第32話
そのときミスイは、わきたつ何かを感じていた。
ミルファナが、聖女にふさわしい微笑みで手を差し伸べてくる。
一瞬だけ。本当に一瞬だけ、ミスイはこれまで彼女に抱いていた不信感や敵意の全てを忘れた。彼女の手を取ろうとして、中途半端に腕が上がったのが良い証拠だ。
その反応に気を良くしたのだろう。ミルファナは嬉しさを隠し切れず、口元がにやけていた。
「ミスイ!」
張り上げられた声に、はっとした。
リュシーは藍髪を振り乱し、怒りをあらわにしていた。
「死んだ人間は生き返らない。いい加減なことをいって、惑わせるのはやめて」
「どうして?」
横やりが入ったというのに、ミルファナの機嫌は崩れていなかった。
純粋な疑問をリュシーに投げかける。
「どうしてそう思うの」
「そ、そんなの世の中の真理だから。失われた命は回帰しない。いったい、どんな理屈で死人が生き返るというの」
「私の蘇生魔法で」
端的にミルファナは答えてみせた。
リュシーの眉間に、さらに皺が寄る。
「そんな魔法は存在しない」
「しなかった、が正しい」
「ふざけないで。蘇生魔法は過去多くの研究者たちが開発を試みて、ひとつの例外もなく失敗に終わった。そんな究極魔法を、あなた個人で完成させたと言う気? ありえない」
「ありえない……か」
そうつぶやくと、ミルファナは口を閉ざした。
張り詰めた重苦しさから一転、寒気を覚えるほどの静けさを感じた。
ミルファナの醸す雰囲気が変わった。
「回復魔法を開発するときも同じことを言われた」
ようやく口を開いたと思いきや、そんなことを言う。
「傷や病気を癒すのは、自然治癒に任せるべき。ほんの何年か前まで、そんなふざけた常識が浸透していた。包帯を巻いて、傷口を塞いで、おいしいものを食べて、あたたかくしてゆっくり寝る————チンタラしててバカらしいとは感じなかった?」
「昔はそれが普通だった」
「せっかく魔法が使えるんだから、それで一発で治せたらって発想するのが普通じゃない?」
「回復魔法は神からの授かりものだと。聖女になるとき話していなかったかしら」
「あー、そんな風に言ったっけ。でもそれだと、ふってわいた幸運にしがみついているみたいじゃんね。不本意。魔道を突き進んだ私への冒涜」
「……魔道?」
「昔話でもしてあげようか」
ミルファナが視線を落とした。
「聖女になるずっと前。フィランス家の仕事で、とある小さな村を訪れたことがあった。一年中寒気が続くから作物が育たなくて、内陸で川も流れていないから漁も行えない。貧しい暮らしの村民のために食糧を届けるだけのはずだった」
ミスイは黙ってミルファナの話に耳を傾けた。
思い返してみれば、この女が自分自身の過去を話すのは初めてだったかもしれない。
「ところが実際に到着してみると、事態はより深刻だった。食糧難に加え疫病が蔓延していたの。住民のほとんどが罹患し、村の外れには既に百近い死体が積み上がっていて————そのほとんどが小さい子どもだった」
情景を想像してしまい、ミスイは顔をしかめた。
スラムでも似たような光景が広がる。しかし何度見ても慣れるということはない。
「食糧を届けて帰ろうとした私に、村長がこう言った。『魔法使い様。どうか私たちを————娘をお救いください』と。そうして奥の子供部屋に通された」
「………」
「引き受ける義務なんてなかったけど、あんまりにも可哀そうで頷いちゃった。その頃から魔法魔術の研究は好きだったし、実際にいくつか新しい魔法を作った直後で自信もあった。不可能なんてないと思った私は、病気を打ち消す術式を組んで治療を行った」
ミルファナの顔が苦痛に歪んだ。
忌々しげにその言葉を紡ぐ。
「効果てきめんだった。村長の娘は血を吐きながら死んだ。蔓延した疫病とは異なる症状だったから明らかに私の魔法が原因」
予想とは真逆の結果に、ミスイは息を呑んだ。
そばのリュシーを見やる。彼女も驚愕の表情を浮かべていた。
「別に、その子が死んだのはどうでもよかったんだけど。放っておけば死んでいた命、どう扱ったって責められる謂れなんてない。でも未完の魔法を得意げに披露したのはマジで痛々しかった。恥ずかしい」
「おまえ……!」
「村長の家族が私に石を投げつけてきたわ。『この人殺し』ってさ。どうしてか、あのときの言葉が鼓膜から離れない」
苦言を呈するつもりだったミスイは、言葉を引っ込めた。
