第20話

 五人は教員部屋の戸口前に屈みこんだ。

 気配を殺しながら、リュシーが引き戸をわずかに滑らせる。顔を出さずに廊下の様子を見ていた。


「誰もいない。今行くべき」


 研究棟は目と鼻の先だ。

 五人で一斉に移動したとしても、本校舎を抜け出すのに十秒もかからない。


「私とガイルさんが先頭。その次に陛下とアルマ。……最後尾はあなたが守って」


 リュシーの提案にミスイは眉を寄せた。


「俺を後方にした理由は」


「奪った銃があるから。それで援護してほしい」


「ハンドガンの銃声でも本校舎の隅々まで響く。極力使う気はない。これから敵に遭遇したときも銃を撃たれる前に無力化していく必要がある」


 そうしないと一斉に敵が押し寄せてくる。

 リュシーは思案顔になり、改めて告げた。


「それなら私が魔法で後方から支援する。あなたが前に出て」


 ミスイは頷いた。

 だが次の瞬間、リュシーが口にした提案に面食らうことになった。


「その銃、私に持たせてほしい」


「なんだと」


 アルマまで息を呑んだ。いや、ルーカスとガイルも同様だった。

 クロカミ・ユラクの銃を使いたいなど、誰が思うだろう。その恐怖とおそろしさをまさに体験している最中だというのに。


「正気か」


「残りの魔力は少ない。底を尽きれば私は足手まといになる。武器があるなら活用しない手はない」


「そんなことしなくていい」


「その結果死んだとしても?」


 ミスイは返答に詰まった。

 リュシーの目は本気だった。生存確率をわずかでも高めるため、貪欲に知識を吸収しようとしている。彼女は優秀だ。すぐにでも使いこなしてみせるだろう。

 本当なら教えたくはない。だが……。


 ミスイはベレッタを手渡した。

 アルマが何か言いかけたのを、リュシーが制する。


「この部分を引けばいい?」


「いや。安全装置がかかってる。撃つとき以外はセーフティの状態に。暴発の危険がある」


「この窪みは」


「リアサイト。このフロントサイトと両方を標的に合わせて狙いを定める。構え方は……」


「見ていたからわかる。他に気を付けることは」


「かなり音がうるさい。初めて撃ったやつはそこにビビって不安になる。聴覚も一時的に麻痺する。それから————」


 約一分程度、リュシーとの講座が行われた。ミスイ自身、思い出しながら説明する部分が多かったが、自分でも意外なほど鮮明に覚えている。幼少期から叩き込まれたせいだろうか。


