第21話

「お前、昨日スラムにいただろ」


 褐色の男————リヴデは肩をすくめた。


「まさか逃げられるとは思わなかった。流石だ。種無しと思い込んで油断した。だがその黒髪はおぞましい。染めてみたらどうだ」


「なんで俺を襲ってきた」


「それが仕事だったからだ」


 リヴデは教室の隅を見た。

 刹那、リヴデはルーカス陛下の真横に転移していた。腕を伸ばすとルーカスの姿が消えた。


「なっ……陛下!」


「次はお前だ」


 また姿を消した。リヴデはミスイの手首を掴んでいた。

 振り払おうとしたところで魔力が流れ込んできた。転移魔法の発現条件を満たしたに違いなかった。しかしミスイの体に異変はなかった。


「ふむ。やはりか。お前まさか……」


 気配を殺したガイルがリヴデの背後を取った。

 目に留まらぬ速さで剣が振るわれる。だが空を切っただけだった。リヴデはもうそこにはいない。


「貴様、陛下をどこへやった!?」


「種無しは喋るな。耳が腐る」


 鬱陶しそうにリヴデが耳を押さえる。

 リュシーがぼそりと呟いた。


「……自分の手で触れていることが、転移の発現条件?」


 リヴデは邪険な態度を取らなかった。むしろ、わずかに目を輝かせているかのように見えた。


「正解だ。いい観察眼だな。より正確には、俺の魔力を流し込む必要があるが」


「いいの? そんな風にベラベラ喋って」


「構わない。優秀な魔法使いは俺と対等に話す権利がある」


「その驕りと油断が命取りになる」


 リュシーが銃口をあげようとした。

 だがその動きを予期していたのだろう。リヴデは転移で一気に距離を詰めてくる。その手があと少しでリュシーに触れようとしていた。


「リュシー! よけて!」


 アルマの悲鳴が響いた。が、心配には及ばなかった。

 リュシーの身体が反転した。手を地面についた体勢から側転する。通常では考えられないほど柔らかく、しなやかな動きだった。

 リヴデがあとを追う。だが曲芸師じみたアクロバティックな動作は次が読めない。リュシーが腰をうねらせ片脚を上げた。変則的に放たれた蹴りがリヴデの顎をかすめた。


「おおーっ!?」


 反動を利用し、リュシーは宙返りをきめて着地する。ほとんど無音だった。


「えー!? なにその動き! すごくない!?」


 そんな場合ではないだろうに、アルマは拍手を送っていた。

 リヴデも思わずといった感じで口笛を吹いた。


「見事だ。いい動きをする。俺についてこないか」


「お断りよ」


 リュシーはスカートベルトに手をあて、はっとした。腰に挿したはずのハンドガンがなくなっている。


「だがこんなオモチャで遊んでいるのは感心しない」


 リヴデが手で弄んでいたのは、リュシーが持っていたはずのベレッタだ。あの攻防の中でわずかに触れていたようだ。


「俺はお前の魔法が見てみたい」


 リュシーは歯噛みしていた。

 彼女の魔力は底を尽きかけている。むやみに魔法は使えない。しかし魔法以外でリヴデを制圧する方法が見えずにいる。


 そのとき、ハミッシュが耐えかねたように叫んだ。


「おい! 私はもう関係ないだろ。早く解放してくれ」


 リヴデが冷ややかな眼差しでハミッシュを眺めた。


「なんだお前。まだいたのか」


「こいつらのところまで案内したら、私を助けてくれる約束だったじゃないか。私はお前たちの言う通りにした。その転移魔法で私を家まで帰してくれ」


「そんなつまらないことを言うために俺の邪魔をしたのか」


「私は伯爵家だぞ! 貴族だ! クソ黒人もどきが。白人の私に楯突くのか」


「貴族らしい口の利き方とは思えないが」


「なんだと!」


 ハミッシュが激昂し、さらに何か言いかけた。

 だがリヴデは面倒そうにハンドガンの銃口を向けると、途端に表情筋をひきつらせた。


「お、おい。嘘だろう?」


「もういい。死んでおけ」


 乾いた銃声が連続した。リヴデは銃の扱いに慣れていないらしい。反動によろけながら、鉛弾を五発ハミッシュに撃ち込んだ。頭部を狙うつもりだったらしいがその全てがハミッシュの胸部周辺に命中した。制服が真っ赤に染まる。


 苦しげにハミッシュがうめいた。呼吸の変化から、肺と腹に穴が空いたとわかる。

 救いを求めるように、ハミッシュが手を伸ばした。だが、誰もその手を取れなかった。血を吐いたハミッシュの顔が横向きになる。瞬きすらしなくなった目元から涙がこぼれた。


「ひ、ひどい……」


 腰を抜かしたアルマが嗚咽を漏らす。

 あまりにもあっさりと、そして無残にハミッシュの命は散った。


「アルムグレーンの貴族は醜い者たちばかりだな」


 リヴデはハンドガンを放り捨てながら呟いた。


「自分が助かるために階級の低い貴族を生贄に差し出してくる。親の力を己の力だと本気で信じ込む。こんな連中が国を回していくのだから面白い。イーデルシアが攻め込むまでもなく、滅びるんじゃないのか」


「馬鹿にするな!」


 部屋に地鳴りのような打撃音が響いた。ガイルが思い切り壁を殴ったのだ。

 大きな声を轟かせる。


「ルーカス陛下が愛したアルムグレーンを、何も知らない異国の民が愚弄するな! お前の目論見通りになどならん。泣きをみるのはイーデルシアだ!」


 リヴデは鬱陶しそうに髪をなでた。

 魔力を持たないガイルの言葉は、聞く気にもならないらしい。

 その場に膝をつき、リヴデは両の掌を地面に触れさせた。


 リヴデを中心に魔法陣が浮かび上がった。あまりにも巨大だった。魔力の気配に敏感なミスイはその規模を肌で感じ取れていた。研究室内では収まり切らず、術式が部屋の外————研究棟の半分ほどを浸食している。


「少し大雑把になるが、これなら逃げられまい」


 何が起ころうとしているか、想像に難くない。

 ミスイは倒れ込みながらリヴデの魔法陣に自分の魔力を流し込む。


「クロカミ。お前のことは後で迎えにいく」


 目の前の全てが掻き消えていく。

 机も椅子も、古びた魔導書も破れた書類も。


 怒りに震えるガイルも。

 焦燥に駆られたリュシーも。

 こちらに向かって必死に手を伸ばしていたアルマも。


 次の瞬間、全ては無になった。

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