第22話

 ミスイは、魔法の影響を受けない。

 転移魔法といえど例外ではない。つまり、今ミスイが立っている場所は研究棟地下の一室ということになる。


 論理的に考えればその通りだ。だが目の前に広がった光景を見ていると、とてもじゃないがその理屈を受け入れられない。


 ミスイの頭上には空があった。黒く暗い、夜の空だ。地下にいたはずなのに空が見えている。

 半壊した研究棟が視界に入った。ミスイがいる場所を中心に、建物を円柱で切り取ったみたいな景色が広がる。


「ここは……」


 間近に人の声がして、ミスイは驚いた。

 瓦礫の中から這い出てきたのはガイルだった。顔は擦り傷と土埃で汚れてしまっている。


「何が起きたんだ?」


「あいつが研究棟ごと俺たちを転移させようとしたんだ」


 ガイルがあたりを見回す。信じられない心地だったろう。それでも、自分がいる場所がどこなのかを正確に認識し始めた。茫然として呟く。


「馬鹿な。こんな規格外な芸当ができるなど。まるでミルファナ・ルーン・フィランスじゃないか」


 唐突にミルファナの名前が飛び出し、ミスイは顔をしかめた。


「今更だが、彼女を正式に招集しておくべきだったな。国外での活動中ということで見送ったのが悔やまれる」


「何を言っている? ミルファナは……」


 そう言いかけ、ミスイは気付いた。

 そうか。王国の人間はミルファナの帰国を知らないのか。ミスイは先日会ったばかりだったから、てっきり国の人間も把握しているのかと思い込んでいた。

 ここからでもミルファナの魔力を感じ取れる。彼女はいま王宮にいる。いまごろ国の重臣たちと接触しているはずだ。


 なぜ、あいつは現れない?


