第31話

 ミスイの足は、自然とアルマのもとへ向かった。

 いったところでどうにもならない。それでもあんな場所にアルマを放置しておきたくなかった。


 正門付近は先ほどより多くの魔術師の姿があった。彼らの目に触れないよう、気配を殺しながら慎重に進む。ようやく校舎の死角にたどりついたとき、そこには先客がいた。


 藍髪の少女がアルマの前で跪いている。

 制服はボロ着同然で、両方の袖が焼け落ちていた。肌がみえる箇所は裂傷によりズタズタで痛ましい。魔力暴走の反動だった。


 リュシー・ルトストレームは充血した目をミスイに向けた。


「なにが、あったの」


 掠れた声に問われる。

 ミスイは答えた。


「俺を、助けようとしたんだ」


「……あなたならアルマを守ってくれるとおもってた」


 リュシーの声音は冷たい。

 糾弾の言葉は、ミスイの胸に深く刻まれた。

 何も言い返すことなんてできない。取り返しのつかない失態だった。ミスイは罪人のような心地で立ち尽くす。


「でも、私も同じだ」


 長い藍髪が、俯いたリュシーの顔を隠す。

 彼女は小刻みに身体を震わせ、嗚咽を漏らす。


「私は、役立たずだ」


 静かな後悔が耳朶を打つ。

 怒りの矛先はミスイに向けられたわけではなかった。他でもない自分自身を呪う言葉は誰にも止められるものではない。


 沈鬱な空気に呑み込まれる。ジナングは倒した。国王陛下も無事に取り戻した。だが、それを素直に喜ぶには、失ったものがあまりにも多すぎる。華々しい日となるはずだった今日、いったいどれだけの命が奪われたか。


「私はこのままアルマについてる。あなたは」


「俺は……アルムグレーンを出る」


 予想外の答えにリュシーは驚いているようだった。

 聞かれる前にワケも話しておく。


「ギードたちジナングを潰して、それで終わりじゃない。この襲撃には黒幕がいる。俺はそいつらを叩きにいく」


「アテはあるの」


「ひとつだけ、手がかりをつかんだ」


 カザミナ族がこの一件に関わっているなら、ミスイにとっては朗報だ。同族の魔力反応をたどっていけば、いずれは目的を達するだろう。

 リュシーは無表情でミスイを見つめた。何を考えているのか、そこからは読み取れない。やがて、リュシーは嘆息した。


「わかった。くれぐれも気を付けて————」


「え、なになに? この国を出ていくつもりなの。私もついてっちゃおうかな」


 場違いな声音が紛れ込む。

 一瞬前には誰もいなかった空間に、その女は突如として現れた。

 他に類をみないプラチナブロンドと翡翠の瞳。この騒動の中でも、その白い修道服にはよごれひとつ付着していない。


「み」


 リュシーの無表情が崩れた。


「ミルファナ・ルーン・フィランス……聖女様が、どうしてここに」


「ダメダメ、私の許可なく勝手なことしちゃ。カザミナ族なんて貴重なサンプル、絶対逃がさないんだから」


 血が沸騰するような感覚があった。

 先ほどまで気落ちしていたのが嘘のようだ。今は、こいつに対する怒りでいっぱいだ。視界が真っ赤に染まる。


「ミルファナ————」


 ミスイは一直線にミルファナへと歩み寄った。

 固く握りこんだ拳で、ミルファナの顔面を殴打する。鼻血が宙を舞った。後方で、リュシーが息をのむのがわかった。


 一発でよろめいたミルファナの顎下をすかさず殴りつける。踏ん張ることもできず、ミルファナは派手に転がった。それでもミスイの怒りはおさまらなかった。ミルファナに馬乗りになり、さらに拳を振るおうとした。