「無理に当てようとしなくていい。威嚇射撃でも充分脅威になる」


「わかった。ありがとう」


 ベレッタをスカートベルトの腹部にしまいながらリュシーはこたえた。

 部屋を出る前に、ミスイはガイルにも声をかけた。


「あんた。その鎧は脱いでいった方がいい」


 ガイルの頬筋がひくついた。


「俺に、騎士の誇りを捨てろというのか」


「あいつらの武器の威力じゃその鎧は紙屑同然。身軽になった方が王様を守れるんじゃないか」


 ガイルは神妙な面持ちで自分の鎧に触れた。ついでルーカスに目を向ける。

 葛藤に瞳が揺れている。

 だが意を決したように息を吐き出すと、ガイルは素早く、それでいて丁寧な手つきで装備を外していった。そこまではやい脱着が可能なのか。ミスイは妙なところで感心した。


「これで満足か」


 続けて悪態の一つでもつきそうな場面だが、ガイルはどうにもおとなしい。

 少し気がかりだが、これ以上一ヶ所に留まるのは危険だ。

 震えるアルマの背中を押しつつ、リュシーと顔を見合わせる。敵がいないことを再度確認して戸を開け放つ。取り決めた陣形で行動を開始した。


 本校舎を問題なく抜け出し、研究棟へ続く道が見えた。周囲を警戒したが敵兵の姿はなかった。

 妙だ。人員を回せていないのか見張りすらいない。

 ミスイは警戒心を募らせるが、裏腹に問題なく研究棟に忍び込むことに成功した。


 拍子抜けに感じる。リュシーも顔が険しかった。


「変ね。誰もいない」


 ミスイは近くに転がっていた靴を拾い上げた。長く伸びている廊下に放り投げる。

 異常なし。もう片方も投げ込むが何も起きなかった。ギードは地雷も造ったと言っていたがここには仕掛けられていないようだ。


 ミスイが先頭に立ち、誘導する。階段を降り、地下へ。しかしどれだけ進んでも敵と遭遇することはなかった。

 言いようのない不快感が込み上げてくる。


「罠か?」


 開かずの間はすぐそこだ。

 敵側には少なくとも一人以上の魔法使いがついているはずだ。魔術結界を作動させたのもそいつだろう。ここの守りを固めていないのは異常と言える。


「あえて人員を置かなかった可能性は」


「なんのために」


「私たちを一網打尽にする策があるとか」


 そんなものがあるとしたらぞっとする。

 例えばミスイたちが研究棟に踏み込んだのを見計らい、殲滅級魔法を放ち建物ごと消滅させる——考えにくい。奴らにルーカスを殺害する意思がない以上そういう手段は選んでこない。同じ理由で地雷等も仕掛けられているはずもなかった。


