第14話

 本校舎は別館とは異なり、教室の数が桁違いに多い。

 身を潜める死角が増えるのは有難いが、その脅威はこちらにとっても同じこと。不意打ちの可能性は捨てきれない。


 とはいえ、服飾室までの道中で敵との遭遇はなかった。

 新しい制服に着替えたアルマが教室から出てきた。その腕に男子用の制服を抱えている。


「あなたの分もあるけど……」


 クロカミは首を横に振った。合理的ではないが、そんなものに袖を通したくない抵抗感が勝った。待っている間に衣服の水気は絞っておいた。多少は動きやすくなる。


「不思議だね。誰も見張りがいない」


「ああ。人員を別館側に割いてる。食堂での爆発で敵も混乱してるんだろうな」


「今のうちに逃げ出せないかな」


 無論、ずっとその方法を考えている。アルマだけは逃がしたい。

 クロカミが学院に侵入できたのは、アルムグレーンの魔導士団と奴らが交戦中だったからだ。その混乱の間隙をついたに過ぎない。

 今はもう戦闘の気配がない。魔導士団からの負傷者が増えすぎて、手をこまねいているといったところか。


「アルマ、どこかに隠れて——」


「それは嫌」


 強い拒絶が返ってきた。

 アルマは泣きそうになっていた。


「リュシーと同じこと言わないで」


「リュシー?」


「一緒に逃げてた友達。私のために囮になった」


 その名前の響きには心当たりがあった。

 確か今年の卒業生代表だ。


「リュシー・ルトストレームか」


 クロカミも清掃業務の最中、何度か彼女を見かけていた。

 他の生徒に比べて魔力量が大きく、身のこなしや重心の移動から身体を鍛えているのもわかった。首席に選ばれるのも納得の逸材だった。


「……死んだのか?」


「わからない。捕まってないといいんだけど」


 優秀なだけでなく、肝っ玉も据わっているようだ。こんな戦地で友を匿ったり己を囮にして逃げ回ったり、普通はできない。

 クロカミは結局、アルマとの行動を継続した。二人してどこが安全かもわからない校舎を進む。


 先行していたクロカミがふと足を止めた。背中にアルマがぶつかってくる。


「どうしたの」


「ここにいろ」


 角を曲がった先から血の臭いがする。

 身を屈め、足音を殺しながら進む。クロカミは顔だけ乗り出し、廊下の先を見据えた。

 予想通り、人が倒れていた。学院生でも騎士でもない。迷彩服だ。横たわったまま、ぴくりとも動かない。


 慎重に接近する。おびただしい量の出血だ。肩口から腰にかけて斬られている。

 相手は騎士の誰かだろう。

 近くにはHK416が無造作に投げ出されていた。こんな改良型の銃まであるのか。


「ね、ねえ。もうそっちに行ってもいい?」


 アルマが顔をのぞかせている。

 彼女が到着する前に、クロカミはローブを脱ぎ捨て死体にかけた。

 膨らみを見て取ったアルマの表情が沈んだ。


「誰か死んでたの? まさか……」


「いや敵だ。お前の友達じゃない」


 アルマがほっと胸を撫で下ろす。

 彼女の位置から見えないように死体をまさぐる。ゴーグルとマスクを剥いだ。三十前後くらいの男の顔が露わになる。特に強面というわけでもない。どこにでもいそうな顔立ちをしている。


「この人たちなんなんだろ。プロの傭兵なのかな」


「絶対違う」


 クロカミは言い切った。


「反動でいちいち仰け反るし、ジャムるって言葉の意味すら知らなかった。特に体を鍛えている風でもない。つい最近になって加入したチンピラだ。今日の襲撃のために、似たような連中をかき集めて銃の撃ち方だけは教えた。そんなところ」


