第11話
アルマはひとり、学院内をさまよっていた。
時折、太鼓を叩きつけたような重い音が響くたび、アルマはすくみ上がった。会場での光景が蘇り嘔吐感が込み上げてくる。
涙が止まらない。怖い。こんなことが起こるなんて。
一刻も早く学院を出て、家に帰りたかった。だが講堂を避けてがむしゃらに走り、さらに悲鳴から遠ざかるように進むうち、敷地の中心部にきてしまった。来た道を戻る気にはなれないが、このままでは外から離れるばかりだ。
「やっぱり……魔法は使えないのね」
何度魔力を練り上げても、すぐに霧散してしまう。
身体が不調のときや、精神が不安定だとそういうこともある。だがこれは異常だ。ルデナイト鉱石がこの現象を引き起こしているなら、なんと魔法使い泣かせな代物だろう。
もし敵に見つかってしまえば、一切抵抗できずに捕まってしまう。最悪な想定が頭から離れてくれない。今のアルマは無力だった。
だが幸いにも誰とも遭遇することなく、アルマは開けた空間に出た。
そこは学生食堂だった。今は当然、人ひとりとしていない。テーブルを眺めるうち、アルマは涙が止まらなくなった。いったい、どれだけの学友が命を落としただろう。
食堂の隣には当然ながら調理場がある。たしか食材を搬入するための勝手口が続いていたはずだ。そこを通っていけば、ひとまずこの建物から出ることはできる。
しかし、こうなった以上、下手に動き回るのは得策とは思えなかった。気配を消し、助けがくるまで身を隠すのが最善だ。
食器棚や冷凍室を素通りし、調理器具の収納スペースに身を滑り込ませる。ガチャガチャと甲高い音を立ててしまい、アルマは硬直した。あたりは静寂のままだ。大丈夫、誰も今の音をきいていない。アルマがほっと息を吐き出したときだった。
ギギギ……と、勝手口が軋みを上げた。
その物音ははっきりとアルマの耳に届いた。続いて、コツコツと足音が響く。
誰かが、キッチンに入り込んできている。
恐怖のせいで震えが止まらない。アルマは身を小さくし、指にかじりつく。血が滲もうと関係ない。今にも叫び出してしまいそうだったのだ。
お願いだから、むこうへ行って。
アルマの願いも虚しく、足音は一直線にこちらに近づいてくる。まるでここにアルマがいると、最初から分かっているように。
ありえない。戸は完全にしまっている。人が入るには窮屈すぎて真っ先に疑われるような箇所ではない。まさか見られていたのか。
収納スペースが開かれる。
「アルマ・ラトヴィア」
男の声がアルマを呼ぶ。
恐怖に顔をひきつらせたまま、アルマは声の主を見上げた。
「あ……」
アルマは自分の運命を呪った。
襲撃者たちに見つかっていた方がまだマシだった。
この世でもっとも顔を合わせたくない、憎むべき人間がそこに立っていた。
「立てるか」
禍々しい黒髪をのぞかせた少年が、手を差し伸べてくる。
◇
エルマの姉——アルマ・ラトヴィアに手を差し出した。
よほど怖い思いをしたのか彼女は涙で顔をくしゃくしゃにしていて、いまもずっと震えている。調理器具がカチャカチャと高い音を発する。
「一旦、そこから出てくれ。響くから」
学園に侵入したクロカミはアルマの痕跡を追って、ここにたどりついた。校舎内をうろついている奴らより先に見つけ出せてよかったと思う。
「立てないなら掴まってほしい」
再度促すが、アルマがクロカミの手を取る素振りはない。
それどころか、アルマは慄然とした反応を示す。クロカミを突き飛ばし、たまりかねたように飛び出していった。
黙ったまま好きにさせる余裕はない。アルマの足を払う。転倒する身体を受け止め、そのまま手首をつかんで拘束する。
慣れないが、クロカミは丁寧な物言いに努めた。
「怖いのはわかる。だが一人で行くな。見つかったら殺される」
「離して!」
「逃げないと誓うなら」
「きたない手で触らないでよ! この……人殺し!」
その言葉に、クロカミの手が緩んだ。
へたりこんだアルマは荒々しく肩で息をしている。
魔法魔術学院の生徒がクロカミを警戒するはずない。クロカミが魔法を扱えない以上、ハミッシュやニックのように見下してくるのが普通だ。
だがアルマはそいつらとは違った。スラムたちのように怯え切った目を向けてくるわけでもない。クロカミ個人への恨みと憎悪がその瞳に渦巻いている。
剥き出しの激情を、クロカミは真正面から受け止めた。
「アルマ。信じてもらえないだろうが、俺がお前に危害を加えることはない。むしろここから連れ出したいと思ってる」
「気安く名前を呼ばないでよ。そんなの信じられるわけないでしょ。あなたが……あなたのお父さんが何をしたのか忘れたの!?」
