第24話

 反乱分子を無力化した。

 ギードがそう報告を受けたとき、全員を皆殺しにしたという意味で捉えた。だが蓋を開けてみればトドメを刺したのは騎士団長だけで、ミスイや他二人の学院生は生け捕りにしたという。


 理解しがたい。自分の左腕を斬り落とした連中を生かしておく理由など一つもない。

 ギードはリヴデに詰め寄った。


「ミスイたちを殺さない理由はなんだ」


「少々、計画に変更点が生じた。俺にとっては嬉しい誤算だが」


 何故、リーダーである自分に何の相談もないのか。

 痛む片腕を押さえながらギードはまくし立てた。


「少々? ミスイを生かしておくことが? 随分と大幅な修正だな。ミスイに全ての罪をなすりつける。首謀者はこいつだってことにするんだろ。口封じのために殺しておくのが賢明じゃねえか」



「お前にはあの男の価値が見えてない」


「はんっ! あのガキの価値だぁ? 世界共通の災厄クロカミ・ユラクの実子にどんな価値があんだ? 説明してみろよ」


「その必要はない。魔力ナシのお前がわかってなくても何の支障もない。時間が惜しいから俺はもう行くぞ」


 背を向けたリヴデは、思い出したように付け加えた。


「クロカミ・ミスイとリュシー・ルトストレーム……この二人には手を出すな。どちらも利用価値の高い奴らだ。お前はおとなしく講堂で見張りでもしておけ」


 上から目線で命令してくるリヴデが気に食わない。

 ギードは拳銃を取り出した。リヴデは銃口を向けられているというのに、こちらを見ようともしない。

 リヴデが億劫そうに溜息をこぼした。それがまたギードの神経を逆撫でしてくる。


「何の真似だ」


「あんまり調子に乗るなよ。てめえは雇われの魔法使い。ジナングのリーダーは俺だ。指図される謂れがねえ」


「魔力ナシは頭が悪いらしい。応急処置をしたのはどこの誰だ」


 躊躇なく、ギードが引き金を引いた。

 至近距離だ。外れる方が難しい。だがリヴデに着弾する直前、軌道が不自然にねじ曲がった。

 弾丸は全てリヴデに当たらず、壁面に穴を開けただけだった。


「武器の斡旋をしたのは俺だ。術式を施された銃火器が俺に危害を加えることはない」


 ベレッタを手放したことが悔やまれる。あれは唯一、リヴデの術式が仕込まれていなかった。手元にあれば今すぐその生意気な口を閉じさせるのに。


「どうにも立場がわかっていないらしい。多少、銃火器の扱いを知っていること以外にお前らに利用価値なんてない。俺に従うならこれからも使ってやる。イキったチンピラに戻りたくなきゃ、せいぜい頑張るんだな」


 それきりリヴデはギードへの興味をなくし、転移魔法でどこかへ消えていった。

 片方しかない拳を握りしめ、ギードは壁を殴りつけた。


「あのクソ刺青がッ!!」


 苛立ちを抑えきれず、近くのゴミ箱を蹴り飛ばした。中身があたりに散乱する。

 ついでギードはそばにいた兵士を殴り飛ばした。完全に八つ当たりだったがそれでも気は紛れない。


 縫った腹の傷が痛む。また血が出てくる。だがギードの身を案じる者は誰もいない。


こんなはずじゃなかった。もっと楽に稼げる仕事だったはずだ。


 この五年間、鬱屈とした毎日だった。スラム街ほどではないが治安の悪い貧困街近辺を寝床にし、明日食べるものにも困り果てながら仕事を探した。

 まともな読み書きもできず、カッとなりやすい気性のギードがまともな職につけるはずもない。紹介されるのは低賃金の肉体労働ばかりだった。職場と寝床を往復するだけの日々に嫌気が差し、ギードは再び裏社会に身を投じた。昔から暴力だけが取り柄だった。誘拐でも強盗でも殺人でも何でも引き受けた。たとえ女子供であれ——否、相手がか弱いほど存在であるほどこの上ない興奮を覚えた。ギリギリの綱渡りばかりだが肉体労働より稼げた。


 だがそれで満足できたのは最初だけだ。

 裏社会にも魔法使いはいる。仕事はやつらからの紹介だった。そのうちギードと似たような境遇の者ばかり集められ、魔獣生息区域に送り込まれることが多くなった。誰も寄り付かない場所だからこそできる取引があるとか。