「やめて! なにをしているのミスイ!」


 リュシーに羽交い絞めにされ、無理やり引き離される。

 ミスイは怒声を響かせた。


「この人でなしのゴミ女。ぶっ殺してやる」


「急にどうしたの。おかしくなった!?」


 ミスイはリュシーともつれ合うようにして倒れ込んだ。

 ひたいを強く打ちつける。かまわず声を張り上げた。


「こいつはアルマを見殺しにしたんだ!」


 戸惑う反応があった。

 リュシーは、横たわったままのミルファナに目を向け、首を振った。ためらいがちに告げてくる。


「きいて、ミスイ。さっきはごめんなさい。あなたを責めるようなことを言って。辛かったでしょ。わかるから。でも聖女様にあたるのは違う。彼女もこの惨状に心を痛めて———」


「ちがう! この女はアルマの死に際、すぐ近くにいたんだ。どういう状況かわかっていた上で、俺が呼ぶ声も無視して、アルマを見捨てやがった。言い逃れなんてさせねえ!」


 ミスイを押さえつける力が、少しばかり緩んだ。

 リュシーはカザミナ族の感知能力をまのあたりにしている。ミスイの言い分が、ただの難癖や妄言ではないと悟ったはずだった。


 リュシーは固い声でミルファナに問いかける。


「……聖女様。その。いまミスイが言ったことは」


「けひっ」


 だれかが、奇声を発した。

 ミスイたちは声の主を探した。いや、本当はわかっている。今の嗤いが誰のものだったか。


「くふふ、あはっ、あはは、あははははははっ!」


 だが、それが、あまりにも似つかわしくなくて。

 ミスイとリュシーは、二人して耳を疑った。


 ミルファナの身体が小刻みに痙攣する。彼女の甲高い嗤い声は次第に大きくなっていった。そんな嗤い方に慣れていないせいか、時折のどに絡まったような音を発する。

 狂人は身体を起こした。折れ曲がった鼻から赤黒い血が垂れ、あごは紫に腫れあがっている。それでも彼女は愉快そうだった。表情筋だけを動かし、満面の笑みを作った。


「きみってさ」


 ミルファナが鼻血を拭った。


「ほーんと、おもしろい。必死になっちゃってかわいいね」


 ミスイは足を振り上げた。

 飛ばされた靴の底がミルファナの顔面に直撃する。土と泥にまみてなお、ミルファナは愉しそうだった。


「そんなにショックだった? そこの魔法使いもどきが死んだのが」


「黙れ。今更のこのこ姿を晒した理由はなんだ。殺されたいならお望み通りにしてやる」


「ひどい言い草。感謝こそされても非難される謂れなんてないはずだけど」


「なんだと」


「私がなんとかしてくれるって、あてにしてたでしょ」


 緩慢な動きで立ち上がったミルファナは修道服をはたいた。

 たったそれだけで、付着していた血と泥がきれいさっぱり消え去った。


「カザミナの力で魔力暴走を引き起こしても、危険な賭けには変わりない。魔法が使えても、学院生の犠牲者は必ず出る。それでも踏み切れたのは、私がいたから」


「聖女なんだから人の命を救えよ」


「そんな肩書き、どうでもいい。私は魔法と魔術の研究をしたいだけ。でもあなたの意を汲んで、転移使いを無力化してあげた。感謝してよ」


「アルマを助けなかっただろうが」


「だってその必要がなかったから」


 殴りかかろうとしたミスイの腕を、強い力が押さえつける。

 振り返る。藍髪の少女が低い声を響かせた。


「それが、聖女様の————あんたの本性?」


 リュシーの問いにミルファナは答えない。まるで聞こえていないかのようだ。

 ミルファナは、てのひらで顔を覆った。一瞬あとには顔の傷が嘘のように治っていた。まるで時間を巻き戻したみたいに、そこには人形じみた精巧な顔があった。


「きこえないの。ミルファナ・ルーン・フィランス」


「誰に口をきいているの、格下風情が。二重魔法ていどのスキルでイキがらないでくれる? せめてクアドラプル・マジックができるようになってから出直してきなよ」


「耳を疑う。そんな差別発言……本当に聖女の称号を受け取ったミルファナ? 偽物じゃないの」


「聖女聖女って、うるせーな。馬鹿のひとつ覚えかよ。この世は魔法が全て、でしょ。どれだけ多くの魔法を習得しているか、その熟練度はどの程度か。人間の価値を測るのにそれ以外のものさしはいらない。あなただってそう思うでしょ」


