第10話 エネルスティ先生の追試験
覚悟も決めて今日は告白!とするつもりだったけどその予定は取り止めになった。
お姉さまからはハンスのことをもっと良く知ってから本当に付き合って良いのかを熟考しなさいと言われているし、今日はエルネスティ先生の追試がある。
どうせ受かるだろうと思って気にも留めていなかったため、忘れかけていた。
なにもしないのは不安なので、アイナに髪を結わいて貰っている間に試験内容をさらっとおさらいする。
身なりを整えたら、筆記用具だけをもつ。今日は追試験をするだけで講義はないからこれさえあれば良い。
みんながまだ起きていない日曜日の8時前の朝日を浴びながら学園に向かう。
アイナと寮のドアを出たとき、お姉さまが来た。
起きたばかりのようで眠そうな目をしている。
「今日は試験ね。がんばって」
大きなあくびをしながら言った。朝日を浴びたことで目も幾分か覚めているようだが、まだ眠そうだ。
「大丈夫ですよ。お姉さま。試験といっても講義内容は完璧ですから合格します」
「そうね。貴女は優秀生だったわね」
お姉さまと呼んだ瞬間に顔を綻ばせた。気のせいだろうが、わざわざお姉さまと呼ばれるために起きてきたような·····。
そういえば、昨日も何度も用事もなく部屋に来ていたけど、うん。気のせいに違いない。
「では、行って参りますね。お姉さま、アイナ。無事合格してきますから心配は必要ありませんよ」
「行ってらっしゃいませ」
「行ってらっしゃい」
脳裏に一瞬浮かんだ疑念を振り払うと、わたしは笑顔で二人に手を振り、背を向けた。
寮から学園までは歩いて五分も掛からずに着き、そのままエルネスティ先生の講堂まで足を運んだ。
「おはようございます、エルネスティ先生」
「ごきげんよう、パウリーナ様。体調はいかがですか?気分が悪そうにしていても講義に参加していた貴女が休みだと聞いて驚きましたのよ」
エルネスティ先生は心配そうな口調で尋ねた。そういえば、先生の講義は水曜日までだから顔を会わせていなかった。
ちなみにわたしを様付けで呼んだのは公爵の姪という立場上のあれである。近年は学園への平民の入学が認められるなど、緩くなりつつあるようだがこの国々は身分社会なのだ。
「ええ。先生の厚意のお陰でゆっくりと休むことができましたので体調は万全です。先生、改めて休日にお時間をいただきありがとう存じます」
「この休日はお茶会の予定もなく暇でしたから大丈夫ですわ。その代わりと言っては何ですが、例の噂について話を聞かせてくださいませんか?」
「噂とは?」
それまで笑顔だったわたしの表情が途端に曇るのが分かった。一応疑問形式で問い返したが、恐らくわたしとハンスの恋愛の噂に違いない。
「あらあら、知りませんでしたか?貴女とフラベル公爵子息の噂ですよ。何でも、とても大切にされているとか」
·····知っていました。
そう、エルネスティ先生は恋愛の噂好きなことでも知られているのだ。先生の出身領地のラーンフェルトから定期的に出版されている恋物語の作者という話もあるくらいだ。
断りたい気持ち満載だが、普段は動かしてもらえない試験日程を融通して貰っているため、こちらの立場が弱い。
できるだけ簡素に話そうと決意した。
「そういうのは試験の後でお願いします。今日は予定が入っていた気がするのであまり長くは話せないと思いますが····」
「そうですか。予定ならば仕方ありませんね。フェリシス公爵令嬢にも釘を刺されていますので、程々にしっかりと効率的に聞くことにします」
もちろん予定などない。ただし、嘘はついていない。
わたしはあくまでも
あからさまにシュンとした先生には悪いがこの話を広められたくない。まして、恋物語の題材にされるのなんてごめんだ。
お姉さまはここでも先手を打ってくれていたようだ。
熱を出した初日のことだから、先生は恋愛の話だと知らなくて軽く引き受けたのだろうが、約束は守る人なので信頼できる。
お姉さま、ありがとう!
「話を聞く時間が惜しいですから、早速試験を始めましょう。問題はこれです。制限時間は三十分ですが、今回は特別に時間にならなくても終わり次第提出してくださって構いません」
待たなくて良いのはありがたいが、先生の背中に「恋の話を聞きたい」と文字が浮かんだような気がする。
そこまでして知りたいのですか!
