのは、もはや日常の習慣と言ってもよかった。
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