 ミルファナの立場と裏の性格を考慮すれば、首を突っ込むのが自然な道理だ。

 たとえ国の人間に止められたとしても、あの女は自分の興味を優先させる。

 まさか、生まれ育った国で起こったクーデターに無関心であるはずはないのだが……。


「お前はともかく、なぜ俺は飛ばされていない?」


 ガイルの一言に、思考が現実に引き戻された。


「魔法陣が顕現したときに、俺の魔力で術式を乱しておいた。そのせいかもしれない」


 本当は転移自体を食い止めたかった。

 だがリヴデの計算は狂わせたはずだ。でなければガイルがミスイのそばに転移するはずない。


「貴様の力でルーカス陛下の居場所を突き止められないか」


 ガイルが縋るような目を向けてくる。ミスイは首を横に振った。


「アルマの位置しかわからない。俺はこれからそこに向かう」


「そこに陛下はいるだろうか」


 なんとも言えない。ルーカスは一足先に転移させられていた。ギードたちが捕まえたがっていた以上、厳重な場所で拘束されているに違いない。

 ミスイからの答えを察したのだろう。ガイルは表情を硬くした。


「わざわざ別々で行動する理由もない。お前についていく。先に彼女を助け出そう。陛下を探すのはそれからだ」


 言うが早いか、ガイルが階上を目指して研究棟を登り始めた。鎧を外して体が軽くなったおかげか、その動きは軽やかだ。

 ミスイもあとに続いた。足場が不安定だが問題ない。日々の清掃で壁登りは得意になっていた。


「聞いていいか」


「なんだ」


「どうしてそこまでして王様を救い出そうとする」


「知れたことを。俺が陛下の騎士だからだ。主君を護るのは当然のこと」


「義務感だけでそこまで命を懸けられるものか」


 ガイルがわずかに振り向いた。一瞬だけ目が合う。しかしすぐに前に向き直った。

 そしてミスイがかろうじて聞き取れる程度の声量で呟いた。


「あの人には生きていてほしいんだ」


 その響きにはどこか悲壮な覚悟が宿っていて、ミスイはそれ以上の追及は許されないことを悟った。

 ガイルが声の調子を変え、あからさまに話題を変えてきた。


「そういうお前はどうなんだ。どうして危険に身を投じる」


「言っただろ。俺は銃火器の出どころを突き止めたい。ギードたちはあくまで物資を提供されただけだ。製造元は他にある」


 そこを潰さないことには、またクロカミ・ユラクの武器が悪用されてしまう。

 ユラクが死んだことにより、銃火器の知識はこれ以上広まるはずなかった。一体誰が、何の目的で銃を復活させたのか。知りたいことは山のようにある。


「そうか。俺はてっきり彼女のためと思ったが」


 誰を指しているのかすぐにわかる。


「気があるのか?」


「ちがう」


「隠さなくてもいいぞ。彼女も憎からず思っているはずだ」


「茶化すな」


 こんなときに惚れた腫れたなどと馬鹿馬鹿しい。

 だいたいクロカミをそういう対象にする人間などいるはずもない。


「アルマはこんなところで死ぬべきじゃない。だから助ける。それだけだ」



 アルマの魔力反応は本校舎の中にあった。

 奇しくもギードたちと接触があった地点だった。


 校舎を前にしたとき、ガイルが動きを止めた。

 腰にあった予備の剣をミスイに差し出してくる。


「丸腰では不安だろう。非常事態につき帯剣を許す。持て」


「いらない。剣なんて振ったことない」


 意外そうな顔をするガイルがいた。


「クロカミ・ユラクに教わらなかったのか。スラムでも使われているものとばかり」


 騎士というのは貧困街の実情に疎い。

 もっぱら好まれているのはナイフだ。携帯しやすく、逃走のときも邪魔にならない。


「あんたみたいに達人級に扱えれば話は別だろうが」


「……ふむ。それなら仕方あるまい。素人に振らせて怪我をされても困る。危なくなったら俺の後ろに隠れてもいいぞ」


 引き下がったガイルはどうしてか得意げだった。少しだけ機嫌を良くしたようだ。

 呆れたが、ミスイも口元が綻んだ。わずかながら打ち解けてきている。悪くはないかもしれない。


 目配せをしたミスイたちは校舎に踏み込んだ。

 周囲を警戒しつつ階段を駆け上がる。隠し通路は使わない。敵に見つかった場合、逃げ場がなくなってしまうからだ。


 進路に魔力反応があった。だがアルマじゃない。

 階段を上りきり、廊下に出たときその正体が明らかになった。


 騎士だ。ガイルが先刻まで身に着けていた、王国騎士団の鎧だった。

 だがどう考えてもこちらの味方ではない。ミスイたちに立ち塞がるようにして道を塞いでいるからだ。顔を兜で隠している。


 リュシーが言っていた兜の騎士だろう。

 敵ならば躊躇いはいらない。先手を打つ。

 ミスイは駆け出した。甲冑は全身を覆っているように見えるが、構造上保護できない箇所がある。膝裏や股下、脇の下がそうだ。

 特に脇の下は、負傷すると止血できない人体の急所だ。狙うならそこだ。


 だが騎士の剣がふいに輝き出した。魔力の流れを感じる。

 刀身が均一に魔力を帯びた。

 たまらず舌打ちをしてしまう。

 付与魔法という上級スキルだった。転移魔法といい、ギードは中々優秀な人材を引きつれてきたようだ。


 魔法剣が一閃する。

 まるで紙でも切るみたいに、一切の抵抗も許されずナイフを破壊された。

 しかもこいつは身体強化もできるようだ。人間離れした速度の追撃が襲ってくる。

