第23話
今まで何人もの死に直面してきた。よく言葉を交わしていた知り合いが翌日に何の前触れもなく死ぬ。そんな日常が珍しくもない。
今更、感じ入るものがあるとは思わなかった。
会って数時間程度、関係性も良好とは言い難い人間との死別で、ミスイは予想外の喪失感を覚えていた。
ガイルの死体を放置できない。
空き教室を見つけ、そこにガイルを横たわらせる。カーテンを引きちぎって上から被せた。
シスターの所作を真似して、掌を合わせる。心の中で別れを告げた。
後ろ髪を引かれる思いを振り切り、ミスイは教室を飛び出していった。為すべきことは変わっていないのだ。
しかし、ミスイは立ち止まる羽目になった。廊下の先、迷彩服の集団がいる。その中に見覚えのある制服姿があった。
リュシーは最後まで抵抗したのかもしれない。最後に見たときよりも痛ましい恰好だった。虫の息だがわずかに意識を保っている。こちらを見つめる瞳は虚ろだった。
ミスイがゆっくりとした足取りでそちらに向かう。兵たちはアサルトライフルの銃口をむけているものの、発砲はしてこない。そういう指示が出ているのかもしれない。
リュシーとの距離が縮まったところで、兵のひとりが手で制してきた。
そこで止まれという意味だろう。絶妙な距離感だ。一人や二人くらいなら封殺できるがそれで終わりだ。リュシーは絶対助からない。
景色がブレるのを感じた。空間の歪んだ部分からリヴデが現れた。奴の腕の中で、アルマがぐったりしていた。
本能的に飛びかかりそうになり、その寸前で迷彩服たちに取り囲まれた。
アルマが怪我をしている様子はない。どうやら気を失っているだけのようだ。
「約束通り迎えにきたぞ」
兵たちは油断なく銃を構えている。全方位に隙がない。
諦念と共に、ミスイは力なく呟いた。
「撃てよ」
だが、兵士たちが揃って銃口を下げた。
意味が分からない。リヴデが無警戒に近づいてくる。
肩口の傷に触れてきた。激痛が走り、ミスイは身をよじった。
「あの女、回復魔法を使えただろ。何故治療してもらわなかった」
「わけわかんないこと聞いてくんな」
「答えろ。藍髪の女はともかく、この茶髪の女には何の価値もない。いつ殺してもいいと思ってる」
ハンドガンの銃口がアルマの頬に押し付けられた。
この男に躊躇なんてない。今にも引き金を絞ろうとしている。
「残りの魔力が少なかった。俺よりもガイルの治療を優先させた。それだけだ」
「そうか。だが俺の見解は違う。女の魔力エネルギーがお前の体に馴染まなかったんだろ。だから原始的な応急処置しかできなかった」
まるでその場を見ていたかのような物言いに、ミスイが言葉を失った。
「俺の強制転移もお前には通じなかったな。普通はありえない。一度ならず二度までも。俺の魔法はそこまでチャチじゃない」
「単に失敗しただけじゃね?」
リヴデが表情を消した。視線で合図のようなものを出す。
敵兵がアサルトライフルを持ち直し、高く掲げた。次の瞬間、銃床部分をアルマの頭に思い切り振り下ろした。
「やめろ!」
今の衝撃でアルマがかすかに目を開いた。まだ意識が完全に戻ったわけではないが、額からは血が流れる。
リヴデは冷ややかな目でミスイを見下ろす。
「がっかりだ。お前のような特別な存在が、こんな魔法使いもどきの女に惚れ込んでいるとはな」
「その人に手を出すな」
「だったら少しおとなしくしていろ」
背後から巨漢の男が羽交い絞めにしてきた。
強烈な力で絞め上げられ、身動きを封じられる。リヴデがミスイの正面に立ち、腹に手を当ててきた。
また魔力が流れ込んできた。研究棟で接触されたときとは比較にならない量を注ぎ込まれる。ここまで他者の魔力を取り込めば、普通なら魔力暴走を引き起こす。
だがミスイの身体には何の変化もない。魔力と魔力が反応し合った瞬間、リヴデのものだけが消え去っていく。
リヴデはその現象をまじまじと観察していた。やがて手を離す。
「これではっきりした」
リヴデは確信とともに告げた。
「お前。カザミナ族だろ」
動揺を押し隠すのは困難だった。
まさかその単語を再び耳にする日がこようとは。
ミスイと同様に驚愕を示したのはリュシーだった。
「かざ、みな……? カザミナと言ったの」
「そうだ。数千年前までは空の城に住み着いていた、人の形をした精霊。そのカザミナ族のことだ」
「あなたは何を言っているの」
リュシーは正気を疑うように言った。
「カザミナ族はおとぎ話に出てくる存在でしょ。急にそんな伝承を持ち出すなんて……」
「アルムグレーンでは空想上の生物として語られているのか。お前自身は優秀でも国の教育の方が遅れているようだ。ますますもったいない」
「実在していたというの」
「空の城が落ちたとされる土地はどこだ? 答えてみろ」
