第30話
どうしてアルマは死ななければならなかったのか。
彼女は理不尽に殺されるような大罪を犯したか。そんなはずもない。友を愛し、家族から愛される。アルマはそういう女の子だった。
失われた命は絶対に戻らない。
アルマを守れなかった事実を受け入れ、次の行動に移るべきだ。幸いにも為すべきことははっきりしてる。
アルマのそばを離れようとしたとき、ミスイは手を引っ張られる感覚を覚えた。
見れば、アルマがミスイの手を力なく握り込んでいた。
遠ざけていた感傷が一気に押し寄せた。そんなものに浸る時間も資格もないのに。声を出そうとして、それも出来なかった。ミスイは心の中で告げた。さようなら、アルマ。
ミスイは駆け出し、校舎に入り込んだ。
元々、ギードを逃がすつもりはなかった。今はあの公爵も追加された。それだけだ。一人も二人も変わらない。確実に殺してやる。
そこらじゅうに兵の死体が転がる。装備を奪取しようとしたが、破壊されたものがほとんどだった。使い物になりそうなハンドガン一丁だけを手にしてミスイは先を進む。
階段を上がり、三階に到達する。生き残った武装兵はアサルトライフルを抱え、窓から身を乗り出して発砲していた。中庭に突入した魔導士団を狙っているようだ。高所からの攻撃に魔導士たちが翻弄されている。
兵は傍に立ったミスイに全く気付いていない。ずっと階下に意識を向けている。
ミスイはグロック17を手にした。左の指でトリガーを引く。ミスイにとっては、それが今日初めて銃を使った瞬間だった。
五年ぶりの射撃でも違和感はない。問題なく兵のこめかみを撃ち抜く。異変に気付いた他の敵がこちらに向き直る。だがミスイの方が早い。再び発砲すると、眉間に穴を空けた男が力なく倒れた。
教えられたことはそうそう忘れないらしい。むしろしっくりくる。ミスイはアサルトライフルを奪い、レバーをフルオートに切り替えた。
死角となった廊下に残存する兵たちに掃射する。真横からの奇襲に対応できるはずもなく、十数名の男たちが一瞬で物言わぬ死体となった。悲鳴をあげる暇すら与えなかった。
次だ。
今度は階段を駆け下りる。一階、昇降口付近では、予想通りバリケードが敷かれていた。
ここが陥落すれば魔導士たちが校舎全体に入り込んでくる。防御の要といえる拠点だ。
兵たちは必死になって外への銃撃を繰り返している。やはり、どいつもこいつも素人だ。これだけ近づいてもミスイの気配を感じ取れていない。
無防備な背中に向け、フルオート掃射を浴びせた。クリーム色の迷彩服は真っ赤に染まり、兵たちは前のめりに倒れた。苦しむ間もなく死ねるなんて、幸せなことだ。
ともかく、これで魔導士たちの侵入は容易になった。ジナングの生き残りが殲滅されるのも時間の問題だ。だが、ミスイは獲物を譲る気はない。
公爵の魔力反応をたどり、別館に移動する。逃げ足の早い奴だ。だが好都合だろう。ここなら誰の邪魔も入らない。
水の魔導石で破壊し尽くされた一階から侵入し、上を目指す。
教員専用のカフェテリアが見えてきた。どうやらギードも一緒にいるらしい。二人で醜く言い争う声が届いてくる。
ミスイは無造作に足を踏み入れた。
足音に気付いたギードは片腕だけでアサルトライフルを構えようとした。
遅すぎる。
ミスイは連続で発砲した。ギードの右手首、両膝を的確に撃ち抜く。両手足の自由を奪われたギードは激痛にのたうち回った。右手にいたっては千切れかけていた。
その光景を目の当たりにしていたジェラールは、這いつくばりながら逃走を図ろうとしていた。その足首を掴み、無造作に引っ張り上げる。
「触るな! 汚らわしい! こんなことが許されるか!」
「どの口が言ってんだ」
ジェラールの腹を踏みつける。くぐもった声を漏らしたところでさらに蹴りを入れた。
