第5話

 一日の作業を終えたクロカミが学院を出ると、もう日が沈みかけていた。

 あとは寝床に戻り、身体を休めるだけだ。だが……。


「そこにいるのか」


 クロカミが忌々しく吐き捨てる。

 路地裏からプラチナブロンドがひょっこりと顔を出す。


「やっほー」


 気さくで間延びした声。くだけた話し方も、もう驚くに値しない。


「なんで気付くかなあ。かなり気配を消したつもりだったんだけど」


 ミルファナがどれだけ気配を絶っても、魔力までは抑えきれない。彼女が規格外な魔力量を持ち合わせている限り、不本意ながらいつでも居場所がわかってしまう。

 ミルファナは町娘のような恰好をしていた。そのあたりの露店で買ったのか、串焼きを手にしている。香ばしいにおいが鼻腔をくすぐった。


「食べたい?」


「いらねえよ、クソが」


「またまたぁ。お肉好きなくせに。滅多に食べられないでしょ」


「いらねえって言ってるだろ。お前から施されるくらいなら馬鹿貴族の方がマシだ」


「あ、そうそう! その話がしたかったんだよ」


 相手をする気になれない。彼女の横をそのまま通り過ぎようと荷車を押した。

 一拍遅れて、両腕に負荷がかかった。振り返らずともわかる。ミルファナが荷車に飛び乗ったのだ。


「降りろ」


 クロカミが苦言を呈するが、彼女は聞く耳を持たない。

 楽な姿勢でくつろいで串焼きを頬張っていた。

 何を言っても、どくつもりはないだろう。クロカミは潔く諦めた。


 貴族居住区間を抜け、スラム街まで戻る。舗装されていない道はひび割れや凹凸が多く、段差に乗り上げるたびに荷車が傾いた。

 乗り心地は最悪だろう。だが意外にもミルファナから文句は出なかった。


 その矢先、ミルファナが無言で指をふった。


 クロカミがまばたきをした間に、通路は平坦でゴミひとつない綺麗な姿に変貌していた。


「おい。変なことするな」


「人も消していい?」


 本当に実行しかねない。クロカミは頭の被り物を外した。

 路地は荷車がかろうじて通れるくらいの幅しかない。しかし人々はクロカミを見つけた途端、壁際に寄りかかって道を譲ってくれた。親切心からの行動ではないのは明らかだった。


「気分いいね。いつか話してくれた、モーゼの海割りみたい」


 うしろのミルファナがもごもごと言う。

 道往く人々は不思議そうに、荷台に乗ったミルファナに目を向ける。修道服から着替えただけなのに誰も彼女の正体に気付く様子がない。認識阻害の魔法で別人に見せかけているのだろう。


 狭い路地を抜け、周囲に誰もいなくなったタイミングのことだった。


「一悶着してきたでしょ。うちのシスターがひとり血相変えて飛び出していったから」


「あいつらの自業自得だ。俺は巻き込まれただけ」


「皆、そう思うだろうね。まさに魔法操作の補習と追試のために来てたんだから、暴発したって誰も変に疑ってかからない。身から出た錆、ってやつだよね?」


「……なにが言いたい」


 含みを持たせた言い回しに、神経を逆撫でされる。


「二人とも全身火傷がひどすぎて、私が出向く羽目になったんだけど。片方は面白い状態だったんだよ。えーと、誰だっけ。伯爵家の。は、は……」


「ハミッシュだ」


「そう、それ。火傷とは別で身体に裂傷があった。瞬間的に過剰な魔力を注ぎ込まれると、丁度あんな感じになる。あなたの仕業よね? ハミなんとかさんが魔法を発現させたタイミングで、自分の魔力を解放して飛ばした」


