第三章 相容れぬふたり
――奇妙な命令が下った。
クライヴは堅い表情で監獄の廊下を歩いていた。
この先に、目的の男がいる。
ガウェイン・ブラックバーンはかねてより要監視対象だった。
尾行することはないにせよ、その現在の居場所や所業は都度報告される。
ガウェインの幼少期にまつわる特殊な過去を知れば、それももっともなことだった。
とはいえ、幼少期の事件と、先日の事件の容疑者になったこと以外は、単なるごろつき程度の罪しか犯していない。
そのことにかえって得体の知れない不気味さを感じ、クライヴは身を引き締めた。
目的の牢の前まで来る。
鉄格子で隔てられた暗く狭い部屋の隅に座っていた男が、肉食獣のような鋭い眼差しでクライヴを見上げた。
狼のようだと思い、まさしく狼なのだと思い出す。
今は耳も尻尾もない。
完璧に人間と同じ姿を保てているのは、この状態にありながら平静を保っている証拠だった。
クライヴは看守に合図を出し、鍵を開けさせる。
そして手錠を付けたままのガウェインの前まで進み出た。
「ロンドン警視庁特殊犯罪捜査担当官のクライヴ・マーシャルだ。無実を主張するのなら、我々の調査に協力しろ」
名乗ると、ガウェインは興味を失ったようにあくびをする。
どうやら、自分に対してなんらかの処分が下されたことを伝えに来たのだと警戒していたようだった。
「なんでお前らを手伝わなきゃならねえんだよ。こちとら何度もお前らに捕まった恨みがあるんだ」
「このままだと、お前には先日の猟奇事件の犯人としてしかるべき処分が下される」
「俺が犯人だって証拠はねえだろ。いつもそうだ」
ガウェインがうんざりしたように言った。
「前回は私服警官を殴りつけて気絶させたと伝え聞いたが」
「俺は真面目に用心棒の仕事をしてただけだ! 雇い主が悪い奴だったなんて普通思わねえだろ。前の前は、まあ……ついうっかり食べ物盗んだり、ケンカ売られて買ったりはしてたけどよ」
クライヴはため息をつく。
この男と仲良くやっていける自信はなかった。
「これは女王陛下からの命令だ。お前に拒否する資格はない」
そして、自分にもない。
半ば言い聞かせるようにして告げると、ガウェインがぱっと表情を明るくした。
「女王陛下!? ならやる。そういうことは早く言えよ。ぱっぱと犯人捕まえて、期待に応えてやろうぜ!」
さっきまでの態度とひどい違いだ。
「女王陛下は、君にとっての何なんだ?」
クライヴはついそう疑問を零した。
女王はかつて、ガウェインの無罪を主張し、人間社会で正しい教育を受けさせるべきだと命令した。
そう聞いている。
今回のことも踏まえて、並々ならぬ特別待遇だ。
命令には、『人狼が起こした事件であれば、同じ種族の者が役に立つだろう』という言葉が添えてあった。
それはそうかもしれないが、何も容疑者本人でなくてもいい。
女王陛下がこの男をいたく気に入っているとしか思えない。
訝しく思うクライヴに、ガウェインは夢見るような笑みを浮かべた。
「俺にとって、女王陛下は初恋の人だ」
「……は?」
「実際に会ったことはねえけどな。でも、ガキの頃に起きた事件だって、どう見たって怪しい状況だった俺を純粋な思いでかばったんだ。あの頃の女王陛下はきっと、心優しくて幼気な女だったんだろうな」
「言っておくが、女王陛下は君よりも……ずっと年上だぞ。それに、性格も伝え聞くものと違う」
御年60は越えているし、ついでに言えば純粋な少女というよりもしたたかで偉大な女傑だ。
そうはっきりと告げなかったのは、クライヴなりにガウェインの純情を悟って気遣ったからだった。
「それじゃ、気の強い良い女なんだろ。いつかお会いしたいもんだぜ」
へへ、とガウェインが少年のような照れ笑いを零す。
幼少の頃から築き上げられた強固な理想像にヒビが入る様子はなかった。
これ以上この話題を続けるのはいたたまれない。
クライヴは懐から太い紐状のものを取り出すと、素早くガウェインの首元に巻き付けた。
首の後ろでかちりと留め具をはめる。
「は? ……おい! なんだよこれは」
まるで犬の首輪だ。
「お前を捜査に協力させるために課せられた条件だ。牢から出さなくてはいけないからな」
ガウェインが猟奇的な凶悪犯罪の容疑者であることには変わりない。
この単純そうな男は一見事件を起こすようには見えないが、油断すれば市民を危険に晒すことになる。
だからこれは、必要な処置だった。
「これを見ろ」
クライヴは、続けて制服のポケットから鎖のついた小さく丸い懐中時計を取り出し、蓋を開けた。