「思わない。私は自分の魔法技術を鼻にかけたことはないし、それだけが人の価値だなんて認めない」


「ぜっっったいウソじゃん。魔法なんて万能で、最高の技術なのに。ほんとは周りを見下しるんでしょ。あなた、自分のことを『全然可愛くないよー』とか言っちゃうタイプ? そういうの嫌われるよ」


「さっきから意味不明」


「はいはい。王家直属の諜報員さんは頭が固いね」


 ミルファナの一言で、リュシーの顔が強張った。


「なんでそれを……」


「アルムグレーンのことで知らないことなんてないから」


 ミスイが眉を寄せ、口を挟んだ。


「諜報員?」


「あれ、その反応。知らなかったの。ルトストレーム家は長年王家に仕えてきたんだよ。他にもそういう家系はいくつかあって、王国内の情報を裏から集めてる。王家の繁栄はこの人たちの暗躍があってこそ————」


「ペラペラ好き勝手喋らないで」


 リュシーが鬼のような形相で睨む。

 ミルファナは涼しい顔で肩をすくめていた。


「まあね。そんな下働きの話なんてどうでもいいか。彼に用があっただけだし」


 翡翠の瞳がミスイを見据える。

 ミルファナが、どこかいじけた所作で石ころをはじいた。


「ずるいよ」


「あん?」


「三年間、わたしがどれだけアプローチしてもカザミナのカの字も出さなかったくせに。この程度の騒ぎであっさり白状しちゃってさ。おまけに、そこいらの有象無象にカザミナの魔力を分け与えたんでしょ。うしろの女も含めて」


「何が言いたい」


 ミルファナが意味ありげに微笑んだ。

 修道服の襟に指をひっかけ、乱暴に引き裂く。病的に白い胸が露わになった。

 突然の奇行に絶句する。だが次の瞬間、ミスイは目を奪われた。


 赤い薔薇が咲いていた。

 一見して、それはただのタトゥーにしか見えない。

 だがそれは持つ者と持たざる者を明確に分かつ証だ。

 魔力を受け継いだ人間は身体のどこかに紋章が刻まれる。花を模していることもあれば、怪物の顔のように見えるものまで種類は様々だ。だが、一人として同じ紋章の者はいない。


 紋章は、魔法使いたちに唯一無二の価値を示す。


「どう? 素敵でしょう」


「そんな“刺青”みせてどうしたよ」


 ミスイはあえて、紋章の蔑称を口にした。

 だがミルファナは気分を害した様子もなく、それどころか熱っぽい瞳で甘い声を響かせた。


「私のココ。あなたの魔力でいっぱいにして♡」


「————は?」


 なんだ?

 なんだ、このトンチンカンな状況は。


 あのミルファナが胸を晒しながら、まるで場末の娼婦のようにミスイを誘っている。

 あまりのおざましさに、それまで彼女に感じていた怒りが鳴りを潜める。ミスイは無意識に退いた。


「カザミナの魔力を身体に取り込めるなんて奇跡体験、逃す手はないもの。だから、ちょーだい」


「……断る」


 悪態のひとつもつけず、端的に答える。

 嫌な汗がべったりとまとわりついていた。


「っていうと思った。だから取引しよ」


 当然のごとく、ミルファナは食い下がってくる。

 取引。

 鈍い頭で、その意味を考える。


「リヴデから抽出した記憶に、面白いものでも見つけたかよ。だったら」


「あー、ちがう。そんな弱い材料であなたが納得するわけないし。そんなもの、もうどうでもいいんでしょ。さっき自分で言ってたじゃん」


 小馬鹿にした、それでいてどこか根に持った口調。

 さっきのやり取りが癇に障っていたらしい。


「わたしはあなたの願いを叶えにきたの」


「願い……」


「あなたの願いは、なに?」


 願い。

 そんなものは決まっている。

 ミスイは振り返った。そこには守りたかった人の亡骸がある。


「カザミナの魔力を全部渡しなさい。そうしたら————」


 ミルファナはアルマを指差して、こう続けた。




「アルマ・ラトヴィアを生き返らせてあげる」

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