 ただ、それでもガイルほどではない。かろうじて剣撃を見切ったミスイがバックステップで兜の騎士から距離を取る。奴は深追いしてこなかった。


 まずい事態だ。

 魔法単体ならミスイに害はないが、剣に纏わせているなら話は別だ。魔力を無効化しても実体のある剣で貫かれる。相手の身体強化を打ち消す手段も基本的に存在しない。


「——そうか。やはりお前だったか」


 感情を押し殺したガイルの声が響いた。

 無言のまま剣を抜く。その視線はただ一心に兜の騎士を捉えている。

 ミスイは忠告せずにはいられなかった。


「行く気なのか。あの魔法剣はまずい。まともな打ち合いにならない」


「下がっていろ。ここからは騎士の闘いだ。手出しは無用」


 剣を構えたガイルはもうミスイを見ていない。

 顔は見えないが、兜の騎士もガイルだけを見ている。両者に異様な空気が漂う。他者が入り込む余地は皆無だった。


「ずっと殺してやりたかった」


 若い男の声だ。

 魔法剣にさらに魔力が宿った。刀身に凝縮しきれなかった魔力が炎のように揺らめく。

 兜の騎士は抑えきれない激情を叫んだ。


「このときをずっと待っていた。やっとお前を斬れる。魔力ナシの立場を弁えず出しゃばった罰をくれてやる」


「真剣による立ち合いだ。稽古のようにはならん。死ぬことになるぞ」


「どこまで上から目線なんだよ。魔法を使えないあんたに合わせて手加減してやっただけに決まっているだろ。————今すぐ死ねよ!」


 魔法剣が横薙ぎに振るわれる。

 魔力エネルギーが放射線状になって広がり、辺りの様相が一変した。窓ガラスが割れ、壁が崩れ、教室が破壊されていった。

 屋内だというのに随分と見通しの良い場所になってしまった。


「ふん。呆気なかったな」


 兜の騎士が嘲笑ぎみに呟いた。

 目を疑うようなことが起きた。必殺に等しい波状攻撃は不可避だった。ミスイはともかく、ガイルは身体を真っ二つにされているはずだ。

 ミスイは真横に立つ大男を見ながら唖然とした。


「いま、魔力を斬らなかったか」


 ガイルは無傷で、平然と剣を構え直した。

 一瞬しか見えなかったが、魔法剣の斬撃に合わせてガイルも同じように横薙ぎに剣を振っていた。力と力が相殺し、ガイルの周囲だけ魔法の余波を受けていない。


「その剣、まさか魔力を無効化するのか」


「そんなものがあるわけがないだろう」


 瞬きをした間に、ガイルの姿が掻き消えた。風のような俊敏さで兜の騎士に肉薄する。

 兜の騎士がまた魔法剣を振るった。ガイルを仕留めるためだけに数十はくだらない斬撃が飛んでくる。


 しかしガイルはその全てを弾いた。まったくスピードを緩めることなく突っ込んでいく。

 魔法剣と、ガイルの剣が火花を散らした。

 ミスイはまたも言葉を失った。まともに打ち合ったはずなのに武器が破壊されない。


 両者の剣技が炸裂する。

 優れた騎士の剣戟は目で追うのも一苦労だ。加勢になど入れない。勝負の行方はガイルに託された。


 人間には不可能な反応速度で繰り出される魔法剣を、ガイルは紙一重で避ける。躊躇なく兜の騎士の間合いに飛び込み、刃と刃がぶつかる。その鍔迫り合いは無限のように感じられた。


 魔力ナシと魔力持ち。


 まともな勝負になるはずがなかった。

 だが信じがたいことにガイルは徐々に優勢に立ちつつあった。


「……すごいな」


 思わず魅入ってしまうほど、見事な技量だった。

 武器が破壊されないカラクリがわかった。ガイルは繰り出される剣戟の全てを見切り、角度と力加減によって攻撃を受け流しているのだ。

 こんな芸当は極限まで神経を集中させていなければできない。少しでも見誤れば己の剣が粉々に砕ける。一瞬でも気が抜けないはずなのに、ガイルはどこか涼し気だ。


 兜の騎士がうろたえていた。


「う、嘘だ。この俺が、お前のような魔力ナシに。負けるはずない……!」


「造作ない」


 兜の騎士はもう、魔法剣を存分に振れていない。攻撃に転じようとしたタイミングでガイルの剣が迫り、ただただ防戦一方に身を退くしかない。


「お前の剣戟は見切っている。魔力を帯びていようと関係ない。何度も見たからだ」


「ふざけるな! 俺から一本取れた団員なんていなかった。そんな俺の剣技を見切ったなどと」


「基礎がなってない。魔法頼りの力任せでは底が知れている。次お前が何をするつもりなのか手に取るようにわかる」


「なにを————」


 無音の一閃が魔法剣をはじき飛ばした。

 同時に兜が割れ、隠されていた顔が露わになった。

 無骨さとは無縁な精悍な顔つきの男だった。騎士というより魔導士にいるタイプに見える。


 剣先が突き付けられた。


「ザイン。お前のやったことは許されない。騎士の身分で国家への謀反に加担し、仲間である騎士たちを斬った」


 兜の騎士————ザインは追い詰められてなお反抗的だった。


「黙れ! 剣しか取り柄がないくせに。お前が騎士団長になれたのは、陛下の口利きだろう。いったいどんな手を使って取り入ったんだ」


「お前は騎士団長になりたかったのか」


「はあ? そんなものに興味なんてない。誰が好き好んで無能どもの長なんて」


「だとしたら何が気に入らんのだ」


「魔力持ちが優遇されるのは当たり前のことだろう!」


 髪を振り乱し、ザインは吠えた。


「この俺が直々にこんな場末の騎士団に入ってやったんだ。もっと有難く思え。魔力持ちの騎士は貴重だろう。俺には相応の立場と権限が約束されるはずだった。それをお前ごときが、かっさらいやがって……」