内臓を傷つけられたせいか、ジェラールはその場で激しく嘔吐していた。
ミスイは距離を取った。
しっかりと照準を合わせる。銃口を向けられたジェラールは取り乱した。
「や、やめろ、撃つな!」
命乞いを無視して引き金を引く。しかし、乾いた音が響くばかりで弾丸が出てこない。こんなときに故障かと疑ったが、単純な弾切れだった。ホールドオープンに気付かないほど頭に血が上っているようだ。ミスイはハンドガンを放り投げた。
ギードが放り出したアサルトライフルを手に取る。が、違和感が込み上げてきた。ミスイは苛立ちを抑えられなかった。銃身が曲がってしまっている。これでは使い物にならない。
背後でぶつぶつと何か聞こえてきた。
「一閃の煌めき、器はここに。立ちはだかる者を薙ぎ払い……」
ジェラールが詠唱を口にしている。しかし焦る必要はない。パニック状態での詠唱は魔力の巡りが悪い。どんな魔法であれ不発に終わるだろう。
ミスイは大きく振りかぶって、アサルトライフルをおもいきり公爵に叩きつけた。耳障りな羽音を静かにさせる。弾が出ない銃火器など、鈍器として使うほかない。
ぐったりとしたジェラールを掴み上げる。
ミスイは努めて平静に問いかけた。
「どうすれば釣り合いが取れる」
「なに、なんだ。何の話だ」
「お前のせいでアルマが死んだ」
「誰だ。そいつは」
突如、ジェラールが手足をばたつかせた。
どうしたのかと訝しんだが、ミスイの指が公爵の首に深くめり込んでいた。力を加えた感覚はなかった。ほとんど無意識だった。
「アルマだけじゃない。ガイルやその他に何十何百という命が死んだ。殺される謂れのなかった命だ。お前はそれに見合う価値がある人間なのか」
ここまで多くの人間を死なせた存在を、ミスイは父親以外に知らない。
手足を落とし、腹を裂いて、火あぶりにし、魔獣に食わせて晒しものにしても、不十分だ。
クロカミ・ユラクの最期は、その生涯に見合わず呆気ないものだったという。
風の噂でその事実を耳にしたとき、ミスイの中に湧いてきたのは度し難い怒りだった。
もちろん、父を奪われたことに腹を立てたわけじゃない。
そんな死に方では物足りないのだ。世界中の不幸を注ぎこんで、全員でリンチにして、生涯苦しみ続けなければならなかった。
ジェラールがどんな死に方をすれば、アルマたちは報われるのだろう。
「クロカミが、この私に上から目線で物事を説くな」
忌々しそうに、ジェラールが言う。
「私は公爵だぞ。由緒正しく、生まれながらに尊いのだ。身の程をわきまえろ」
ハミッシュとまったく同じことを言ってのける。爵位と年齢の違いこそあれど、貴族なんてこんな奴らばかりかもしれない。
「お前は何がしたかったんだ。何のためにアルマたちを犠牲にした」
「知れたこと。全てはアルムグレーン王国のためにやったこと」
「……なに?」
「私は誰よりも、この国の未来を憂いておるのだ。」
ジェラールは早口で応じた。
「もうすぐイーデルシア帝国が攻め込んでくる。世情に疎いスラム人でも、ことの深刻さが理解できるだろう? 戦争になれば、今日とは比べ物にならない死傷者が出る」
「……それと、この襲撃に何の関係がある」
「大国イーデルシアに対抗するためにはどうしても銃火器が必要だ。自国を守るため、我々は仕方なくユラクの負の遺産を手にするのだ。そういうシナリオと、正当性を作らなければならなかった」
「馬鹿げてる。こんなものを使いたいと思う国民がいるか」
ミスイは、完全に折れ曲がったアサルトライフルを放り捨てた。
「ふん。お前もルーカス陛下と同じことを言うのだな」
ジェラールは口元を歪めた。
