第16話

 ルデナイト鉱石は本校舎のいたるところで発見できた。

 しかしどれだけ破壊して回っても、アルマの魔法は発現しなかった。少しだけ体が軽くなった。そんな実感しかないらしい。


「埒が明かないな」


 囚われている学院生全員が魔法を使えたら、この状況をひっくり返せるかもしれない。

 そう考えていたが少々、楽観的だったかもしれない。思っていたよりもルデナイト鉱石の効果範囲が広い。


「そろそろ別館に回していた人員を戻すかもしれない」


「もし、今度あいつらに囲まれたらどうする?」


「………」


 何も思い浮かばない。出会いがしらに一斉掃射を受けるビジョンしかない。

 広大な敷地面積を誇るとはいえ、いつまでも逃げ回ってなどいられない。二人だけで出来ることにも限界があった。


 クロカミの不安を感じ取ったらしい。アルマが俯いた。


「あなた一人だけなら逃げ出せる?」


「何を言ってる」


「私、妹がいるの」


 アルマは思い詰めた表情をしていた。


「まだ十歳で……危なっかしい。この前も勝手にスラム街の近くに出て、怪我をして帰ってきた。財布とペンダントをなくしたって。親切な人が拾って届けてくれたからよかったけど」


「……ペンダント」


 クロカミは何気なく呟いた。

 アルマは首元から見覚えのあるペンダントを取り出した。収められた写真を誇らしげに自慢してくる。


「妹のエルマ。可愛いでしょ。こっちは母」


 まったく同じ写真を以前も見たばかりだ。

 だが、そんな態度はおくびにも出さないでおいた。


「良い写真」


 そんなことを言われるなんて微塵も予想しなかったのだろう。アルマは驚愕で目を見開き、そして嬉しそうに笑った。


「でしょ。ラトヴィア家は美形揃い。お父様は別だけど」


 なぜ急に家族の話を始めたのか。アルマの胸中がクロカミには分かる気がした。

 こんなときだからこそ話したくなってしまったのだ。

クロカミが自分の話をするのも自然な成り行きだったのかもしれない。


「俺にも妹がいた。双子だった」


 人に話すのは初めてだ。

 アルマの唇が、ためらいがちに震える。おそるおそる訊ねてきた。


「その子はどうしてるの」


「死んだ。五年前に。お前の妹と同じ、十歳で」


 写真のエルマを指差す。

 言葉にしたあとで、明け透けなく言うことではなかったと後悔した。不吉な想像を無理やり追い出していたところだったのに、現実が戻ってきてしまう。


 やがて、アルマは明るい口調で告げた。


「意外。あなた十五歳だったの? 全然見えない。私より年下だなんて」


 クロカミの上背はアルマを優に越す。スラムという過酷な環境で育ったせいか、顔つきも年齢ほど幼くは見えない。驚くにも無理はなかった。


「アルマが三つ上」


「卒業だからね。三年間あっという間だった。きいて驚いてよ。春になったらフィランス家に仕えるんだよ。すごいでしょ」


「……フィランス家?」


「うん。私ね、そこでいっぱい頑張って、爵位を賜るのが目標なの。そうしたらあの大好きな場所で、また昔みたいに……」


 アルマの声が途絶えがちになり、やがて沈黙した。

 彼女は涙をこぼしながら言った。


「ねえ。私のことは置いていっていいよ。足手まといになる」


「さっきと言ってることが違う」


「もういいの」


 アルマが座り込んでしまう。

 癖毛のブラウンヘアーが顔を隠した。


「あなたのおかげで少し生き永らえた。最後に色々話せたのも楽しかった。だから……もういいの」


 絶望的な空気に支配されていく。アルマはすすり泣いていた。もうそこから動く気もないようだ。ここを死に場所に決めるつもりか。

 こんな状態のアルマを連れて回れない。彼女の言う通りに置いていかないとクロカミは危険に晒されるだろう。自分一人だけなら僅かながら生き延びる公算が高くなるはずだ。


 だが、その選択肢には抵抗が生じている。

 一刻を争う状況だ。ためらっている場合じゃない。迅速な決断が求められている。

 取るべき行動は明白なはずなのに、クロカミは一歩も動けなかった。


「アルマ。俺は……」


 今にもどうにかなってしまいそうなアルマに気を取られ、クロカミは背後に迫った殺気への察知が遅れた。

 咄嗟にクロカミは自分の身体を倒した。凄まじい風圧が頭上をかすめていった。


 大柄な騎士だった。アルムグレーン王国の鎧を纏っている。