「………」
口にするのも憚られることばかりだ。人が為すには残忍な所業をユラクは繰り返した。彼女がここまで感情的になるのは、クロカミ・ユラクによる被害を少なからず受けたからに他ならない。
「だいたい、なんであなたがこんなところにいるの。今日は清掃なんてないでしょ」
「俺がここにいるのは——」
靴音が足早に接近してきた。
慌てふためいたアルマの肩を掴み、床に強引に這わせる。彼女が悲鳴をあげてしまわないように、口元を塞ぐ。
男のこもった声がした。
「このあたりにいるのはわかっている。隠れてないで出てこい。女だってきいてる。今すぐ出てくるなら優しくしてやるぞ」
余裕に満ちた、油断しきった態度なのは自分が有利なのを確信しているからだろう。
食堂はテーブルばかりで隠れられるスペースがない。厨房へ注意が向くのは時間の問題だった。カウンター越しでも気配が近づいてくるのがわかる。
一歩、足音が響くたびにアルマは身をよじった。衣擦れを起こす。
「そこか」
もはや、やり過ごすのは不可能になった。
立ち上がったクロカミは勢いをつけてカウンターを飛び越えた。着地音をききつけ、敵は方向転換して武器を構え直した。
男は怪訝な口調だった。
「なんだあ? 男かよ。てかお前、そもそも学院生じゃねえな。きたねえ恰好しやがって。この学校はスラムを雇ってるのか」
皮肉のつもりだったろうが、図らずも実情を言い当ててきたのが面白い。
男の装備を観察する。クリーム色の迷彩服は校舎の配色に酷似している。遠目からではきっと視認しづらくなるだろう。顔はヘルメットとゴーグル、さらにマスクで全体を覆っている。首から下も完全防護だ。
だが何よりクロカミの目を引くのは、男が持っている武器だった。
「それ、どこで手に入れた」
クロカミが興味を示すと、男は得意げに見せびらかしてきた。
「これはな、クロカミ・ユラクが遺した異世界兵器だ。おっと、ただの鈍器じゃねえぞ。これはな、剣や魔法なんかよりも遥かに強力なんだからよ」
言われなくても知っている。見るどころか、撃ったことさえあるからだ。
男が武器——アサルトライフルを構え直した。狙いはクロカミをわずかに逸れている。
空まで響き渡るような銃声だった。すぐそばのテーブルの脚が砕け散り、派手に崩れた。男は反動で仰け反っていた。
きゃあっ、とアルマが悲鳴をあげた。
「おっ。なんだよ。ちゃんと女もいるじゃねえか」
鼻息を荒くして、男はアルマの方へ向かおうとしている。
その進路にクロカミは立ち塞がった。男は鬱陶しげにアサルトライフルの銃口を向けてくる。
「おいガキ。邪魔だ。殺されてえのかよ」
「AK47モデルだな」
「あ?」
「俺が使っていた頃よりずっと改良されてる。昔は常に暴発の危険があって不安だった。もうジャムったりしないのか」
「じゃむ? 誰が食べ物の話なんかした」
「なるほど。安心した」
クロカミは悠然と、男に歩み寄り始めた。
あまりにも無造作で命知らずな奇行に、男の方がうろたえていた。
「と、止まれ! 自殺願望者かてめえ! 本当に撃つぞ!」
「言っている間に撃てよ。素人か?」
「このっ……!」
男が照準を定めてきた。引き金が引かれる寸前、クロカミは顔を逸らした。
弾丸がすぐ真横を通過していく。直撃こそしなかったものの、クロカミの頭巾の結び目がほどけた。隠していた毛髪が全て露わになる。
反動から体勢を戻した男は、クロカミの姿を見るや目を剥いた。ゴーグル越しでも恐怖に取り憑かれているのがはっきりわかる。
クロカミが一歩一歩、ゆっくりと近づいてきているのに反撃どころか逃走の素振りもない。金縛りにあったように固まっている。
クロカミは、忍ばせてあった羽ペンを握り込んだ。アルマを探してる最中に教員室から拝借したものだった。
男の懐に飛び込む。無防備な顎下からペンを突き立てた。
「ご、が」
手の平でさらに押し込み、ペン先が脳にまで到達した。
男は脱力し、前のめりに倒れてくる。人を殺すのに仰々しい武器なんていらない。ただのペンだって充分に凶器になる。父がよくそう話していた。
額から血が流れてきた。さっきの銃弾がわずかに皮膚をえぐっていたようだ。
目元を拭っていると背後に人の気配がした。
アルマは茫然とした様子で、男の死体を見つめていた。どういう気持ちでいるのか、クロカミには想像がつかない。意外にも取り乱していないのが逆に不安だった。
クロカミは彼女へ伸ばしかけた手を引っ込めた。
血塗られた手で彼女に触れることは、きっと許されない。
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