第10話

 多くの悲鳴が反響していた大講堂も、今やすっかり静まり返っている。

 襲撃を受けてから既に一時間が経過していた。

 学院生たちは身を寄せ合い、中央でひとかたまりになっていた。奇妙な柄の服装をした男たちが周囲を囲む。音楽隊の制服は脱ぎ捨てられていた。


 人質となったハミッシュ・フォン・アルベールは自らの不運を呪った。伯爵家の私がこんな仕打ちを受けるなどあってはならない。

 しかし反抗すれば一瞬で殺されるだろう。実際、同級生たちや騎士たちはそうなった。そいつらの二の舞は御免だった。


 どれだけの時間がたったか、やがて講堂に二人の男が入ってきた。

 一人は無精ひげを生やした老け顔だ。長髪が乱暴に伸びて不潔に見えるが、おそらくこの集団のリーダー格だろう。迷彩服たちが恭しく敬礼していた。


「武器の運搬ご苦労さん、リヴデ。おかげで制圧がスムーズだ。やっぱ魔法ってのは便利だな」


 リヴデと呼ばれたのは褐色肌に銀髪をなびかせた若い男だった。どう見てもアルムグレーン国籍ではない。無精ひげの男たちとは違い、魔法術式が編み込まれたローブを羽織っている。


 リヴデは学院生たちを一瞥すると、つまらなそうに鼻を鳴らした。


「魔法至上主義の国家のくせに、魔法使いたちの質が低いな。俺の国ならこの程度は子供でもゴロゴロいる。本当にこれで王国最高峰なのか?」


「らしいぜ。というか、この国でまともな魔法学校はここだけだ」


「駄目だな。見込みある奴は引き抜こうかと思ったが、それほどの価値もない。好きにしていいぞ。ギード」


「そうかい。じゃあ遠慮なく。おい、お前ら! 連れてこい!」


 無精ひげの男——ギードが指示を飛ばした。

 ギードの声につられ、自然と舞台に注目が集まった。

 武装した敵兵が連れてきたのは学院の教員たちだった。普段は傲慢な態度で威張り散らしていたくせに、いまや見る影もない。ただ無抵抗に従う情けない姿があった。


「並べろ。外すなよ」


 教員たちを横並びにひざまずかせると、新兵と見られる男たちが武器を構えた。


 心臓を鷲掴みにされるような轟音に襲われた。

 筒から火花が散り、被弾した教員三人が前のめりに突っ伏した。うち一人は狙いが正確でなかったせいか、顔が半分だけ吹き飛んでいた。ギードが笑いながら新人に蹴りを入れた。


 赤ペンキをぶちまけたような惨状に学院生たちは身を寄せ合って泣き喚いた。男も女も関係ない。ただ赤子のように叫ぶばかりだ。

 特別な家に生まれ、王国最高峰の教育を受けてきた貴族たちにとって耐えがたい現実に違いない。魔法の才が多少あろうと、ここでは何の意味も為さない。


「おいおい。これじゃ誰の死体かもわからなくなるじゃねえか。インパクトは充分だったけどよ」


 上機嫌に笑ったギードが檀上から生徒たちを見渡した。

 やはり、冴えないおっさんだ。ハミッシュは心の中で評した。下町でうだつが上がらない商売でもしていそうな平民にしか見えない。なぜ、こんなやつを相手にびくびくしなくてはならないのか。


 ギードが声を張った。


「初めまして、王立魔法魔術学院の諸君。俺はギード。こいつらのリーダーをやってる。今日は一国の王様も参加する卒業式だと聞いたのでね。俺たちも祝いの言葉を届けなきゃならんと思って馳せ参じてわけだ。ありがたく感謝してくれ」


