第9話

「なにあれ。クラッカー?」


 アルマは隣のリュシーにたずねた。博識な彼女なら何か知っているかもしれない。

 だがリュシーも、訝しんだ表情で音楽隊を見つめている。彼女にもよくわからないらしかった。


 最初に感じたのは、鼓膜を突き破ろうとする爆音だった。


 縦揺れの衝撃に晒され、アルマは立っていられなくなった。周囲の生徒を巻き込んで横倒しになった。視界がほの暗くなったのは照明が消えたせいだろう。

 心臓に響くような爆音は一度きりではない。絶え間なく連続している。聴覚が段々と麻痺しつつある。


 至近距離からの轟音と悲鳴に、本能的な恐怖が込み上げてくる。

 それなのに何が起きているのか、何もわからない。

 そのとき、しゃがみこんだままのアルマの指先に何かが触れた。


「………?」


 液体のような感触だった。

 まさかと思い、おそるおそる薄目を開ける。アルマは息をのんだ。

 血だ。ドス黒い色をしているそれは、手のひらにべったりと付着している。アルマは悲鳴をあげ、錯乱状態になった。


 倒れている学院生たちが横目に入り込んでくる。どれも見知った顔ばかりで、ついさっき言葉を交わした人だっている。そんな彼らが身体に穴を空け、内臓を転がし、顔すらなくしている。