 魔法使いたちにさんざんこき使われ、蔑まれようと反抗などできない。魔力ナシが敵う相手ではない。やる前から決まっている。次第にギードの心は荒んでいった。


 転機が訪れたのはつい最近のことだ。


「これの使い方、覚えてる?」


 人間らしからぬ声だったが、かろうじて女だとわかった。

 声の主の姿は輪郭がぼやけていて判然としない。すぐに認識阻害の魔法だとわかった。裏社会の魔法使いは正体を隠したがる。


 そんなことより、女が手にした物体に目が吸い寄せられた。見間違えるはずもないが、それでも信じられなかった。それはクロカミ・ユラクが造った銃火器だった。


「ひと暴れしてきてほしいの。戦争を起こすために」


 そこから話はとんとん拍子で進んだ。

 かつての仲間たちを呼び集め、与えられた資金で転移魔法使いを雇った。襲撃場所は王立の魔法学院だということで身構えたが、内通者による手引きがあるらしい。しかもこの計画には王国の重臣まで一枚噛んでいるという。


 ギードは歓喜に震えた。やっとツキが回ってきた。

 ユラク亡き今どうやってこの銃火器が造られたのか、あの女の目的が何なのか、そんなことはどうでもいい。これでまた暴れられる。また魔法使いたちをぶっ殺せる。生まれに恵まれただけで勝ち組を気取っているあいつらには地獄のような苦しみを味合わせてやる。


「……簡単な仕事だったはずだろ」


 途中までは何もかも完璧だった。

 警備の穴をつき、音楽隊に扮装しながら侵入して奇襲をかけた。ルデナイト鉱石によって学院生たちはまともな抵抗ができず制圧は容易だった。ユラクの銃火器があればこれくらい造作ない。あとは頃合いをみて王国側の魔導士をわざと侵入させ、リヴデの転移魔法でトンズラする。それだけで一生遊んで暮らせる金が手に入る手筈だった。


 それがどうしてこうなる。なぜ片腕をなくす羽目になる?


 痛みで理性を失いかけてもまだ正気を保っているのは、その先にある理想の未来が目前だからか。

 これが終わったら南国に逃亡しよう。毎日バカ高い酒を飲んで女どもを侍らせてやる。片腕を失くすほどの働きをみせたんだ。誰にも邪魔はさせない。


 講堂の床を踏み鳴らすうち、ギードは冷静さを取り戻していった。

 そうさ。多少のトラブルに見舞われたが計画は順調に進んでいる。これからやってくるアルムグレーン王国の要人が身代金を持ってきているかもしれない。ついでにそれも横取りしてしまえばいい。


 ギードは壇上に目を向けた。捕らえたばかりの三人が無造作に転がされている。


 リュシーという女学生はこの状況下でも魔法が使えたらしい。縄で縛って身動きを封じた上、念のためルデナイト鉱石を衣服にいくつも仕込ませてもらった。これで万が一にも魔法が行使されることはない。もう一人の女学生は警戒に値しない。


 ギードは自然と、最後の一人に視線を吸い寄せられた。

 ミスイは感情のない瞳で虚空を眺めていた。手足を縛られ、身じろぎするしかない憐れな姿。しかしそれでいて異様な存在感を放っている。いや、自分がそう感じてしまうだけかもしれない。


 やはり似ている。クロカミ・ユラクに。


 今でも夢に出てくる。

 あの人は体罰や折檻を好んだが、その最中もずっと寡黙を貫く人だった。声を荒らげたところは一度だって見なかったが、やることなすこと全て苛烈だった。手加減というものを知らない。そのチグハグさが薄気味悪かったのをよく覚えている。