「お前が弱かっただけじゃねえか」


 聞くに堪えない上、情けない言い分だったせいで、ミスイは口を挟んでしまった。

 憎悪と嫉妬で狂ったザインの瞳がミスイに向けられた。


「なんだとクロカミ」


「強い奴が贔屓されるのは当たり前だろ。お前は魔力が使えてもそれ以外でガイルに何一つ勝ってないじゃないか。クロカミ・ユラクでも実力・能力至上主義だよ。そういうのが気に入らないなら馴れ合い集団に移ればいい」


「何も知らない子供が偉そうに。それが魔力持ちの大人に対する態度か!」


「男と女。大人と子供。魔力持ちと魔力ナシ——必ず前者が勝つわけじゃない。今まさに魔力ナシに負けたくせに、それでも自分の方が強いなんて思い込んでいるのか」


「うるさい!」


 ザインが無詠唱で魔法を放ってきた。

 人間の頭ほどの火球が迫ってくるが、ミスイは甘んじて攻撃を受け入れた。炎はミスイの肌に触れた途端に鎮火する。


 ザインが上擦った声を出した。


「どうして」


「たいしたことない魔法。この程度の才能で大口叩いてたのかよ」


 ミスイの体質は全ての魔法を無力化する。ゆえに才能の大きさなど関係なかったが、あえて挑発してザインの自尊心に傷をつけておく。

 ザインは膝から崩れ落ちた。頭を抱えて項垂れる、無防備な姿だった。


 首を取るのは容易だった。

 しかしいつまでたってもガイルは手を下さない。剣先が震えている。


「おい」


「わかっている」


「こんなところで足止めを喰らっている場合じゃない。時間が過ぎるほどアルマたちの安全を確保できなくなる。本当にわかっているのか」


 それでもガイルは非情になりきれていなかった。

 うずくまるザインを見つめる瞳は葛藤に揺れる。


「王様とそいつ。どっちが大事だ」


 ミスイのその一言で、ようやく決心がついたらしい。

 ガイルが剣を振り上げた。震えはもう収まっている。

 平坦な声でガイルは告げた。


「ザインよ。さらばだ」


 介錯の一撃がザインの首に振り下ろされる。

 突如、銃声とともに刀身が砕け散った。短くなった剣は宙を切る。

 ミスイとガイルが音源に目を向ける。


 いつの間にか、転移してきたギードがショットガンを構えていた。

 騎士剣を破壊する威力を持った弾丸————これは散弾じゃない。スラッグだ。

 ガイルは予備の剣を抜いて、既に駆け出していた。


 ギードが銃口を上げるが、高速で動くガイルに狙いをつけられない。

 舌打ちをしたギードは、しかし悪魔のような笑みを浮かべた。接近してくるガイルを無視して、ザインに狙いを定め直した。


 ガイルが方向転換した。


「よせ!」


 ミスイの声は届かなかった。

 甲高い銃声とともに、ガイルの手首が破裂も同然に抉れた。剣を取りこぼし、苦悶の表情を浮かべながら膝をつく。


 上下二連式の散弾銃から排莢し、ギードは新たな弾丸を込めた。

 すかさず引き金が引かれた。

 ガイルの胸部に血飛沫が上がった。致命傷を受けた人間特有の、瀕死の呻きをきいた。だが身体は崩れ落ちず、上半身は直立の姿勢で踏みとどまる。


「へえ。さっすが騎士様。やるじゃん」


 上機嫌のギードが今度はミスイに銃口を向けた。

 一切のズレがない。引き金を絞れば間違いなく命中する。

 全身の血が冷たくなる感覚があった。遮蔽物がなくなったこんな場所では回避など不可能だった。


 獣のような咆哮を上がった。

 ガイルは生きている左手を使って、自らの剣を投擲した。

 苦し紛れでも破れかぶれでもない。投げられた剣は綺麗な軌道で縦回転をしている。


 ぎょっとしたギードは、咄嗟にその銃身で体を庇おうとした。だがその程度で防ぎきれるはずもない。

 ショットガンを真っ二つにし、ギードの左腕を斬り落とし、刀身が腹にまで食い込んでようやく止まった。

 あまりの激痛にギードは絶叫することもできず、その場でのたうち回った。


 ザインも動けずにいた。

 逃げるなら今しかない。