 なぜ、こんなところに騎士がいるのか。そんなことを悠長に考えていられない。騎士は既に二撃目を繰り出そうとしている。


 跳ね起きたクロカミは距離を取る。直後に振り下ろされた剣撃の余波がクロカミを吹き飛ばした。

 もんどりを打ちそうになるが、なんとか踏みとどまった。大木を彷彿とさせる一撃だ。

 肉包丁を取り出し、クロカミは応戦した。鍔迫り合いになどならない。騎士の剣筋をかろうじて逸らすことで精一杯だ。


 肉包丁から伝わった振動が、手首を麻痺させる。

 受け止めても躱しても衝撃で負傷する。このままではまずい。クロカミはあえて騎士の懐に飛び込んだ。


「……かてえ」


 渾身の力でタックルしたつもりが、鎧に覆われた身体はびくともしない。一瞬の硬直の末、クロカミは突き飛ばされた。騎士は既に前傾姿勢だ。突きの構えだった。

 反射的に左手でナイフを投擲する。目を狙った。命中は期待していないが、わずかでも隙が生まれるはずだった。


 ところが騎士は回避行動をせず、むしろ勢いづいて突進してきた。

 ナイフは奴の目尻に傷をつけていった。

 ありえない。失明しかねない攻撃を避けようともしないだと。


 どういう判断だよ。


 剣の切っ先がクロカミの肩を抉った。

 激痛に顔をしかめてしまい、視界が狭まった。その隙を騎士が逃すはずもない。

 今度は裏拳が飛んできた。鼻血を噴き出しながら後退すると壁におもいきり激突した。意識を手放しそうになる。


 強い。強すぎる。こんな騎士がこの国にいたのか。

 しかも末恐ろしいことに、この男は一切魔法を使っていない。身体強化なしでこの実力。もし魔法補助を受けていたら一瞬で殺されていた。


 すぐ近くに奴の気配がある。


「トドメだ」


 今にも剣を突き立てようとしている。

 死ぬ。すぐそばまで命の危険が迫っているのに、身体は動かない。

 いつ死んでもいい。そんな風に生きてきたつもりだった。だが、終わるときはこんなにも呆気ないのか。


 剣が背中を貫くのを覚悟した。クロカミは静かに目を閉じる。


「騎士様やめて! この人を傷つけないで!」


 アルマの声が響いた。と、同時に誰かが覆いかぶさってくる。

 いや誰かじゃない。アルマ以外にあり得ない。

 突き立てようとしていた剣が宙で止まった。


 騎士は低い声で告げた。


「君は、自分が誰を庇っているのか分かっているのか」


「私の命の恩人を、そんなもので殺そうとしないで!」


「……何を言ってる?」


 騎士がわずかながら動揺を示した。


「そいつが誰か、知らないわけじゃないだろう。そいつは———」


「クロカミだって言いたいんでしょ!? 分かってるよ、そんなことは!」


 金切り声が耳元で響く。アルマはそれだけ必死だった。

 クロカミが身体を起こそうとすると、アルマはさらに密着してきた。小さな動物を雨風から守るみたいに。


「だいじょうぶ。だいじょうぶ、だから」


 アルマが手を重ねてくる。

 彼女の身体の震えが伝わってくる。心臓が尋常でないほどせわしない鼓動を刻んでいた。

 自分だって怖いくせに、アルマは一歩も退かなかった。


「剣を収めてください」


「それはできない。君こそ、そこをどいてくれ」


「どきません! 騎士様が剣を収めるのが先です」


「今は非常事態だ。俺は陛下を守る騎士として、脅威を排除する。その邪魔をするなら————君ごとクロカミを斬り捨てるぞ」


 剣を向けられ、アルマはびくついた反応を示した。

 だがそれも一瞬のことだった。アルマは毅然とした眼差しで騎士を見返した。


「好きにすればいいです。それでも私はここを動きません」


 騎士がじれったそうに歯噛みする。

 クロカミはともかく、アルマを斬るつもりはなかったようだ。だが、いつ気が変わるともわからない。


「アルマ。もういい」


「なにもよくない!」


 そこに二つの魔力反応が近づいてきた。

 一人は藍色の髪をした女子生徒。制服のあちこちが裂け、疲労の色が見える。

 アルマの級友、リュシー・ルトストレームだった。


 そして、奥からもう一人が現れた。

 老体ながらたくましい筋肉がのぞく。その豪奢な装いと貫禄から、クロカミはその人物が誰なのかを悟る。

 ルーカス・エリオ・アルムグレーンだ。王族が、しかも国王が目の前にいる。


「ガイル、これは一体……」


