第12話 デート準備
アンリエットからの伝言を受けて以降、わたしの周りは慌ただしく動いた。アイナはお父様や公爵への報告に加えて、ハンスの側近たちと一緒に事前の手配をできるかぎり済ませていた。
わたしは休み明けに予定されている講義の予習と高等文官科で学年末までに提出しなければならない課題を休日を一日使いきっても問題ないくらい早めに進めておいた。
お姉さまはお姉さまで講義を繰り上げ修了させる と、講義が休みだったわたしをシルヴェスト王国側の学園の外にある商業が盛んな街、ミーアラントに連れ出して当日用の服を買った。
立ち寄ったのは『フィオーレ』という店で、シルヴェスト王国の王族も利用したことのある名店だ。
お店に入ると、いつの間に用意していたのかお姉さまはわたしのサイズに合わせた服やオーダーメイドの服を何着か準備させていた。
買ったのは冬を連想させる雪色の生地に春の訪れを連想させる梅色とさくら色の花の刺繍を織り込んだ盛装ではないドレスで、今の季節にぴったりの服だ。
冬の寒い中を歩けるように裏地の起毛が備えられていたり、普通の生地に比べて少し厚めに作られている。
そのわりに外部から見ると着心地の厚さよりも細く見えていて、大きく見られることもない。
そして何よりもお姉さまが気にしていたのが動きやすく走りにくい絶妙なラインのデザインだ。
「デートではハンス様が何をするのか分かりません」
とはお姉さまの懸念である。
つまりは最初こそ予定通りに街を散策していても、途中から体が疼き出して魔獣討伐を使用とするかもしれないということだ。
幸か不幸かわたしが指定した街、は少し離れたところに森があって、その森の周辺にしか生息していない魔獣がいる。
その際にわたしの服がどう考えても走り回るには向いていないものであれば、いくらハンスといっても思い留まってくれるだろうという算段のようだ。
この前の書面を見るかぎり、お姉さまは心配しすぎだと思うが、前回の行動の突飛さを鑑みていると対策しておくに越したことはない。
それに服の色合いと着心地はわたし好みのど真ん中だったので、ありがたく受け取った。
もうひとつ、わたしのデート準備のために立ち寄ったのは、主に髪飾りなどの装飾品を取り扱うお店だ。
ここではキラキラと輝いていながらどこか控えめな趣きを持っている髪飾りを購入してもらった。
髪飾りにはサファイアと薄い桃色をしたノウゼングラウル侯爵領の特産のノウゼル鉱石を中心に高級な生糸を多用して造った冬の花々があしらわれていて芸術品への啓蒙がないとよく言われるわたしでも一目見て芸術的な作品だと分かる出来栄えだった。
特に花の部分は細部まで拘って作られていて、例えば白色を主体とした花でも目を凝らしてみれば、黄色や緑色の糸が数本だけ織り混ぜられていたり、より立体感を醸し出すために厚さを微妙に変えて光の当たり方を調整したりしている。
試行錯誤によって造り出された美しさと主張しすぎない謙虚さ、服との相性の良さを気に入っている。
というわけで、わたしたちは少し遠出するデートの準備で忙しくしていたわけだが当日の朝も忙しかった。
まず、前日の夜には八時前には就寝して朝は四時頃に起床し、それからお財布や緊急用の魔術具等の必要な荷物の準備を行う。
そのあとはかなり早めの朝食を摂って、湯浴みを終わらせてお姉さまに買ってもらった雪色のドレスを着せてもらうと、服にあった髪型にセットしてもらう。
アイナが頭を捻ってくれた結果、今日の髪型はサイドの髪をしっかりまとめて耳を見せるタイプのハーフアップになった。
髪飾りを挿す部分の近くに三つ編みを少しだけ入れてあとはわずかにふわっとさせただけのものだが、解けにくく髪飾りが抜けにくくなっている。
「これで準備は万端です。あとは、フラベル公爵子息がお嬢様をお迎えになるのを待つだけです」
現在の時刻は午前六時でわたしたち以外に起きている人はほとんどいない。お姉さまがお見送りに来ると言っていたから、少し前に起きたくらいだろう。
どうしてこんなに早く起床しなければいけなかったのか?それは全面的にわたしのせいだ。
デート場所はわたしの希望でグラーツ=ド=フォリンの街の散策に決まったのだが、グラーツはフォーンバーズ王国側の都市としては学園から一番近いがミーアラントのようにふらっと行けるような距離ではない。
しかし、アンリエットと話したときはその事を知らなくて、馬車でゆっくり一時間もあれば悠々と到着するだろうと考えていたが、実際は早馬でも一時間以上、馬車であれば可能な限り急がせても二、三時間は掛かるらしい。
もちろん、その事を知ったときには場所を変更しようと試みたし、アンリエットが無理を悟って変更の申し出を行うと思っていたが、すでに予定を組んでしまっていた。
慌ててフラベルの寮に問い合わせるとアンリエットたち側近は時間的な都合がつかないと別場所(おそらくサングレイシア王国側にある商業都市のことだ)にしようとしたようだが、ハンスが譲らなかったそうだ。