「奴にはほとほとガッカリだった。野心なき王に仕える価値などない。昔はあんな風ではなかったというのに。ユラクの銃火器は本当に素晴らしい。クロカミのお前にはわかるだろう? 誇張でなく、世界の覇権を獲るのだって夢物語ではない」
「こんなもので天下なんて取れない。“雪解け”がそれを証明している」
「ユラクは立ち回りを間違えただけだ。無意味に殺戮を楽しんだから身を滅ぼした。私がいればそうはならん」
「………」
まったくわからない。この男の言っていることが、本当に何も。
自分がクロカミとして生を受けたからか。育ちと環境がまともではないせいか。アルマだったらどう答えていただろう。
こいつを生かしておく理由は見つからない。もうこのまま首を折ってしまおうか。
ふと、ひらめくものがあった。
「自分は生まれながらに尊いと、そう言っていたな」
「ああ。その通りだ」
「だったら。本当に尊いかどうか、確かめさせてくれ」
ミスイは指先に力を込めた。
カザミナの魔力をジェラールの体内に流し込む。反応はすぐに現れた。ジェラールは魔力暴走を起こし、身体に裂傷が走った。
「がぁ、ごおっ、ああ、ぁああ!!」
体内に溜まった魔力を吐き出そうと、ジェラールがもがく。
だがこんな状況で魔法の詠唱などできるはずもない。できたとして、供給する魔力量の方がはるかに大きい。
血まみれになったジェラールが、息も絶え絶えにうめく。
「貴様、本当に魔力持ちだったのか。まさかカザミナ族という話も……」
ミスイは無視して、さらに魔力を注ぎ込んだ。
ジェラールは目を剥いた。ミスイの意図を理解し、恐怖に顔をおののかせた。
「ま、まて、やめ、ごっ!? ぶおお!!」
内側で骨が圧迫され、内臓を損傷したのだろう。何かの塊を吐き出しながらジェラールは血の涙を流す。王国公爵家の血筋でも、カザミナの魔力には適応できなかったようだ。
ジェラールは泣き叫んでいた。大の男が、恥も外聞もなく暴れ回る。ミスイの腕から逃れようと必死に手足を動かすが、もはやその部位も原型をとどめていない。やがて破裂し、ダルマのような身体だけが残る。
カザミナの魔力は劇薬だ。毒にも薬にもなる。
適正のないものが過剰に摂取すれば、その身を滅ぼす。かつてカザミナの力を我が物にしようとした愚者の大半は、その暴力的な魔力濃度に身体が順応せず命を落とした。
「ぎっ、が、あ、ああ」
驚いたことに、ジェラールはまだ生きていた。
奴の体は膨張が止まらず、気球サイズまで肥大化していた。人間の姿をやめて尚、意識だけは明瞭らしい。必死に何かを訴えている。ミスイには聞き取れない。亡霊のうめき声によく似ていた。
やがて限界を迎えた。
人体のほとんどが水分だと想起させる、にぶい破裂音だった。部屋全体に血の雨が降る。
全身を赤く濡らしながら、ミスイは懐かしい気分になっていた。以前はこんな光景を何度も目にした。魔法使いであれ魔獣であれ、体内に魔力を抱えている相手なら確実に仕留められる。カザミナ族の禁じ手だ。
ただ、ジェラールを殺したところで、気分が晴れるはずもなかった。魔力を消費したせいで倦怠感すら覚える。
ひっ、ひっ、ひっ、という嗚咽を耳にした。
恐怖に取りつかれたギードは震えているというより痙攣しているみたいだった。
脂汗にまみれた顔は真っ白になっている。
脱力感と共に、ミスイは力なく呟いた。
「安心しろ。次はお前だ」
「来るんじゃねえ! この悪魔!」
発狂寸前のギードが、床に這いつくばりながらも逃走を図ろうとする。必死に手足を動かす様は死にかけの虫のようだった。
ミスイは悠然とした足取りでギードを追う。
「どういう風に死にたい? 使える銃はないし、お前は魔力持ちじゃないからジェラールと同じ殺し方はできない。疲れてるから手間のない方法がいい」
ギードの上半身が不自然に浮いている。そこに何か隠しているのか。
