第16話 昼食
予定よりもフォリン大聖堂に滞在する時間が長くなったことで、街はすでにお昼時に差し掛かっていた。
とはいえ、わたしたちは貴族、それも上級貴族なので身分社会のこの国では少々混んでいても当たり前のように席を確保してもらえるし、恐らく誰もそのことに不満を持つこともない。
まあ、それでも普通の貴族は狭苦しい大衆用のお店ではなく、少々値段は張るが予約制で安全面でも優れた少数型の高級店を利用するのがマナーであり、暗黙のうちに貴族間で共有された事柄だ。
今回はわたしが行きたかった場所であり、治安的にも申し分ないと判断されたので、散策を楽しんだ先で平民に配慮しながら手頃な店で食事することになった。
ただ、他の人たちの迷惑になるのは気が退けるので、お昼時になる前のお客がいないタイミングを見計らってお店に入ろうということになっていた。
「すみません。大聖堂に見惚れてしまったばっかりに機会を逸してしまいました」
「わたしも見惚れたのは同じですから別にいいのですが、······昼食はどうしましょうか?」
「他の人たちが食事を終えて、店内が空くまでは観光を続ける、······のは駄目ですよね」
ハンスが自分のお腹の辺りに視線を投げる。
わたしもそうだが今日はかなり早く出発しているので、朝食を摂った時間も早い。
観光地区を歩き回ったことも相まって空腹度合いはいつもの同時間帯に比べるととても大きいだ。
しかもお昼時が始まったのはほんの少し前のようで、食事を終えて店を出ている人は一人もいない。
「そうですね。それに、後で食べることになればコンフィザーリでのお菓子にも影響が出ます」
「それならば仕方ないですね。少し不作法ではありますがやはり買い食いにしましょう」
ハンスは苦肉の策のような表情を作りながらもどこか愉しげな顔をして言った。
「買い食いですか?失礼ながら買い食いとはいかがするものでしょうか?」
ハンスが眉をひそめる。
言葉遣いが少々いけなかったようで、"買い食い"への避難の言葉と受け取られたようだ。
「如何なものとは些か酷い言葉では······まさか、ご存じないのですか!?」
途中までは針を刺すような咎めの口調だったがわたしの表情を見て、『如何なもの』の意味が非難ではなく疑問だと気づいたらしい。
あまりの剣幕に一、二歩後退りながらも返答する。
「え、ええ。存じ上げませんわ。どうしてそのようにおかしなものを見るような視線をするのですか?」
両者は全く同じようにポカンとする。しかしながら、同じ表情でも内情は全く違う。
パウリーナは『買い食い』という単語が何を意味するのか、ハンスが怪訝な表情をする意味を計りかねていて、ハンスは単語を本当に露ほども知らない様子に驚き、説明をすべきかどうか迷っている。
そもそも、何故パウリーナが『買い食い』を知らないかというと、端的に言えばセブリアン伯爵つまりパウリーナの父親のせいである。
彼は今でもそうだがパウリーナが幼い頃はとにかく当時はたった一人の娘に甘く、興味を示したものは何でも買うし、フェリシス領内であれば何処であろうと連れていくような人だった。
パウリーナがわがままをほとんど言わない子であるうちはそれでもいいのだが、自分勝手に振る舞うようになればただでさえ代々続いているわけでなく、財産も伯爵家にしてはかなり少ないセブリアン伯爵家は簡単に傾いてしまう。
だから、アイナたち側仕えや侍女、執事たちはパウリーナが悪いものやお金を浪費するものに興味を持ちすぎないよう、必要以上に貴族社会の外に関わられないように言葉を選ぶようになった。
その甲斐もあり、元々真っ直ぐというか邪悪な考えを持つような子ではなかったパウリーナはさらに一部の面においては無知になった。
そんなわけで、ハンスに比べると割と常識的な面を多く持つパウリーナであるが今回はそうではなかったらしい。
実際に行ったことはなくても、言葉そのものについてはいくら箱入りが多い高位貴族令嬢でも知っている。
とはいえ、ハンスが常識的かと言えばそうでもない。
普通の貴族の買い食いに対する反応は不衛生だとか、よろしくないとかが大半で、ハンスのように好意的な印象を持っている人は少ない。
偏見と言えば偏見に違いないが、体裁を大事にする貴族にとっては、その場で調達する行動そのものが相容れないものなのかもしれない。
幸いにも最近は、手軽に食べられることに利点を見いだされ始めたり、世間の風潮的に衛生管理が重視されるようになっていることで受け入れられ始めているとは言っても、抵抗なく口を出せるのは一部の上級貴族と野宿をすることもある騎士、元々平民に近い下級貴族が主だ。
それでも、状況次第では仕方ないと渋々受け入れられている程度のものだ。
だから、貴族たちの中でも階級的にほとんど頂点にいるハンスが嬉しそうに食べるのは異例中の異例だ。
なんだかんだ言って似たり寄ったりの二人である。
「最近では賑わっている街の中での出店の飲食店の営業は運営実態や安全性、食事の質の確認のために監査が入ると聞いています」
当然と言えば当然の話ではある。お祭りの日などに簡易的に作られるだけの店ならともかく、年中営業している店となればどこでも安全性と信用は大事だ。
それもこのグラーツ=ド=フォリンのような観光業が盛んな街ともなれば食事を摂りやすいことで気軽に人が来るようになる副次的な利点があろうと、店自体からの地代等による税収が見込めない零細店舗の不始末が原因で食中毒などの問題が起これば、街全体の評判に傷がつく。そして、最悪の場合は観光に付随している利益全体が無くなることにも繋がりかねない。