 演説でもしているつもりか、大袈裟な身振り手振りだった。


「もう充分わかっていると思うが、改めて俺たちの装備について説明しておこうか。君らにとっては初見だろう」


 ギードは黒光りするその武器を高く掲げた。


「これはクロカミ・ユラクが異世界から持ち込んだ知識をベースに造られた『銃』と呼ばれる武器だ。かつてユラクが起こしたクーデターではこれが必ず使われていた。当然、ユラクのことは知っているよな。王国———世界でも類を見ない大罪人の名だ」


 ハミッシュは驚いた。ここでクロカミ・ユラクだと。


 正直なことを言えば、ハミッシュの世代にとってユラクの存在など風化したも同然だった。過去にそんな大罪人もいた、その程度の認識でしかない。奴がこちらの世界に転移してきたのが十五年前。大陸を股にかけ、数々の犯罪に関与したそうだが、あまりにもスケールが大きすぎて与太話として聞き流していたほどだ。


 現に、そのユラクの息子だというクロカミは魔法もろくに扱えず、学院でゴミ掃除に従事するしかないやつだった。そんな血筋をどうして恐れるのか、ハミッシュは不可解だった。

 だが、故人となったユラクを恐れる者は一定数いる。父母もそうだった。ユラクの名を耳にした途端、アレルギー反応のような癇癪を起こす始末だ。


 よもや、と思う。この騒動はあの薄汚いクロカミが引き起こしたものなのか。

 だとしたらなんと腹立たしいことか。


「こっちのハンドガンも同様だ。トリガーを引くことで弾丸が発射される。襲撃のときに使ったモノと比べると威力も射程も劣るが、扱いやすいんだ。こんな風に」


 ギードが引き金を引く。

 さっきと比べて小さい、乾いた音が響いた。

 前方にいた男子生徒が無言のまま倒れ込んだ。その体はぴくりともしない。


「お、えらいな。今度は誰も悲鳴をあげないのか。適応するのが早いのは育ちが良いからか? 羨ましい限りだぜ」


 適応などしていない。理解が追い付かなかっただけだ。頭が砕けたわけでも四肢がちぎれたわけでもない。しかしその男子学生は物言わぬ死体となっていた。額に弾丸が命中したのである。


 気付いた近くの生徒が裏返った声で飛び上がった。

 その反応を見てギードがまた笑う。


「まあ、そんなわけで。反抗はオススメしない。厄介そうだから先生方は真っ先に始末させてもらったし、校内にはルデナイト鉱石を配置してる。当然ここにもだ。頼みの綱の魔法は封じられていると思ってくれよ」


 そこかしこで嗚咽が漏れる。魔法使いが魔法を封じられるなど、絶体絶命以外の何物でもない。


「で、ここからが本題だ」


 もったいつけた口振りに、学院生たちの意識が集まった。


「実はこれらの武器は試作段階でね。圧倒的に実験回数が足りていない。威力の調節をしたい。君らの魔力障壁を突破できるかどうか。誰か協力してくれる人はいないかね」


 ギードは能天気に提案してきた。


「いやあ、こちらにも魔力持ちはいるのだがね。そんな危険な実験に付き合ってられないと断られてしまったぜ。君らなら簡単だろう? なにせここは王国中から優秀な魔法使いが集まる学校だからな」