 ガイルの身体を抱え、ミスイは駆け出そうとした。だが、その巨躯が信じられないくらい重い。背負うどころか引きずるだけで精一杯だった。


 意識を喪失しかけ、重心が定まっていないせいか。


 流れ落ちる血液がミスイの行方を示してしまう。痕跡を消している余裕はない。バレバレでも今は一歩でも遠くへ逃げなくてならない。

 背後でギードの声がした。地獄から這ってくる呪詛のようだった。


「このままラクには死なせねえぞ————貴様らァ!!」



 まずい。まず過ぎる。

 ガイルの出血が凄まじい。撃ち落された右手首から絶えず血が流れ、胸部・腹部の激しい損傷で内臓がこぼれ落ちそうになっている。これでまだ生きているというのだから奇跡のようなものだ。


 だがもうまともに動けるはずもない。

 戦えない人間など捨て置けばいい。合理的な判断を下せばそうするべきなのに、気が付けばこんなことをしている。ミスイにはガイルを救う手立てがないというのに。


「————なぜ、俺を置いていかなかった」


 喋った。聞き間違えじゃない。ミスイは信じられない心地だった。

 ガイルは口から血を吐き出した。なにか告げようとしているが言葉がはっきりしない。つい数分前まで重くて仕方なかった身体は、いまはむしろ軽く感じた。


「知るか。お前こそ、何故あの騎士を助けた。裏切り者だろ」


 ザインを庇おうとさえしていなければ、銃弾が直撃することはなかった。

 血の気を失った青白い顔で、ガイルは自嘲気味に呟いた。


「わからない」


「………」


「ザインは」


「生きてる。魔力反応を感じ取れる」


「そうか」


 ほとんど苦痛を感じていないような、穏やかな口調でガイルはささやいた。


「よかった」


 ミスイの手に力がこもった。

 ガイルを抱え直す。極力揺らさないようにしながら先を急ぐ。


「リュシーと合流する」


「よせ。いくら回復魔法でも治せない。それに間に合わない」


「まだわからない」


「もういい」


「王様はどうする。生きていてほしいんじゃなかったのか。あんたが守るんだろ」


 蒼白の顔面がわずかに曇った。

 目を何度か瞬かせ、意識を保とうとする。しかし次第に目が見えなくなってきたのだろう。光彩が失われつつある。


「ミスイ」


 ガイルは初めてミスイの名を口にした。


「お前にこんなことを言うのは筋違いだとわかっている。だが聞き入れてくれないか」


 懇願する口調だった。何を言い残そうとしているのか聞かずともわかる。


「王を……ルーカス陛下を助けてほしい」


 拒絶したい願いだ。

 それはガイルが為すべきことのはずだ。

 ミスイは首を振った。


「クロカミ・ユラクの子供に、そんなことを頼むのか」


「お前はユラクとは違う」


 何を根拠に。

 ユラクと会ったことなどないくせに。俺をよく知りもしないくせに。

 反抗的な気持ちが湧き上がってくる。ミスイを善人のように思い込むことで安心したいのだろう。藁にも縋りたい心境というやつだ。


「何も違わない。生まれたときから俺の人生は決まっていた。みんな、そうだった」


 何十人といた兄弟姉妹は、誰もユラクの呪縛から逃れることができなかった。

 ときたま、耐えがたい暴力衝動に苛まれることがある。反面教師にしたいはずなのに、ユラクとの血の繋がりをずっと感じている。


「子供は父親の影響を受ける。どんな人生であれ、ルーツは書き換えられない。血筋はそれだけ強い」


「そうだろうか。だとしたら……」


 ガイルは、遠くを眺めるような眼差しになっていた。

 誰にきかせるわけでもない独白のように、ガイルの言葉がこぼれた。


「俺はあの人のようになれただろうか」


「……。お前まさか」


 聞き返すも、もう反応はなかった。

 血を流し過ぎたせいだ。

 騎士ガイル・テールベルトは絶命していた。

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