 感情なんて捨て去った異世界人。あの人は常人の理解の枠を超えていた。


 背丈が伸び、顔から幼さがなくなったミスイはまさしくユラクの生き写しだ。嫌悪感と畏怖が込み上げてくる。

 おそるおそる、それでいてその胸中を悟られないようにミスイを足で小突く。


「よぉ、ミスイ。気分はどうだ。んー?」


 しかしミスイはこちらを一瞥しただけだった。興味なさそうに視線が外された。

 先程のリヴデの態度と通ずるものを感じ、ギードは腹立たしさを覚えた。

 馬鹿にしやがって。

 ギードは少し距離を置き、助走をつけて無防備な腹を蹴り込んだ。靴先が随分と食い込んだ。ミスイは痛みに悶えながら何度も咳き込んだ。

 いい気味だ。勢いづいたギードが調子をあげ、今度は顔面に蹴りを放つ。良い感触が返ってきた。腫れあがったミスイの顔を見ていると愉快な気分になった。


「オラ。どしたあ? なんか言ってみろよ」


 踏みつけにしながら問いかける。

 ミスイが何事かを発した。しかし声が掠れていて聞き取りづらい。


「はっきり喋れや」


「無抵抗なやつにだけ強気だな」


 予想外にも反抗的な物言いだ。しかし、強がって毒を吐くので精いっぱいか。

 ユラクの実子といえど、こんなものか。あの人の子供だからと警戒し過ぎた。


「状況わかってるか。お前を生かすも殺すも俺次第なんだよ。それなりの態度ってモンがあるだろ。俺たちの部隊は王国最高峰の魔法使いたちを圧倒したんだぞ」


「よく言う。全部他人からのお膳立て。たまたま銃をもらっただけ。たまたまルデナイト鉱石があっただけ。次はママに何を買ってもらう? 俺に教えてくれ」


「せいぜい今のうちに吠えておけ」


「さすが魔力ナシ。自分で考える頭もないらしい」


 その一言に、ギードの平静さなど吹き飛んだ。

 お前も魔力ナシだろとか、リヴデと同じ言い方が癪に障るとか、そういうセリフが浮かんでも言葉にするまで口が回らない。

 ただ衝動的に、殴る蹴るの暴行を加える。ギードは完全に我を失っていた。


「やめて! もうやめて!」


 癖毛の茶髪が泣きながら懇願した。リュシーも固唾を飲んでいる。

 肩を上下させたギードが膝をつく。息も絶え絶えで、一方的にいたぶっていたはずのギードの方が余裕をなくしていた。


「いっぺん死んでみるか」


 ミスイは挑発的に口角を上げた。


「お前は俺を殺せない」


「わけのわからないことを」


「あとでリヴデに怒られるのが怖いだろ」


「リーダーは俺だ。あいつはただの雇われ魔法使いでしかない」


「リヴデの機嫌を損ねたら転移させてもらえず置き去りかもな。いや、最初からそのつもりだったかもしれない」


 冷水をかぶったときのように鳥肌が立った。

 そうだ。考えてみれば奴が確実に逃がしてくれる保証なんてない。なぜその疑問を見落としていた。いや、だがあの女は戦争を起こしたいって。それには俺たちが必要不可欠なはずで……。


 黙りこくったギードの不安が伝播したのか、兵たちが狼狽を見せ始めた。

 まずいと感じながらギードは声を張った。


「惑わされねえぞ。ユラクさんは口達者で権謀術数も得意だった。適当言って騙そうとしてもそうはいかない」


「声が震えてる」


「黙れ!」


 もう一度ミスイの顔面を蹴ってやった。ミスイは痛がるでもなく甲高い笑い声を発した。


「さっきより腰が入ってねえぞ。どうした。今更チキったか。もっと本気で来いよ!」


 クソが。こっちが下に出ていれば舐めやがって。

 なんだってあの褐色野郎はミスイを庇う。あいつは魔力持ちにしか興味がないんじゃなかったのか。


 そこまで考えて思い至る。まさか、ミスイは本当に魔力持ちなのでは。

 クロカミ・ユラクは様々な種族との子供を欲しがった。獣人、エルフ種、悪魔族————希少価値のある種族の女を攫ってくるほどあの人は機嫌を良くした。むりやりに子供を生ませ、誰が一番優秀か競い合わせる狂人だった。


 てっきりミスイの母親は、普通の人間族だと思っていた。ミスイには亜人の特徴が一切なかったからだ。だが、あのクロカミ・ユラクが普通の人間との間に子供を欲しがるだろうか。そんな気まぐれを起こすだろうか。