文字盤があるはずの場所には、張り巡らされた歯車と無数のコードに囲まれるようにして、スイッチのようなものが鎮座している。
「これは懐中時計を利用したスイッチだ。この中央にあるボタンを押すと、首輪に信号が飛び、お前の首も飛ぶ」
「は……?」
「――つまり、お前がこちらの想定を上回る危険人物だった場合、もしくは逃亡した場合には、これで処分するよう命令されている」
とんでもない説明を受けて、ガウェインがぽかんと口を開く。
「え、それマジで言ってんのか?」
「心配ない。痛みも感じないほど一瞬で済む」
つまり、一瞬で死ぬ。
沈黙の後、ガウェインは慌てたように手錠をしたままの両手を動かし、首の後ろの金具にまわした。
「外せ! 今すぐ外せ!」
「協力を拒否し、罪を受け入れたいというのなら外してやる」
「……くそっ」
ガウェインも、なんの条件もなしで釈放してもらえるほど甘くはないと自覚してはいるのだろう。
ここまで凶悪な犯罪の容疑者となっているのであれば、なおのこと。
今までの、マフィアの下っ端や小悪党のような犯罪での逮捕とはわけが違う。
ガウェインはその後もしばらくなんとか首輪を外そうと悪戦苦闘していたが、どういう仕組みか人狼の力をもってしても金具が外れる気配はない。
やがて諦めたのか、忌々しそうに舌打ちをした。
「どういう仕組みだよ、これ。俺たち人ならざる者以外にも、この町にはなんかいるんじゃねえか? 未来から来た発明家とか」
「そうかもしれないな」
この首輪を開発した天才発明家のことを思い出す。
技術の最先端を素通りして魔法としか思えない発明品ばかり作る彼は、確かに未来から来たとしてもおかしくない。
彼は猟奇犯罪者とは別のベクトルで危険人物のため、ガウェインと同じく警察の監視対象に入っていた。
けれどその有能さを禁じるのは惜しく、警察は彼に装備品の発明を依頼することも多々あった。
もしかすると、10年後の警官たちは彼の発明した羽を背負って空を飛んでいるかもしれない。
◆
これから数日、クライヴはガウェインのことをつきっきりで監視しつつ調査を共にすることになる。
当然、帰る場所も同じだった。
ふてくされたように後をついてくるガウェインと共にいつものアパートメントにたどり着くと、大家が玄関前の植木鉢を移動させていた。
「ああ、クライヴか。おかえり」
大家の男が軽く手を挙げて迎えてくれる。
昼間から酒を飲んでることも多いご機嫌な中年男だが、彼もまた警視庁の関係者だ。
正式には、もうすでに引退したと聞いている。
役職を教えてもらってはいないが、クライヴはこの男に親しみをもって接していた。
厳格でプライドが高い典型的な吸血鬼である実父とは違い、陽気で明るい親戚のおじさんといったていだ。
この陽気な男――ガーランドと接する時はクライヴの冷たい雰囲気が幾分和らぐが、本人に自覚はなかった。
「ただいま、ガーランドさん。すでに警察から話が行っていると思うが、この男が今日からしばらく世話になる」
「……どうも。世話になります」
ガウェインは意外にも礼儀正しく挨拶をした。
「ああ、よろしくな」
握手を交わしてから、ガウェインを連れて2階へと階段を上っていく。
アパートメントとは言いつつも、実態は下宿だ。
2階の部屋から玄関に行くまでには、階段を降りて1階の大家の部屋を通らなければならない。
住人も今はクライヴ一人だった。
「へえ。悪くねえ住処だな」
「僕の部屋は隣だ。くれぐれもこっそり逃げようなどと思うなよ」
「へいへい」
ガウェインがぞんざいな返事をして、隣の部屋に引っ込む。
それを見届けてから、クライヴも自室へと入った。
窓辺から月光が差し込み、刑法や、人間と共生する多様な種族についての本が並べられた棚をほのかに照らしている。
クライヴはジャケットを脱いでそこを素通りすると、何気なく窓の下を覗き込む。
アパートの裏庭には、大家の趣味によりガーデニングが施されていた。
特に部屋の窓の下にあたる場所には、薔薇を種類ごとにわけるため、鉄柵が張り巡らされている。
お世辞にも上手とはいえない張り巡らせ方は、美しい庭を作るためのものというよりも、窓から落下してきた者を容赦なく突き刺すためのもののように見える。
いくら身体能力の高い人狼といえど、これを見れば窓から逃亡しようという気もなくなるだろう。
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