「魔力なんてない」


「バレバレの嘘つくのやめない? 初めて会ったときから気付いてたし。そういう回りくどいの嫌い」


 クロカミは沈黙した。それがミルファナの推測の証左でもあった。

 だが罪悪感などない。ハミッシュのような輩は、こちらが一切抵抗せずにいると余計に増長する。無限にわきでる悪意には、ときに過激な対応も必要になる。


 荷車から身を乗り出し、ミルファナが黒髪に触れてきた。

 悪寒が背筋を駆け抜け、クロカミは彼女の手をはたき落とした。


「なにする」


「あなたのお母さんってどんな人?」


 脈絡ない問いかけにクロカミはうんざりした。

 出会って三年間、この手の質問は何度も受けた。そのたびにクロカミは回答をはぐらかしている。


「知ってる? 種無しの親からは魔力持ちは絶対生まれない。あなたの父親はクロカミ・ユラクでしょ。なんで魔力を授かったの」


「教えない。一生悩んでいろ」


「あーあ。可能なら解剖でもなんでもやるのに」


 人間性を捨て、プライドを捻じ曲げ、その手を血で染めてでも、ミルファナは自分の欲求を優先する。ミルファナとはそういう女だった。

 しかし彼女がどれだけの犠牲を払い死に物狂いになろうと、クロカミの正体を看破することはなかった。最終的に力づくでクロカミの拘束を企んだこともあったが、それすらも叶わなかった。


「生涯で二回目の挫折だよ。ムカつくなあ……」


 本気で悔しさを滲ませて、ミルファナは吐き捨てた。

 自尊心の塊のような彼女にとって、それは認めたくない事実だった。


「いつか、ぐちゃぐちゃにしてあげるから」


 不穏な一言を最後に、ミルファナはようやく刃を鞘に収めた。

 これからも粘着質に迫られるかと思うと辟易するが、真実を話すと余計にひどくなりそうな予感がある。


「こんなことのために帰国してきたのか? 予定ではもう少し後だったはずだ」


「まさか。そこまで暇じゃない。言ったでしょ、興味深い話を小耳に挟んだって」


 そういえばそうだった。

 てっきり、あれは方便だと思っていた。


「明日、学院で卒業式があるのは当然知ってるよね?」


「ああ」


「実はルーカス陛下がご来賓の予定なの」


「……は?」


 呆けるクロカミの反応が気に入ったのか、ミルファナの機嫌がよくなった。


「魔法学院が設立されて百年たつからその記念だって。あ、言い触らしちゃ駄目だよ。一般の教職員にすら知らされてない極秘情報だから」


 クロカミはここ数日間を振り返った。

 今から考えると、学外の人間の出入りが多かった気がする。あれが王国に属する関係者だったのかもしれない。


「………」


 クロカミの清掃業務に休みなどない。当然、明日も学院に赴くつもりだった。

 だが学生の家族だけでなく王族まで現れるとしたら、クロカミと接触した場合トラブルは不可避だ。

 なぜ、王国は何の通達もしてこないのだろうか。


「どうかした? 浮かない顔で考え込んでるけど」


「……いや。そうか。お前は卒業式に参加しに戻ってきたわけか」


「いいえ。私はそもそも何も知らされてないわよ。招待されてないし」


「ああ? どういうことだ」


 ミルファナが情報を掴んだこと自体はなんら不思議ではない。この女の能力と人脈なら簡単だろう。

 解せないのは別の点だ。


「招待されていないなら、なんで戻ってきた。ここの学院生に想い入れなんてあったか」


「冗談言わないで、虫唾が走る。魔法使いもどきの将来なんて心底どうでもいいよ。正式に依頼されていたら絶対に来なかったし」


 聖人君子などいない。ミルファナを妄信している信者たちに、今の発言をきかせてやりたい。

 ミルファナはどういうわけか、レベルの低い魔法使いを毛嫌いしている。王国最高峰の学院の通う学生ですらこの扱いなのだから、彼女のお眼鏡にはかなう魔法使いはこの国にはいないだろう。


「なんか、変な感じじゃない。王国がこの私を呼ばないなんて。」


 天邪鬼みたいな主張だが、案外的外れでもないかもしれない。

 王国は周辺諸国に、ミルファナ・ルーン・フィランスの存在を誇示し続けてきた。

 アルムグレーンが外交を有利にすすめられるのは彼女の存在が大きい。どんな催事であれ、ミルファナを招集するのが道理だ。


「悪だくみでもしてそうじゃない?」


 誰が。

 何を。


 そんな疑問をクロカミは追い払った。何が起ころうと自分には関係ない。

 ミルファナも同じ意識だったはずだ。ただの杞憂。この国で何かが起こるはずもないし、起きたところで問題ない。


 この世は、魔法が全てなのだから。

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