 いくら考えたところでギードには答えが出せない。


「魔法使いの言うことはきいておけよ」


「魔力持ちなんてクソ野郎ばっかだ!」


 ギードの怒りが頂点に達した。

 魔法使いへの不満が爆発する。


「あいつら、いつだって俺たち魔力ナシを馬鹿にしやがって。どいつもこいつも生まれに恵まれただけじゃねえか。なんであんな奴らの言いなりにならなきゃならないんだよ!」


 脳裏に何度もフラッシュバックする。

 魔法使いたちの薄笑い。どれもこれも思い出したくない。


「ミスイ! お前だって刺青どもが憎いんじゃないのか。こいつらが出すゴミを毎日せっせと掃除して、そんな自分に嫌気が差さないのかよ」


「金のため。生活のためにやってる。どんな仕事でもいいし、どう思われていてもいい」


「綺麗ごと言ってんじゃねえよ! 世の中を何も知らないクソガキが!」


 ギードはミスイの黒髪を掴んだ。

 無理やりに顔を上げさせる。


「この黒髪のせいで生きづらいだろ。知ってるか。お前の兄弟姉妹どもは今じゃ数えられるほどしか生き残ってねえ。昔は五十人くらいいたのにな。なんでそうなったと思う」


「半分くらいはクソ親父が自分で殺してた」


「そんな話じゃねえ! ほとんど迫害されて殺されたんだよ。もしくは自殺だ!」


 ミスイの瞳が悲しげに揺れた。

 残虐な血を引いていても、血縁者を想う感性は残っているようだ。


「お前だっていつか絶対そうなるぞ。立場が弱いやつの扱いなんてそんなもんだ。魔力持ちの匙加減で生死が決まる。そんなのおかしいだろ」


 ギードはアサルトライフルを突き付けて続けた。


「ユラクさんはおっかなかったが、それでも俺たちに希望を見せてくれた。この銃火器は最高の武器だよ。これさえあれば魔力持ちに一矢報いて……いや、違う。天下だって取れる。俺たちがやってるのは革命だよ。このくそったれな差別社会に終止符を打つんだ」


「自分の暴力衝動に薄っぺらい理由をこじつけるな」


 白けた気分になってくる。

 ミスイの頭を思いきり床に叩きつけてやった。


「残念だよ。ミスイ。お前の態度次第じゃ、正式に幹部としてジナングに迎えてもいいと思ってた。昔からクソ生意気なガキだったが、銃の扱いは上手かったからな。あー、いまさら何言っても遅いからな? リヴデがどう言おうと知ったことか。お前はここでカス貴族どもと死ぬんだよ」


「そうはならない」


「あ? なんて」


「俺も、学院生たちも、これ以上死なない。彼らからのしっぺ返しで泣きをみるのはジナングだ」


「何を言い出すかと思えば。ルデナイト鉱石があるって言ってるだろ!」


 ミスイは鼻を鳴らしていた。何か含みを持った顔をしているが、その手には乗らない。学院中のルデナイト鉱石をこの講堂にかき集めてある。ハッタリにすらなっていない。


「虚言癖のかまってちゃん。クロカミ・ユラクの血筋なんざ根絶やしにしてやる。クソ貴族を殺すよりよっぽど社会貢献になるかもな」


「それだけは合ってる。俺は生まれてくるべきじゃなかった」


 なんだこいつ。情緒不安定かよ。

 煽ってきたかと思えば急に卑屈になる。何がしたいのかさっぱりわからない。まともに相手をするだけ無駄だった。

 馬鹿らしくなって背を向けたときだった。


「そんなことない」


 かすれた女の声がした。

 誰かと思えばミスイと行動していた茶髪女だ。名前が出てこない。つまりはリストに載ってない、大したことない家柄の娘ということだ。


「アルマ……」


「そんなことないよ。ミスイ」


 茶髪女————アルマが優しくミスイに語りかける。


「生まれないほうがよかったなんて、悲しいこと言わないでほしい」


「俺はクロカミだ。ユラクが死んでもそれだけは変えられない。クソ親父のせいで苦しんでいる人たちが世界中にいる。俺たちが生きているだけでも、辛いことを思い出させる」


「あなたが背負うものじゃない」


 ミスイが目を細めた。


「お前も、俺を一生恨み続けていい。許さなくていい。その権利がある」


 アルマは驚愕に目を見開いた。

 迂遠なミスイの物言いでも、感じ取れるものがあったらしい。

 アルマはぎゅっと目を閉じ、何かを堪えるように俯いた。


「どこで何を見聞きしたかは知らないけど。やっぱりミスイは優しいね」


「なんで」


「あなたが悪い人だったら、そういう言葉は出てこないんじゃなくて?」


「アルマはもう何も失うべきじゃない」


「ほら。そういうところだよ」


「普通のことだろ」


 ぶっきらぼうな話し方をするミスイに、アルマが笑った。


「そうだね。普通だよ。クロカミ・ユラクの血縁でも、お母さんが少し特別でも、それだけ。嬉しいことがあったら喜んで、悲しいことがあったら落ち込んで、誰かが辛そうなら助けてあげる。そんな当たり前が、ミスイには出来るじゃん。そんな人をどうして恨むの。私と何がちがうの」