 リュシーが立ち止まり、何かしらの魔法を発現した。

 指を床に這わせる。しばし座り込んだかと思いきや、浮かない顔を上げた。


「索敵魔法にも引っかからない。この研究棟には私たち以外の人間はいない」


「ますます意味がわからん」


「本校舎の方に釘付けになってんじゃない? まだ私たちが上の階にいると思い込んでてそっちに気を取られているとか」


 アルマが助言をくれるが、納得いかない。

 今にしてみれば本校舎を容易に抜け出せたのもおかしい。自分がギードの立場なら一階と建物周辺にも人員を回す。


 そのときミスイとリュシーは顔を上げた。

 魔力反応があった。研究棟の入り口付近、人数は一人。


「誰かきた」


 全員の顔に緊張が走った。ガイルは剣を抜き、ルーカスのそばについた。

 リュシーは再び、指で床に触れた。


「敵? 他の反応がないのは何故」


「いや。そいつは学院生だ。敵側の魔法使いじゃない」


 ミスイはきっぱりと言い切った。

 リュシーが妙な顔をする。


「どうして断言できるの」


「それより他に反応がないのは確かか。俺は魔力持ちの反応なら見逃さない自信があるが、魔力ナシ相手はさっぱりだ。本当にギードたちはいないのか」


「ええ。索敵に引っかかっているのは一人だけ。他には誰もいない」


 不可解な状況だ。どうしてあいつが一人でこんなところに。

 魔力反応に動きがあった。研究棟に入り込んでくる。走っているのがわかる。

 リュシーもそれを感じ取っている。険しい顔を向けてきた。


「どうするの」


「お前はもう魔法を使わなくていい。こいつの反応は俺が追う。予定通り開かずの間に急ぐ」


 慎重に移動してきたが、もうなりふり構っていられない。

 全員で全力疾走する。足音が響くのは気にしない。一気に階段を駆け下り、最下層にたどり着いた。突きあたりが開かずの間だ。


 重々しく、厳かな門が目に入る。

 ミスイたちは言葉を失った。閉じられた門に魔術式が刻み込まれている。どういう術式なのか、学識のないミスイにはわからなかった。

 しかも、リュシーにすら見当がつかないらしい。茫然と魔術式を見上げる。


「わからないのか」


「さっぱり。見たことのない文字が編み込まれてる」


 ミスイは意を決し、門に手をかける。開かずの間は一定量の魔力を注げば開く仕組みだ。だが今は魔力が流れていかない。明らかにこの術式のせいだった。

 落胆に似た感情に吞まれそうになる。時間がないのに。

 そのとき、ルーカスが小声で呟いた。


「まさか、西側の魔術か」


 沈黙が広がった。

 リュシーは驚いた顔で振り返った。


「おわかりになるのですか」


「ところどころ覚えのある文字が散見しておる。だが、どれもアルムグレーンでは使われておらん。イーデルシア帝国の魔術式によく似ているな」


「え、あの侵略国家の!?」


 アルマが驚くのも無理はない。

 イーデルシアからアルムグレーンへ渡るには国境を三つ越える必要がある。貿易による交流もない以上、それだけ遠方の人間が訪れるはずもない。


「確か、つい最近隣国が帝国に攻め込まれたって」


「その通りだ。国としても対策を講じなければならないところだった。しかし……」


 ルーカスは青褪めた顔で、頭を抱えた。


「遅かった。これはイーデルシアからの宣戦布告だ」


 話の規模が大きくなってきた。

 自国内のトラブルには留まらない。国家間との戦争すら視野に入ってくる。

 クロカミ・ユラクの銃火器。内通者。イーデルシアの侵攻。

 ルーカスにはどれも頭の痛い問題だ。


 リュシーは神妙に頷いた。


「合点がいきました。魔法先進国イーデルシアの出身なら、この劣悪な環境でも難なく魔法を行使できると思います。まさか内通者は帝国への亡命を考えているのでしょうか」


「近年は優秀な人材の流出が深刻だったが、まさかここまでの事態になろうとはな」


 ルーカスは自嘲気味にこぼした。

 その横で、ガイルは剣を固く握りしめていた。兜の騎士なる人物が内通者である説が濃厚な以上、自責の念に駆られているのかもしれなかった。


「そういう難しい話はあとにしてくれないか。リュシー。こいつをディスペルで無効化できるか」


「無理。読めもしない魔術式を無効化するにはまずは解読作業が必要になる」


「どれくらいで可能だ」


 リュシーは言いづらそうだった。


「最低でも一時間は欲しい」


 そんなに悠長にはしていられない。

 魔力反応はすぐ上の階にまで降りてきている。

 ミスイは全員を先導し、来た道を引き返すことにした。最も近い研究室に入り込む。

 室内は荒らされていた。魔導書と、ミスイでは読めない言語の書類が散らばっている。

 倒れていた机と椅子を蹴ってどかす。大立ち回りをするなら、足場に物が散らかっているのは邪魔でしかない。


「ここって、さっきみたいな隠し通路があったりする?」


「ない」


「ないの!?」


 研究費を私用に使った証拠とかならあるが、そんなものが必要になる場面じゃない。


「王様、それと騎士団長も。ドアから離れて身を隠してくれ」


 隅に寄せた机や椅子が山のように盛り上がっている。人が隠れるスペースくらいはあるはずだ。


「敵がきているなら俺も仕掛ける」


「いや、まだ敵なのかどうかはわからない」


「何を言っている? 学院内を自由に動き回れるのは奴らだけだぞ」


「駄目だ。身を隠せ。心配なら剣は抜いておけばいい」


 渋々ながらガイルはミスイの指示に応じた。ルーカスを連れ、姿を隠す。

 相手がどういう出方をしてくるかわからないが、見えない敵こそ脅威になるはずだ。


「ね、ねえ。誰かくるなら私たちも隠れたいんだけど。いいよね?」


「いや、横にいろ。リュシーも」


「なんでよ!」


 今にもパニックに陥りそうなアルマの肩に手を置く。ミスイは穏やかに告げた。


「死なせない。約束する」


 ぴたりと、アルマの動揺が嘘のように収まった。

 薄目でミスイを睨んでくる。いや、これは睨んでいるのだろうか。見方によっては微笑みかもしれない。口を真一文字に結んで黙ったかと思いきや、何かいいかけてやっぱりやめる。頬がひくひくとしていた。


