第6話

 卒業式に国王陛下が来訪される。

 当日になってからそれを通達されたときは卒倒するところだった。陛下のお顔を間近に拝見する機会など、一生に一度あるかないか。

 ビッグニュースに卒業生たちは騒然となった。


 そんななか、今年の卒業生であるアルマは教室の隅で身体を小さくしていた。

 居心地の悪さを感じながら、周囲を横目に盗み見る。


「ねえ。さすがにその数の指輪は品がないんじゃない? 成金オヤジみたい」


「うるせえよ。お前こそなんだよ、その変なにおい。香水つけすぎだろ」


「はあー、この香りの良さがわからないとはね。もう少しブランド物に興味を持っていかが?」


 楽しそうに談笑する同級生たちの輪に入っていけない。彼らとの価値観に隔絶を覚えるのは一度や二度のことではなかった。

 籍を置く学院生の親のほとんどが上流貴族、それも子爵家以上の階級が多い。

 当然、こどもが身に着ける装飾品もそれに見合うものばかりになる。


 着飾りが学生らしくなくとも、ここではそう悪目立ちしない。

 むしろ何の宝飾品も持たない自分が貧相に見えていないか、アルマは不安で仕方なかった。

 せめて前日に知らされていたら、もう少し服装に気を回せたのに……。


「おやおや、君はネックレスのひとつも付けないのかい」


 一番触れてほしくない部分に土足で踏み込まれた。

 直接こんな嫌味を言ってくるのは一人しかいない。アルマは顔を上げた。

 予想通り、目の前にいたのはハミッシュだった。子分のニックも連れている。


 丸焦げになるほどの失態を晒した割には元気そうだ。火傷の痕ひとつない姿を見て、改めて回復魔法の偉大さを思い知らされる。

 できれば完治せず寝込んでいてもらいたかった。


「国王陛下がいらっしゃるというのに、随分失礼な奴だな。同じ貴族として恥ずかしい」


「そう言ってやるな、ニック。彼女の家は困窮しているのだ。聞けば夜は学外での労働に勤しんでいるらしいぞ。我々の想像もつかない苦労があるのさ」


「ほう? 夜の仕事とは。いったいどんないかがわしい仕事なのやら」


 ニックは白々しくも、周りにきこえるように大声で喋る。

 アルマは怒りと羞恥で顔を真っ赤にした。飲食店での給仕しかしていない。だがここでムキになって言い返したところで、こいつらはきかない。


 今までだってずっと我慢してきた。それも今回限りだ。

 今日が終われば、こいつらとはもう会わずに済むのだから。


「なあ、どうなんだよ。ええ? 儲かるのか。俺の相手もしてみろよ」


 直後のニックの行動に、アルマは目を疑った。なんの躊躇もなく、胸に手を伸ばそうとしてきている。反射的に体をのけぞらせたアルマは勢い余って椅子から転げ落ちた。

 痛みにうめいている間に、ニックが距離を詰めてきている。その手がアルマに触れる寸前のことだった。


「なにをしているの」


 アルマは、はっとした。ハミッシュとニックも同様に息をのむ。

 藍色の髪をした女子がアルマを守るように前に出る。在籍生徒は千人を軽く超えるこの学院において、彼女の名を知らない者はおそらくいない。


 リュシー・ルトストレーム。

 平民の家系でありながら、この学院で首席の成績を修めた才色兼備だ。

 藍髪からのぞく切れ長の目は涼しげで、相対する者を萎縮させる。本人の寡黙さも相まって独特の雰囲気の持ち主だった。


「おやおや。これは首席殿。スピーチの原稿は用意したのかな」


「なにをしているの」


 全く同じ文言で、ハミッシュたちに詰問する。

 いくら怖いもの知らずのハミッシュたちでも、こんなに冷淡な声音をぶつけられたら物怖じするのは当然だった。


「な、なに、ちょっとした戯れだよ。級友との最後の時間を惜しんでいただけさ」


 リュシーは一言も口にしない。

 だが眉間に皺を寄せた剣幕は凄まじい。美人が怒れば怖いというが、あれは事実だ。


「消えて」


 そのぞんざいな態度が気に入らなかったらしい。

 ハミッシュが忌々しそうに舌打ちをした。


「平民風情が。イキがるな」


 だが、リュシーを相手に事を荒立てるつもりはないらしい。少なくとも今のところは。

 踵を返してハミッシュが立ち去ろうとする。


「いくぞ。ニック。そろそろ式典の時間だ」


 ニックがおとなしく親分の言うことに従う。

 だが邪魔が入ったことが頭にきているようだ。進路上の学院生を力任せに突き飛ばしていく。アルマの横を通り過ぎるとき、目が合ってしまった。


「なに見てんだよ、ブス!」


 カチンときたが、アルマは何も言わないでおいた。

 二人が教室を出ていくとき、ハミッシュがぼそっと呟くのが聞こえた。


「貴様の家名は覚えたぞ。この国で生きていけると思うな」


 物騒な捨て台詞とともに二人の姿が見えなくなる。張り詰めた空気がいくらか和らいだ。

 やがて、同級生たちもそそくさと部屋をあとにした。実際、式典の時間が迫っていた。早く向かわなくてはならない。

 だが、アルマはどうにも放心状態から抜け出せずにいた。


「いかなくていいの?」


「わあっ!?」


 耳元でささやかれ、ひっくり返った声を出してしまった。

 とっくに誰もいなくなったと思い込んでいたのに、リュシー一人だけが残っていた。


