第8話

 王城から学院まで、さほど距離があるわけではない。だが、どんなに短い区間でも、国王陛下が身を晒せばそれだけ危険が伴う。よって、ルーカスだけは転移魔法での移動となった。


 魔導士団のひとりが、地面に魔法陣を描いた。

 周囲に下がるように命じ、ガイルたちはそれに従った。しばし時を待つと魔法陣の中心にルーカス陛下が突如として出現した。


 おお、と騎士団から感嘆の声が漏れた。ガイルも同じ心境だった。


 四人がかりではあるが安全に移動できる魔法だ。確立当初は失敗も多かったようだが、より多くの魔力を集約することで成功率が安定したらしい。


 ここからの護衛は騎士団の仕事だ。団員たちがあたりに散開し警戒を募らせる。

 いざ敷地に踏み込もうとしたときだった。


「えっ、急に言われても……いえ、わかりました。少々お待ちください」


 若手の魔導士がひとりでぶつぶつ言っている。初めて見たときは異様に思えたが、あれは念話という魔法らしい。遠く離れた魔法使いとの意思疎通が可能になる。

 魔導士はもうひとつ魔法陣を描いた。


「おい。何をしている? 陛下は無事に到着されたぞ」


「それが……」


 言い訳がなされるよりも一瞬早く、魔法陣が輝き出す。中から姿を現わしたのはジェラール・ド・ヴァロン公爵だった。

 騎士団、魔導士団は即座に姿勢を正した。突然のことで面食らったが国のナンバー2を前に失礼があってはならない。


 ルーカスは目を丸くした。


「ジェラール公爵ではないか。貴殿も来てくれたのか」


 公爵は少しだけ頭を下げると、足早に駆け寄ってくる。

 礼節に人一倍厳しい公爵としては珍しい挙動だった。それを見てとったルーカスは眉をひそめた。


「何かあったのか」


「は。陛下と、それから護衛任務の者全員に通達したいことが」


 混乱を避けるためか小声で話す公爵。ガイルは素早く人払いをした。

 騎士団長である自分と、それから魔導士団長が耳にしていれば問題ないだろう。


「昨夜からクロカミが姿を消しています」


「どういうことだ、公爵」


「調査部隊から報告が上がりました」


「そうではなくてだな」


 ルーカスはさらに声を潜めた。


「誰がそんなことをしろと? 私は何の指示も出していない」


「……申し訳ありません、陛下。私の権限で部隊を動かしていました」


「なぜだ」


「せめて、本日の訪問を終えるまではクロカミの動向を監視するべきだと判断しました」


 ルーカスは難しい顔になって唸った。

 独断で動いた公爵を咎めるべきだろうが、彼の心情を考えると責めることもできない。ガイルも魔導士団長も、公爵に反感など覚えなかった。


「心配性な男だのう、公爵」


「現在、クロカミの行方を捜索中です。クロカミは昨夜スラム街から抜け出し、この近辺に潜んでいる可能性が高いと見られています。このタイミングで急に姿をくらますなど、きな臭く感じまして」


「ジェラール公爵! でしたら何卒、我々にも学院内での警備にあたらせてください。魔法もろくに使えない騎士団が何人いても役には立ちませんよ」


 歯に衣着せぬ物言いに、ルーカスは顔をしかめた。苦言を呈する前に公爵の声が割って入る。


「いや。むしろ魔導士団には捜索に協力してもらいたい。魔法で探知していけば発見の公算が高くなる。その他にも不審人物がいないか巡回してもらう」


「で、ですが。それでは我々魔導士団だけがますます学院の外側に……」


 どうにも騎士団より不当な扱いを受けることが我慢ならないらしい。

 護衛任務に私情を挟んでどうする。


「それに既に学院の隅々までルデナイト鉱石を配置してあるのだ。いくら魔導士といえど満足に魔法が使えなくなるぞ」


 魔導士団長は不服そうに押し黙った。だが反論などできるはずもない。一礼すると部下の団員たちを連れて姿を消していった。

 ジェラールがルーカスに向き直る。

「陛下。たとえクロカミ本人が直接手を下さずとも、奴に付き従う勢力がいるやもしれません。ユラクが死んだことでグループは解散となりましたが、関係者全てを捕縛できたわけではありません。逃れた残党がこの機に乗じて国家に挑むことだって」