「なにこれ……なんなのこれ!」


 あまりの現実感のなさに、状況を受け入れられない。

 いつだったか社会情勢の授業で習った、紛争地域のような光景だ。


 逃げなければならない。今すぐ、ここから。


 一目散に出口に向かおうとしたアルマは、同じようにパニックになった群衆に呑み込まれた。強烈な勢いで誰かの肩がぶつかる。アルマは前のめりになって、頭から倒れ込んだ。



 騎士団長のガイル・テールベルトはその惨状を前に絶句した。


 収穫祭でトマトをぶつけたように赤いものが放射状に広がり、バラバラになった死体があたりに飛び散る。講堂から出ようとした生徒たちが血飛沫をあげ、次々と倒れていった。

 離れた位置の騎士団員は、音楽隊に斬りかかろうとした。しかしその刃が届く前に、騎士の身体に無数の穴が空き打ち倒される。わずか数秒の出来事だった。


 黒い筒が閃光を繰り返すたび被害が増えていく。


 あれはなんだ。魔法なのか。ルデナイト鉱石があるはずなのに……。


「ガイル! 伏せろ!」


 切迫したルーカスの声に、我に返る。音楽隊の一人が、ガイルを狙いすましていた。

 ほとんど反射的に抜剣し、ガイルは駆け出していた。

 剣を届かせるためにはまだ二歩以上踏み込まなければならない。だがガイルの速度なら一秒と満たず縮められる距離だ。


 だというのに、音楽隊の男は余裕の態度だった。


 男の人差し指が動く。そんな予兆があった。

 ガイルは己の直感を信じ、速度を落とすことなく身を低くした。

 火花が煌めいた。ガイルの後方で玉座が砕け散った。


「なっ!?」


 避けられたのが想定外だったらしい。だがもう遅い。

 満身の力で、横薙ぎに剣を振るう。盾にしようとした黒筒ごと、男の身体は上下で真っ二つに切り離された。


 ガイルは講堂全体に声をとどろかせた。


「騎士たちよ! うろたえるな! 国王陛下を、そして民を護れッ!!」


 再び別の音楽隊が武器を構える。だが、もう臆することはない。

 ガイルは左右のステップで敵を翻弄しながら接近していく。予想通り、ガイルの速度についていけない相手は狙いを定め切れず、為すすべなくガイルに斬り伏せられた。


 ガイルは敵の攻撃を看破し始めていた。


「攻撃の原理は大砲と同じだ。狙いを定め、目にも留まらぬ速さで何かを射出しているだけに過ぎない! 発射口から身体を逸らせ! 一気に接近して斬りかかるんだ!」


 鼓舞された騎士たちは咆哮を上げ、敵に突進していく。

アルムグレーンの騎士団は身体能力に優れた者が集った組織だ。奇襲によって一時混乱状態に陥ったが、体勢を立て直せば応戦する実力は充分にあった。


 ガイルが敵の倒し方を実践してみせたのが大きかった。

 騎士たちが次々と音楽隊を斬り捨てていく。人的被害は無視できないほど大きいが、わずかながら状況は好転しつつあった。


「ご無事ですか、陛下」


 ルーカスのそばにひざまずいて、声を張り上げる。そうしないと満足に会話が成り立たないほど、講堂内は轟音と喧騒に包まれていた。


「儂のことはいい! それよりも生徒たちが、子供たちが……」


「陛下の身を守るのが最優先です。ひとまずここを脱出します」


 あちこちで戦闘をしていた騎士団員たちが、ガイルとルーカスの元に集まってきていた。非常事態が発生した場合、護衛対象を中心に陣形を形作るのが鉄則だった。

 ガイルは講堂の出口に目を走らせた。未だ恐慌状態の生徒たちが殺到している。あそこから脱出するのは難しい。


「他に出口は————」


 視線を巡らせたときだった。騎士団員が苦悶の声をあげた。

 そちらに向き直ったガイルはぎょっとした。胸元を剣によって貫かれている。

 絶命した団員が倒れたとき、その後ろで姿を現わしたのは兜をかぶった騎士だった。ガイルたちと同じアルムグレーンの甲冑を装備している。


「お、お前、なにを……」


 狼狽していた別の団員が、兜の騎士によって首を刎ねられた。

 兜の騎士は次々と、仲間であるはずの団員に襲い掛かった。


「おい、貴様! 何をしている。誰を斬っている!?」


 騎士団長のガイルの怒号が響く。だが、正体不明の騎士の動きは止まらない。

 加えて、音楽隊たちの攻撃が再開された。ガイルのすぐそばに立っていた団員の頭部が破裂し、脳が大小の欠片になってあたりに飛び散る。


 もはや一刻の猶予もない。ガイルの判断は早かった。


「陛下、失礼しますッ……!」


 茫然とするルーカスを担いだガイルは、もうなりふり構わなかった。

 頑丈な造りをしている壁に、猛烈な剣戟を浴びせる。無防備でいるガイルを、他の騎士団員が懸命に守る。しかしそれも数秒ともたなかった。

 亀裂の入った壁にガイルが渾身の力で蹴りを入れると、人が通れる大きさの穴が空いた。


 ガイルは後ろの仲間を振り返らず、講堂から飛び出していった。



「アルマ! 起きて、寝てる場合じゃない!」


 頬を叩かれた痛みで、アルマは目を覚ました。

 意識を失う寸前を思い出す。頭を強く打って気を失ってしまったのだった。

 リュシーは、これまでに見たことないくらい必死な形相をしていた。