「な、なんでまだいるの?」


「心配だったから」


 心配される謂れがない。三年間、リュシーとは異なるクラスの所属だった。こちらが一方的に彼女を知っているだけで、ろくに話したことがなかった。

 それでもアルマに気遣いを示してくれるのは、昨日のことがきっかけだろうか。


 リュシーがむすっとした顔で言う。


「あの二人。自分たちを助けてくれたのがアルマだって気付いていない」


「いいよ、そんなの。それにリュシーさんも手伝ってくれたし」


 アルマは自分のブラウンヘアーをいじった。

 火だるまになっている二人を見かけたとき、考えるより先に身体が動いていたのだ。

 教会からのシスターが到着するまでのあいだ、応急処置に回復魔法をかけてくれたのがリュシーだった。


「ありがとね。あのときは助かった。私、回復魔法は使えないから」


「二人が誰なのか気付いていたら、治療なんてしなかった」


「そ、そんなこと言っちゃ駄目だよ。気持ちはすごいわかるけど」


「アルマだってそうするはず」


 ハミッシュとニックは絵に描いたような悪徳貴族だ。彼らにイジメられた学生は数知れず、教員が注意したところで意に介さない。昨日の一件だって、本来であれば二人は退学になっていてもおかしくなかった。彼らの親が金の力で事件を揉み消してなければ。


 誰だって、あいつらのことは嫌いだ。

 だがリュシーに同意しかけたとき、ふいに頭によぎるものがあった。


「いや、どうだろ」


 思い出したのは亡くなった母の姿だった。

 最初に忘れてしまう記憶は声だという。それでも母がよく話していたことは忘れようがない。


「迷った挙句、結局助けることになってたかも」


「どうして」


「だって貴族は、誇りと優しさを秘めた人にしかなれないから」


 母の口癖がついて出た。

 しん、と場が沈黙するのを感じた。リュシーが大きく目を見開いている。

 アルマは焦った。


「あ、えっと。これはその、お母さんの受け売りというか。よく思い出すんだ。私もそういう貴族になれたらって。お母さんならきっと、あの場面で誰かを見捨てたりしない。もしそんな風にしていたら……私はもう、いよいよ貴族なんて名乗れないよ」


 アルマの生家は落ち目の最中にあった。

 当主だった父は五年前に命を落とし、ずっと家を支えてくれていた母も去年の流行り病であっさりと逝ってしまった。自分と、幼い妹を残して。


 そして今、両親が遺してくれた爵位と領地をも剥奪されかけ、アルマを貴族たらしめるもの全てを失おうとしている。


 だが、誇りと優しさは誰にも奪われない。

 もしそれらがアルマから欠落するときは、自分から手放したときだけだ。


「……ごめん。変な話きかせちゃって。忘れてくれる?」


「できない」


 思いの外、力強く否定された。

 リュシーは憂いを帯びた眼差しでアルマを見つめていた。


「あなたは素敵だわ」


 どうしよう。勘違いでないなら、リュシーが感銘を受けているように見える。

 照れくさくなったアルマは無理やりに話題を変えた。


「それにしてもすごかったよ、リュシーさん。完全に回復魔法を使いこなしてたね」


 王立魔法魔術学院において、回復魔法はカリキュラムに含まれている。しかしその難易度ゆえ、生徒でまともに習得できたのは一握りだ。

 称賛の言葉を受けたリュシーは、しかし真顔でじっとこちらを見つめていた。


「え、えっと。どうかした?」


「アルマも」


「うん?」


「体調はよさそう」


「えっ。あ、うん! もう平気だよ。ゆっくり休んだらよくなったし」


 アルマは自分の胸に手を当てた。むかつきは完全になくなっている。

 昨日ハミッシュたちを助けに入ったとき、突然吐き気に襲われた。何の前触れもない体調不良な上、原因すら全く思い至らない。


「なんだったんだろうね」


「気になる」


 リュシーは難しい顔で考え込んでいた。


「傷や病気じゃなかった。だから魔法を使っても、健康な感触しか戻ってこなかった。明らかに具合が悪かったのに」


「そんなに深刻にならなくても。あ、っていうか急ごう。先生に怒られちゃう」


 壁時計を目にしたアルマがリュシーの手を引っ張ると、彼女は不思議そうな顔をしていた。たまらず困惑を覚える。リュシーの視線を追うと、握られた手を眺めていた。

 我に返り、アルマは手を離した。


「ご、ごめん」


「なんで謝るの」


「馴れ馴れしかったかなって。リュシーさんとは今まで話したこともなかったのに」


「呼び捨てでいい」


「え」


 まったく予想しなかった提案を聞いて、アルマは一瞬だけ固まった。

 しばし互いの目を見つめ合う。アルマは緊張とともに告げた。


「リュシー」


 名前を呼んでもらえた少女は、柔らかい笑みを浮かべた。


「いこう、アルマ」


 図らずも、学年一の才女と打ち解けてしまったようだ。

 こんなことになるなら、リュシーとはもっと早く打ち解けておくべきだった。今日で卒業になってしまうのがもったいない。

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