 話しながらも手は止めない。男の装備から使えそうな武器を探す。

 だがやがて浮かない顔になったクロカミは、何も取らずに立ち上がった。

 未練なく立ち去ろうとする素振りにアルマが静止をかける。


「待ってよ。これ、いいの?」


 床に放ったままのアサルトライフルを示してくる。


「向こうと同じ武器なら勝てるかも。使い方わかるんでしょ」


 父が生きていた頃に何度も同じ型の銃火器を撃ったことがある。今でも取り扱いに支障はない。しかし使うに使えない事情があった。

 クロカミはアサルトライフルを拾い、アルマの眼前に突き付けた。

 アルマが素っ頓狂な声をあげる。


「い、いらない! そんな物騒なの。あなたが持ってよ」


「違う。よく見てほしい」


「えっ? あ……これ、もしかして刻印がつけられてる?」


 クロカミは首肯した。

 奴らにとって生命線の武器だ。もし誰かの手に渡ってもすぐに奪い返せるように、保険をかけるのは当然のこと。第三者の魔力がべったりと付与されている。


「自分でマーキングした魔力はどこからでも感知できる。敵は魔法使いも揃えているらしい。持ち歩けば居場所を教えることになる」


「そんな……」


「アルマ。無効化魔法のディスペルは習得しているか」


 アルマは力なく項垂れた。


「そんな高等魔法、学生が使えるわけない。先生とかでも習得してるのはほんの一握りだし、そういうのは魔導士クラスが専門」


「そうか」


 さほど期待してなかったので落胆はない。

 だがアルマの気落ちは激しかった。


「こんなときにリュシーがいてくれたら」


「いない奴のことを考えても仕方ない」


「せめて、私がいつも通り魔法を使えたら役に立つのに」


「なに。魔法が使えないのか」


 アルマが魔法を詠唱した。

 初級魔法のウォーターボールは球体の水を生み出すが、肝心の水が出現しない。

 クロカミは目を疑った。魔力の流れは正常で、詠唱に誤りもなかった。失敗する要因が思い当たらない。


「リュシーの話じゃ、ルデナイト鉱石が仕掛けられているかもって」


「なんていった。るでないと?」


「ルデナイト鉱石。魔力磁場を乱したり周囲の魔力を吸い上げたりする、すごく珍しい鉱石なんだって」


 アルマの説明をきいて、クロカミはずっと感じていた疑問を氷解させた。

 いくら銃火器を揃えても、それだけで魔法使いたちを完封するなんておかしいと思っていた。彼らが満足に魔法を使えなかったのなら納得だ。


「襲撃者たちが持ち込んだのか。制圧を容易にするために」


「……ちがう、と思う。ルデナイト鉱石は本当に貴重なんだ。一個売るだけでしばらくは遊んで暮らせるくらいのお金になる。そんなのわざわざ用意してくるかな?」


 言い分はもっともだった。

 だとしたら国の人間か。警護の一環として学院中に設置したなら、筋が通る。裏目に出てしまっているが。


 クロカミは目を閉じ感覚を研ぎ澄ませた。

 魔力磁場は人間の五感で知覚できない。空気を視認しようとするくらい無謀なことだ。だが、不自然に魔素が薄い場所なら探知できる。


 アルマが呼びかけてくる。彼女を無視し、クロカミは駆け出した。

 廊下の突き当り、資料室に転がり込む。整然と並べられた本棚を素通りにし、さらに奥の管理室に進んだ。

 清掃員のクロカミはすぐ気付いた。この場に似つかわしくない壺が置かれている。昨日はこんなものなかった。

 揺さぶると中で何かが擦れる音がした。壺をひっくり返し、中身をぶちまける。


 いくつもの黒い球体が床に転がっていく。そのひとつを摘まみ上げた。

 瞬間、クロカミは自分の魔力を吸い上げられるのを感じた。反射的に手を離す。


「アルマ。ルデナイト鉱石ってこれで間違いないか」


 振り返って問いかける。アルマは青白い顔で口元を押さえていた。


「ごめん。それ、しまってくれる……? なんだか気分が悪くて」


 アルマも魔力を吸われたらしい。彼女を退出させ、クロカミは再びルデナイト鉱石を拾い上げた。

 ある程度の距離を保っていれば魔力を奪われることはないが、直接触れると危険な代物だ。並みの魔法使いなら一気に枯れ果てる。


 だがクロカミはあえて自らの魔力をルデナイト鉱石に注ぎ込んだ。

 やがて鉱石が白く発光し出した。嫌な予感がし、空中に放る。

 甲高い破裂音とともに、破片がそこらじゅうに散らばった。血相を変えたアルマが飛び込んでくる。


「なに!? どうしたの!?」


 可哀そうなくらい取り乱しているが、クロカミは取り合わず別の鉱石を手にした。

 同じ手順を試すと、やはりルデナイト鉱石は発光したのち砕け散った。

 どうやら無限に魔力を吸収するわけではないらしい。許容量を超えれば鉱石自体が破壊される。かなりの魔力を消費することになるが……。


「決めたぞ。アルマ」


「なにを……?」


「とりあえず、ここら一帯の鉱石は全て破壊していく」

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