「わかった、わかった! 子供がひとり姿を消したくらいで大袈裟な。本当に全てを疑ってかかるような男だな、公爵は」


「自覚はありますが直す気はありません。陛下はもう少し危機感を……」


「ああ。いつも皆に感謝している。儂が気楽に構えていられるのはお前たちのおかげだ」


 ルーカスはジェラール公爵と、それからガイルをかわるがわる見つめた。

 まだ小言を言い足りなかっただろう公爵は、むずかゆそうに口を噤んだ。ガイルは主君のこういうところを好ましく思っていた。忠義の尽くしがいがある。


「ジェラール公爵。私は王国最強の騎士だと自負しております。陛下の身に降りかかる災厄の全てを退けてみせます。どうかご安心を」


「おっ、言うじゃないか。珍しい」


 ルーカスはさも嬉しそうに顔を綻ばせた。

 ジェラールも頷いていた。


「ああ。お前の働きに期待する。くれぐれも頼むぞ」


 ガイルも会釈をした。ジェラールが再び魔法陣に戻り転移していく。

 初めからなにやら慌ただしいが、やるべきことは変わらない。命に代えてもルーカスを守る。それだけだ。


「お前たち、陛下を中心に陣形を展開しろ。これより敷地に入るぞ」


 国王陛下一行が、ついに王立魔法魔術学院の門をくぐった。

 一歩敷地に踏み込んだ瞬間、花火が打ちあがった。驚くガイルたちの前に派手な服装の男たちが現れる。高々とラッパが鳴り響き、跳ねるように太鼓が打ち鳴らされる。


 騎士団は陛下を守りながら講堂へ進んでいく。


「もてなしは有難いが……聞いておったか?」


「いえ」


 顔をしかめながらガイルは応じた。


「危うく剣を抜くところでした。申し訳ありません。すぐにやめさせます」


「いいんじゃないですか、別に」


 後ろから億劫そうな声があがる。

 部下のザインだった。


「国王陛下が来てるんだからこれぐらいの歓迎はするでしょ。素直に受け取っておけばいいんです。ガイル騎士団長は頭が固すぎですよ」


 もちろん学院側の気持ちをないがしろにしたくはない。

 だが勝手なことをされると困るのも事実だった。


「講堂に入るときも何かしら仕掛けがあるかもしれません。用心を」


「わかっておる。大丈夫だ」


 卒業式が執り行われているという大講堂にたどり着いた。

 荘厳な造りを前にガイルは言葉をなくす。ガイルも十年前ほど前までは騎士養成学校にいたが、そことは比べ物にならない設備の充実度だ。


 これが王国随一の魔法学院か。


 巨大な扉を開け放って中に入った途端、拍手喝采が起こった。

 三百人近い生徒たちが一斉に立ち上がり騒然となる。女子生徒たちの甲高い声に圧倒されるなか、ガイルたちは真っ直ぐに舞台へと向かう。国王陛下が腰掛けるための王座が用意されていた。


 ルーカスはにこやかに手を振り、ときどき生徒と握手してみせる。感激した反応を示す彼らに、しかしガイルはどうにも好感が持てなかった。貴族とはいえ、十代には似つかわしくない装飾品が目立つ。趣味の悪い。


 ルーカスも似たことを感じたらしい。笑顔が若干引きつっている。

 会議でも問題に上がった通り、人財の質は低いのかもしれない。魔法使いとしてではなく、ひとりひとりの価値観と感性が疑わしい。貴族社会の弊害が如実に現れている。


 だが中には只者ではない生徒もいる。特に、藍色の髪をした少女には目を見張った。

 服装は着飾らない範囲で抑えてにこやかな顔で拍手をしているが、体つきが武闘家や剣闘士のそれだ。服の上からでも引き締まった筋肉がみてとれる。


 檀上に上がったルーカスはあたりをゆっくりと見渡し、声を張った。


「王立魔法魔術学院の諸君。私はルーカス・エリオ・アルムグレーンだ」


 先程の比ではない歓声が沸き起こった。ほとんど雄叫びのようだった。

 場内が静かになったのを確認し、ルーカスが着席を促す。


「卒業おめでとう。今日このときこの場に立ち会えたことを大変光栄に思う。君たちは将来有望な魔法使いたちだ。辛いことは困難なことが待ち受けていようと、必ず乗り越えられる。私はそう信じている」


 ルーカスの演説は数十分に及んだ。

 最初は魔法使いたちへの期待と展望を語っていたが、しだいに話はアルムグレーン王国内での差別問題や貴族社会の課題などに移っていく。

 力や立場を持った人間の振舞いはそれだけ責任を伴うことを説いていたが、聴いている生徒たちはきょとんとしている。熱狂的にルーカスを迎えてくれたのが嘘のようだ。


 この温度差こそ、アルムグレーンの致命的な部分だろう。


「さて、そろそろ卒業証書授与へはいろう。僭越ながら私が手渡すことになっている。呼ばれた者は前へ出るように」


 例年であれば卒業生代表が証書を受け取ることで簡略化されるが、今回は特例で全員への手渡しが決定している。三百回以上の授与はルーカスにとっては負担かもしれない。


 ガイルはルーカスの近くを位置取った。何かあれば真っ先に陛下を守るためだ。この場面でおかしな挙動をする生徒がいるとも思えないが……。


「む。あれは……?」


 講堂内への人の出入りがあった。その派手な隊服は見覚えがある。校門でガイルたちを出迎えた音楽隊だ。楽器ケースを携えている。

 ガイルが団員に耳打ちする。


「おい。式典の最中は誰も入れるなと言ったはずだが。どうなっている?」


「わ、わかりません。あの出入口の担当って誰でしたっけ」


「まったく、いい加減なことだ」


 不満を募らせるガイルだったが、今は腹を立てても仕方ないと思い直す。

 ザインの言う通り、彼らは厚意で式典を盛り上げようとしてくれているだけだ。見逃してやるのが礼儀かもしれない。


 だが彼らの挙動は明らかに不自然だった。演奏を始めるでもなくあたりを見回して、講堂内に等間隔で散らばっていく。楽器ケースから黒い棒状のモノを取り出していた。


「なんだ、あれは」


 ガイルは音楽に詳しくないが、どう考えても楽器ではなかった。見たことがない形状をしているが、あえて表現するなら鈍器……いや、筒か?

 祝砲のようなものだろうか。まるで弓を射る構えをとっているが一体何を————


 ふと、何気なく横にいるルーカスの様子を窺った。

 ルーカスはこれ以上ないくらい怯えた顔をしていた。目の前が信じられないとばかりに唇を震わせている。


「ば、ばかな……なぜソレを……」


 黒い筒がルーカスに向けられる。

 ガイルの身体は反射的に動いていた。

 直後、雷が至近距離に落ちたような轟音に襲われ、子供たちの絶叫がきこえた。

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