その一点だけは同情に値した。
「さて、問題です。私はこのあと、どうしたでしょう」
不自然に明るい声を響かせ、ミルファナは問いかけてきた。
ミスイは口を噤んだ。何も言う気にならなかった。リュシーも沈黙を守って続きを促している。
「もう一度同じ魔法を、今度は別の子どもにかけて回った」
「は?」
ありえない答えに耳を疑う。
聞き間違えかと思った。
「その魔法で、幼子を死なせた直後に……?」
「そう。失敗した原因を確かめたかった。出来るだけ条件を同一にしたくて、近い年齢の子を探した。二人目も三人目も、同じように血を吐いて死んだ」
たえられなくなったのか、リュシーは耳を塞いだ。
「繰り返すうち、ようやく改善点を見出した。病原菌といっしょに、殺しちゃいけない細胞まで死滅させているのが原因だった。修正を加えてもう一度試した。今度は即死じゃなかったけど、やっぱり数時間後には死んだ」
「やめろ……」
ミスイが唸り声を上げた。
かまわず、ミルファナは真顔で続けた。
「二週間以上滞在して、ずっと試行錯誤した。結果的には村民全員にその魔法をかけたわ。経過に差異はあれど皆死んだ。例外は一人だけ。最後の最後でようやく————」
「やめろって言ってるだろ!」
ミルファナが指を振った。
光の軌跡が生まれる。光は一瞬にしてリュシーの身体を包み込んだ。
「————完成したのが、この魔法だよ」
光がはじけ、リュシーの姿があらわになる。
あれだけ痛ましい姿だったのに、傷も痣も全てがなくなっていた。身に着けている制服だけがボロ着同然で、少しアンバランスな様相に見える。
「意見をきこうか。魔法学院の優等生ちゃん」
呼ばれたリュシーが顔を上げた。
「わたしに。このミルファナ・ルーン・フィランスに何か文句でもあるのか」
覇気にあてられ、リュシーはたどたどしく応じた。
「……目的のためなら、必ずしも手段と思想が正当化されるわけじゃない。けれど、村でのあなたの行いは医療行為と捉えられる。その献身の結果として————」
「はっきりしろ」
ミルファナは説教がましい口調に転じた。
「私を否定したいならこう言え。『回復魔法なんて作るべきじゃなかった。蘇生魔法をかけるなんて論外だ』と。さあ、言え」
「そんなこと、言えるわけない……」
「だろうね。あの村での一件がなければ回復魔法は存在しなかった。学院のカリキュラムに組まれることもなく、魔法界で治癒技術が普及することもなかった。今更否定なんてできるわけないよね? その恩恵を受けた分際で」
ミルファナが、リュシーに詰め寄る。
乱暴な手つきで彼女のあごを掴んだ。
「何のリスクもなく、与えられた教本通りに魔法を覚えて魔法使いを気取るあなたたちのこと、本当に嫌い。中途半端な覚悟しか持ち合わせないなら失せてくれない?」
ミルファナはリュシーを突き飛ばす。
それほど強い力ではなかったはずだが、リュシーは尻餅をついて崩れた。彼女は立ち上がろうとはしなかった。顔を俯かせて項垂れている。
「さて。うるさい外野が静かになったところで、あなたはどう? この取引に応じてくれるかしら」
「……お前がどうして首を突っ込まないのか、少しだけ不思議だった。学院生が大勢死ぬのを待ってやがったな。サンプルを増やすために」
「あんまり死んでなくて残念だったけどね」
あっさりと、悪びれる様子もなくミルファナは言ってのけた。
「お前は、人の命を救いたいわけじゃないんだよな」
「正解。やっと私のことがわかってきた?」
どこまでも魔法魔術にしか関心がないのだ。
ミルファナの言葉を借りるなら、魔道を進むことだけが生きがいなのだろう。それ以外には何もいらないとさえ考えているはずだ。
「教えろ。何が目的だ。何がお前を駆り立てる。魔道を究める理由はなんだ」
真剣に問いかけたつもりだった。
だがミルファナはきょとんとして、不思議そうに見返してきた。
「理由なんているの?」
「あ?」
「本物の魔法使いなら、魔道を究めるのは当然でしょ」
ミルファナは瞳を輝かせて力説する。
「一番になりたいの。世界一の……ううん。やっぱりそれじゃ足りない。人類史上最高で、未来永劫誰も私に追いつけない、凌駕できない、絶対的で唯一無二————そんな魔法使いに私はなりたい」
子どもが口にするような突拍子もない絵空事。しかしある意味で純粋な答えだった。