商業や神殿があり、観光業一辺倒ではないといえども観光という大事な財源を失えば、文化財の保護のための維持費が重くのし掛かり、街が立ち行かない。
「伯爵邸や予約制の厳かなレストランで食事をしている貴女には困惑することもあるかもしれませんが一度試しませんか?きっと気に入るはずです」
わたしの表情から"買い食い"に対して不安を持っているもしくは否定的な先入観を持っていると判断したハンスは必死そうに言い募る。
実際のところは困惑の念があるだけで悪感情を抱いているわけではなかったが、ハンスの言動から推測するに"買い食い"という物は少なくともハンスにとっては悪いものではないだろう。
それにハンスの常識のなさを理解しているが、同時にわたしのために努力してくれているという事も既に知り得ていることだ。
「分かりました。ですが、"買い食い"に関しては本当に何も知らないので何を買うかはすべてハンス様の裁量で選んでくださいな」
「勿論です!」
飲食店街の一角にある"買い食い"をする店が多い区画に辿り着くと、わたしはハンスと手を繋いだ。
なんの事はない。人が多くはぐれる危険性があったためそうならないように対策しているだけだ。
ハンスはふらふらと出店を遠目にうかがっては興味を失くしたように別の店に移る。
「何か探しているのですか?」
「はい!"買い食い"の店が立ち並ぶところには必ずある食べ物を扱う店を探しています。他にも美味しいものはたくさんありますが一番最初に食べてほしいものです」
「それは楽しみですね」
ハンスが大好きなものと聞いて若干不安になったが、ハンスも上級貴族だ。変なものではないだろう。
さらに数軒の店を見回ったあと、とある店の前でハンスが立ち止まった。
「パウリーナ様!これです!やっと見つけました!」
喜色満面の笑みでハンスは叫んだ。わたしは知っているものかどうか確認したくて看板に書かれている文字を読んだ。
「焼き鳥?」
「そうです!ちょうど空いているようですし早速買いましょう!」
"焼き鳥"と看板に書かれた店に近づくとその店の支配人らしき人がわたしたちを見つけて挨拶をする。
支配人は長い間この店で働いているのかもしくは土木系の仕事を生業にしていた過去があるのか、とても日焼けしている。
「店主、焼き鳥を幾つか頼む」
「ああ。運が良かったな。たった今焼きたてが出来上がったところだ。どの串にする?」
「串の種類は店主に任せる。ただ、こちらの連れは焼き鳥を食べるのが初めてだそうだ。癖の少ない種類にしてもらえると助かる」
「焼き鳥を食べたことがないとはよほどのお嬢様だな。わかった、初めてうちの店に来る人がよく食べる串を中心に選ぼう」
店主とハンスは身分差など関係なくまるで友人のように話している。
お姉さまたち女性の公爵令嬢を除けば公爵家の男性も王族もいない珍しい状況の学園では、ハンスは男性の中では一番の上席者として敬われる立場にあるので、このようなどちらも自然体で話している姿がとても印象に残る。
「これでどうだ?高級な服を着ているようだからタレが溢れないように最低限の量にしている」
「配慮感謝する。······代金はどれくらいだ」
店主が箱に入れた串をハンスは検分して、満足したように頷きながらお財布に手をかける。
「わたしも払います」
なんとなくすべてを払わせてしまうのも気が引けたわたしは小金貨を三枚店主の近くにおいた。
これで折半くらいになるだろう。
そう思ったが二人は目を大きく瞬かせる。店主に至っては何故か腰を抜かすような素振りさえ見せている。
「どうかしましたか?」
「······パウリーナ様。焼き鳥を購入するのにこれ程の金額は必要ありません。銅貨があれば十分です」
「そ、そうだな。うちの焼き鳥は二本で銅貨一枚。君たちは10本買ってくれたから銅貨五枚だ」
心外にもハンスが呆れたようにわたしを諭し、遅れて我に帰った店主もハンスの言葉を援助する。
「わたし、銅貨を持ってきてません」
「ここは私が払いますので気にしなくて結構です」
落ち込んだわたしを慰めながらハンスは店主に銅貨を渡した。
「それにしても焼き鳥に小金貨を差し出すとは本当にどこのお嬢様だ?······いや、何でもない。お嬢様の方は焼き鳥を食べるのが初めてだったな。見ればわかると思うが串にはぶつ切りにされた鶏肉が刺さっている。一つずつ外すようにして食べるんだ。あと、串の先端は尖っているから怪我をしないように気を付けろ」
わたしたちが貴族だと気づいたのかもしれない。店主は話を途中で切り捨てると、初めて焼き鳥を食べるわたしのために食べ方を教えてくれた。
「ありがとうございます」
「こちらこそ楽しい会話をさせてもらった。また、この街に来たときは食べに来てくれ」
武骨でぶっきらぼうに見えた今までの厳めしい表情とは打って変わって白い歯を見せてニカッと笑った。
「勿論です。そのときはまた宜しく御願いしますね」
わたしたちは近くにあった日陰によると、焼き鳥の箱から串をひとつ取り出した。
「店主が余分なタレを切ってくれていますが念のため溢さないように注意してください」
ハンスの注意を聞いたあと、わたしは店主に教わった通りに焼き鳥の串を横持ちにして食べる。
「すごく美味しいです。熱すぎない食べやすさと生ではないけど堅すぎなくてとても美味しいです」
わたしは笑顔で焼き鳥の虜になったのだった。
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