「ごめん。どういう顔していいかわからない」


 アルマは背中を向けた。

 彼女の複雑な心境はミスイに伝わっていなかった。安心させようと彼女の背中をさすろうとすると、見えないはずなのに避けられてしまった。


「……少し見ないうちに随分仲良し」


 リュシーは胡乱げな目を向けていた。

 手にはハンドガンが握られている。セーフティが解除されていた。いつでも射撃が可能な状態だが、ミスイは忠告した。


「いきなり発砲はしないように」


「どうして。明らかに不審」


 そんなことは承知している。

 だが情報を引き出せるかもしれない。

 足音が廊下に響いた。まっすぐにこの研究室に近づいてきている。アルマがミスイの腕を掴んできた。痛いくらいに強い。それだけ不安に感じているのだ。


 人影が戸口の向こうに移り込んだ。

 こちらを注視している。今にも踏み込んでくる。

 荒い呼吸をしたリュシーが銃口を入り口に向けている。さすがの彼女も、この状況で平静ではいられないらしい。


 控え目に戸が引かれた。

 その人物を目にした途端、アルマは驚愕した。


「ハミッシュ!?」


 リュシーも目を瞠った。ハンドガンの銃口が下がる。

 ハミッシュ・フォン・アルベールは、くすんだ金髪をかきあげた。

 殴打の痕が露わになった。頬と顎が内出血により紫色になっている。あちこち裂けた制服の下も似た有様だろう。鼻と歯まで折れていた。


 憐れな姿だ。よく目にしていた姿とは随分とかけ離れている。


「ひどい怪我」


 満身創痍なハミッシュは今にも倒れそうだった。心配したアルマが彼に駆け寄ろうとする。その腕をミスイは掴んだ。

 アルマが怪訝な顔で見つめてくる。


「離して、ミスイ。あいつは嫌な奴だけど流石に可哀そう。手当しないと」


 ふらついた足取りのハミッシュは床の魔導書に躓き、派手に転んだ。書類も一緒に散らばった。

 今度こそアルマはミスイの腕を振り切った。ハミッシュの身体を起こすと心配そうに顔をのぞきこんだ。


「大丈夫?」


「さわるな。下級貴族が」


 ハミッシュはアルマを突き飛ばした。だが力がこもっておらず、アルマの手が離れただけだった。支えを失ったハミッシュが再び床に突っ伏した。

 苛立ちから、何度も床を殴りつける。


「クソ、クソ……! なんで私がこんな目に」


 血走った眼がぎょろぎょろと動く。

 その剣幕に圧されたのか、アルマがおずおずとハミッシュから距離をとった。

 息も絶え絶えのハミッシュがうめいた。


「陛下は」


「え」


「陛下はどこだ」


 地べたに這いつくばったまま、ハミッシュは喚いた。


「へ、陛下なら————」


「ここにはいない」


 ミスイが言葉を遮る。

 ハミッシュは不快そうに顔をしかめていた。


「お前には聞いてない」


「ここにいるのは俺とアルマ、それにリュシーだけだ」


「聞いていないと言っているだろう。私と対等な口を聞くな。何様のつもりだ。薄汚れたスラム育ちが」


 罵詈雑言が止まらないハミッシュに、アルマはむっとした。


「ちょっとそんな言い方……」


「全部お前のせいだ。お前がいたせいでおかしくなった。あの種無し共が。絶対に殺してやる。反省しろ。謝れ。私にこんなことしておいてタダで済むと思うなよ犯罪者!」


 ハミッシュが早口に捲し立てる。誰を責めているのか判然としない。

 ミスイは白けた気分で聞き流していた。元気がある内にきいておきたいことがある。


「お前どうやってここまできた」


「偉そうに。私より高い位置で喋るな」


「王様を見つけてくるように言われたんだろ。ギードから」


 ハミッシュの双眸が大きく開く。慌てふためき動揺を示した。


「な、何をわけのわからないことを」


「言う通りにしたら助けてやるって言われたか。あいつらにそんな気はないのに」


「で、デタラメをほざくな。私は隙を見て講堂を抜け出したんだ。必死に逃げているうちにここにたどりついて……」


「嘘」


 そう否定したのはミスイではなくリュシーだった。

 瞳には警戒の色が宿る。ハミッシュを敵と認識したらしい。彼女はもう一度銃口を上げた。


「き、貴様。なぜあの連中と同じものを……」


「質問に応えて。ハミッシュ。どうやってこの研究棟までやってきたの」


「だからそれは逃げてきたからだと」


「それが嘘だって言ってるの。あんたの魔力反応は研究棟の前に突然現れていた。移動してきたわけじゃない」


 銃を向けられ、ハミッシュは気が動転していた。

 だが、それでも言い訳は繰り返された。


「お、隠密の魔法を使えるのだ」


「自分で言ってて悲しくならない? そんな上級魔法をあんたが習得できるはずない。気配を絶つ魔法は特に使用者の力量が反映されやすい。私があんた程度を見落とすはずない」


「無礼な! 平民風情が舐めた口を! つまらない憶測で私を悪者扱いか。父上に言いつけるぞ!」


 呆れたと言わんばかりに、リュシーはハミッシュから視線を外した。代わりにミスイに目を向ける。


「ミスイ。建物に入ってからのこいつの動きは」


「すべての部屋を手当たり次第に移動。走っては中に入り、最終的にこの最下層にやってきた」


 まるで見ていたかのような物言いに、ハミッシュの顔から血の気が引いた。


「なんでそこまで……いや、どうやって」


「昨日、魔力暴走を起こしただろう」


 脈絡についていけなくなりハミッシュの目が点になった。

 勘の良いリュシーは今の一言で事情を察したらしい。


「まさか」


「あれは俺の仕業だ。魔力弾を浴びせた結果、制御許容量を超えてお前は魔力暴走を引き起こした」


 魔法を使えたことはないが、魔力を飛ばすだけなら簡単だ。

 そして己の魔力反応は遠く離れた場所でも感知がしやすい。体とリンクしているような感覚が残るからだ。ミスイの魔力を摂取してしまったハミッシュの動きは地下からでも正確に把握できた。