 騎士——ガイル・テールベルトは手で制した。


「陛下、こいつに近づかないでください! 危険です!」


「危なくないってば!」


 リュシーとルーカス陛下はこの状況に困惑しているようだった。

 クロカミに覆いかぶさるアルマ。剣を向けるガイル。遅れてやってきた二人は一部始終を見ていない。何が起きたのか判然としないのだろう。


「おい、リュシーさん! 君からも説得してくれ! 君の友達はクロカミに何か吹き込まれたらしい。いや、洗脳かもしれない。こんな大罪人を庇うなど」


 アルマは憤然と言い返した。


「はあ!? 洗脳って言った!? この人がそんな器用なことできるわけないでしょ!」


「しかし魔法を使えばあるいは……」


「精神汚染の魔法なんてない! そんなの都市伝説。もっと魔法について勉強してくれば!?」


 騎士ガイルは口ごもった。すぐそばのリュシーに視線で問いかける。

 リュシーが短く頷く。相手の意識を鈍らせ、判断を狂わせる魔法なら存在する。だが本人の意思とはまったく異なる行動を取らせるなんて不可能だ。そんなことはあのミルファナにだってできない。


 アルマが自分の意思に従っているのは明らかだった。


 だが、それで丸く収まるはずもない。

 リュシーは指先に魔法を顕現させた。クロカミは目を剥いた。ルデナイト鉱石の影響を受けてもなお、リュシーの魔法は安定していた。魔力操作がずば抜けて優秀なのだろう。


「アルマ。そいつから離れて」


「リュシー。お願いだから話をきいて。この人は無実」


「そんなはずない。アルマこそよくきいて。襲撃者たちが使っていた筒みたいな武器、あれは————」


「クロカミ・ユラクが持ち込んだ異世界の武器。そうでしょ」


 リュシーの目が見開かれた。


「知っているのなら、どうしてクロカミを庇うの」


「この人は無関係だからだよ。お父さんが大罪人だからってその子供まで悪い人だなんて理屈はひどいでしょ」


「……アルマ。私はあなたの優しさを美徳だと思う。でも流石に相手を選んだ方がいい。ハミッシュやニックみたいな小物とはワケが違う」


「リュシーが怖がる気持ちはわかるよ。この人、顔怖いし。愛想ないし。でもそれだけだよ。感情表現が苦手な人なんて珍しくもない」


「——私は、少し特殊な環境で育ってきた。色々な人を見てきたから、これだけは確信を持って言える。その人は何人も人を殺してる。一人や二人じゃない」


 リュシーが纏う空気が変わった。

 冷たく刺すような、鋭い視線。満身創痍な姿だというのに息苦しくなる威圧感を放ってくる。


「もしかしたら本当に、彼はこの襲撃と無関係なのかもしれない。父親が生み出した武器を利用されただけの被害者かもしれない。でも、清廉潔白じゃない。ここに来るまで、誰かを殺したりしてなかった? その手口は妙に手慣れていなかった?」


 アルマは言葉に詰まる。なかなか反論も出てこなかった。

 リュシーが言うように、クロカミは清廉潔白などではない。生まれてからユラクと死に別れるまで数えきれない暴挙をはたらいた。スラムに住み着くようになってからも、クロカミは人に言えないことばかりしている。


 リュシーは魔法を打ち消し、アルマを手招きした。

 だが、視線だけはクロカミを捉え続けている。


「あなたの中に少しでも良心があるなら。私たちを安心させるためにも、まずアルマをこちらに引き渡してほしい。言い分はその後で聞く」


 譲歩したような言い方だが、有無を許さない圧迫感だ。

 リュシーの重心がわずかに移動した。ガイルも踏み込みの体勢だった。アルマがクロカミから離れた途端、一気に接近してクロカミを拘束してくるだろう。最悪殺されるかもしれない。


 アルマがリュシーたちの狙いに気付いたかはわからない。だが、不穏な空気を感じ取ったらしい。彼女はさらに意固地な態度をみせた。


「この人が反撃しなかったら、今頃私も殺されてた! 正当防衛だよ」


「危険人物に変わりない」


「本当に悪い人だったら、私に水を飲ませてくれたりしない! 着替えのとき外に出てくれたり、死体が見えないようにマントで隠したり、そんな気遣いをしてくれる人が悪い人なわけない! リュシーはそういうところを知らないでしょ!」


「心理学の分野にこんな説がある。立て籠もり犯と人質が特殊な状況下で密な時間を過ごすうち、両者の間に好意的な感情が芽生える、と。でもこれは錯覚でしかない。アルマは少し冷静になるべき」