「そういう、筋道立てた言い分がいつでも正しさを持つとは限らない」


「だったら!」


 アルマは必死になって訴えた。


「私があなたの力になる。ミスイへの悪意を弾き返す。ミスイがもし自分を否定したって、私がその十倍は肯定してあげる」


 あまりの大言壮語にミスイは言葉を失っていた。

 ギードも思わず口を挟んでしまう。


「おいおい、嬢ちゃん。正気か? こいつは史上最悪の大罪人、クロカミ・ユラクの実子なんだよ。庇って何の得がある。」


 びくつきながらも、アルマは力強い瞳で見返した。


「私の恩人なんだから、そうするのは当然」


「世間知らずのお嬢様はこれだから困るぜ。おい、知ってるか。世界にはな、奇特なことにクロカミ擁護派の団体が存在する。クロカミの偏見をなくすんだと。無駄な努力が好きな異常者だ」


「見る目がある立派な人たち」


「とある国じゃ、クロカミを擁護したばかりに親族揃って処刑された一家があるらしい」


 アルマの反応が楽しみだった。みっともなく狼狽して前言撤回するにちがいない。

 だがギードの予想を裏切り、アルマには何の動揺もなかった。


「だからなに。私は貴族。誇り高い貴族は一度口にした信念を簡単に覆したりしないの」


「けっ。そうかよ」


 ギードは舌打ちした。


「よかったなー、ミスイ。やっぱりお前はユラクさんの子だ。どこの誰とも知らない無名貴族だが、うまく取り入ったな」


「……取り入るとか、何の得もないとか。あなたは利害でしか動けないの?」


「なんか言ったか小娘」


「損得勘定抜きで誰かを守ったり、危険を顧みずに命を懸けたりしたことがないのかって聞いてるんだけど」


 あるわけない。そんなこと。そういうのは後先考えない子供のやることだ。

 安全な箱庭で育ってきた子供に答えてやる義理はない。ギードが沈黙を守っていると、アルマが鼻を鳴らした。憐れむような視線を向けている。


「可哀そうな人」


 血が沸騰するような感覚があった。目の前が真っ赤になる。


「ほざくな! リストにも載らないような没落貴族が!」


 生意気な娘に名簿を投げつけてやる。しかし腕の痛みで手元が狂い、リストはあらぬ方向へ飛んでいった。


 アルムグレーンの重臣から渡された名簿には殺してはいけない生徒の名前が記載されていた。依頼主は殺戮を望んでいても、アルムグレーンの国益に繋がる貴族を減らすつもりはなかったのだ。リストの生徒を殺さずに襲撃をかけるのは至難の業だった。


「お前の家には価値がないんだよ。だからアルムグレーンから見放されてやがるのさ!」


 我を失ったギードが内情をベラベラと漏洩させる。遅れて失言に気付いたが今更だ。


「ラトヴィア家を知らないなんて、とんでもない無知」


 平坦な声が割って入った。

 リュシー・ルトストレームはアルマに加勢する。


「アルマがその気なら、手伝わせてほしい。私もミスイの力になりたい」


 アルマは喉の奥を震わせながら呟いた。


「リュシー……ありがとう」


 なんだ。この茶番は。

 なにを言っているんだ、この馬鹿女どもは。

 なぜミスイの味方をしようとする。まともに話して数時間しか経っていないはずだ。それなのに二人ともミスイに命を預けるような真似をしている。意味不明だった。


 だがどこかで納得する部分もあった。

 ミスイの父、クロカミ・ユラクにも不思議な魅力があった。どれだけ荒唐無稽の野望を口にしても、それを信じさせてしまう。でなければジナングを始めとして、人族も魔族も混在した数多くのグループを統率して指揮するなど不可能だ。