 意味不明だ。本気で言っているのだろうか。その銃で人の命を奪ったそばから。

 名乗りを上げるはずもない。生徒たちは皆、ギードに目をつけられないようにただ俯くばかりだった。


 ここにきて初めてギードの顔が曇った。


「なんだ。誰もいないのか? 積極性の欠片もないな。こうなったらこっちから呼び出してやる。おい、名簿を寄越せ」


 部下のひとりがファイルを手渡した。

 めんどくさそうに、ギードはファイルをめくっていった。


「呼ばれたら元気よく返事な。いつも先生が出欠を取るときみたいに」


 このままではまずい。ハミッシュは焦った。

 あたりの生徒も同じだった。他人の顔をのぞきこみ、生贄を探す視線が交錯する。

 すぐそばにニックを見つけた。ハミッシュは声をかけた。


「ニック」


「は、ハミッシュ殿……?」


「お前が名乗り出ろ」


 ニックが怯えた顔で固まった。ひたすらに首を横に振る。

 なんだ、その態度は。私の命令を拒絶する気か。ハミッシュの中に激しい憤りが渦巻いた。


「私は伯爵家の嫡男なんだぞ! 高貴な血筋を引く人間だ。なぜその私の命令がきけないんだ。伯爵の盾になるのは子爵家のお前の役目だぞニック!」


 ニックはしばらく黙ったまま、じっとハミッシュを睨む。その目の奥には、憎悪や怒りがありありと浮かんでいた。

 ハミッシュはわずかにたじろいだ。ニックからこんな目を向けられたことはない。


「魔力操作すらまともに出来ない落ちこぼれが」


 その一言にハミッシュは我を忘れた。

 気が付いたときにはニックに馬乗りになっていた。顔面を何度も殴打する。意外にも、ハミッシュが自らの手で誰かを殴るのは初めてだった。拳を固く握り、振り下ろす。痺れるような痛みが返ってきた。


 ニックは苦痛に顔を歪めていた。折れた鼻から血が流れ、口ひげのようになっている。


「いつもアンタを立ててきたじゃないか。その結果がこれか。もう、うんざりなんだよ! 名門のアルベール家だから懇意にしておけと言われなければ、誰がお前なんかと!」


「それはこちらのセリフだ! 没落しかけていたお前の家を、誰が助けてやったと思ってる!? 私のおかげで生き延びたくせに、私のために命すら懸けられないのか!」


「お前じゃねえだろ! 自分の手柄みたいに言うな!」


 二人はもみくちゃになって争った。お互い、まともに喧嘩の経験がない。動物じみた引っ掻き合いと噛みつき合いで、相手にダメージを与える。

 いつしか周りから野次が飛んでいた。ギードたちだった。見世物になっていると分かっていてもなお、二人の喧嘩はおさまらなかった。


 ニックは時折痙攣するほか反応を見せなくなった。ハミッシュは動けなくなったニックにトドメの蹴りを叩き込んだ。足がもつれ、背中から倒れ込む。


「で、勝ったのはどっちだ。早くしろ」


 冷めた顔でその光景を眺めていたのはリヴデだ。

 ひとしきり楽しんだギードは、靴の先でニックを何度か突いた。しかし動作らしきものがない。うめき声が漏れるばかりだ。


「あーあ。残念。お前の人生はここまでだ」


 目がくらむ閃光が連続した。ギードの手には銃身の長い拳銃が握られていた。

 ニックは苦し気に呻いたのち、身じろぎひとつしなくなった。血の海が広がっていく。

 ハミッシュはそれを見ても、特に悲哀を覚えなかった。むしろ、せいせいした。伯爵家に逆らった報いを受けたのだ。


 しかし、その銃口が自分に向けられた瞬間は狼狽せずにはいられなかった。


「や、やめろ。助けてくれ」


「充分に楽しませてもらったよ。もう退場してくれていい。今日を人生からの卒業式にしよう」


「わ、私はアルベール家の嫡男だぞ。父上は伯爵貴族だ」


「だからなんだ」


「歴史ある名家だ。このアルムグレーンでも強い影響力がある。たいていのことなら思い通りにできる。私が父上に口添えしてやろうじゃないか。何が望みなんだ。どうせ金だろ」


 ギードが眉をひそめた。銃口を突き付けたまま、数秒が経過した。

 やがてギードは銃をホルスターにしまいこんだ。ハミッシュが思わず薄ら笑いを浮かべたときだった。


 ギードが突如、顔面に蹴りを放ってきた。ハミッシュが鼻血を噴き出しながらのけぞるのと同時、迷彩服の男たち五、六人が取り囲んでくる。倒れ込んだハミッシュに容赦のない蹴りが浴びせられた。うずくまりながらハミッシュは懇願した。