 アルマが耳元でささやいてきた。


「ミスイが真っ先に私を見つけてくれたワケって……」


 ハミッシュに注意を向けたまま、頷いた。

 あの日、アルマはミスイの魔力をわずかにだが吸い込んでしまった。異物が入り込んだと勘違いした身体は拒否反応を起こし、吐き気や立ちくらみを起こす。


 今となって怪我の功名だった。おかげでいち早くアルマと合流できた。


「魔力暴走が、貴様の仕業だと……」


 ハミッシュは憤怒の形相だった。


「き、聞いたか! この奴隷は、あろうことか伯爵家の私に無実の罪を着せ、恥をかかせたのだ。一体どれだけの人間に迷惑をかければ気が済むんだ。おい、何をしている。そこのゴミクズを早く捕まえろ!」


「自分で勝手にかいた恥」


 リュシーは短い言葉で一蹴した。

 アルマも、今は冷ややかな目でハミッシュを見下ろすばかりだった。


「陛下を見つけたとして、どうやってそれを知らせるつもりだったと思う? 今も一瞬だけ索敵したけど、やっぱり敵は誰もきていない」


「その点ははっきりさせたい。ハミッシュ。やつらとの連絡手段があるのか」


 ミスイは膝をついて問いかけた。

 だがハミッシュはそっぽを向いて口をきく気配がない。ミスイはナイフを眼前に突き立てた。脅しのつもりだった。

 だが驚いたことにハミッシュの余裕の態度は崩れない。慌てふためいてベラベラと口を割る図を想像していたのに。


「もう遅いんだよ」


 ハミッシュが魔力を流した、そう認識した瞬間には彼を中心に魔法陣が発生した。

 開かずの間にあった、イーデルシアの魔術式と酷似していた。

 展開が早い。止める間もない。


「私に身分不相応の口をきいたこと、あの世で後悔するがいいさ」


 何もない空間から銃器武装した迷彩服が八人出現した。

 ミスイはその光景を信じられない気持ちで眺めていた。


 転移魔法だ。


 だが、これだけの人数を一度に転移させるなど魔導士クラスでも不可能だ。

 これがイーデルシアの魔法使いの実力なのか。

 アサルトライフルを構えた兵がミスイたちを囲んだ。


 為す術なくハチの巣にされる。そう覚悟したときだった。

 後方で咆哮が上がった。

 跳ね起きたガイルが、迷彩服に猛然と斬りかかる。二人まとめて胴を両断し、すぐさま次の標的に突進していく。倒れ込んだ敵兵に剣を突き立てた。


 思わぬ方向からの奇襲で敵兵の意識が逸れた。

 しかし既に何人かがガイルに狙いを定めつつある。

 発砲などさせない。

 敵兵に肉薄した瞬間、頭に浮かんだのは父に教わった知識だった。ミスイは姿勢を低くして人体の急所——大体動脈を切り裂いた。

 予想以上に血液が噴出し、敵兵は倒れた。即死ではない。しかし全身が麻痺しているのか満足に指先すら動かせていない。


 顔に返り血を浴びながら立ち上がったとき銃声が響いた。

 ガイルが撃たれたのかと肝を冷やしたがそうではない。倒れたのは敵のほうだった。

 仰向けになったリュシーが続けざまに発砲した。破裂も同然に敵兵の頭が割れる。上半身だけを起こした体勢で射撃するスパインだった。


 ミスイたちは連携をとり、瞬く間に六人の兵を無力化した。しかし全ての敵に注意を向けることはできない。

 少し離れた位置にいる迷彩服がミスイに銃口を向け、今にも引き金を引こうとしている。どれだけ速く接近しようとも着弾が先だ。ナイフの投擲も間に合わない。


 ところが、突如出現した影が敵兵に飛びつき、横倒しになった。銃口が火を噴くが、ミスイへの狙いは逸れ、蛍光灯の破片が飛び散った。

 アルマは敵兵と揉み合いになりながら床を転がる。体格差によりアルマが下敷きになった。迷彩男がアルマの頬を張った瞬間、ミスイは度し難い憤怒に襲われた。


 一瞬で接近したミスイが敵の首をナイフで突いた。引き抜いてみせれば噴水のように血液が流れだした。

 横たわった敵に馬乗りになり、執拗にナイフを突き刺す。兵は苦悶の声をあげていたが、それも段々と途絶えがちになった。力なく伸びてきた手がミスイの服を掴む。やがて脱力し腕がずり落ちていった。