数千年続く同盟国とは言っても他国に行く機会なんてそうそうないので連れていきたかったというのが理由らしい。
側近たちが何度嗜めても断固として主張したようで、持ち前の暑苦しさと強引さが最大限活かされている。
苦労を掛けることになった側近たちには申し訳ない気持ちもあるけれど、ハンスの心遣いは嬉しい。
そんなこんなでグラーツに最初の予定通り向かうことになったのだが、この前の魔獣退治デートの時のような時間帯に出発すればゆっくりと散策する時間もお買い物をする時間もとれない。
そこで、提案されたのが出発時間を大幅に前倒しすることだ。朝早くならば街道も混んでいないので通りやすいという利点もあって決まった。
わたしは元から早寝早起きタイプの健康的な生活を送る人なので時間を一時間程度繰り上げて行動しただけで負担も少ない。
とはいえ、少し早く動きすぎたようで出発時間まではもうちょっとだけ余裕がある。
水曜までの講義の予習は済ませていて、他の課題は長期的なものばかりで時間が掛かりすぎる。そうなると馬車の中でも課題について考え続けてしまう。
初めてグラーツに行けるのだから、今日は勉強のことを忘れておもいっきり楽しみたいから、いけない。
「ねえ、アイナ。本も読めないし、勉強もできないし、運動もできないからすごく暇。何かする事ってない?なければ側仕えの手伝いでも······」
「何をいっているのです。側仕えの職務をお嬢様に任せられるわけがないでしょう。平時ならばともかく今はすでにプルデンシア様から頂いたドレスに着替えているのですよ。でも、暇なのは考えものですね。······それならば、寮内を歩いて光を浴びてきたらどうですか?」
「それがいいですね。そうしましょう。本館のこの階の中を歩きますから出発の時間になったら教えてください」
わたしは部屋を出てから本館の中を歩く。本館にはフェリシス公爵家の一族や側近の部屋があって、部屋内の防音対策も魔術具によって万全に保たれているので少々足音を鳴らしたところで寝ている人たちの迷惑になることはない。
廊下側は何枚もある大きなガラス張りの窓から朝日が差し込んでいるのでとても気持ちいい。
「あら、パウリーナ。もう準備が終わっているのですね。そんなにハンス様とのデートが楽しみですか?」
「ふぇっ!お姉さま!そ、そんなことはないです。今日、早く起きたのはアイナが起こしてくれたからで、むしろ張り切っているのはアイナの方です。それに、楽しみなのは、ハンス様との、デートだけが理由ではなく、グラーツ=ド=フォリンの街を散策することも大きな理由です」
朝日を強く浴びて暖かくなって気持ちいい白壁に寄りかかっていたわたしはお姉さまの登場に驚き、壁から飛び退いた。
何でだろう。お姉さま呼びをするようになってから、お姉さまはわたしを事あるごとにからかうようになった気がする。
ハンスとのデートを楽しみにしていたのは否定のしようはないがそれを対面で言われると気恥ずかしさが込み上げてきたので、わたしは早起きした別の理由をいくつも引っ張り出した。
「それでは、ハンス様とのデートよりもグラーツ=ド=フォリンの町並みの方が楽しみなのですね」
「そういうわけでは!あ!······お姉さま!図りましたね。ひどいです!」
嵌められた。そう直感した。
理由は話しているときは少し寂しそうな悲しげな表情だったお姉さまがわたしが即座に否定したことで最初のようなからかいの視線と笑みを深めたからだ。
「なんの事でしょうか?」
お姉さまはあくまでも知らぬ存ぜぬの態度を崩そうとしない。被疑者には推定無罪の原則をというように証拠がなく、最初の時点でお姉さまが認めなかった以上は怪しくても引き下がらなくてはいけない。
「それよりも、先程の発言はハンス様の事がずっと行きたがっていた街よりも······」
「お嬢様!先程、先触れの騎士がやって来ました。ハンス様がこちらに向かってきています。そろそろ、寮の外に行きましょう」
お姉さまが何かを言いかけたところに、見計らったのではと勘繰るくらいタイミングよくアイナがハンス様の迎えを知らせに来た。
「アイナ。私もパウリーナのお見送りに行きますわ。部屋から羽織を持ってきますから少し待ってくださる?······パウリーナ、この話は明日にでも」
羽織を取りに行く際にわたしに恐ろしいことを呟いたような気がする。
いや、大丈夫だパウリーナ。なにも聞いてない。
取り敢えずなかったことにしよう。
お姉さまはすぐに戻ってきて、そのままわたしの部屋に行き、荷物の準備の最終確認をしてくれた。
無事にすべてを抜かりなく準備し終えると、寮の玄関を出る。
ちょうど、ハンスの乗っている馬車が到着して、門が開けられた。
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