「やめろ! やめてくれ!」


「やめてください、だろ」


 ギードが脇に立つとリンチがやんだ。

 ハミッシュは見るも無残な姿になっていた。顔面は痣だらけ、着ている服はボロ雑巾のような有様だ。


「イイな。お前。典型的な畜生貴族サマって感じで。お前みたいなやつを痛い目に遭わせるのはすごく楽しい。決めたぞ。最期の瞬間までお前のことはなぶり殺しにしてやる。光栄に思え。おい、こいつを別室に連れていけ」


 兵の二人がハミッシュをぞんざいに立たせた。

 抵抗する気力は残っていなかった。何故だ。何故、私がこんな仕打ちを受けなければならない。私がなにをしたというのだ……。


「おい。それより王様はどこに逃げた? ちゃんと探してるんだろうな」


「すでに捜索隊が校内を巡回中です。しかし敷地が広大なため、もう少しお時間がかかるかと」


「ったく。上手く奇襲が成功したハズだったんだがな。おい、つまらないヘマはするなよ。殺した騎士の中に団長はいなかった。魔力ナシの身分で団長まで上り詰めたイカレ野郎だ。絶対少数で向かうな。六人以上で行動しろ。そいつさえ無力化しちまえば制圧は完了なんだからよ」


 遠ざかる意識の中、ハミッシュは不審に思った。

 まさかと思う。こいつらはあのことに気付いていないのか。

 ハミッシュの中で昂ぶるものがあった。口内から血の塊を吐き出す。


「他にも二人の女子生徒が逃げました」


 掠れたハミッシュの声は静寂によく響いた。

 それを耳にしていたギードは険しい顔になった。


「口から出まかせ言ってんじゃねえぞ」


「本当です。名前だって言えます」


 ハミッシュは二人の女子生徒———リュシーとアルマの名を告げた。二人が隙をついて講堂から抜け出す場面を、偶然目撃していたのだ。

 部下たちが生存者と名簿を照らし合わせていく。作業が進んでいくうち、部下たちは青褪めた顔になった。ハミッシュの言うことが事実だと認めるしかなくなった。


「も、申し訳ありません。見落としがあったようで……」


 すまなそうに謝る部下は、音楽隊に扮装して襲撃をかけた一人だった。

 ギードは手招きして部下を近くに立たせた。その瞬間、腰からアーミーナイフを引き抜くと間髪入れず胸元に深々と突き刺した。


 部下は一瞬だけ驚いた顔を見せた。すぐに表情は苦痛に歪み、やがて何も言わなくなった。

 ギードがナイフをしまうと赤い噴水があがった。


「リヴデ。捜索隊に念話で伝えろ。女子生徒が二人逃げ回っている。藍髪と茶髪だ。見つけ次第殺していい」


「流石。種無しはやはり無能だな。数もまともに数えられないらしい」


 リヴデの挑発を受けても、ギードは舌打ちをするしかなかった。

 わずかな上下関係がみてとれる。

 苛立ったギードは部下を怒鳴りつけた。


「おい。お前らも捜索隊に加われ。本館の方はいい。別館だ。ついでにどこかで食糧を調達してこい。腹が減った」


 部下たちは一斉に散っていった。

 我先にと講堂を飛び出していく。

 彼らを見送ったリヴデが嘆息した。


「いいのか。単独行動を許して。あいつら別々で動き回っているぞ」


「けっ! 別にかまわねえよ。王様と騎士がいるのは本館だ。別館にはいねえ。そっちで遭遇するとしたら小娘だけだ。まともに魔法が使えない学院生に何ができるっていうんだ」


「そううまくいけばいいがな」


 リヴデは講堂を出ていった。

 憎々しげに、ギードはその背中を睨んでいる。


「このクソ刺青が」

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