足先でギードを仰向けに転がし、防弾服をまさぐる。探り当てたのは丸みを帯びた物体———手榴弾だった。
「ああ。そういや手榴弾と地雷も造ったんだっけ。今日はあまり見なかったけど」
「か、かえせ」
「丁度いいから使わせてもらう」
ギードが顔を引きつらせた。
「う、嘘だろ?」
「嘘なもんか。これ、信管に点火してから爆発するまで五秒後くらいか。変な改造とかしてないよな」
「た、頼む! 話をきいてくれ。俺をここから逃がしてくれ」
ミスイは口元を歪めて笑った。
「今更命乞いかよ」
「ここで俺を殺せば真相は何も分からなくなるぞ。誰がどうやって銃火器を造ったか、お前はそれを知りたいんだろう?」
「お前は、俺の知りたいことを何も知らない。お前ごときが最後まで生き残ったのはただのミラクルだ。ラスボスはリヴデの方だったのに」
「お、俺は直接、銃火器を手渡されたんだ。使い方を覚えてるかって。顔はわからなかったが、ありゃあ女だったぞ。もしかしたらかなり若えかも」
「もういい」
手榴弾をもてあそびながら、ミスイはゆっくり後退していった。
「真相くらい、自分で突き止める」
「まってくれよ、ミスイ!」
鼻水を撒き散らしながら、ギードが懇願する。
「もうしない! こんなひどいこと、俺だってやりたくなかった。でもあの刺青に脅されて、仕方なかったんだ。反省してる。この通りだ! 見逃してくれ」
「いや。お前は楽しそうだったよ。昔からそうだった。女こどもをいたぶってる時が一番興奮する、だっけ。反吐が出る」
「そんな、人を極悪人みたいに……俺は赤ん坊だったお前の面倒をみたことだってあるんだぜ。そんな親代わりにどういう仕打ちだよ」
「笑わせんな」
親だと思っているのはたった一人だけだ。
ミスイとギードの間にずいぶん距離が生まれた。これなら破片が飛び散ってきても巻き込まれることはないだろう。
ミスイが心変わりしないと悟ったからか。
ギードの憎悪の表情を浮かべ、ミスイを罵倒し出した。
「このクソ野郎。やっぱりてめえはユラクの血だ! うす汚ねえクロカミが人間様と同じ言葉で喋んな、死ね、ゴミクズ! 地獄に堕ちろ!」
ミスイは手榴弾を見つめた。安全レバーからクリップを外し、レバーをおさえながらピンを抜いた。
呪詛の言葉を吐き続けていたはずのギードは途端に態度を一変させた。
「わかった! あやまる。お前を侮辱するつもりはなかった。こんな世の中じゃ何かと生きづらいだろう。辛かったよなあ、気持ちはわかる」
もうギードの言葉に耳を貸す気はない。
アンダースローで手榴弾を放った。床の上を跳ねながらギードのすぐそばに転がる。我ながら良いコントロールだった。ギードは手榴弾を遠ざけようとしたが、自由のきく手足はどこにもない。
「誰か助けてください!」
最後に見たのは、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった不細工な顔だった。
直後、ギードの身体は跡形もなく爆ぜた。爆風が全ての窓ガラスを割り、ミスイの黒髪をなびかせた。意外と威力が強い。昔より改良を重ねているらしい。
煙が晴れたとき、そこには真っ黒に焦げた空間だけが残っていた。ギードの死骸は欠片すら残らなかった。
終わった。なにもかも。
そろそろ引き上げよう。長い、あまりにも長い一日だった。
ミスイはゆっくりとした足取りで別館の外に出た。突如、建物全体が大きな音をたて、崩れ出した。水の魔導石と手榴弾、それぞれの爆発でダメージが蓄積していたのだろう。
あとに残されたのは、ただの瓦礫の山だった。
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