「リュシーが私を置いていったからじゃん!」


 淡々と受け答えをしていたリュシーが言葉に詰まった。


「そ、それは……」


「ひどいよ。あんなところで一人にするなんて。また会えたと思ったら冷静じゃないって? 私が悪いみたいな言い草」


「あのときはそれが最善だと思った。それに言ったはず。私があいつらを引き付けている隙に、学院から逃げ出せって」


「できるわけないよ。そんなに強くないよ。だから誰かにそばにいてほしかったのに。……この人はずっと私を守ってくれたよ。足手まといって感じてそれでも一緒にいてくれた。リュシーとはちがって!」


 リュシーの顔が紅潮した。握った拳が怒りで震える。


「私だって怖かったのに……!」


「やめなさい!」


 厳かで、それでいて切実な響きだった。

 アルマもリュシーも、言い争うのをやめた。

 それまで静観していたルーカス陛下は、苦しげに眉を寄せていた。肩で荒い呼吸をしている。


 ルーカスはもう一度言った。


「もう、やめなさい。今日が人生で最後の日になるかもしれないんだ。つまらない後悔を残すべきじゃない。友達なら仲良くしよう」


 続いて、ルーカスはガイルに言い放つ。


「ガイル。お前も剣をしまえ」


「な、何をおっしゃるのですか、陛下。襲撃者たちの武器は、かつてユラクが生み出した銃火器なのでしょう? そして現場にはユラクの血筋の子供がきている。こいつ以外に首謀者は考えられない!」


「どうかな。彼女も……アルマさんも言っていただろう。父親が大罪人なら、子が全て悪人とは限らない。儂も同意見だ」


「しかし!」


 ガイルはそれでも納得がいかない様子だった。

 だがルーカスの意見が覆らないと悟るや、渋々ながら剣を収めた。一触即発の空気がわずかに和らいだ。

 何か言いたげにガイルはアルマの方を向いた。


「あっ……」


 アルマは気付き、クロカミの上から退いた。

 ようやく解放されたクロカミが身体を起こした。遠ざけていた肩の傷がぶり返してきた。鼻血を拭う。かろうじて折れていないようだった。


「勘違いするなよ、クロカミ。俺はお前を全く信用していない。陛下の温情を有難く思え」


 ガイルの小言を無視し、投擲したナイフを拾う。血を流し過ぎてしまったせいか体がふらつく。

 横ではアルマとリュシーが抱き合っていた。


「ごめん、リュシー。ひどいことを言って。リュシーが必死で私を守ろうとしてくれてたって、わかってたはずなのに」


「いえ。あなたを一人にしたのは変わりない。不安にさせてしまった。だから私も……ごめんなさい」


 仲直りは済んだらしい。ルーカスの顔は穏やかだった。

 クロカミも顔には出さなかったが、同じ気持ちだと自覚した。だが妙な気分だとも思う。他人がどうしていようと、何とも感じなかったはずなのに。


 ふとルーカスが自分を眺めているのに気付いた。

 顎をさすり、何か考え込んでいるように見える。


「なんだ」


「きいてみたいことがあったのだが、かまわないだろうか」


「だから、なんだ」


「おぬしの名前は、なんというのか」


 ルーカスとの会話は、当然ながら全員が耳にしていた。その全員が顔を見合わせ困惑している。

 問われたクロカミでさえ、質問の意図を測りかねた。


「……クロカミだが?」


「それはユラクのファミリーネームだろう。おぬしだけの名前を教えてほしい」


 不意を突かれたような感覚だった。

 アルマが思い出したように呟く。


「そういえば私も知らない……」


「そんなものを知ってどうする」


「いやあ、なに。お前さんのことは報告を受けておったのだが、ユラクの血筋としかわからなくてのう? ややこしいと感じておった」


「なら言う必要はない」


 ここにいるクロカミ性は一人だけだ。識別するのに何の支障もない。

 だが異を唱えてきたのはアルマだった。


「なんで? 言いたくない理由でもあるの」


「そうじゃないが……」


「なら教えてよ」


 クロカミの返答に食い気味でかぶせてくる。名前ひとつに大袈裟な反応だ。

 アルマは期待に目を輝かせていた。そんな風に見ないでほしかった。どんどん言いづらくなってくる。

 ルーカスやリュシーも静かにそのときを待っている。ガイルでさえ、横目にこちらを盗み見ていた。

 クロカミは覚悟を決めた。


「俺の名前は————」


 そのとき、カチリという金属音がした。

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