リュシーは何かに気付いたようだ。
躊躇いがちにその答えを口にする。
「……いまの、イーデルシアがある大陸」
「故郷イーデルシアではカザミナ族が存在していた痕跡が数多く発見された。空の城の残骸も、当時使われていたとされる生活品から魔術式まで。様々な記述も残っている」
リヴデは次第に興が乗ってきたのか、話し方が徐々に熱っぽくなっていた。
「拳の一振りが大地を耕し、その息吹は澄んだ水を生み出す。体が衰えることはなく永久の時を生き続け、魔法を介することなく意思の疎通や飛翔すらできたという。それがカザミナ族だ」
しかし、とリヴデが言葉を切った。
動けないリュシーを指差し、彼女に問いかける。
「全生命体の頂点に立つカザミナ族は、唐突に歴史から姿を消すことになる。何故だかわかるか」
まるで教師が生徒を当てたときのような言い草だ。
リュシーは不快さで顔を歪めながら吐き捨てた。
「乱獲」
「そうだ。長寿のカザミナ族は半永久的に膨大な魔力を生み出す。加えて、男女問わず優れた容姿をしていたらしい。そんな存在を人々が放置しておくはずもない。時世の支配者たちがこぞってカザミナ族を捕らえ始めた。侵略を受けた空の城は陥落し、住処を追われた彼らはどんどん数を減らしていった。今じゃイーデルシアでも、カザミナ族は絶滅したという認識だ」
すぐそばに立つリヴデがミスイを見下ろした。
含みをもった視線にじれったさが募る。ミスイは首を振って詰問した。
「どこかで他のカザミナ族に会ったのか」
カザミナ族の存在を疑わない理由はそれしか考えられない。
己の魔力を吸い込んだ者の位置を感じ取れる——ミスイにとって、同じ魔力性質のカザミナ族の居場所を把握するのは造作ないことだった。
空の城から逃げたカザミナ族は世界中に散り散りになり、身分を隠して人々の生活に溶け込もうとした。だが年齢を重ねても姿形が変化しないため、同じ土地に留まることができない彼らは世界を渡り歩いたという。ミスイの母親も同様だった。彼女はやがて人目を避けた山奥に家を建てた。一人で静かに暮らし続けていくはずだった。
クロカミ・ユラクにさえ見つからなければ。
「ミスイ。あなたは、本当に……?」
リュシーは囚われた身のまま、目を移した。
見返すことは躊躇われた。言葉が喉に絡まるのは何故だろうか。
「身分を明かしたことはある。だけど誰も信じなかった。だから……お前たちが信じてくれるとも思えなかった」
「俺は信じるぞ。お前の言う通り、俺はカザミナ族の女と出会ったからな」
女、と聞いた瞬間に嫌な想像がはたらいた。
ミスイは嫌悪感と共にリヴデを睨みつけた。
「お前……その人をどうした」
怒りだけで活力が戻ってきた。尋常ならざるミスイの雰囲気に兵たちが銃を構える。
だがリヴデの反応は、予想とは真逆なものだった。眉間に皺を刻み、忌々しそうに吐き捨てる。
「どうしようもない。小娘の分際でこの俺をこき使ってきやがる。希少価値の高いカザミナじゃなけりゃ殺してやるところだ」
殺伐とした物言いからは上下関係が窺える。
ミスイはわけがわからなくなった。
「どういうことだ。なんでカザミナ族が、お前をこき使う」
「俺はそいつに命令されてこの場に来ている。アルムグレーンで銃火器によるクーデターを成功させるのが俺の仕事だ」
「……ギードに従っているんじゃなかったのか」
「なぜこの俺があんな魔力ナシの下につく? 今回の仕事に使い勝手の良い駒を見つけたから利用させてもらっただけだ。だが、魔力ナシなりに充分な仕事ぶりだったと評しておく。あとは邪魔なものを切り捨てれば終わりだ」
学院周辺は魔導士たちをはじめ警護隊が包囲しているはずだ。
この厳重な警備をかいくぐって逃走するなら、リヴデの転移魔法は必要不可欠だ。
「ギードたちを置いていくつもりか」
「そこまでがプランの全容だ。当初はクロカミ———お前を首謀者に仕立て上げる算段だったが、それは中止だ。こんな魔法後進国にカザミナ族を預けておくわけにはいかない。藍髪女、お前もだ」
リュシーは憎悪の感情を隠そうともしなかった。
「誰がついていくか」
「俺は優秀な魔法使いには寛容だ。じっくり考えてからでも遅くはない」
「舌噛んで死ぬほうがマシ」
「やはり子供だな。お前のために言っているというのに」
ふいにリヴデが虚空を見上げた。
こめかみを押さえると同時に「どうした?」と言葉を発した。
珍妙な光景に見えるが、リヴデから魔力の流れを感じる。おそらく念話での意思疎通が行われているのだ。
「そうか。わかった。俺が出迎える」
念話を終えたリヴデがこちらを見つめた。
「いよいよ大詰めだ。今夜で世界の常識が大きく覆る。楽しみにしていろ」
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