 それでもナイフを振り上げたミスイを、アルマが止めた。

 全身が血まみれになった彼女の姿に戦慄する。だが、負傷していればもっと動きが鈍いはずだ。全て返り血であると悟る。ミスイも同様の有様だった。


「危ないことはするな」


 そんなつもりはなかったのに、咎めるような口調になってしまった。

 危険を顧みなかったアルマの行動にミスイは命拾いをした。礼を口にするべきだと思う。しかし、それは言葉にならなかった。


 ガイルとリュシーの様子を窺う。二人とも息があがっていた。だが無事みたいだ。

 最後の一人は身体を真っ二つに斬られて絶命していた。八人も武装兵が出現したのに、即席チームの割にその連携は悪くなかった。


「大丈夫か」


 声をかけると二人は頷いた。

 ベレッタから煙があがっている。ミスイはリュシーを見つめた。


「初めてにしてはセンスいい」


「向いているかしら」


「異世界でなら傭兵が務まったかもしれない」


 ガイルは剣を構え、周囲を警戒していた。


「こいつらはどこから現れた」


「転移魔法で飛んできた」


「馬鹿な。転移は魔導士数人がかりでようやく一人を運ぶ魔法のはずだ」


「これがイーデルシアの魔法使いの実力なんだろう」


 ミスイはハミッシュのもとへ駆け寄った。

 目論見が外れたのだろう。ハミッシュは泡を食って、逃げ出そうとしていた。


「ば、バケモノかよ、貴様ら……!」


 ハミッシュが一枚の紙きれを落とした。

 拾い上げる。さっき展開したイーデルシアの魔法陣が描かれていた。すぐうしろからリュシーが紙片をのぞきこむ。


「魔力を流すと起動する術式ね」


「ああ。もう効力が失われているが……」


「ここで戦闘があったことは気付かれた」


「ギードたちがやってくる」


 早々に準備する必要がある。

 ミスイは放り出されたアサルトライフルを手に取った。これはHK416か。昔に何度も撃った記憶がある。弾倉を外し、残りの弾を確かめる。


「そっちの使い方も教えて」


 リュシーもアサルトライフルを手にした。

 元よりそのつもりだった。まともな武器が入ったことで反撃に転じられる。刻印で位置が知られてようと関係ない。どうせここで籠城するのだから。



「————全員返り討ちか。種無しは本当に使えない」



 音もなく、その男は降り立った。

 褐色肌に、銀色の髪。その特徴的な容姿を、つい昨夜にも見たばかりだ。

 硬直したのは一瞬だけだった。身体が勝手に動く。ほとんど反射的だった。こいつは危険すぎる。


 ミスイが構えた瞬間だった。手元から忽然とアサルトライフルが消えた。しかもそれだけじゃない。倒した屍すらどこかへ消えてしまった。


「悪いが、銃も防弾ベストも回収させてもらった。どれも貴重な商品だからな」


 何が起こったのか。ミスイは即座に理解した。

 刻印がついた装備類全てを転移魔法で飛ばしたのか。ミスイは冷や汗をかいた。武器も人員も自由に運べるとしたら、汎用性が高く便利な魔法だ。


 リュシーが連続してハンドガンを発砲した。唯一、刻印がされていなかった銃だ。しかし褐色男に命中することはなかった。

 男が展開した魔力障壁が弾丸を阻んだ。ついで、ガイルが剣で障壁を貫こうとしたが、呆気なくはじかれる。

 男の、魔法使いとしての実力が嫌でもわかる。ギードたち武装集団が束になっても、こいつには敵わないだろう。


 悠然とした振舞いで褐色男は室内を見渡した。その視線が、ミスイとリュシーでとまった。

 興味深そうに、目を見開いた。


「掃き溜めに鶴といったところか」


 奴は隙だらけだ。動作に機敏さなどなく、体を鍛えているようにも見えない。

 だが誰も攻撃しようなどとは考えなかった。突っ込めば最後、どこかとも知れぬ場所に飛ばされかねない。


「質の良い魔力持ちに敬意を表して、名乗っておこうか」


 褐色男は恭しく頭を下げた。


「俺の名はリヴデ。イーデルシア出身の魔法使いだ。アルムグレーンでの戦争を起こしにきた」

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