第二章 牢の中の狼
「だから俺じゃねえって言ってんだろ!」
監獄の廊下に、ガウェイン・ブラックバーンのガラの悪い怒鳴り声が響き渡る。
黙っていれば彫像のようにハンサムな顔をした青年だった。
しかし今は怒りの表情を浮かべ、だらしなくボタンを開けたシャツから筋肉質な胸元を覗かせたている。
しばらく散髪をサボったようなアッシュの髪が、その毛先を奔放な方向に向けていた。
頭の上で髪と一緒にぴょこぴょこと揺れている不釣り合いな獣の耳は、人狼族が感情の抑制をなくしている時の特徴だ。
彼は警官に両脇を固められ、今まさに牢へと連行されている最中だった。
「大人しくしろ! 今度こそはここから出られると思うな!」
ガウェインが身をよじると、警官の厳しい声が廊下に響き渡る。
警官は、二人がかりでガウェインの顔を力任せに鉄格子へと押しつけた。
「くっ……」
人間よりも優れた身体能力を持つ自分なら、この二人をはねのけることは容易い。
けれど丸腰の自分と違って、ここには武器を持つ人間たちが大勢いる。
それに町に逃げたところで驚きのしつこさで追ってくるだろう。
ガウェインは大人しく頬で鉄格子の冷たさを味わうことにした。
「もうここでの規則を説明する必要はないな。なんせお前は常連だ」
「好きで来てるわけじゃねえよ」
ある時は、手持ちの金が尽きて空腹から『ついうっかり』露店の商品を囓ってしまって警察を呼ばれ。
またある時は、命を狙われている人間の用心棒としてまっとうに働いていたはずが、いつの間にか詐欺の片棒を担がされていた。
前回牢に入れられたきっかけは、詐欺犯を捕まえに来た私服警官を思い切り殴ってしまったからだった。
ガウェインはとにかく社会の規範に沿って生きるのが苦手だった。
本人に悪気は一切ないぶん、なかなか改善が見込めない。
「だいたい、元々お前はガキの頃に処刑されるはずだったんだ。人狼は個体が少なくなっているからって、なんでこうも罪を重ねながらのうのうと生きているんだ」
ガウェインを牢の中に突き飛ばし、鍵をかけながら、看守が忌々しそうに呟く。
ガウェインは一瞬だけ自分の特殊な生い立ちに思いを馳せ、けれど思案に沈む間もなく顔も知らない救世主のことを思い出した。
「っ、そうだ。あの人。あの人からはなんの言葉もなかったのかよ」
「あの人? ああ……」
看守は一瞬怪訝な表情を浮かべたものの、目の前にいる男の焦がれるような表情を見て、相手を察した。
「女王陛下と呼べ。今回ばかりは、あの方もお前を助けるわけにはいかないだろうな」
看守はこれ以上話すことはないと言わんばかりに、靴の音を高く響かせ去って行った。
◆
ガウェインは、幼少のころ少々特殊な事件に巻き込まれ、それ以前の記憶の一切を無くしている。
もっとも、巻き込まれたと認識しているのは本人のみ。
他の人間は、その特殊な事件の容疑者として幼いガウェインのことを認識していた。
町外れに一晩にして現れた、まるで積み木遊びのように重ねられた複数の人間の遺体。
幼いガウェインはその傍らに座り込んで、途方に暮れた様子で月を見上げていた。
心細そうな遠吠えに応えたのは、同胞ではなく人間の警官たちだった。
口も利けない様子のガウェインは連行され、爪の中にたまった血や、牙についた肉片は被害者たちのものだと推測された。
『いくら個体数の少なくなった人狼の子だからといって、無罪にする必要は無い。殺処分にしてしまえ』
『いや、彼は記憶を失っている。犯人だとは限らない』
『だが人間にあの所業は無理だ。他に化物もいなかった』
『口を慎め。人ならざるものたちと人間の間に亀裂を生むつもりか』
法廷で様々な意見が飛び交った。
当然ながらガウェインに弁護人はいない。
だからこれは、政治的な論争と言ってもよかった。
歯止めをかけたのは、一枚の手紙だった。
そこには、いくつかの条件を付けてガウェインを開放し、しかるべき教育を受けさせるようにとしたためてあった。
この幼い人狼は、惨劇を目にして言葉と記憶をなくしてしまった。
それは元々優しい心を持っていたからに違いないと。
いずれきっと人間と人ならざるものとの架け橋になってくれるだろうと、手紙はそんな言葉で締めくくられていた。
他でもない女王陛下の署名に、人々は沈黙し堅く目を閉じることとなった。
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