第9話 事実誤認
金曜日になり、明日からは学園の授業もお休みで学生たちは浮き足立っているが、わたしは対照的に厳めしい面持ちでプルデンシアと向き合っていた。
今からする話は恋愛に関する話だ。二人がハンスに同時に恋している以上、以降のプルデンシアとの関係性は嫌でも変わってしまうだろう。それどころか下手を打てば二度と口を利いてもらえないかもしれない。
ずっと同じ関係で、というのは理想論だと分かっているけど、これからも仲良くいたい。そのためにはここで逃げてはいけない。
初めて来た公爵家の庭で道に迷って泣いていたとき、わたしの手を引いて助けてくれたこと。
ダンスのレッスンで何度やっても上手くいかなくて泣いていたときに、秘密の特訓をしてくれたこと。
どれもこれも大切な思い出で色褪せたりしない。
わたしにとっての一番大切な友達だ。
ハンスも好きだけど、プルデンシアも大好きだ。
「どうかしたの?大丈夫?」
実はわたし、ここに来てから五分以上一言も喋っていない。覚悟を決めるために時間が必要だったこともあるが、そうとは知らないプルデンシアを困らせてしまっていたようだ。
「ごめんね。ちょっと考え事してて。······最初に言っておくね、プルデンシア。大好きだよ。これまでも、これからも。····ずっと。··ずっと」
「パウリーナ、本当に今日はどうしたの?」
話題を知らないプルデンシアは困惑している。
流石にこれ以上なにもしないわけにはいかないので、わたしは本題に入る。
「わたしはハンス様のことが好きなの。今日はそれを伝えようと思ったの」
「そう。これで、ハンス様の努力も報われますね」
もっと苦い表情をすると思っていたのに、プルデンシアはむしろ喜んでいるようだった。
もっと長い話になると思っていたのに一度ずつのやり取りだけで話が途切れる。
あまりにも呆気なさ過ぎて逆にプルデンシアがわたしのために気持ちを隠していると疑うほどだ。
でも、ここでしっかりと話し合わないと後でわだかまりになって残ってしまう。
「プルデンシアは大丈夫なの?プルデンシアもハンス様のこと好きなんでしょ?」
プルデンシアはわたしの目を数秒ほど見つめたあと、一人で笑い始めた。
こっちは真剣なんだって!
ムッとしたわたしを見て「ごめんごめん」と悪いとも思っていない口ぶりで謝罪したプルデンシアは優しい笑顔を作ってわたしに話しかける。
「ねえ。パウリーナ。私たち二人が最初に出会った日のこと覚えてる?」
急な話題転換だ。わたしが知らないと答えるとプルデンシアはクスッと笑ったあと教えてくれた。初対面の出来事にそんなに面白いことがあっただろうか?
「あのね。初めて会ったとき、パウリーナはまだ3歳になる前だったの。だから覚えていないのも当然だけど貴女はガラス越しで私を見てそのまま突進してきたわ。そして、そのまま窓にぶつかったの。その時はパウリーナも怪我してたからあんまり良い思い出じゃなかったんだけど、振り返ってみるとずっと変わらないなって思うの」
「····なにが変わってないの?」
考えてみるが、初対面で窓にぶつかった話と今のわたしの何が変わっていないのか皆目見当もつかない。
「窓があったのに確認せずに、通れないという大前提を無視して直進してぶつかったことよ。つまり、周りをしっかりと見ていないところ。ほら、今だって昔と同じような状況でしょ」
今?
プルデンシアに言われてわたしは現在の状況を再確認した。今はわたしとプルデンシアが二人で話し合いをしている。これは周りを見ていないことはない。
他に今起こっていることは、もしかして······
わたしが感づいたと思ったようで、プルデンシアが答えを話し始めた。
「今の話題は私がハンス様に恋をしていて、同時に貴女も恋しているというもの。だけど、ここには大きな間違いが潜んでる。そもそも話の大前提が存在しないの。つまり、私はハンス様に恋なんかしていないわ。友達ではあるけど恋情なんて欠片も持ってない」
どういうこと?
「ハンス様とこの前通路で一緒にいたのは?そのときの表情がとても楽しそうだったからプルデンシアが恋してるって思ったんだけど」
プルデンシアの見せていた笑顔は社交の場ではもちろん家族やそれに近い立ち位置の人以外にしか見せたことがないものだった。
だからこそ、わたしはプルデンシアがハンスに対して友人以上の感情すなわち恋心を抱いていると考えた。
もしかして、あの笑顔を見せているのは家族だけだと思っていたのはわたしだけでプルデンシアは学園の中でもあの表情を作っていたの?
困惑しているわたしを見かねて、プルデンシアが説明してくれたがそれは想像もつかない理由だった。
「私とパウリーナの考えている情景が同じなら、あの時はパウリーナの話をハンス様としていたからそうなったんじゃないかな」
どうやら、わたしが熱を出したことでハンスに次のデート場所の希望を伝えられなくなったので、プルデンシアが代わりに伝えようとしてくれたらしい。
その時にハンスに対してもう少しわたしのことを考えて行動するようにと釘を指したそうだ。
そして、ハンスはわたしのことを理解するためにわたしの昔の話や好みを聞いたそうだ。
しかし、誤情報があってはいけないとして、プルデンシアは情報を整理する時間をとったようだ。
「熱を出してるときに、エルネスティ先生の試験の日程変更のお知らせと一緒に好みを確認したでしょ」
そういえばそんなこともあった気がする。
熱を出していた所為か記憶は朧気だが好きなお菓子をカトルカールと答えた記憶がある。
そして、確認を済ませたプルデンシアはハンスに情報を教えた。昔話は懐かしくもあり、楽しかったようで少しだけ話すつもりが長引いてしまったらしい。
そのため、講堂から出てちょうど用事があった図書館まで歩きながら話していたそうだ。
で、わたしは事務室から五年生の講堂まで帰っているときに偶々出くわした。
というのがことの顛末だ。
だから、笑っていたのはハンスに対してではなく、楽しかったわたしとの昔の思い出に対してのようだ。
「よかった」
「ちょっと!涙が出てるわ。これで拭きなさい」
わたしはプルデンシアとの関係が険悪化しなくて済んだことに安心して張り詰めていた緊張がほどけて涙が頬を伝い始める。
いつもの涙なら気合いで止められるけど今日の涙はどう頑張っても止められず、プルデンシアから借りた刺繍入りのハンカチを目元に当てて押さえる。
「不安にさせてごめんなさいね。わたしはずっとパウリーナの味方だよ」
わたしの周囲に暖かさを感じた。プルデンシアが抱き締めているようだ。
ちなみにその後、色々ひどい誤解をしていたことをプルデンシアに立腹されて、お詫びとしてプルデンシアのことを『お姉さま』と呼ぶように言われた。
そして
「あのように乙女心を考えてくれない強引な殿方に権力欲以外で恋人になる人は貴女以外いないと思いますわ。最初のデート場所が魔獣退治だなんて理解できませんもの」
とも言われた。
わたしもそうだと思う。どう考えても相手のことを考えられていない。わたし自身も最初は、いや今でもその選択だけは理解できない。
そんなこんなで、公爵令嬢でもあるお姉さまがハンスのことを好きになる可能性はなさそうだ。
結果として、色々面倒くさい誤解が多々あったがすべて解決した。何も言わずに一人勝手にモヤモヤし続けることがなくてよかった。勇気をもって話し合いをするのはとても大事なことだと再認識した。
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