彩りとじこめる夏の終わり⑦
刺繍は、思ったより気力を使うのかもしれない。
志保はほぼ1日、ずっと刺繍をしていた。集中するからだろうか、夜お風呂に入るとすぐに眠気がやって来る。
その日も、みたいテレビ番組があったのだが、お風呂から上がった途端睡魔に襲われ、そのまま布団で横になったら寝てしまった。
ハッと気づいたら、外が明るくなっている。
そんな日々が3、4日ほど続いた。
「今日、向こうを出発するってよ」
朝ごはんを食べながら、祖父は唐突に言った。
一瞬なんのことを言われたのか分からなかったが、父の話だと途中で気付いた。
「電話あったの?」
「昨日の夜な。お前さん、すぐに寝たから起こすのも悪いと思ってなぁ」
「そっか……」
そうなると、ここでの生活も本当にあと少しだ。
「おじいちゃん、私今日も刺繍してるからね」
「はいよ。今日はわしも家にいようかの」
お互い今日の予定を話して、残りの朝ごはんを急いでお腹に詰め込んだ。
今日は昼ごはんを食べた後に、ひまりとかげやがやってきた。
そして、父がもうすぐ帰ってくることを伝える。
「志保ちゃんのお父さん、帰ってくるんだね! 良かったじゃん」
「……うん、そうだけど」
「嬉しくないの?」
不思議そうに尋ねるひまりは、その意味をまだ理解していないらしい。
「ひまり、志保がここにいるのもあと少しってことだぞ」
かげやが隣から言ってくれたことで、ひまりも志保がなぜ素直に喜べないか気付いたらしい。
「……いつ帰っちゃうの?」
「来週には学校も始まるから、多分お父さん帰ってきて、少しゆっくりしたら帰ると思う」
「じゃあ、本当にあと少ししか遊べないじゃん……」
落ち込むひまりを見ると、志保もここにいたいと言う気持ちがだんだん強くなってくる。
お互い少しだけ重い空気になりかけていたところを、ひまりが振り払う。
「志保ちゃん、これからいいところ行こ!」
先程の落ち込みようから変わり、いつも通りの元気なひまりが言う。
「いいところ……? 町の外とかじゃないよね?」
「違う違う、町中だよ。通せんぼのところ! ほら、奥に大きな木があるじゃん? あそこに行くんだ!」
「あぁ、大樹のところか」
それなら志保もよく見ている。近くまで行ったことはないが、遠くからでも大きいのだなと分かるくらいだ。
「でも刺繍が……」
なるべく早めに終わらせたい。だけど、ひまりたちと遊べるのも残りわずか。
「……うん、行こう」
志保はひまりたちと遊んでおく方が大事だと思い、ひまりの提案に乗った。
町中の1番奥。住民も春の間しかあまり立ち寄らないというその場所に、とても大きな木が立っていた。
祖父の家を出て通りの方に出ると見えるその木は、近くで見るとかなり大きいことが分かった。見上げる首が痛くなる。
「これ、なんの木?」
「桜の木」
かげやも同じように上を見上げながら答える。
春になると綺麗な桜が咲くそうで、想像するだけで、それはさぞいい景色なのだろうなと思った。
「志保ちゃん、登る?」
突如、突拍子もないことをひまりが聞いてきた。
「え、登るって……」
「木登り。ここらの景色ね、すごく綺麗なの!」
「ど、どうやって……」
「ほら、あそこに小さな建物あるでしょ。そこの2階の窓からひょいっと」
確かにひまりが指さす先に、小さなプレハブ小屋のような建物があった。だが、2階から登ると言っても、小屋と木の枝には割と距離がある。
「ひ、ひまり、あそこから登るの?」
「うん、そうだよ」
「やめとけ、志保。猿みたいなひまりだからできてんだよ。他の人は普通無理」
「猿みたいってなんだと」
志保はかげやも無理だと言うことを聞いて、今回はひまりに丁重にお断りした。木登りをしたことなんてないので、きっと登れないだろう。
「……でも、ひまりが綺麗って言う景色、見たかったなぁ」
ぽつりと志保が呟くと、ひまりがすぐにそれを拾い上げた。
「またおいでよ! 今度は春だといいよ! 桜が咲いて、もっと綺麗なんだから!」
「また……?」
「うん!」
──そうだよ、これで終わりじゃないよ。
何となく、この夏休みが終わったら会えない気がしていたけれど、これが最後ではない。
自宅からは少し遠いので頻繁には来れないだろうが、ここにはまた来ることが出来る。
「うん、そうだね。今度また来た時、案内してね」
「分かった! 約束ね!」
そう言って小指を差し出す。志保もその小指に、自分の小指を絡めた。
「ほら、かげやも」
「いやいや、無理でしょ」
「志保ちゃんの左手空いてるよ」
かげやはひまりに対しては嫌々言っていたけれど、最終的に志保の両の小指は双子の小指と繋がる。
「指切りげーんまーん、嘘ついたら針千本のーます。指きった!」
元気なひまりの声が響き、お互いの小指が離れる。
──約束。
きっとまた、ここに訪れた時に、その約束が果たされることを願って。
夏休みの終わりが、刻一刻と近づく。
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