 カリスマ性は父親譲りか。放置するのは危険だ。やがてミスイを中心とした勢力が誕生しかねない。そんなことさせてたまるか。大人が現実の厳しさを教えてやる。


「おい、ドドロア! 出てこい。仕事をくれてやる」


 武装集団の中から、ひとりの大男が歩み出てきた。

 両腕両足が異様に太く、ずんぐりとした見た目はオークのようだ。醜悪な笑みとともに黄ばんだ歯がのぞく。銃火器は装備してなかった。


「そいつ、銃使える?」


「いまに覚悟しておけ」


「今度はその巨漢が相手してくれるわけ」


 だがどういうわけか、大男はミスイの横を通り過ぎていった。


 ミスイの顔が強張った。自分ではなく、アルマに暴行を加えると思い込んだようだ。だがドドロアはその場にひざまずくと、彼女の足を縛っていた縄を緩めた。

 不可解な行動に誰もが固唾を飲んでいる。ギードは笑いを堪えるのに必死だった。


「ヤっていいぞ」


 ドドロアは雄叫びをあげると、嬉々としてアルマにまたがった。太い両手が制服の裾を掴む。ほとんど引き破るも同然に、シャツを喉元までめくり上げた。


 何をする気か即座に理解したリュシーが怒声を響かせた。


「やめろ! アルマに触るなゴミクズ!」


 次の瞬間、リュシーが両手両足を自由にさせた状態で立ち上がった。

 ギードはわずかに驚いた。縄ほどきが出来るのか。だがそれがどうした。魔力を使い果たした魔法使いは無力だ。


 リュシーが必死に掴みかかるが、女の力ではどうにもならない。ドドロアが煩わしそうに腕を振るうだけで、簡単に吹き飛ばされてしまう。よろめきながらリュシーが再度立ち上がった。涙を流しながら、無謀と知っていてもドドロアにしがみつく。


 ドドロアの剛腕がリュシーに炸裂した。彼女の細い体が宙に浮き、やがて地面に激突した。


「いやあ! やだ! リュシー! リュシー!」


 ドドロアはアルマに向き直ると、スカートを腰の高さまで引きちぎった。

 アルマが泣き叫ぶ。言葉にならない声をあげて必死に抵抗していたが、脚を無理やり開かれそうになっている。


「きひっ。ひっひひ、けひゃはは……」


 我慢しようとしたが、ギードは耐えきれずくぐもった笑い声を漏らした。

 ミスイを見やる。ミスイは鬼の形相でこちらを睨んでいた。唇を噛みちぎったのか、口元から血が滴り落ちる。


「ほら、どうしたよミスイ!? 大事な女がお前の助けを待ってるぞ! 助けなくていいのかよ!」


 ミスイが身体をねじる。だが拘束は解けない。念を入れて、ミスイの指を粘着テープでぐるぐるに巻いてやった。何もできずに横たわる姿がひどく滑稽だった。


「思い知ったかよ! これが俺に逆らった罰だ! その女がなぶり殺されるところを、せいぜい特等席で眺めて————」


 光る何かが視界を横切った。ギードがそう認識した瞬間、耐えがたい電撃が体中を駆け巡っていった。

 ギードはもんどりを打って倒れた。そばに立っていたはずの部下も同じ有様らしかった。

 何が起きたかわからない。頭を激しく振って、顔を上げる。ギードは愕然とした。


 ドドロアの首から上が真っ黒に焦げて炭化していた。絶命は明らかだった。巨体が傾き、アルマを下敷きにする寸前に影が割って入った。

 ミスイがドドロアの死体を蹴り飛ばした。


「なんだ。おめえ、どうやって……?」


 ミスイを拘束していたはずのロープとテープは焼き切れていた。

 どういうことだ。本気でわけがわからない。魔法か。ありえない。だってここにはルデナイト鉱石が……。


 ギードはアサルトライフルに手を伸ばしかけ、目の前の光景に凍りついた。

 講堂に設置していたルデナイト鉱石、その全てが強く発光していた。一拍置いて、鉱石は爆発を始めた。威力自体は大したことなかったが、砕け散った欠片が雨のように降り注ぐ。




 それが何を意味するか。理解が追い付くまでギードはただ呆けていた。




 また、光が煌めいた。真横にいた部下が黒焦げになって倒れた。

 稲妻を放っているのはリュシーだった。身体全体に電撃を纏っている。猫族のように縦に割れた瞳孔が油断なくギードを捉える。

 いや、おかしい。ギードは不審に思った。

 リュシーの魔力は底を尽いたはずだ。ルデナイト鉱石がなくなろうと、空っぽの魔力が回復するわけない。なぜリュシーは魔法を使えている。


 背後で、ぞろぞろと物音がした。

 人質にしていた学院生たち全員が立ち上がっている。そこかしこで詠唱の文言が飛び交い、魔法陣が展開される。


 爆炎が生まれ、飲み込まれた兵の身体が骨だけになった。

 目に見えない風の刃が拡散し、何人もの部下がバラバラに切り裂かれた。

 地面が陥没し、脚を取られた者が為す術なく沈んでいく。


 ミスイの声が静かに響いた。


「奮い立て。魔法使い。ここからはお前たちの時間だ」

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