求めていたものとは違ったが、ミスイは決心した。ジェラールなんかの言葉より、ずっと胸に響いたのは事実だった。
「……カザミナの魔力は」
「うん?」
「少量でも体内に取り込めば拒絶反応を起こす。もし適応できなければ体が破裂して死ぬことになる。ついさっきもそれで一人死んだ」
「私の身を案じてくれているの」
「冗談だろ」
失敗に終われば期待外れだったというだけ。
ミルファナも覚悟の上だろう。
「やってくれ」
「そうこなくっちゃ」
ミスイは手を伸ばし、薔薇の紋章に手を触れた。
手加減も遠慮もしない。
ミスイは全ての魔力を解放した。
「……っ!?」
直後、ミスイの背筋に怖気が走る。
なんだ、この感覚は。
他の魔法使いや魔獣を相手にしたときとは明らかに違う。体内に吸収しにくいはずのカザミナの魔力が一瞬で分解され、取り込まれていったのがわかる。
ありえない。魔法使い百人分は優に超える魔力量をあっさりと飲み込んでも、ミルファナは涼しい顔をしている。むしろミスイの方が魔力を吸い上げられ、疲弊していく。
「うそでしょ」
間近に、失意に満ちた翡翠の瞳がある。
ミルファナから表情が消えていた。天秤が傾く様を想起させる。彼女の興味から外れていくのが、ありありと伝わってきた。
「喰らっていい?」
なにを、などと問い返す余裕はなかった。
足元に違和感を覚える。もぞもぞと不快感が押し寄せると同時、黒い手が伸びてきた。
「なっ……」
魔法なのか。カザミナ族に魔法はきかないはずなのに。
黒い手が全身にまとわりついてきた。人間離れした力で、ミスイを拘束してくる。
足場が底なし沼に変質する。ミスイの身体は徐々に沈んでいった。
「ああー……本当にこれでおしまい? こんなもののために三年も……時間の無駄だったかな。やっぱりいらない。カザミナの魔力なんて。蘇生させる気も失せた」
「っ!」
そのとき、ミスイの中に魔力がわきあがる感覚があった。
空っぽだったはずの魔力がわずかに回復する。
ミルファナの目の色が変わった。
「カザミナ族の伝承にこんな記述があった」
額を指で叩き、ミルファナが記憶を手繰り寄せる。
「カザミナ族はこの星のどの種族よりも愛情深く、心優しい一族だった。他者を慮るとき、彼らの魔法は奇跡に等しい事象すら引き起こしたという」
ミルファナはミスイの腕を掴んだ。指先が薔薇の紋章から離れてしまわないように。
「恨み、嫉妬、憎悪、私怨。そういったドス黒いネガティブな感情が、魔法の質を高めることがしょっちゅうある。品のない話よね。けど多分、カザミナ族の場合は逆なんだと思う」
ミスイの耳元に口をよせ、ミルファナはささやいた。
「あなたの。アルマ・ラトヴィアを救いたい気持ちは、その程度?」
ちがう。
アルマは絶対に救われなければならない。
アルマはもう何も失うべきじゃなかった。無事にエルマのもとへ帰す。それが、罪を犯してしまったミスイにできる唯一の償いだった。償いのために奔走した一日だった。
ミスイの視界に、アルマが映り込んだ。
安らかに目を閉じ、ただ眠っているだけのように見える。
その姿を目の当たりにしたとき、別の感情が芽生えた。
……いいや。
本当はアルマともっと一緒にいたかっただけかもしれない。
初めて、自分の心に寄り添ってくれた人に出逢った。
クロカミという色眼鏡に捉われず、嬉しい言葉をいくつも投げかけてくれた。握った手の感触も、抱きしめられたときのあたたかさも全部忘れられない。
単純で、言い訳のしようもないほど恥ずかしい本音。
けれど、それが全てだった。
「ああっ、う、うそうそ……!? すっご、こんなのって」
突然ミルファナが嬌声をあげてのけぞった。
瞳孔がひらき、興奮のせいか頬が紅潮している。
魔力が、無限にわきあがってくる。
不思議な感覚だった。今なら何でもできそうだ。
ミルファナのキャパシティを凄まじい勢いで埋めていく。その手応えがあった。
「ああっ、ああ! すごい、すごい! こんな景色があるなんて。もっと! もっとちょうだい! カザミナの力を! そうすれば私は本当に————」
ミルファナの声が途切れた。
視界が真っ黒になった。
ミスイの認知はそこまで維持された。魔力暴走の寸前で身体が拒否反応を起こし、ミスイの意識は強制的に閉ざされたのだった。
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