まあ、日程の融通をして貰っているのだ。多少のことは仕方ない。
「はい」
「それでは始めます」
先生が30分を示してくれる魔氷塊製の砂時計を置く。
わたしは問題用紙を表に裏返して解き始める。
問題の内容はフォーンバーズ王国、サングレイシア王国、シルヴェスト王国の三国の中にある各領地の場所や特産品、面積についてだ。それに加えて、シルフィード王国などの周辺国の位置の問題だ。
つまり、地理である。文官仕事はどこの領地で働くにしても他の領地についても知っておかなければ務まらないそうだ。
逆に知っていればこの試験は難しくない。計算が多い経済のテストや数学のテストに比べれば余裕だ。
それに領地順位のような毎年変更が起こるものが出ることはないので、定型通りにすらすらと解き進める。
「先生、終わりました。採点をお願いします」
「もう終わったのですか?15分近く残っていますよ。さすが優秀者でございますね」
先生は魔氷の砂時計を止めるとわたしの回答用紙を回収して採点を始めた。
一問一答形式の問題ばかりで選択問題も記述式の文章回答もないので、熟考の上での丸付けも番号を見失ってこんがらがることもなく、先生はちゃちゃっと採点を終わらせた。
「合格ですよ。一問だけ間違いがありましたが優秀者候補として問題のない成績です。······というわけで話を聞かせてください。まずはお二方の関係の始まりから」
合格の余韻に浸る間もなく先生はハンスとわたしの関係性について聞く。まるで取材を受けているような気分だ。
「ハンス様とは元々深い関係があったのではなく、告白をされてから関係を持ち始めました。最初は話を聞かずにグイグイ距離を詰めてくるハンス様に苦手意識を持っていたのです。特に一番驚いたのはデート場所を魔獣退治に決められたことですね」
先生も自分がそうなった場合を想像したのか笑顔が一瞬消えて苦い顔になる。
「それは災難でしたわね。でもまあ、あのお姫様抱っこの件もあったことですから結果的には良くなったのではなくて?」
「······そ、そうですね」
先生が想像しているお姫様抱っこはきっと恋物語に描かれるようなときめき溢れるシーンなのだろう。
しかし、その実情はハンスが自分のスピードに合わせるためにわたしを抱えて走って時間短縮を目論んだにすぎず、そこにはときめきなど皆無だ。
それでも、想像を膨らませてうっとりとした表情を浮かべてる先生を見ていると、「全然良くなかった」とは言えず、肯定せざるを得なかった。
「デートの方はどうだったのですか?」
「個人的な感覚なので相手方がどのように考えていたのかは存じませんがデートというよりも騎士の訓練のような気分でした。距離が近かったので恥ずかしさはありましたが、ときめく場面はなかったと思います」
「具体的には?」
先生は本当にときめきがなかったのか自分で判断したいようだ。なので、槍で魔獣を仕留められなかったわたしにハンスが槍の投げ方を教えてくれたこと、途中でズラチョークを遠くから仕留めたことを話した。
「なんと言いますか、さすが騎士科の最優秀ですね。文官が本分のパウリーナ様から見ると絶対にデートの様相にはなりませんね。······おそらく本人はそれで満足しているのでしょうけど」
先生は言い淀んだ。学園一恋愛に詳しいと言われるエルネスティ先生がここまで困惑するのだから、他の騎士は普通に一般的なデートをするのだろう。
「取り繕って本当の自分を隠して後でいざこざが起こるよりはマシですよ。殿方が自分を良く見せようと繕いすぎた所為で、本当の自分が見つかった際に幻滅された話をいくつも知っていますから。それにズラチョークを仕留めたことで自分の優秀さも示しています。パウリーナ様も少しくらいはかっこいいと感じたのではなくて?」
「ええ、まあ、少しくらいはかっこいいと思いました。その時に恋に落ちたかと問われたなら、わたしは違うと答えますけど」
わたしが答えると先生の目が途端に獲物を見つけた獣のように光った。
「その時は恋に落ちていない、ということは今は恋に落ちているのですか!?いつ、どのような状況で恋に落ちたのか詳しく聞かせてくださいませ!」
「っ!あ!先生!そろそろ時間が来てしまったようです。その話はまたいつかお願いします。今日は休みの日を試験の時間にくださって本当にありがとうございました!」
先生の目付きが変わった理由に感づいた。
このままでは最初から最後まで全てを聞かれてしまうに違いない。情景をいちいち思い浮かべながら説明するのはあまりにも恥ずかしすぎて辛い。
精神的な身の危険を感じたわたしは話を強引に切り捨てて、感謝の意とさよならの挨拶をする。
そして、逃げるように講堂から立ち去った。
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