「姿勢を低くしたまま進んで。早く!」


 言われるがまま、アルマは這いつくばって移動を始めた。

 煙が濃霧のごとき立ち込める。これ以上ない視界不良だ。目が痛い。

 雷鳴のような衝撃音は絶え間なく続いている。近くでリュシーが何か言っているが上手く聞き取れなかった。


 どうやらリュシーは魔法で防御壁を展開しているようだ。二人して無傷でいられるのはそのおかげだろう。

 そうだ、魔法だ。リュシーに頼ってばかりでどうする。加勢しなくては。

 アルマは小声で詠唱し、魔法を発現させようとした。しかし何故か不発に終わる。もう一度詠唱を繰り返すが結果は同じだった。


「な、なんで」


「たぶん、ルデナイト鉱石が置かれているから。満足に魔法を使えていない人たちがほとんど」


 リュシーは淡々と告げる。

 ルデナイト鉱石。聞いたことがある。魔力磁場を乱し、魔法の発現を阻害する極めて珍しい鉱石。魔法を扱える罪人を捕縛する際に用いられると、授業で習った。


 だが、リュシーは難なく魔法を使役できている。何か強い衝撃がアルマたちに襲い掛かってくるたび、魔法障壁でその勢いを相殺している。


「魔力操作は得意。いつもよりは少し難しいけど」


 どうやらリュシーに頼る他ないらしい。彼女の腕に縋りつくと、リュシーはアルマの身体を支えた。手まで握ってくれた。


「大丈夫。任せてほしい。こういうのは慣れて……」


 リュシーが何かに気付いたらしい。泣きそうになっているアルマに進路を示した。

 大柄な騎士の一人が壁に向かって剣を振るっている。何をしているのかと思ったが、壁にどんどん亀裂が入っていく。最後に騎士が蹴りを入れると、なんとそこに穴が出来上がった。


「あそこにむかって走る! 他には何も見ないで!」


 他に何も見るな。それはアルマへの配慮に他ならない。

 講堂には数えきれないほどの死体が転がっている。同級生も、教員も、警護に配置されていた騎士たちも、そして敵も———どれも見るべきじゃない。見たら正気ではいられなくなってしまうだろう。


 中腰のままで猛然と走る。途中、何かに躓いて転倒したがすぐさまリュシーが助け起こしてくれた。二人は身を寄せ合いながら講堂を抜け出した。


 太陽の光に目がくらむ。天気は快晴だった。

 いまの気分には似つかわしくない。本来であれば華々しい一日になるはずだったのに。


「どこに行けば……」


 そのとき、地面を何かが跳ねた。土埃があがり、魔法障壁が破られた。

 リュシーがのけぞる。制服に穴が空き、裂傷した腕が露わになる。腹部からの出血でシャツが赤く染まった。


「リュシー!」


「どれも浅い! すぐに治す!」


 無詠唱での回復魔法が発動した。

 負傷直後とは思えない軽快さで、リュシーは駆ける。彼女に腕を掴まれ、アルマはほとんど引きずられるも同然に校舎内に転がり込んだ。


「女が二人そっちへ逃げたぞ! 探せ!」


 敵はこちらの動きに気付いている。

 慌ただしい足音が迫ってきていた。

 アルマは焦燥に駆られる。


「は、早く奥の方へ……」


 だがリュシーは慌てる様子もなく、何故かダストボックスを開け放った。

 ゴミが回収されてから時間が経ってない。中は綺麗だった。


「な、なにしてるの」


「ここに隠れて」


 アルマは目を丸くした。

 蓋を閉めれば人が潜んでいるなんて発想は出ないかもしれない。だが二人で入るには手狭で、それが何を意味しているかは明らかだった。


「ここから別行動」


 無理。お願い。行かないで。

 そう訴えたはずなのに、言葉が出てこない。喉からかすれた音が漏れるだけだ。


「私は奴らをひきつける。しばらくは出てこないで。人の気配が遠ざかったら、講堂周辺を避けながら裏門を目指すの。学院の敷地から出られるかも」


「ひとりにしないでほしい」


 切実な訴えに、リュシーはためらいを見せた。


「複数人で逃げ回るのは危険。アルマを守り切れない」


「でも……」


「もう話している余裕はない」


 男たちの怒号はすぐそこまで近づいている。

 アルマは幼子のように泣きじゃくったが、リュシーに半ば無理やりダストボックスに押し込まれた。蓋が閉められると視界は真っ暗になった。


「いたぞ! 逃がすな!」


 すぐ間近にきこえた男たちの声に、アルマはびくついた。

 リュシーが踵を返して走り去るのがわかる。何人もの足音が遠ざかっていく。


 しばらくは出るな。そう忠告されていたが、アルマは我慢できなかった。

 蓋を開け、ボックスから身を乗り出した。

 廊下の遥か先に、リュシーとそれを追う男たちの後ろ姿が見えた。


 リュシーはわざとゆっくり走って、敵との距離を一定に保っている。

 大雑把に魔法を放つことで周囲の敵兵の注意を一身にひきつけているのだ。

 アルマを逃がすために。


 危険を顧みず、命懸けになってくれる友達に感謝をすべきだろう。しかしアルマの中にそんな感情は一切わいてこなかった。今はとにかく助かりたい。それだけしか考えられない。

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